妄想に飼われる
坊や
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「私、カズマと付き合いたい」
僕は茶髪で細身の所謂、清楚ギャルみたいな彼女から人生で初めての告白を受けている。
出会いは家の近くにある個人経営の塾だった。そこの塾には母の友人の娘さんが通っていたらしく、「カズマもそろそろ塾に行かないか」と母に勧誘されたのがちょうど3ヶ月前の、寒々とした高2の冬のこと。そしてトントン拍子に僕はその塾に通うことになり、ついでにその事がいつかの井戸端会議で母の友人に伝わった。勿論、娘さんにも。
件の塾は老朽化が進んだ、古びた低層ビルの2階。先生は常時いる校長と、たまに授業をしにくる中年の講師のみだが生徒との距離はとても近く、アットホームで新入生に対して先生のみならず生徒も優しい。勿論、母の友人の娘も例外では無く、他の人とは違った接点があることからより親近感を持って接していた。それが目の前で告白をしている彼女である。
だが僕は今まで1度も、その彼女と付き合うだなんて考えたことがなかった。理由は簡潔で、僕のタイプでは無いからだ。僕は黒髪ボブのやんちゃな感じの女子が好きで、別に茶髪で量産型の服を着る様な制服のスカートが短い女子は大して興味が無かった。
だから僕は「少し考える」と冷静な対応をした。
家に帰ると興奮も然る事乍ら、告白の返事を考えた。興味が無いのなら試しに付き合ってみれば良い、と悪魔は言うが天使は、気持ちに誠実になっていない、と言う。その悪魔も天使も、黒髪ボブの褐色肌の女の子で脳裏に浮かんでいた。何故、こんなに黒髪ボブに拘るかと言うと小学生の頃に好きだった女の子が正しくそんな姿だったからだ。
その子は2つ下の同じ通学団の子だった。僕が副班長をしていた時に目の前の列にいて、ただ喋る機会が多かった。その子は不思議な子で、年に似合わず素朴な、大人びた顔をしているのに、仲良くなるとすぐに「バカ」だの「アホ」だの言う。そして、足も速かった。僕は足が遅い方でいつも追いかけっこをしては負けていた。そんなやんちゃな小娘だが「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼ばれる内に愛着が湧いてきてしまって、近くの公園で互いの友達とよく遊んでいた。僕の友達と遊ぶ時は各々がDSを持ち寄り怪物ウォッチをして、彼女の友達と遊ぶ時は日が暮れるまで鬼ごっこやケイドロをした。そして大概、僕が鬼で終わる。
だがそんな日々も副班長を辞める日、卒業の日を迎えると一変してしまった。学校が変わって会うこともすれ違うことさえも無くなってしまった。それでも僕の脳内では「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼ぶ声が度々する。その時、初めてその子のことが好きだった事を自覚した、中学2年生の時だった。だがその時には熱烈な好意など既に消え失せてしまっていて、残ったのは僕を呼ぶ声とバカ、アホと罵りながら逃げ回る元気な残像だった。
結果として僕はその小学4年生の残像と中学を卒業する頃まで付き合うことになった。
転機が訪れたのは中3の夏、受験勉強の傍ら僕が彼女の残像をどうしよう、どうしようと頭を抱えていた時の事だった。中学校にあがったその子とすれ違った。
「あ、お兄ちゃんだー!」
そう叫びながら僕の方に近寄ってきた。僕がずっと頭の中に飼っていた小学4年生の姿とは確かに変わったいた。まだまだ子供の顔だったが、3年掛けて伸びた身長は、あの頃の身長差を縮め、あの頃にTシャツから伸びていた細い腕は、年相応に肉を纏い、半袖のセーラー服から覗かせていた。そして赤いランドセルは黒のリュックと部活用具に代わっていた。その変化に驚きつつも、特段ガッカリすることは無かった。
「大きくなったなー、そんで太ったなー」
何を言っていいか分からず、デリカシーの無いことを言うと
「えー、私、クラスでも細い方だよー。お兄ちゃんの目、腐ってるよ」
「いやいや腐って無いよ、分かるよ、うん」
「うわぁー!!キモいキモいキモい。お兄ちゃん、犯罪者にならないでよー。キモイぃー」
そう声を裏返し、両手を万歳させながら走り去っていった。走るスピードはあの頃よりも上がっていて、当時から50m走のタイムが変わらない、それ所か落ちている僕にはもう追い付き様の無い程になっていた。
それから、僕の小学4年生の女の子の残像は中学校1年生の女子に徐々にグレードアップしてしいった。バカ、アホしか言わなかったあの子が腐ってる、キモいなんていう言葉を使う様になった。高校受験が迫り、模試の結果に僕の心がかき乱されるようになると、前よりも高頻度でその女子が現れた。
「お兄ちゃん、数学すごーい。やばーい」
「え、これ絶対落ちる、て。ないない、やばいやばい」
「おー!お兄ちゃん、巻き返した、このまま行げーーー!!」
もはや残像の域に留まらず、やばいという言葉を今まで1度も聞いた事が無いのに勝手に肉付けしてしまい、脳内彼女の様な存在になってしまった。その後、第1志望には無事に合格することが出来たが、代償に何か重い業の様なものを背負ってしまった。
そして僕はその中学1年生の女子を今の今まで頭の中に飼っている。先の悪魔と天使もその1つだ。
『お兄ちゃん、いい加減、大人になろーよ。流石にキーショーいーよー』
「うるさいなぁ...」
掛け布団に頭まで埋めて縮こまる。だがそれでもあの子は居なくならない。
『私は消えないよーー。ベロベロバー』
あの子の声はとても楽しそうだ。キャーキャー言いながら走り回って度々、振り返ってはまた走り出す。それに僕も面白くなって、追い掛けてみる。でも走っても全く追い付けなかった。そればかりか距離を離されるばかりだった。僕の50m走のタイムは中2を全盛期にして、もっぱら縮まることは無かった。
気付くと朝になっていて、何も片付かないままに僕は学校に行くことになった。
家を出て少し歩くと、見覚えのある顔がスマホを見つめながら迫ってきていた。そしてその見えた光景に僕は思わず足を止めた。伸びてしまった黒髪を無地のゴムでポニーテールにし、素朴で大人びていた顔はメイクのせいで見る影も無くなっていた。
「あい...」
独り言のように呟くと、呼応したように目の前の人はスマホを操作しながら歩みを止めた。スマホの文字を打って十数秒後にこっちを向いた顔にはあの頃の面影なんてなく、塗りたくられたメイクは酔ってしまいそうな圧倒的な雰囲気だった。そしてさり気ない会釈をして僕の横を通り過ぎた。
「ちょっと、待って、待って。え、あい『ちゃん』だよね?」
今まで呼び捨てでしか呼んだ事が無かったが、あまりの変わり様に脳が処理しきれなくなっていた。
「あ、はい」
前に会った時よりも格段によそよそしくなっていた。たった2年しか経ってないのに。僕の中の残像がグニャグニャと形を変えて行ってる気がした。気持ち悪かった。
「え、どうしたの。そんな冷たくなって。嫌な事でもあった?」
「......いい加減、気持ち悪いよ、森先輩。」
そう、目を伏せながら気まずそうに言葉を放った。先輩と呼ぶことなんて1度も無かったのに。語感も嫌悪感丸出しであの軽快な感じは微塵たりとも感じることが出来ない。
「思ったけど、やっぱ距離感近いよ、もうガキじゃないんだし」
「あ、うん。そうだね、そうだよね、うん。でも仲良くしたいな、とは思っていてさ」
「それだよ、そういう所だよ!もー、マジキショい。死ね」
そう言いながら歩いて去っていった。もう僕と遊ぶ気なんてサラサラなかった。
それから1週間、茫然自失の日々を過ごした。その間、1度もあの子が現れることが無かった。まるですっかり身体の中身が抜け落ちたようで、ただ身体が浮遊しているだけに感じた。どこに行っても何も考える事ができなかったが、ある時、髪を切った例の彼女が目に入った。この1週間、今まで一緒の帰り道も別々になって1度も喋る機会が無くなってしまっていた。その髪に僕は不意に思いを馳せた。
季節はもう春。桜も咲き始め、新しい学期を迎えるにあたって心機一転、髪を切った。と取れなくも無い。だがお得意の楽観的主観で失恋のそれだと解釈してしまった。1度そうと思ってしまうと中々、引き剥がせない。そしてこの1週間、ずっと胸に溜まっていた気持ち悪い何かが再度、グチャグチャと動き始めた気がした。気づいた頃には僕は彼女に丁寧な「お断り」の連絡を入れていた。しかし、その後疎遠になる事は無く、以前よりは劣るものの適度に、仲の良い付き合いを続ける事ができた。その後、僕のタイプの女性がセミロングで茶髪の女性になった事は言うまでもない。
妄想に飼われる 坊や @ferry
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