傘の下の君に告ぐ。私は君と相合傘をしたい。
@esora-0304
第1話 雨の町 真っ赤な傘の少女
あの雨の日1、
「雨の日には好きな人と相合傘ができる!」
空は分厚い雲に覆われ、昼間なのに薄暗い。朝から降り続いている雨は今も決して弱くない勢いで遣らず町に降り注ぐ。
誰も傘を挿して足速に、目的地に向かう中、真っ赤なレインコートを着た少年は「ヤァ、トォ、おりゃ」と奇声をあげながら、まるでまとわりついた雫を降り払うように、足を上げ、両手を振り回し、時には回転しながら出鱈目なステップを踏みながら、雨の中を
進んでいく。
皆が一様にその姿に目を向けるが、子供の遊びだと思い、奇異な目線を向けることはあっても、珍妙な動物を見つけたようにヒソヒソ話をすることはあっても、好奇心からスマホのカメラを向けることはあっても、決して話しかけることはしない。
「こんにちは少年。何をしているのかな?」
そんな少年に女性は話しかけてきた。
いきなり見知らぬ女性に話しかけられたこともあって、警戒心マックスの少年に彼女は何事もないように、先ほどまで雨の中、縦横無尽にステップを踏んでいた中学生の少年に声をかけるとは思えないほどに彼女は笑顔で話しかけてきた。
「戦っているんだ」
「誰と?」
「雨と!」
彼女は吹き出した。
「随分、面白いことをやっているんだね。
少年は雨が嫌い?」
「嫌いだ!雨は僕から全てを奪っていく。
「そう、私は好きだけどな」
彼女は満面の笑みを浮かべて、持っていた真っ赤な傘を少年の頭にかざして、そう言った。
これだけが、少年が出会った不思議なお姉さんとの唯一の記憶だった。
『まもなく、海山中央。海山中央。終電、です』
お経のようなとても渋みのある車掌の声が、電車内に響いた。
私はゆっくり目を開け、窓の方に預けていた体を起こすと、預けていた逆の方から重みを感じて、そちらを見ると妹の晴野が左腕に身を預けて規則正しい寝息で眠っていた。
「ハル、起きろ。降りるぞ」
何度か体を揺すると、ハルはゆっくり目を開け、起き上がると何度か目を擦ってキョロキョロと辺りを見回した後に、こちらを見る。今年から中学一年生になる妹は身長も周りの子に比べて低く、小学校低学年に間違われるほどに、どこかあどけない。
「次降りるから準備して」
荷物棚にあるボストンバックとリュックをおろしながらそう言ったら、ハルはこくりと頷き、脇に置いていたトートバックの持ち手を握りしめ、持っていた、テルテル坊主のぬいぐるみ『テルさん』を胸に強く押し当てて、何処か得意げな顔をこちらに向けてきました。
「よし、準備万端ですね」
そう答えると、満足気に頷く。愛くるしいのは大変結構なのだが、そろそろもう少しはしっかりして欲しいとうのが兄心。
「‥‥‥‥やっぱり雨」
ハルに言われて、窓の外をみると、空は曇天模様。いつ雨が降り出してもおかしくないぐらいに昼間だというのに真っ暗。
そして案の定電車が駅に着くと同時に空からポツポツと雨が降ってきた。
「やっぱりこうなりましたか」
小降りだった雨は改札をくぐり抜けると同時に強くなり、駅の外に出ると、走ってどうこうという問題じゃない雨量が降ってきました。
バスロータリーの屋根の下でハルの手を握っている方とは逆の手でスマホを取り出し、アプリを開く。
「こりゃ当分止みそうにありませんね」
しばらくの間、ここら辺一帯に分厚い雨雲が覆い続けていて、一時間先も二時間先も止みそうにない。
そして更に私たちは傘を持っていません。折り畳み傘も含めて。
スマホをしまうと一つため息をつき、不意にハルからの視線を感じて見下ろすと、こちらに何か訴えるような瞳で翡翠のようなキラキラした瞳をこちらに向けてくる。
「いや、その、確かに悪いと思いますが、ハルは晴れ女なのだから、お兄ちゃんの力を相殺して、その」
もちろんそんな事実はない。
名前に晴がついているだけの見苦しい言い訳だ。そもそも自分が雨男だということを自覚していて、折り畳み傘を持っていないのは、どう考えても私の失態です。
「‥‥‥ごめんなさい」
私が素直に謝ると繋いでいた手をキュッと強めた。どうやら許してくれるようだ。
しかし言い訳をさせてもらうと、ちちゃんとこの周辺の天気は調べてきました。私が家を出発するまでにこの町の降水確率は数パーセント。曇りはしますが、雨の心配はないというのが、大方のおてんき予報の見解だったのです。現に駅から降りてきた人のほとんどが傘を持っていません。
「イベント毎には大概雨を降らす私の体質もここまで来ると呪いですね。一周回って笑えてきます」
まぁ、現実逃避なのですけどね。
「さて、どうしましょうか」
ロータリーの中心に立つ『日本一雨が降る町、遣らず町(やらずちょう)』と書かれた看板が今はとても恨めしく思えます。
そういうのならせめて駅前で傘の無人直売店でも作って欲しいものなのですが、ローカル沿線の果ての終着点。コンビニどころか商店すらありません。ロータリーに入ってくるバスもとてもまばらで、バスが一つ、電車が一つ過ぎ去ると駅前にいる人は私とハル以外は数人ぐらいしかいない。一応近くにスーパーはあると、地図アプリは教えてくれますが、ダッシュで行って帰ってこられる距離ではなく、間違いなく濡れ鼠になるでしょう。これからお世話になる人との面会なのに、流石にそういった格好で会うのは失礼に値する。
かと言って、雨は止むことを知らないし、バスに乗ってしまうと、次の停留所は待ち合わせ場所を過ぎている。とても非効率的だ。自分だけならまだしも、ハルまで雨晒(あまざら)しにするわけにはいかないので、もったいないが、タクシーを呼ぼうと、アプリを開こうとした時だった。
女の子が横に並んだ。
年齢は同じ高一ぐらいかもう少し上。身長は150センチとやや小柄。かといって幼いという程ではなく、どちらかというと雰囲気は大人っぽく、真っ白な肌に真っ白なワンピースを着て、少し青みがかった肩ぐらいまでのショートヘアーに、顔をよくいえば凛々しく、何処か鉄仮面を被ったような、鋭い顔つきにビー玉を嵌め込んだような、青い瞳。
そして何より特徴的なのが、どこにいてもわかるような、彼女が挿す真っ赤な傘。
バスの時刻表を覗き込み、すぐに来ないことがわかると踵を返した時に丁度目線が私と重なった。
「あなた、この町の人ではないのですか?」
じっと見ていたことに、怒られたと思い、慌てて目線を逸らしたが、その声音や小さく首を傾げる姿から、別に怒っているわけではないと気づき、視線を戻す。
「質問の意図はよくわかりませんが、はい、今日からこの町に越してきたものです」
「‥‥‥やっぱり。じゃあ」
何を納得したのか、よくわからないが、これ以上彼女に話す意思はないらしく、踵を返したその背中にその姿を見た時に一番思っていたことを口にした。
「よく、傘持っていましたね」
さっきもいったように数時間前まで、この時間この場所に雨が降る予報は全くなかった。だけど彼女は傘を持っている。しかも折りたたみじゃない、万が一に備えるような傘じゃない立派な真っ赤な傘を。
でも、別に不思議なことではない。地元住民の彼女がたった今、駅に着いたのかもしれないし、それこそ誰かに傘を届けるのかもしれない。
いうならばこちらも現実逃避の一環。あわよくば地元住民しか知らない、傘を売っている店を教えてくれるかも知らないという淡い期待を込めた質問でした。
すると彼女は何かこちらを値踏みするように真っ直ぐに視線を向けてきて、やがて何かに納得したように、再び私の前まで戻ってきて、持っていた傘を折り畳んで、
「どうぞ!」
その傘を差し出してきたのです。一瞬彼女の言動がよくわからなくて、フリーズしていましたが、慌てて否定する。
「いや、別にねだったわけでは。それにその傘を僕に渡したら、あなたはどうされるのですか?」
「大丈夫よ」
私に傘を半ば強引に押し付けたら、彼女は持っていたバックからもう一本折りたたみ傘を出した。
なるほど、二本傘を持っているから大丈夫だと。納得、するわけがない。
「いや、そういう問題じゃ」
確かにそれなら彼女も僕も濡れない。有難いご厚意なのだが、流石に見ず知らずの人に、傘を借りるわけには。しかもこの傘、とてもコンビニで売っているような一本千円以下の使い捨ての傘のようには見えない。
「え、じゃあこれでどかしら」
もう一本傘をバックから出した。しかもまた真っ赤な傘を。まるでマジックを見ている気分です。
「な、なんで傘を二本もバックに」
「いえ、後、二本入ってます」
「なんで!」
流石に許容量を越えた。心のダムが決壊した。やばい人に絡まれたと思ってしまいました。
「と、とにかく。見ず知らずの人に傘を借りたところで、返す機会もないし」
遠回しに受け取れないということを告げて突っ返そうとしたが、彼女はもぅ、そこにはいなかった。
知らないかと、ハルに視線を送ったが、首を横に振るばかり。残ったのは、手元に残った真っ赤な傘。雨は弱まることなく、未だに降り続いている。待ち合わせ時間まで、もう猶予はありません。
「‥‥‥選択肢は、なしですか」
不意に目線を下ろすと、ハルが小栗と頷いたので、繋いだ手を少し引っ張って、こちらに引き寄せると、真っ赤な傘を開いた。
「あ、シグちゃん、ハルちゃん。こっち!」
待ち合わせの喫茶店はとてもレトロな雰囲気で、テーブル席が三つ、カウンター席が五つ程のこじんまりした雰囲気。カウンターの中にはおじさんが一人と、十代と思われる女性が一人、手際よく働いている。コーヒーのとても良い香りが漂っている。
テーブル席に座っていた女性が、私たちが来店すると同時にこちらに向かって手を振ってきたので、そちらに向かう。
「こんにちは。え〜と」
「あ、立夏。風上立夏(かざかみりっか)だよ!お久しぶり!」
快活な声で自己紹介してきたセーラー服姿の女子高生のエネルギー量に私は戸惑い、ハルは怯えながら私の後ろに隠れる。
「お客さま。少し声のボリュームを落としてください」
カウンターの女性に注意されると、女性は手を合わせてごめんと謝ると、ため息をつく。どうやら二人は知り合いのようです。
向かいの席にハルと隣同士に座ると、風上さんも着席した。
「ごめんね、久しぶりに二人に会えて、フウカ、嬉しくて!」
「恐縮です」
「もう、そんな堅苦しい口調じゃなくていいよ。私とハルちゃんの仲じゃない」
いや、仲と言われましても。
「すいません、前にこの町に住んでいた時のことよく覚えてませんで」
私が小学五年生、ハルがまだ二年生の時に、半年間この町に住んでいたことがあったのだが、頭の中にまるで靄がかかったように、その頃の記憶をよく思い出せないのだ。
ですから、私からしたら目の前の陽気な女子高生とはほぼ初対面。
「それに、この口調はどうも癖のようなもので、しばらくは御了承を」
「あ、そうなんだ。うん、じゃあここからスタートだね。改めてよろしく!」
こちらの言い分を全く疑ってないようで笑顔を絶やさず、そう返してくれた。よかった。どうやらとても良い人のようです。
「はい、よろしくお願いします。え〜と、立夏先輩とお呼びすれば」
確か私の一つ上で、彼女と同じ高校に通うのだから、それが妥当だろうと思った呼び名だったが。
「フウカと呼んでくださいな」
「‥‥‥‥なぜに」
「いや、そんな。女子高生になってまで厨二病を拗らせて、二つ名を名乗っているような目で見ないで。美人でも許される許容範囲越えているぞ、見たいな、視線もやめて」
当然そんな深く考えてないし、確かに美人なのだが、さりげなくアピールする方が残念な気がしますが。
「ああ、風と夏でフウカさんですか」
「そう、風薫るフウカちゃんだよ」
わけわかんネェ。
わからないのだが。郷にしたがえというやつでしょう。ここで変に嫌がって、良好な関係を反故にするのも、どうかと思いますし。
「わかりました。フウカさん」
そう言ったら、満足そうに彼女は頷いた。
「うん、よろしくね。シグちゃん!」
「あ、できればその呼び方はやめていただきたい」
「え〜何で!可愛いのに」
男に可愛さを求めないで欲しいものです。
「普通に時雨(しぐれ)と呼んでもらえれば」
「却下!」
思わず表情が潰れる。
「‥‥‥理由を聞いても」
「可愛くないから」
堂々巡りですね。まぁ、違和感はありますが、別にイヤというわけではないので、受け入れることにしました。釈然とはしませんが。
「わかりました。その代わり、学校ではやめてくださいよ」
まぁ、学年違うからほとんど会うことはないでしょうけど、そこまで心配する必要はないだろうが。
「へぇ〜恥ずかしいんだ」
にやけたような表情でこちらを見てくるフウカさん。
「はい、フウカさんのような美人の人と噂になったりしたら面倒ですし、迷惑をかけますので」
するとキョトンとした何処か、驚いたような表情をこちらに向けてきた。
なんだろう。思ったことを正直に言っただけなのに。
「へぇ〜なるほど。中々。楽しくなりそうでよかったよ」
何に納得したのか、どこに楽しくなりそうな要素があったのか、全くわからないけど、悪い人ではないことはよくわかりました。
「まぁ、とにかくよろしくね。ハルちゃんも」
突然視線を向けられて、ビクリと体を揺らし、助けを求めるようにこちらに体を寄せてきた。
「すいません。妹は極度の人見知りで」
フウカさんの不思議そうにこちらを見る視線が少し痛い。恐らく彼女の記憶の中のハルの姿と目の前にいる妹の姿が合致しないのだろう。
しかしすぐにその表情はニコリと微笑む。
「まぁ、ゆっくり仲良くなっていこうね。大丈夫、私怖くないから」
そう言って微笑むフウカさんの顔は私から見ても何処か底がしれなくて不気味に見えるのだから、当然ハルも近所のよく吠える犬を見た時と同じ顔で、更に腕にしっかりしがみついてくる。
「仲良いね!」
このタイミングでその感想は。
「でも、なんか、怯えていたら、逆に襲いたくなるよね〜」
いや、そんなことに同意を求められましても。ちょっと待ってください。なんでこっちに身を寄せてくるのですが。
立ち上がり、テーブルに身を乗り出す格好でこちらに近づいてくるフウカさんだったが。
「あいた!」
その頭にゲンコツが振り下ろされた。
「うちの店で、何をしてんのよ」
そう言ったのは先ほど、フウカさんをお叱りになった女性。細身のスタイルと短い髪の毛をハーフアップして、可愛いというより、何処かボーイッシュな印象で、異性よりも同性にモテそうなそんな印象です。
「今、本気で殴った。本気だった!」
「お待たせいたしました。ココア二つです」
「何で無視する!」
「こちら、ご注文のイチゴパフェです。一グラム百円でクリーム増量しております」
「高いを通り越して、どう考えてもぼったくりだよ!」
涙目で抗議し続けるフウカさんを無視続けるウェイターさん。何でしょうか、この構図。
「え〜と、フウカさんの友達ですか?」
「そういう君はフウカの男かね?」
「違います。フウカさんも誤解を招く動作はやめてください」
赤らめた頬に自分の手を添えるフウカさんの仕草はどこまでやっても胡散臭くみえる。
「従兄弟の風上時雨君です!」
「どうして、嘘に嘘を重ねようとするのですか」
ダメだ。先行き不安になってきました。ハルに関しては全てを諦めたように、ココアを啜っている。
「なるほど」
大きく頷くウェイター。今のどこに頷ける理由があったのでしょうか。
「フウカと違って、真っ当な人間のようだ」
流石に私でも頭を抱える。
そしてこれだけコーヒーの香りが漂っているのに、ココア。
疑問が表情に出てしまったのか、フウカさんが、ドヤ顔で答える。
「この店でコーヒーを飲むのは愚の骨頂‥‥‥ち、違うのおじさん。決しておじさんのコーヒーを悪く言ったわけではなくてですね。まだお子ちゃまの私たちには背伸びして飲む必要はないということで」
慌てて弁解をするフウカさんをよそ目にココアを一口、口に運んだ。
「美味しい」
決して甘くもなく苦くもなく、ココアに美味しい、不味いがあるなんて知らなかったインスタントココアしか知らない男でもその違いがわかるほどに美味しかった。現にハルもさっきから口にカップを添えて、離さない。いや、ただ単に私は関係ないですよ、アピールなのかもしれないが。
私の姿を見て、満足そうにウェイターは頷いた。
「うん、合格!」
「でしょ!桃花ちゃんのココアは絶品」
「桃花先輩ですか?」
「うん、私の名前は橘桃花(たちばなとうか)。リッカと呼んで」
「勘弁してください」
何、この二人。絶対交わらせてはいけなかったのでは。というか、この店に入った時点で私の運命は決まっていたのでは。
目の前の圧倒的な戦意喪失した兵士のような私の服の裾を引っ張ったハルは慈愛の表情でこちら見る。
ガンバ!
いや、無理。お兄ちゃんどう考えても無理です。
「ふむ、中々、見どころのある後輩じゃないの」
「でしょ!」
ここまで感心させられて、虚しい気持ちになったことはありません。
「それで、後輩君はこの家の近くに住むのかい?」
「そうよ。私の家に!」
大変元気の良い返事でした。その分、ワタクシ叩かれるのですが。
橘先輩は敵の弱みを見つけた悪役みたいな不敵な笑みを浮かべている。
「‥‥‥‥あの、このことは是非とも内密に」
「ああ、大丈夫。別に言いふらしたりはしないから。
ただ、時々ココアを飲みに来てくれたら私のゆるい口は固くなるかも」
思いっきり脅迫させられているんですけど。
まぁ、別にいいのですけど、ここのココア確かに美味しいし。
「わかりました。でも、その度に被害届を受理して頂いて、被害者の話を聞いていただきますけど」
やられっぱなしは流石に癪でしたので、せめてもの反撃のつもりで、そう返したら、橘先輩は同性でもドキッとするような、キリッとした凛々しい顔つきで微笑んだ。
「流石フウカの身内だね。ただじゃ転ばないみたいだね。
うん、いいよ。楽しみにしているから、いつでもおいで」
そう言って、橘先輩は業務に戻った。
「被害届って、何か苦しんでいるの?私に相談してもいいんだよ。むしろ推奨」
「いえ、まだ大丈夫です。約束手形みたいなものなので」
首を傾げるフウカさん。本当にわかっているのか、わかって首を傾げているのかは判然としませんが、今わかることは深く突っ込むと墓穴を掘りそうなので、何も言わないこと。
「‥‥‥‥」
本当に目の前でいちごパフェを美味しそうにパクパク頬張る女性の底が見えません。こんなのと同居しないといけないとは、中々アドベンチャーな日常になりそうで。
もちろん私は平穏無事に安らかに暮らしたいのですが。
「どうしたの?あ、、もしかしてパフェを食べる女の子って、結構エロいなと思ったりしたでしょ?」
フウカさんを観察していたら、あらぬ誤解を受けた。
確かに口を小さく開けたり、大きく開けたり、スプーンを閉じた口から引っ張り出すような仕草や僅かに輝いたグリスは艶かしく、かと思えばクリームが口についたのを舌で取る子供っぽさのコントラストは確かに男心を唆るものはありますが。
「フウカさん。ハルの情操教育上、その手の発言は避けてください」
言われるまで気づかなかったら、ノーカンです。
「なんか、その手の発言で男子高校生に注意されるのは釈然としないんだけど」
などと不服そうに仰ってますが、パフェを食べるスピードは止まらず、一瞬でいちごパフェを頬張ったフウカさんは「ご馳走様!」と中々のボリュームで言って、橘先輩に睨まれて、曖昧な笑顔を返している。これは絶対反省していませんね。
「ところで、シズちゃん。ずっと気になっていたんだけど」
「何ですか?」
彼女はすっと私の脇に置かれている赤い傘を指差した。
「それは君のかい?随分可愛らしい傘を持っているんだね」
借り物だから盗まれるのが怖くて、ビニールに入れて持ってきたのが裏めったみたいです。まぁ、どのみち帰りに挿さないといけないからバレるのですが。
「違います」
「じゃあ、ハルちゃんの?」
「いえ、実は」
そう言って私は駅で会ったどこか不思議で傘をコレクトして持ち歩くという、ちょっと変な趣味を持っている女の子のことを説明した。
女の子から借りたと言った途端、興味津々に目を輝かせていたが、話が進むに連れて、彼女の目から輝きが消え、表情も消え、話を終えた頃にはまるでさっきまでは別人の雰囲気を醸し出した彼女がいて、
「そう。それは不思議な子だね」
と淡白な感想を述べた後、窓の外にスッと目をやる。窓を打ちつけるような強い雨が少しマシになった頃に、ようやくフウカさんは立ち上がって。
「さぁ、行こうか」
と言って店を出たので、僕たちも後に続いた。
フウカさんの家は赤い屋根が特徴の一軒家。周りの家と比べて特別大きくはないが、ずっとマンション暮らしの私にとってはとても広かった。
「ここがシズちゃんの部屋。隣がハルルンの部屋。で、向かいが私の部屋ね」
案内された二階の一室は四畳半ほどのスペースがあり、前の家でも自室はあったが、ハルと共同で二段ベッドもお互いの机もあったので、割と手狭だっただけに、シングルベットと机だけがある空間はとても広く思えた。
ちなみにハルルンという晴野のあだ名はここに向かっている最中に突然命名した。
「うん、ハルちゃんより、ハルルンだね」
女の子の話をしてから、どこか雰囲気が変わったような気がして、かと思えば、いきなり明るくなった。本当にコロコロと表情を変える人だな。
もちろん、ハルは全力で否定したが、
「え〜じゃあ、ハルルンと私が呼ぶのと、シズちゃんが私のことをお姉ちゃんと呼ぶの、どっちか選んで?」
なんですか、その選択肢になってない選択肢。
「‥‥‥ハルルンで」
ハルは苦渋の顔で決断した。やはり兄思いの素敵な妹だ。
そんなわけで、同居初日からどんどん外堀を埋められている今日、この頃です。
「ベッドも机もお父さんが使っていたお古だけど、我慢してね」
ということはこの部屋はこの家の主人の書斎ということになります。うん?
「使っていいんですか?」
「うん、許可は取っているし、事前に連絡したようにお父さん単身赴任で日本にいないから、年に一、二度しか帰ってこないから気にしないで」
そういえばそういう話だったことを思い出す。当初はこの近くのアパートにでも部屋を借りようと思っていたが、お父さんが家を出ていて、部屋が余っているから是非にとのことだった。
「おばさんは?」
「お母さんも日本全国飛び回っていて、滅多に帰ってこないんだよ。
だから、フウカちゃん物凄く寂しかったから、二人が引っ越してきてよかったよ」
オロオロと大根役者ばりの演技で涙を流していますが。
「‥‥‥‥‥え?」
そんな演技など全く気にならないぐらいに、サラリと言われた重要な事柄を当然の如く、私は聞き逃しません。
「ちょっと待ってください。じゃあ、実質この家に住むのは僕とハルとフウカさんだけですか?」
「まぁ、そうなるね」
「それは少し問題があるのでは?」
「何が?」
さっきの演技と違い、本当にわかっているのか、それともわざとはぐらかしているのかわからない仕草に、私は疲れたような息を吐く。
「フウカさんは年頃の女性なのですよ。そして私は男子高校生なのですが」
一つ屋根の下に妙齢の女性がいるのだ。男子高校生なら緊張しないわけにはいかないし、全く意識しないという程、異性に興味がないわけではない。しかもフウカさんはスタイルも良く、出るところはちゃんと出ているし、さぞ男子からの人気は高いだろう。
「あ〜そういうことか」
ようやく私が説明するリスクについてご納得してくれたようで、フウカさんは頷く。
「別に襲ってくれていいよ」
思わず吹き出す。幸いなことにハルはトイレに行っている。
「ちょっと、フウカさん」
「そう言うことだよね?」
「確かに実直に、周り口説くいわなければ、ストレートな表現をすればそうなりますが、もう少しオブラートに包んで頂いて」
「え〜フウカちゃん。そういうの嫌い。面倒。そうやって誤解をして、彼氏と別れた友達いるし。
むしろシズちゃんも男の子なんだから、私に対してそのような目線を持ってくれないと、逆に悲しくなるから、嬉しい反面もあるから。
うん、いいよ。襲ってくれて」
仮定から結論、跳躍しすぎてません。マルクス・レームより跳躍している。
もちろん、私はよく眼鏡をして、身長も高く、このような喋り方から『見かけ倒し優等生』と言われますが、そこまでリスクマネジメントが出来ないわけではない。むしろ慎重派。
「‥‥‥その代わり、命の補償もしないよという話ですか?」
「アハハハ、そんなこと。しないよ」
「じゃあ、どういう」
「シズちゃんに襲われた分、私がハルルンを襲う」
「‥‥‥‥」
トイレから帰ってきたハルが小首を傾げる。そのつぶらな瞳に視線を送った。
違うリスクが生まれた。
もちろん冗談だと思うが、思いたいが、思わなければやってられねぇ。
「というわけでよろしくね」
「話の締め方雑すぎますし、何もよろしくありません。
いいですか。フウカさんも大人の女性なのですから、節度を守った接し方をしてくださいよ!」
「いつの間にか私が説教される構図に!」
一息つくと、ハルが私の袖を引っ張って、輝く憂いの目で何かを訴えてくる。何を言いたいのかはすぐわかった。
「だめだ。折角の機会なんだから、自分の部屋を使って、自分のことはできる限り、自分でしなさい」
それを聞くと明らかに不服そうな顔を浮かべていたので。
「大丈夫だ。困ったらフウカさんが助けてくれるから」
そう聞くなり、まるで猛獣の檻から逃げ出すように与えられた自室に飛び込みました。
「‥‥‥流石にあの反応はフウカちゃん傷つくんだけど」
フウカさんの接し方もやや難ありなのだが、流石にあそこまでの拒絶は少し失礼だな。
「すいません。でも、初めての人にはあんな感じで」
ここまで強烈じゃないけど、言わないでおこう。
「私のことを信頼してくれるまでも少し時間がかかりましたから」
「‥‥‥やっぱり、私が知っている晴野ちゃんと違う」
ボソリと呟いたフウカさんの言葉が胸に突き刺さる。
「すいません。ご迷惑をおかけして」
「うん、それはいいんだけど、まだ話せないんだよね?」
「はい、多分今話したら、告げ口したように捉えられるので」
ハルは口を使わない分、人の変化や態度や雰囲気に敏感だ。私の話を聞いて、フウカさんの変化に気づかれるのだけは避けないといけない。
彼女ならうまく隠せると思うが、用心に越したことはない。
「いいよ!じゃあ、ハルルンが話して良いっていうまで待つよ」
「ありがとうございます。じゃあ、代わりに」
「わぁ、凄い」
食卓に並べられたのは、焼き魚と味噌汁と冷奴とほうれん草のお浸し。
かなり渋めのメニューだが、ハルが魚好きだし、こんなんでもフウカさんは女子高生なので、あまりカロリーの高いものじゃないほうがいいだろ。
「何、この家事スキル。すごくない!」
「いや、ウチもほとんど家に両親いなかったので」
それに母は家事が苦手で、毎日この人の料理を食べていると、妹の成長の阻害どころか、生命が危ないと思い身につけたスキルである。
まだまだ未熟だが、満足しているようで何よりだ。
「一応家事全般できますので、お役に立てるかと」
「本当に引っ越してきてくれて、助かったよ。それに」
私の隣にいるハルに視線をやる。彼女は食べるスピードは遅く、口もほとんど開かないが、決して小食ではないので、食べる手は止まらない。その姿はまるで小動物が餌を食べているようにみえる。
その姿を慈愛の目で見つめるフウカさん。食べるのに一生懸命でその視線に気づかない。
「うん、うん、本当によかったよ。一人で食べるのって、味気ないしね」
まぁ、お世話になる手前、彼女の役に立てることがあるのは僥倖だろう。フウカさんはあまり家事が得意じゃななさそうだし。
食事は終始和やかに進む。
「そうだフウカさん」
「なに?」
「あの傘の持ち主を知っているんですか?」
あの赤い傘の説明を聞いた時のフウカさんの表情は明らかに違ったような気がした。
「傘を返したいので、知っているのなら、教えて欲しいのですけど」
話を聞いていたフウカさんは咀嚼していたご飯を飲み込むと、にこりと微笑んだ。
「うん、知っている。というか明後日学校に行けば、大概の人は知っているから」
「そんなに有名人なんですか?」
「うん、だって彼女は妖精。雨の日には必ずと言って良いほど忽然と姿を消しちゃうの」
「意味がよくわからないんですか。もしかして、からかっています?」
「さぁ、どうだろう」
含みのあるような笑みを浮かべた後。
「とにかく人生の先輩の私から、いや船斗高校の先輩から一つアドバイス。
彼女のことはあまり触れない方がいいよ。平凡な高校生活を送りたいならね」
ますます意味はわからなかったが、
フウカさんはそれ以上何も教えてくれなかった。
「やっぱりハルルンカワユシ!」
まるで猛禽類に睨まれる小鳥のようにビクビクと震えるハル。しかし食べる動作は止まらないのだから、更にフウカさんを刺激した。
そんな二人の動作があまり気にならないぐらいに、僕の頭の中はあの真っ赤な傘の女の子のことでいっぱいだった。
日本一雨が降る町。遣らず町にやってきた初日に降った雨は次の日の明け方近くまで降り注いだ。
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