第4話 怒りの理由 雨パワー充填

あの雨の日


 全身血に染めたような、真っ赤なカッパを着て、小学六年生の少年は雨が降りしきる街中を走り回る。

「とりゃ、おりゃ、そりゃ」

 まるで両手、両足に繋がれた鎖を振り回して、敵を倒すように体全身を動かして。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 決して体力はある方じゃなくて、むしろない方ですぐに息を切らすのだが。

「そりゃ、おりゃ、参ったか!」

 再び走り出す。出鱈目なステップを踏んで、水溜りの水を弾き飛ばし、車に水を引っ掛けられようが、自転車のおっさんに「邪魔だ!退け!」と叫ばれようが、同級生の奴らに白い目を向けられようが、彼は戦い続ける。

 誰と?

 この降りしきる雨に決まっている。

 なんで戦っている?

 雨の日に限って、ろくなことがないからだ。

 妹が転んで怪我した。帰ってくるはずの父が乗るはずだった飛行機が雨のせいで順延した。借りていた本を雨で濡らしてしまって、友達に引っ叩かれた。楽しみだった映画が順延した。おばあちゃんが滑って骨折した。大切にしていたカードを無くした。パン屋の好きなチョコパンが売り切れている。

 些細なことから。とても大切なことまで。雨には関係ないことまで。

 それでもこれだけ立て続けに、続けば流石の寛大な僕だって、許せない。

 だから僕は雨の日には戦いに出るのだ。

 もちろんその戦いに勝ち負けはないのだろう。恨み節を言ったところで、蹴り飛ばしたところで、殴り飛ばしたところで、雨は嘲笑うように降り続ける。天に唾を吐きかけるみたいに。

 それでも続けるのは僕の意地だった。

「何してるの?」

 そんなことを何日も続けていた。その間に僕に話しかけてきたのは数名。

 その中の一人。声しかぼんやりとしか覚えてないので、女の子か男子なのか。年下か年上なのかも判然としない。

「雨と戦っている!」

「ふ〜ん、なんで赤いカッパ?」

「決まっている!格好いいから!強いから!そして目立つから!」

「目立つ?」

「ああ、僕の存在を雨に知らしめているんだ。

 僕はここにいる!さぁ、かかってこいって!」

 それを聞いた相手の名前はおろか、顔もよく覚えていない。



 眠りから目を覚ますと、隣でゴソゴソと動く気配がした。胸元を見ると、ハルが小さく縮こまって、規則正しい寝息で寝ていました。

 また避難してきたようだ。

 嘆息した後に、すぐに背中に感じる柔らかい感触に気がついた。

「‥‥‥‥」

 起き上がるとタンクトップと短パンという妙齢の女性にしては大胆すぎる格好。もはやほとんど水着で、上も下もほとんど隠れてない。

男の目の前でするには露出がすぎる格好で、同居のお姉さんがなぜか私のベッドで寝ていました。この光景にドキドキしない私が病気なのか、はたまたもう既にフウカさんを一人の女性としてではなく、身内と思うようになったのか。そしてそれがまた良い傾向なのか、悪い傾向なのかも、私には判然としませんが、とにかく言えることは一つ。この目覚めはいやということ。

 起き上がり頭を抱える。

「フウカさん。起きてください」

「う、う〜ん」

 しばらくグズグズしていたが、ゆっくりと目を覚ました。

「あ、シズちゃん。おはよう」

 おはようじゃないです。

「頼みますから何か着るか、部屋にすぐに戻ってください。目に毒です」

「え?ああ、そういうこと。別にいいんだよ〜」

 欠伸をしながら、自分の身なりを見回して、なんてことのないようにそう呟く。

「こちらが構います」

「ああ〜恥ずかしいんだ」

「それもありますけど‥‥‥ここまで男を意識されてないと、まるで侮辱されている気分で」

「随分複雑な感想だね」

「それにハルの教育上良くないので」

「シズちゃんは中々のシスコンだよね」

「今、それを認めてしまうと、フウカさんも入ってしまうので、絶対認めません」

「もぉ、そういうところも好きだぞ!」

 そう言って、フウカさんはルンルン気分で部屋を出て行った。

 嵐が去って、静まり返った部屋。

「‥‥‥昔の夢を見るなんて」

 まるで年老いた老人みたいだと思いつつも、いまだに気持ちよく寝ているハルの肩を揺らす。

「朝だぞ」

「う〜ん、来ないで、来ないで、私、食べてもおいしくない」

 顔を青ざめながら、そんな寝言を呟く妹に、兄は絶句しました。

「‥‥‥今日、ホムセン寄っていくか」

 妹の部屋を施錠することを決めた。


 雨宮さんの役に立つ。

 口ではそう宣言したが、何をすればいいのかとんとわからないので、今日も霧雨さんを探して、校内を散策していたら、

「ヤァ、コンニチハ!」

 イケメンに声をかけられた。

 金色の髪を捲し上げて、彫りは深く、日本人離れした白い肌をしているので、ハーフのようだ。日本語のイントネーションが少しおかしい。

「あまり見ない顔だけど。名前は?」

「あ、はい。六月の頭に転校してきた時藤時雨です」

「そうか、シグレはその、女子は好きか?」

 質問の意図がわからない。

「俺は好きだ!」

 あ、そうですか。以外の回答があるのだろうか。

「そして、俺はモテる!」

「あ、そうですか」

 遂に言葉に出てしまった。

「しかし、俺には心に決めた人がいる!」

 一体、なんなんだろう。この感じ。あ、そうだフウカさんと初めて出会った時と同じ感じ。面倒だな〜

「それで、え〜と、あなたは私に何の用でしょうか?」

「あ、すまない。俺の名前を言い忘れていたな。

 俺の名前は流鏑馬晴翔だ。是非、覚えておいてくれ」

 いやでも忘れそうにない。忘れても覚えてそう。それぐらいにフウカさんとは違うインパクトがある。ただ、フウカさんが底なし沼なら、この人は水溜り。

「それで、流鏑馬君は私に何のようでしょうか?」

「あ、そうだったな。単刀直入にいう。伽音に近づかないでもらいたい」

「伽音?ああ、霧雨さんですか」

 そこでようやく全てが繋がった。

「もしかして、霧雨さんの彼氏さんですか?」

「うぬ、そう言っても差し支えないと思われる」

 どうやら違うみたいです。

「別に流鏑馬君の恋路を邪魔するつもりはありませんし。霧雨さんはよき友達というだけなので」

「それでも、ダメだ」

 中々独占欲の強い人のようです。でも、霧雨さんの預かり知らぬところで、彼女のことを決めるのは絶対的に間違っていることだけは確かです。

 でも、この手のタイプは中々話を聞いてくれないのも、義理のお姉さまから学んでいる。ならここは絡めてでいきましょう。

「つまり、流鏑馬君はこの学校で唯一気軽に話が出来る友達を切り捨てて、私に一人になれということですか?」

 明らかに動揺する流鏑馬君。

「うむ、いや、そうではなくてだな。

 なら、俺が友達になってやる」

「それだったら、必然的に霧雨さんと近づくことになると思うのですが」

「確かにそうだな」

 必死に思案する流鏑馬君。頭から煙出ています。

 どうやら良い人のようです。余計に厄介なのですけど。

「何、やっているバカサメ」

 そこに現れたのは今日も黒パーカーに身を包んだ霧雨さん。ただ、いつもの無気力の中に明らかに怒気が混じっていることは私でもわかります。

「お〜マイエンジェル!伽音!今日も見目麗しゅう!」

 盲目。怖いです。

「‥‥‥‥行こうか。え〜と、スギウラ」

 全くかすってないけど、恐らく私のことだろう。

「え〜とよかったの?」

 そう言って、私は流鏑馬君の方を見る。なんか捨てられた猫みたいな表情で、

「俺より先に。俺より先に」

 先に名前を呼ばれたのが、よほどショックだったのか、先ほどまでのオーラはどこへやら。放心状態でブツブツとうわ言を呟いている。

「別に大丈夫だ。すぐに治る」

 そう言って、そそくさと霧雨さんは行ってしまったので、私も後に続く。そしていつものように、窓の淵に体を預けながら、外を見る。

「それで、雨宮と話せたのか?」

「ああ、おかげさまで。仲良く?なれたと思います」

「話は聞けたのか?」

「うん。それで率直に聞きますけど、雨の日に見えなくなるって、どういうことだと思います?」

「率直に聞くな。私は別に探偵じゃないし、専門家でもない」

「でも、霧雨さんは私と違う、人と違う感性を持ってそうなので」

「‥‥‥私を変人だと言いたいのか?」

「?からみたらそうというだけで、私は変らしいので、一般的に変なのかはよくわかりません」

「お前、本当に良い性格しているな」

「そうですか?」

「そして自覚なしか」

 何かを諦めたように霧雨さんは嘆息して、空を見上げる。今日は雲こそあるが、お日様がちゃんと見えている。

「客観的に考えると、雨の日に何か嫌なことがあって。雨なんて、なくなれば良いと思っていたら、自分が雨の日に消されてしまったと考えるのが妥当だな」

「ファンタジーですね」

「質問内容がファンタジーなのだから当然だ。悪いが、私にSFを嗜む趣味もないし、光学現象とか、量子力学とか、そんな専門的な話を求められても困るぞ」

「そこまでのことは。しかし皆んな雨の日嫌いすぎませんか?」

「お前は好きなのか?」

 しばらくの沈黙ののち。

「嫌いじゃない」

「随分間があったな」

「正直、よくわからないんです」

 私の言い方に引っ掛かりを覚えたのか、外を見ていた霧雨さんの視線がこちらに移る。

「昔は大嫌いでした。雨の度に嫌なことや辛いことが重なって、雨なんて降らなければ良いと、心底思った。

 でも、今は雨の日の嫌な記憶はあるのに、そこまで憎めない自分がいます」

「なんだ、それ」

「多分、以前にこの町に住んでいた時に何かあったのかと」

「この町にいたのか」

「小学四年生の時に半年だけ。でも、その時の記憶はほとんど覚えてませんで」

「つまりその時に起こったなんらかの出来事が、お前を、雨を憎めない感情にしたと?」

「まぁ、そうなります。どう思います?」

「とりあえず、雨に対してそこまで複雑な感情を抱けるのは凄いと思った」

「それ、貶してます?」

「変人から変人に対する率直な感想」

 え、さっき変人と言われたの、まだ根に持っているんですか。

「霧雨さんって、中々性格悪いですね」

「お前にだけは言われたくない。

 まぁ、とにかく不確定要素が多い以上可能性があることを片っ端から試していくのが良いんじゃないのか」

「そう、ですね」

 建設的とはとても良い難いですが。

「なら、まずは雨が嫌じゃなくなる話でもすることだな。病は気からじゃないが、少なくとも雨がなんらかの形で作用しているのは確かなのだし」

「嫌じゃなくなる話ですか」

「それと、ちゃんと確認することだな」

「何を?」

 真っ直ぐこちらを見た霧雨さんんの視線は鋭かった。

 そして次に語った彼女の言葉には驚愕を隠しきれなかった。

「本当に、雨宮虹深はそれをなんとかしたいと思っているのか?」


「雨の日が嫌いな理由?」

 その日の放課後。私は早速雨宮さんに声をかけて、前にきた喫茶店で私たちは向かい合ったところで「雨の日に何か嫌なことありませんでした?」と切り出した。

 雨宮さんは一口ココアを飲むと「美味しい」と呟き、もう一口飲んだところで、口を開いた。

「色々の積み重ねみたいなものね。折角両親が来てくれる運動会が雨で順延になって結局来られなかったり、楽しみにしていた遠足がテーマパークから資料館に変わったり、お気に入りのワンピースを車の泥水でひっかけられたりとか色々ね」

「‥‥つまり、別につい最近雨が嫌になるエピソードがあったわけではないと」

「まぁ、そうなるわね。ねぇ、おかわりしていい?」

 いつの間にかココアを飲み干した雨宮さんはおかわりを所望した。

 どうやら随分気に入ってくれたようだ。それともこのココアには依存作用でもあるのでしょうか。

「じゃあ、どうしてなんでしょう?」

 どうして彼女は雨の日にいないもの扱いされるようになったのだろうか。

「雨の日に皆に無視されるような、何かとんでもないことをやらかしたとか」

「私をなんだと思っているのよ」

 雨宮さんは短く嘆息した。

「第一、それだったら雨の日には見えないはず。それなのに雨の日の野外。傘の下にいる時だけ見えなくなるってどういうことよ」

 確かに。厳密に言えば雨宮さんの体が見えなくなるのは周囲を雨に囲まれている状況。屋内ならちゃんと見えているということだし。

「日傘は大丈夫なのですか?」

「ええ、一度試してみたけど、問題なかったわ」

「となると『雨の日』じゃなくて『雨』にスポット当てた方がいいかもしれませんね」

 そう言ってココアを啜る。うん、相変わらず美味しいです。

「雨の程度はどうですか?」

「そうね、ポツポツは大丈夫。しっかり傘をささないといけなくなるぐらいまで降るともぅ、だめね」

「程度にもよると」

 まるで見えなくなるんじゃなくて。

「隠れているみたいだな」

 ただ、思ったことを口走っただけの言葉だったが、雨宮さんの動きが明らかに止まった。なんだろ?動揺?

「隠れるって、まるで私がお尋ね者みたいな言い方ね」

「そうなんですか?」

「時藤君の中で、私がどんなイメージなのかよくわかったわ」

 そうなのか。私は全くわからないですけど。雨宮さんのイメージなんて。

 まぁ、今は関係ないので、置いておきましょう。

「本当に思い当たりませんか?雨に対してのエピソードを」

「ないと思うけど」

「じゃあ、生まれつきそうなる運命だったということですか?」

「どんな運命よ。そう言われるとなんか腹が立つわね」

 そう言って窓の外を見る雨宮さん。今日も空は曇天模様。いつ雨が降っても不思議じゃないほどで、昼間なのに外は暗い。

「そもそも。なんで、そんなこと聞きたいの?」

「え、雨宮さんのその体質をなんとか治すきっかけになればいいと思って」

「‥‥‥私、別にそんなこと頼んでないけど」

「‥‥‥‥」

「何よ」

「いえ、あまりにも」

 霧雨が言っていた通りの返しに驚いたとは流石の私でも口に出しません。

「治したくないのですか?」

「そうじゃないけど。別に積極的に治したいとも思わない。治ればいいな、と思う程度」

 随分軽い印象を受けます。結構大変なことだと思うのですが。

「不便じゃないのですか?」

「まぁ、雨の日に待ち合わせや外に誰かと一緒に出かけることができなくなるけど、そこまで不便は感じてないわね」

「今はでしょう?」

 私の含みのある言い方に雨宮さんは首を傾げる。

 言おうかどうか悩んだが、やはりいうべきだと思い、

「雨宮さん。最初に会った時よりもこの前会った時よりも透けていた。

 もしかして、その症状って進行してるんじゃないの?」 

 口に出した。

 雨宮さんは窓の外をじっと見つめ続ける。まるでこれ以上私と話すことはないと。そう言いたげな表情が窓に映っている。

「だとしても、時藤君には関係ないでしょ?」

「言ったじゃないですか。見えるのに見えないふりするのも、聞こえるのに聞こえないふりするのもしんどいって。それにできる限りのお手伝いはしたいとお約束しました」

「なら、私には拒否権があって然るべきよ。それにその考えって、あなたの自己満足よね?」

 どうして雨宮さんの口調が強く、鋭いのか、全くわからない。

「まぁ、有体に言えば」

 そう言った途端に雨宮さんはゆっくり立ち上がった。

「なら、時藤君と話すことはもぅ、ないわ」

 そう言って立ち上がり、伝票を掴んで、店から出て行った。私は唖然として、その背中を追うことはおろか、その場から立ち上がることもできなかった。

「怒らせちゃったみたいだね」

 未だに雨宮さんがどうして怒ったのか唖然としている私の肩を叩きながら、橘先輩はそう言った。中々の力で痛い。

「そうみたいです」

「ふっ、まるで人ごとのように聞こえるけど」

 それほど、目の前で起こった展開に思考がついていってないのです。

「どうして彼女は怒ったのでしょうか?」

「残念ながら、お客様の話を立ち聞きするほど、喫茶店の店員は暇じゃないし、恥知らずじゃないんだよ。少年」

 つまり話を聞いてなかったと。まぁ、当然ですね。でも。

「お互いにメリットがあることなのに、どうしてなんだろ?」

 私は雨宮さんを救うことで精神衛生上救われて、彼女は抱えている問題を解決できる。なのに、一方的に拒絶された。むしろ理不尽なのは彼女のように思えるほどに。

「確かに、それはお互いにメリットがあったら素晴らしいよね」

「だったら」

「でもメリットしかないのなら、もしかしたら私は拒否するかもね」

 益々困惑する。

「意味がわからないんですけど」

「メリットのために色々と我慢するのなら、それはもはやメリット呼べるのかって、いう話」

「とんちですか?」

「いや、理屈じゃなく、感情の話」

 よくわかりません。雨宮さんは何を我慢しないといけないのでしょうか。

「やっぱり、よくわかりません」

 しかしその質問には答えてくれず、橘さんは不敵な笑みを浮かべ、注文を取りに席を離れてしまった。

外は今にも雨が降りそうだが、降らない。なんとなく一掃降ってくれればいいのにと、私はそんなことを考えていた。

 

なんてことを思っていたら、本当に降ってきた。しかもまるで洗礼のように結構強い雨が。歩く度にズボンの裾が濡れる。

「まぁ、考えてみるがよい。後輩の良いところは、空気を読みそうで、読んでないところだ。なら、そのまま空気を読まずにいくが良いさ」

 なんて、よくわからないアドバイス?を帰り際に橘さんからもらって。

「流石に、これは強い。早く帰ろう」

 幸いなことに風は強くないので、足元以外は傘で十分に防御できる。

「雨宮さん。大丈夫ですかね」

 ちゃんと帰ったのでしょうか。もしかして、またバスに乗れず、この大雨の中、歩いて帰ってないでしょうか。

 などと考えながら歩いていた足ふと立ち止まる。雨宮さんと話をした公園の東屋が見える。もちろん干渉に浸っているわけではありません。その下に人がいたのです。

 雨が降っているとはいえ、湿気が強い、このジメジメとした空気の中、黒魔道士ならぬ赤魔道士という感じで真っ赤なローブを頭から被り、まるで水を掬い上げるような形で両手を天高く持ち上げている。おかげで手とローブがめくり上がった腕がビジョ濡れです。顔は見えないが手は小さく、腕も細いので、なんとなく女の子なのかなと推測する。

「‥‥‥‥」

 私はよく変だと言われるが、それを公に認めたわけではないし、もちろん変人に対してシンパシーを感じることはない。

 でも。

「何してるんですか?」

 足は全自動のように彼女の目の前へ向かった。

いやわかっています。

話しかけてしまったのは、恐らく過去への感傷でしょう。

「雨パワーを補充しています」

 落ち着いた、どこかお嬢様みたいなそんな声だった。

「‥‥‥それを補充したら、どうなるんですか?」

「不可視のエネルギーが蓄えられます」

 不可視じゃないエネルギーってあるのでしょうか?

「それを蓄えて、何になるのですか?」

「色々なことができます」

 それはまたお手軽なエネルギー補充ですね。何せタダなのですから。原油価格が高騰している昨今の情勢を鑑みれば、夢のようなエネルギーです。

 私は溜め息一つ、彼女と席一人分開けて座った。

「‥‥‥‥なぜ」

 隣に座った私の行動が奇怪だったのだろうか。首だけをこちらに向けて、そう呟いた。未だに顔はよく見えない。

「別に。考え事があったのと、雨宿りです。お気になさらず、エネルギー補充に勤しんでください」

「周りに不純なものが混ざったら、エネルギーの質が落ちてしまうのですけど」

 人を感染症みたいに言わないでもらいたいです。

「では、息を止めます」

「死んでしまいますよ!」

「大丈夫です。人間には皮膚呼吸があります。死にません」

「えっ!でも、水の中じゃ息できない!」

 明らかにさっきよりも違うテンションの声が返ってきた。

「そりゃ、できませんよ。皮膚も水の中じゃないですか?」

 それでも私は無表情で真っ直ぐ前を見続ける。

「なるほど。確かに。あれ、息を止めていたら、普通でも苦しい」

「そりゃそうですよ。人は呼吸をしないと死ぬので」

 そこでようやく彼女も冗談を言われたことに気がつく。

「‥‥‥あなた、私を謀りましたか?」

「いえ、ただ単に嘘を本当っぽく言っただけです」

「それを、謀ったというのよ!」

「それより、腕プルプルしていますが、大丈夫ですか?そろそろやめた方が」

「え、エネルギー補充を自分の意志で止めるわけにはいかないに決まっているでしょ!」

「でも、やめどきは自分で決めるべき、いや決めないといけないと思いますけど」

「あなた、私に説教をしにきたの?」

「まさか。てっきり魔法っぽいことを仰ったので、占いでもしてもらおうかと思って」

 彼女はゆっくり腕を下ろした。

「あれ、もういいのですか」

「‥‥‥あなたは、目の前の光景をどう思いますか?」

 神妙な面持ちで魔道士はそう言った。どう思うって。

「雨が降っていると思います」

 その答えに満足したのか、それとも不服なのかはわかりませんが、魔道士は雨降る空を見上げながら、語る。

「雨と言っても、いろいろな解釈があります。

 ある人には浄化するもの。

 ある人には人の涙。

 ある人には心を濡らすもの。

 ある人には全てを洗いさってくれれるもの。

 私たち生命にとってはなくてはならないものなのに、それは人の命を奪うものでもあります。

 人によって、物によって、時と状況や場所によって、その解釈は様々。 

 共通するのはただ一つ。雨というものが降っている、ただそれだけ」

 魔道士さんの講釈に耳を傾ける。だけど。

「目の前の光景をどう思いますか?」

「‥‥‥‥雨が降っていると思います」

 全くもってよくわからない。

 それを聞いた瞬間、彼女はゆっくり立ち上がった。

「あなたには素養がないようなので、これ以上話すことはありません」

 そう言って彼女は傘を開いた。ゴシックロリータというのか。紫と黒を基調とした派手な傘だ。そして小さいので、まるでトトロが頭に葉っぱを乗せているぐらいの防御力しかないので、ローブはずぶ濡れだ。だけど、彼女は何事もないように、雨の中を歩いていく。

「なんの素養なのだろうか?」

 最近、よくわからないことばかりだ。

 そう思いながら空を見上げて、魔道士さんの言ったことを頭の中で反芻した。

 それでも私には雨が降っている以外の感想は抱かなかった。


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