第2話 雨の日の妖精

引っ越してきた二日後には初登校日を迎えた。編入試験などはなく、前に通っていた高校からの内申書だけで転校はできた。

「じゃあ、私は部活あるから、先に行くね!」

 フウカさんは朝の六時ぐらいには家を出て行った。

「‥‥‥前途多難ですね」

 この二日間は怒涛の勢いで過ぎていった。

 次の日には届いた荷物の荷解きをして、それが終わればハルの手伝いをして、もちろん家事もこなして疲れたので、夜にはぐっすり眠っていたのに、フウカさんに追われるハルが避難してきて、結局その日から未だにハルは怖くて自分の部屋で眠れずにいました。

「添い寝して、親睦を深めようとしただけなのに〜」

 どれだけ一足飛びのコミュニケーションの取り方なのだと呆れて頭を抱えた。

 私が襲わなければ、大丈夫なのではと、返したら、

「じゃあ、さっさと襲ってよ」

 などと本末転倒のことをいう始末。なんか色々と破綻している。

 そんな感じで、妹と義理姉の溝が出来てしまった。しかしさっきの感じを見てわかるように、台風の目はケロッとしているのだから、余計にタチが悪い。

「‥‥‥引っ越そうかな」

 学生の身分ではとても無理なのだが、そんなことを考えてしまうほど、転向初日の体は疲れていた。

 そして二人で朝食を済ませて、初日故に妹を中学まで送って、私も高校に向かいました。

 自己紹介も無難にこなした。五月のゴールデンウィーク明けという中途半端な時期の転校生に皆が注目した。幸い、フウカさんとの関係はばれていないので、言及されることはなかった。

 しかし。

「あの、赤い傘の女の子のこと知ってますか?」

 その質問を聞いた途端に皆、傷を隠すように口を閉ざした。

「ううん、知らないな」

 曖昧な笑みを浮かべ。

「ははは、何言っているんだよ転校生」

 から笑いで言葉を濁し。

「あまり、その話題を口に出さない方が良いよ」

 自愛の目で警告してくる始末。

 皆、フウカさんが言ったような態度をとってくる。

「どういうことなのでしょうか?」

あの赤い傘の少女は一体、どういう存在なのでしょうか?

 気になりはしましたが、転校初日から爪弾きにされるのはあまりよろしくないと思い、

「わかった。忠告ありがとう」

 作り笑いでお礼を伝え、深追いはしませんでした。

 ただ、収穫もありました。彼女は実在して、この学校の生徒で更にこの教室の生徒だということ。

 なぜなら皆、一様に教室の片隅にある空席に目をやったことを私は逃しませんでした。


 昼休み。初日故に弁当も作れなかったので、今朝寄ったコンビニおにぎりでの昼食。自販機はあると知っていたので、お茶だけ買いに行こうと思い、体育館の下にある自販機に向かう途中。誰もが複数人で行動している廊下で一人、窓の外をぼんやりと眺めていた少女が目に入った。

 身長はハルよりも少し小さい。一五〇いくか、行かないか、少し蒸し暑く感じるこの時期に大きめの黒いパーカーを着て、フードを被っているので、顔は見えない。

「おい、そこの男。私を小人のように見ているそこの木偶の棒」

 じっと見ていたのが、不味かったのか、彼女はこちらを見ずに棘のような、鋭い口調でそう告げてきました。

 流石にここで、自分で話しかけてきたのがわからないととぼけるようなことはしない。

 でも、別に小人のように見ていたつもりはないのですけど。

「すいません。不愉快な思いをさせてしまって」

 彼女の隣に立ち頭を下げ、素直に謝罪すると加えていたマウントレーニアのストローから口を外すと「見ない顔だな」とボソリとつぶやいた。相変わらずこちらをみない。

 まるで全校生徒の顔を覚えているような言種に、引っ掛かりを覚えましたが。

「今日が転校初日なので」

「‥‥‥ああ、お前あれか。この間風上先輩と一緒にいた」

「!!!」

 思わず目を見開く。

 やっぱり見ていた人がいましたか。

 小さな町だ。想定内ことなのですが、いざ追求されたら中々言葉が出てきません。

「安心しろ。俺はお前と風上先輩の関係性を追求するつもりも、誰かに言いふらすつもりはない」

 こちらの意図を汲み取ったのか、本当に興味がなさそうな淡白な口調だった。だが。

「‥‥‥」

「随分疑り深いやつだな」

 はい、そうですかとすぐに頷けるほど、私は楽観的じゃない。むしろ慎重派。

「まぁ、何度かそう言われて、裏切られたことがあるので」

 人の意思なんて常に天秤。自分にとってメリットの大きい方に傾くというのは中学時代。嫌というほど、学びました。

「そうか。じゃあ、信じなくていい。だから、お前と彼女の関係が噂されても、わざわざ俺のところに来るなよ」

 信じなくても良い。でも、疑ったら容赦はしない。というわけか。

 少し、いやかなり強引な言い分だったが、そのどこか露骨な物言いが逆に信用に値しました。

「わかりました」

「随分素直だな」

「あまり、無駄なやり取りはしたくないので」

 それを聞いた彼女はようやくこちらを見た。幼い顔つきなのだが、どこか貫禄があって、その微笑む表情は母性すら感じる。どこか落ちついた佇まいはフウカさんよりよっぽど姉っぽい。

「面白いな転校生」

 ただ、口調は荒い。

「時藤時雨(ときとうしぐれ)と言います」

「うん?ああ、俺は霧雨。霧雨伽音(きりさめかのん)だ」

「先輩ですか?」

「いや、同年代」

「‥‥‥‥」

「小さいくせに偉そうにしているなと思っただろ」

「はい、思いました。いや、言葉に語弊があるかもです、随分態度がでかいなと思いました」

「どっちみち、一緒じゃねぇかよ。さしたる違いはないだろ」

 どうして彼女が怒っているのか、わからない。素直に答えただけなのに。

 首を傾げる私に、呆気に取られた表情を浮かべていたが「なるほど、そういう奴か」と何かを納得したように、再び視線を外に戻した。

 どこか得体の知れない。そういう点ではフウカさんと一緒。二人でババ抜きをしたら、おかま二人と、とある一家で行われた奴のように、世紀の決戦になるのは想像に難くない。

「得体の知れないのはお前も一緒のような気はするが」

「どうしてそう見えるんですか?」

 私の質問に何か言葉を返すことなく、深く息を吐く。

「自覚なしか。まぁ、いいや。ところでお前、雨宮と会ったのか?」

「雨宮?」

 聞いたことのない名前に私は首を傾げた。

「雨宮。雨宮虹深(あまみやこうみ)。恐らく赤い傘の持ち主だ」

「え、彼女を知っているんですか?」

「ああ、知っているよ。というか彼女を知らない人はこの学校じゃ少数派だろ」

 そんなに有名人なんだ。

 次の言葉を告げようとする霧雨さんに「彼女のことを聞いたら、呪われるとかそんなことあります?」と言ったら、彼女は怪訝な表情を浮かべながら、こちらを見た。

「お前、優等生みたいな身なりして、随分ファンタジーなこと言うんだな」

「よく言われます。でも、私は『見掛け倒し優等生』なので」

 今まで重ねた会話の中で、一番強く頷かれた。釈然としません。

「彼女のことを聞くと、皆一様に話を濁すのです」

「あ?ああ、なるほど。雨宮のことは結構なタブーみたいになっているからな」

「どうして?」

「消されるらしい」

「‥‥‥それは比喩表現ですか?」

「さぁ、詳しくは知らん。興味がない」

「霧雨さんは話してもいいんですか?」

「俺はそんな暗黙の了解とか、空気を読むとか、組織内のルールとか、そういうのは鬱陶しくてな」

 なるほど。実に私と違って、見た目と言動が

「そしてお前みたいな奴には多少のエサ(情報)は与えないと余計に面倒になると思った」

「私って、そんな厄介ごとを引き起こすように見えます?」

「俺の勘がそう言っている」

 どっちかというと殊更厄介ごとに首を突っ込みたくタイプなのですが。やはり見た目と意識の乖離が激しいようです。

「それで雨宮さんがどうしてタブーなのか教えてくれるのですか?」

「ほら、突っ込んできた」

「いや、流石にここで話を切られるのは」

 中途半端には限度があるし。

「それに話を聞いてから、接触した方が良いと思いまして」

「随分保身的なんだな。高校生かお前本当に。その口調といい」

 その言葉。そのまま返します。

「本人から聞けばいい。まぁ、雨の日には会えないから、晴れるのを待て」

 そう言って空を見上げると、曇天からポツポツと雨が降り出した。

「それじゃあな」

「え、ちょっと」

 フウカさんと良い、どうしてこんな中途半端なタイミングで話を切るのか。

 去りゆく背中を追おうとしたが、予冷が鳴ったこともあって、できなかった。残されたのは更なる謎と。

「昼飯。食い損ねた」

 空腹だけでした。


「まさか、こんなタイムセールがあるとは」

 帰り道。スーパーの袋を携えて、僕は雨が降る町の中で家路を辿る。

『帰りに買い物お願いしていいかな。確か今日駅の近くのスーパー。雨の日セールをやっているから』

 帰り際にフウカさんからもらった情報を受けて、私の放課後の予定が決まりました。

 雨の日セールとは降水確率六〇%の間、全品五%引きというとても気前の良いセールのことでした。

 日本一雨が降る町で、そんなセールをして大丈夫なのかと思いつつも、むしろこれぐらいのセールをやらないといけないのかと、すっかりここ数年間で身についた主夫スキルでぶつくさと考えている時でした。

 赤い傘が私の横を通り過ぎました。

 私は慌てて振り返り、声をかける。

「あ、あの!」

 しかし彼女は全く振り返らずに、そそくさと前に進む。この距離で無視されるのはきついと思いながらも、慌てて追いかけて、その進路を塞ぐ。

「あ、あの!雨宮さんですか!」

 今、思えば赤い傘=雨宮さんと言うのはかなり安直な考えだったかも知れませんが、その時の私はそれを全く疑っていませんでした。

 傘を傾け、見えなかった彼女の体がゆっくりとこちらを見上げるように視線を向けた時、思わず目を見開く。

 彼女の体が透けていたのです。

 確かに彼女の体はそこにあるのだが、水面から見る水底のように彼女の体を通して向こうの景色を見ることができた。そしてその姿は不気味というよりむしろ綺麗に見えて。

「妖精というよりも精霊ですね」

 最初は驚きましたが、まぁ、事前に彼女のことを霧雨さんから聞いていたので、ある程度の心構えが出来たこともあって、中々に冷静な対処が取れたと思う。さぁ、後は言いたいことを言うだけです。と、思っていたのですが。

「な、なんで!」

 対する雨宮さんの方がまるで、信じられないものを見るような目線をこちらに向ける。受けた衝撃の大きさが全くの真逆のように。

「ちょっと待って」

 私の静止を無視して、逃げるように踵を返して、その場から去ってしまう。

 伸ばした手の向こうにみる赤い傘はどんどん小さくなっていく。

 だが、私はその背中を追いかけることはできなかった。何故なら、

「あいた!」

 すぐに転んだからだ。見掛け倒しの男は運動も出来ないのです。


 次に彼女と出会ったのは学校の廊下だった。

 その日はこの街に来て初めての快晴で、湿気でジメジメした雰囲気からほんのひと時解放されたように、学校の雰囲気はどこか明るかった。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 そんな中私は汗だくになって、肩で息をしていた。

「逃げ足、早くない」

 学校の廊下で彼女と再開したのだが、私が声を発する前に早足で立ち去ってしまったのだ。

 今回は追い縋ろうとしたのだが、思ったより早い逃げ足に振り切られてしまった。

 それからまるでエンカウントバトルのように彼女とすれ違って話しかけようとしたのだが、その度に逃げられてしまう。挙句の果てには目が合った瞬間に逃げられてしまう。

 そしてそんなことを繰り返してしまったせいで、色々な尾鰭がついて、学校中に噂が広まった。

 曰く、昔振られた相手に転校した学校でばったり再開して、追い縋っている。

 曰く、妖精の呪いにかかった。

 曰く、忠告を無視した恩知らずな転校生。

 曰く、新手の変態プレイ。

 その噂は上級生のところまで行って。

「シズちゃん。女の子を追いかけ回したらダメだよ。諦めない心も大事だと思うけど、引き際も肝心だよ」

 などと、フウカさんから慈愛の瞳で説教された。相手が雨宮さんと言うところまでは知らないようですが。

 しかしこのままじゃ目的を果たせません。

「どうしたらいいんでしょう?」

 ここまで避けられるとは思っていなかったので、流石にショックは大きかった。

「どうして、俺に相談する」

 窓の淵に身を預け、嘆息する私の隣で窓を背にして、マウントレーニアを飲む霧雨さんは心底面倒臭そうにそう呟いた。

「いや、だって雨宮さんのこと話せるの、この学校じゃ、霧雨さんだけですから」

「‥‥‥話した方が面倒なことになったか」

 自分の失言に頭を抱える。

「しかし、お前本当に見えるんだな」

「‥‥‥‥どういう意味ですか?」

「会ったんだろ?雨宮虹深と」

「はい、さっき」

 脱兎の如く逃げられましたが。

「違う。雨の日に」

 窓の淵に身を預けていた私はゆっくりと起き上がった。

「はい、会いましたけど。それが何か」

「言葉通りの意味だ。普通は会えないんだよ」

「会えない?」

「ああ、普通は会えないんだよ。彼女の姿は雨の日には認知できない」

「‥‥‥なるほど。だから透き通っていたのですね」

 確かにあのような透き通った姿を雨の中でしていたら、見えないと言う可能性も出てきますね。

「随分物分かりが早いな。というか、お前の目にはそう映ったのか?」

「はい、まるで水みたいに。とても神秘的でした。人間の体はほとんど水分で出来てると言いますが、あそこまで水っぽい人を見る人は初めてです」

「‥‥‥お前、変わってるな」

 こちらを見る霧雨さんの視線はまるで珍獣を見るような、目線でした。

「よく言われます」

 納得も理解もしてませんが。

「そりゃそうだろうな。

しかしそれはまた。まぁ、確かにそんな姿を見られた人間からは遠ざかりたくなるな」

「そう言うものなのですか?」

「ああ、普通は見た人間も遠ざかるものだ。雨宮虹深がこの学校でタブー扱いされているように」

 なるほど。確かに得体も知れないもに近づきたくないのは人として当たり前ですね。

「ちょっと待ってください。とい雨ことは雨宮さんが私から逃げる理由は私が彼女にとって得体の知れないものだからですか?」

「うん?気づいてなかったのか?」

「‥‥‥はい、軽くショックです」

 落ち込む私。でも、落ち込んでばかりもいられません。客観的事実を受け止めて、対処しないといけません。

「しかし霧雨さんも、あっさりと信じるんですね」

 もし、霧雨さんの言い分が正しいのなら、彼女にとっても僕は得体の知れないもの。

「虚言癖のあるやつの戯言だと思わないのですか?」

「‥‥‥言ってて、悲しくないのか?」

「多少」

 すいません。意地張りました。かなり悲しくなってきました。

 そんな私を慰めるように霧雨さんはポンポンと背中を叩く。

「まぁ、お前が俺に嘘をつく理由はないからな」

「‥‥‥からかっているという可能性は?」

「それはまた随分趣味が悪いな」

 信用してもらっているということでいいのでしょうか。

「でも、本当に他の方には見えないんですか?」

「ああ、だから一部の中では彼女のことを幽霊と思っている奴もいる」

 そりゃまた極端な。まぁ、でもそれぐらい不思議な話なのでしょうね。

「どうなっているんでしょうか?」

「さぁ、理屈や常識が通らない話を、理屈や常識の中で生きている人間には理解できないことだろう」

 まぁ、確かに。そもそもこんな話をしている時点で私たちも同類なのでしょう。

 うん、でもそうなると。 

「一番異常なのは霧雨さんということなりますね」

「おい、こら。どうしてそうなる」

「だって、私は実際見たから、なんとか理解できる。

 でも、見てもいない。ただ単に嘘をつかないのではないのかという、理屈だけでこの訳のわからない?話を信じているのですから」

「‥‥‥お前、さっき変人って言われたの、根に持っているだろ」

「多少は」

 いや、かなり。

「今回はお前の勝ちにしてあげる。それで何が望み?」

 言葉は負けを認めているのに、口調や仕草は全くもって納得いってない。マウントレーニアの紙パック握りつぶしていますし。

「ありがとうございます。では、これからも頭のおかしな私の話に付き合ってください」

「仕方ない。全く面倒なことを。

雨宮虹深のこと、諦めるつもりはないということか?」

「はい、言いたいことがあるので」

 そういった青空は青すぎるほど、青で。今にも落ちてきそうな気がした。どうやら私たちにはその青は似合わないようです。

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