二日目(2)・優しさと勇気のある人たち

 落ち着きを取り戻した結卯と一緒に、あゆみ橋駅へとやってきた。

 玲雄も結卯も帰りは同じ方面ということで、ホームに着いた電車に一緒に乗った。

 異変は、電車に乗ってすぐに気が付いた。

「何だ……酔っ払い?」

 中年の男が一人、玲雄たちから少し離れたドアにもたれかかっている。

 酔っている、と言っても乗り物酔いではない。レンガのように赤くなった顔を見れば、男が酒に酔っているのは一目瞭然だ。

 今も手にしたカップから酒をあおっている。

 熟れすぎて腐った柿みたいに、ツンと鼻を突く匂いが二人の近くまで漂ってきた。

(昨日の外国人といい、どうしてこの路線は治安が悪いんだろう……)

 それはイコール、自分が住んでいる町の治安の悪さへと繋がる。

 玲雄は内心、自分の地元を恥ずかしく思った。

(でも、まぁ……刺激しなければ大人しくしてくれるかな?)

 今のところ男は、酒を飲んでドアにもたれかかっているだけ。大声を上げて騒いだり、他の乗客にちょっかいを出しているわけではない。

 離れてさえいれば危害は無いだろうと、男に背を向ける。

 男の視線から結卯の姿を遮るように立ちながら。

「あんだ、テメェ! 何か文句があんのかよォ?」

 その時であった。不意に背後から声が上がった。

 驚いて振り返った玲雄の視線に、先ほどの酔っ払いの姿が映る。

 ドアの前から移動して、座席に座るスーツ姿の会社員を睨みつけていた。

「私は、皆さんの迷惑になるから電車に乗るならお酒は控えてほしいと言っただけだ」

「んだとォ? おゥ、酒飲んで電車に乗っちゃいけねぇ法律でもあるってぇのかよ? 上等だテメェ、次で降りろ! 偉そうな口叩きやがって!」

 酔っ払いが相手にしているのは、キチンとネクタイを締めた会社員だ。ドアの一番近くのシートに腰を掛け、毅然と顔を上げている。

 恐らく酔っ払いが吐き散らす酒臭さを見かねて注意したのだろう。そこから口論に発展したようだ。

 酔っ払いはろれつが回らない、しゃがれた声で相手に脅しをかけている。

 他の乗客は、遠巻きに二人の成り行きを見守っている。会社員の男性を心配する一方、自分が巻き込まれたくはないと誰もが顔に浮かべている。

 酒に酔った勢いで語気を荒々しくさせているのだ。暴力にまで発展してもおかしくはない。誰だって仲裁に入るのは、しり込みするだろう。

「ぴゃ……」

 離れた場所から見ていた玲雄の側で、か細い悲鳴が聞こえた。

 気が付けば結卯が、玲雄の袖に必死な様子でしがみついていた。

 そっと顔を覗き込めば、大きな両目にうっすらと涙が浮かんでいる。

 大人しい子だから、怒声を上げてのケンカを目の当たりにして強いショックを受けているのだろう。

(栗栖さん、怯えてるのか。仕方ないよな)

 玲雄だって内心では、不安でたまらなかった。人と人とが争う姿も見たくはなかった。

 結卯の気持ちを察すると、どうにかして安心させてあげなくてはと思ってしまう。

 玲雄の制服を強くつまんで白くなった結卯の細い指。そこに自身の手をふわりと添える。

「大丈夫……安心して」

 小さな子供に言い聞かせるように、優しくささやきかける。

 顔を上げた結卯に微笑んでみせてから、次に電車内を見渡す。

(ううん、栗栖さんだけじゃない……酔っ払いにからまれている人も、この車両にいる人たち全員……)

 乗客の全員が、あの酔っ払いに迷惑している。一人一人の表情はイラ立っていたり怯えていたりと様々だが、会社員に難癖をつける男に対する感情は一つだ。

 それを目の前にして、玲雄は黙って見ていることは出来なかった。

 思い出すのは、帰りのホームルームで自分が発言した内容。電車内におけるマナーの呼び掛けという言葉。

(そうだ……マナーの呼び掛けを提案しておいて、何も行動しないなんて虫が良すぎる)

 そう考えた時、玲雄の足は震えながらも自然と酔っ払いの方へと向かっていった。

「あ、あの……そんなに乱暴な言葉で叫んだら、みんなビックリしますよ。だから……」

「あァん? 何だ、ガキ! 文句あんのか、コラァ!」

 酔っ払いが、玲雄の方へと顔を向けてくる。腐った柿のような甘ったるくも不快な臭いが、玲雄の鼻に突き刺さる。

 酔っ払いの目は、充血というレベルを超えて赤く腫れあがっている。

 異様な顔つき、異様な臭いに玲雄は思わず喉の奥に酸っぱいものを感じてしまう。

 後ずさりしそうになる気持ちを抑えるため、ギュッと両手を握り締める。相手が文句の言葉を続けるより先に、玲雄は歯を鳴らしながらも口を開く。

「あなた、お酒の飲みすぎです。それに騒ぎすぎですよ? 電車の中では、静かにしてください」

「このガキ……目上に対して偉そうに……あァ? 電車ん中で酒飲んで騒いじゃいけねぇ法律でもあんのかよ!」

「軽犯罪法というのがあるんです。電車の中で、他の乗客に対して乱暴な言葉を使って迷惑をかけた人は、法律違反になるんですよ」

 玲雄の反論に、酔っ払いが思わず口をあんぐりさせる。

 自分の行いが違法なのかという自らの主張に、まさか本当に法律を引っ張り出してくるとは思ってなかった様子だ。それも学生服姿の少年に。

 玲雄が口にした内容も、いい加減ではない。父親から実際に聞かされて記憶していた法律が、自然と口から出たのだ。

 一瞬、言葉を失った酔っ払いだったが、すぐに元の調子で玲雄ににじり寄ってきた。

「ペラペラとうるせぇなァ! ガキが偉そうにしやがってよォ!」

 逆上した酔っ払いが拳を振り上げる。瞬間、玲雄は身をすくませる。

 本気で玲雄を殴るつもりだろうか、それとも脅すつもりだろうか。どちらにせよ、その拳は玲雄を目掛けて振り下ろされることはなかった。

 恐怖の表情を浮かべて動けないでいる玲雄の目の前で、振り上げた酔っ払いの腕をつかむ別の手があった。

「いい加減にしときなよ、あんた。学生が一人で注意してるってのに、いい大人が酒の力なんかに頼って恥ずかしいと思わないのか?」

 酔っ払いの腕をつかんでいるのは、初老の会社員。最初に酔っ払いがからんでいたのとは、別の会社員だ。

 更に二人、三人と乗客たちが酔っ払いを取り囲む。

 その光景を前にして、玲雄はまだ金縛りにあっていた。

 玲雄の制服を後ろから引っ張るものがあり、ハッとして振り返る。

 背の低いおばさんが、玲雄の背後に立っていた。

「さ、今の内よ」

 おばさんは玲雄の背中をくいくい引っ張って、その場から下がるように促す。

 促されるままに玲雄が後ずさりすると、空いたスペースにまた違う乗客が立って酔っ払いに詰め寄った。

「もう大丈夫よ。あなたのおかげで男の人たち、みんな立ち上がったから。後は大人に任せて、彼女の側にいてあげなさい」

 おばさんが目配せする先には、結卯の姿。両手を胸の前に組んで立ち尽くしている。

 結卯のいる所へ戻る前に、チラリと酔っ払いの方をうかがってみる。

 さすがに何人もの男たちに囲まれて大人しくなっている様子だ。玲雄の出る幕は無いだろう。

(結局、僕一人じゃ何も出来なかったな……情けないや)

 玲雄の心に誇らしい気持ちは何一つ無かった。

 騒ぎは収まったというのに玲雄は少し気落ちしながら、結卯が待つ場所まで戻る。

 結卯は、まるで祈るようなポーズで玲雄を見上げる。大きな瞳をうるませながら。

「もう、大丈……」

 大丈夫だから。安心していいから――自分の手柄ではないが、そう口にしようとした。

 玲雄の言葉は、結卯が突然抱きついてきたことで遮られた。

「栗栖さん……」

 何事かと思い、声をかけようとする。その言葉も、途中で消えてしまう。

 背中に回された結卯の腕が、ふるふると震えているのが伝わってくる。

 玲雄の胸に押しつけた顔の下から、小さく泣きじゃくる声が聞こえてくる。

 突然のことに玲雄も戸惑ってしまう。けど、目の前で泣いている後輩の女の子――それも、華奢な体を自分に預けている――を突き放すことなど出来ない。

 五秒ほどのためらいの後、玲雄はか細く震える結卯の背中を優しくさすった。


 電車が倉見台駅に着くと、玲雄は結卯を促して一緒にホームへと下りた。

 結卯は泣き止みこそしたが、目の周りを腫らしてうつむいている。

 玲雄は、こんな状態の結卯を一人で残してはおけなかった。ホームの椅子に結卯を座らせると、その隣に自分も腰掛けた。

「大丈夫? 栗栖さん」

「はい……ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。僕の方こそ、カッコ悪いところ見せちゃったよね」

「え……?」

 玲雄の脳裏に思い出される、二つの出来事。

 自分を憧れの存在だと言ってくれた結卯。そして、先ほどの電車内でのやり取り。

 結卯は玲雄のことを勇気があり、堂々と意見を述べることが出来る人物だと信じている。玲雄自身が思い描く理想の通りに。

 そんな結卯に先ほど見せつけた玲雄の真実の姿。一人では問題を解決することも出来ず、周囲の大人たちに助けられる情けない姿。

 玲雄は、それが自分の全てだと考えている。

 今回は、たまたま失敗しただけ。本当は、一人でも酔っ払いを大人しくさせることぐらい出来る――そんな風には考えもしない。

 それでも、自分に憧れてくれている結卯。彼女に情けないところを見せてしまったことに、罪悪感を抱いていた。

「幻滅……したでしょ?」

「そ、そんなことっ」

 結卯は、慌てて首を横にブンブンと振る。

 玲雄が口にしたことを、自分は少しも思っていないと示すように。

「私、は……怖かったんです。先輩が、危ない目にあうんじゃないかって……それなのに、私は足がすくんで……離れた場所から、見ていることしか……」

 一度は止まった結卯の涙が、また目尻に浮かぶ。

「先輩が、無事に戻ってきた姿を見たら……安心して、涙が……」

 先ほど、玲雄に抱きつきながら流した涙の理由を結卯が語る。

 単に怖かったからではない。玲雄の無事を祈っていたからこその涙だった。

 それほどまでに自分の身を案じてくれていた後輩を前にして、玲雄は口を閉ざす。

「先輩は、優しくて勇気がある人です。昨日も、今日も……電車に乗ってたみんなが、先輩に救われました……私も、その一人です」

 涙が混じった、たどたどしい口調。それでも結卯は、自身の想いを述べる。

 玲雄に会って伝えたいと、ずっと抱いてきた想いを。

「私も……先輩のように、優しくて勇気がある人に……なりたい」

 大人しい少女が思い切って口にした想い。

 玲雄は結卯から視線を外して一秒、自分の心に問いかける。

 今の自分は、結卯が語るような人間になれているだろうか――と。

 自分が目指す理想の姿と照らし合わせて、玲雄は心の中で首を横に振る。

「僕は、そんなに立派な人間じゃないよ」

 勇気だとか優しさだとか、そんな言葉が似合う人間じゃない。父親や母親とは違う。

 自分でマナーの呼び掛けを提案しておきながら、トラブルを目にして何もしないでいるのは偽善的だと考えただけ。

 偽善的な自分の心根を、後々まで引きずることになると考えたまでだ。

(僕は、僕の性格をよく知っている。あの時、注意しておけばよかったと後悔して悩み続けることになる。ホームルームでも、もう同じことを言えなくなる)

 だから自分の心の負担を減らすため、自分のためにしたこと。周りから偽善者呼ばわりされるのが怖いから。

 それは、勇気でも優しさでもない。

「僕も、栗栖さんと同じだよ」

 結卯の方へ顔を向け直して、揺れる瞳を見つめて話す。

 今まで、誰にも打ち明けたことのない自身の想いを。

「僕には、なりたい姿がある。大人になった時、こんな風になりたいと思える人たちを知ってる。僕よりもずっと、勇気があって……本当の優しさを持っている人たち……僕はその人たちに近付きたくて、その人たちなら取ったであろう行動を真似してるだけだよ」

 そうして取った行動も、一人では解決できなかった。

 足を震わせ声まで震わせる姿は、とても勇気があるようには見えない。

 本当に勇気がある人は外国人にも酔っ払いにも動じず、もっと堂々と注意が出来るはずだ。

 本当に優しい人は自分の姿がどう見えるかなんて気にせず、困っている人のためだけに行動できるはずだ。

「……それなら、やっぱり……」

 語り終えた玲雄の顔を見上げて、結卯が口を開く。

「私が、なりたい姿は……」

 その先を言おうとして、結卯の口がパクパクと動く。

 実際に結卯の口から出てくることのなかった言葉。その言葉を意識してか、結卯の頬が桃色に染まっていく。

「う、うぅ~~~」

 込み上げる熱を押さえつけるかのように、結卯は再び顔を両手で覆ってしまった。


 結卯の気持ちが静まって倉見台駅の外に出た頃、辺りはすっかり暗くなっていた。

 結卯は遠慮していたが、玲雄は彼女を家まで送ると言った。

「本当……すみません、先輩。こんな、遅くまで……」

 これで何度目かの同じセリフ。その度に玲雄も「気にしなくていいよ」と答える。

 駅を出て一〇分ほど歩いた先にある小さなアパート。そこで結卯が立ち止まった。

「あ、ここ?」

 二階建ての古びたアパートを見上げながら、玲雄が尋ねる。

 黒い汚れや赤茶のサビが目立つ建物は自分が暮らす一軒家とは程遠く、つい意外そうな声を上げてしまった。

「はい……送っていただいて、ありがとうございました」

 後半は聞き取れないレベルの小声で礼を述べて、結卯がおじぎをする。

 彼女自身、自分が住んでいるアパートが立派なものではないと思っているのだろう。若干の恥ずかしさを抱いているのが感じられる。

 玲雄が意外だと感じたのは、単に建物の古臭さからだけではなかった。

(灯りが……)

 見上げた窓のいずれも暗く、部屋に電気が点いている様子はない。

 玲雄の疑問に気が付いたかのように、結卯が口を開く。

「うち、両親が共働きで……帰りは、いつも遅いんです」

 共働き、という言葉に玲雄も他人事ではないものを感じた。

 視線を結卯の顔へと戻すと、遠くを見つめているような視線と触れ合った。

「あの時も……そうでした。家に誰もいなくて、電車に乗って帰ることも出来なくて……どうしたらいいのか、分からなくなって……」

「あの時……?」

 電灯の下で、結卯の頬にまた赤みがさすのが分かった。

 今度は顔を覆う前に「おやすみなさい」と告げ、アパートの階段を上っていく。

 鍵を外したドアを開け、チラリと玲雄の方をうかがう結卯。

「じゃあね……」

 玲雄の呟きが聞こえたのかは分からないが、結卯はペコリと頭を下げて部屋へと入っていった。

 じきに窓から灯りが漏れる。それを見届けると、玲雄は駅へと引き返していった。

 倉見台駅から電車に乗り、二つ先の一之宮駅で降りる。五分ほど歩いた先の神社の境内を突っ切る、いつものショートカット。

 青いペンキで塗られた一軒家。玲雄の家に帰り着いた。

「おかえりー。遅かったね」

 玲雄の帰宅に合わせて、台所から母親の声が聞こえてくる。

「そっちは早かったね」と言いそうになったところで(今日は休みだったっけ)と思い出した。

 二階の自室へ鞄を置いて、制服をハンガーにかけてから一階へと戻る。

 ハンカチとワイシャツを洗濯機につっこむため、洗面所の戸を開ける。

「おゥ、帰ってたか。おかえり」

 父親のいさむだ。丁度、風呂上りだったみたいで鍛え上げられた上半身をさらしている。

 勇は四十五歳。まだ肉体の衰えは無く、引き締まった身体は玲雄も同じ男として羨ましく思う。

「ただいま。ねぇ、お父さん……後で話、いいかな?」

「ん? いいぞ。メシ食った後でな。お前も早く、風呂入っちまえ」

 父親が明日も朝早いのは知っているから遠慮がちに尋ねたが、勇の方は存外に快く答えてくれた。

 どんなに忙しくとも、息子との時間を取れるのは嬉しいのが親心だろうか。

 勇の職業は警察官だ。それも二十四時間の交番勤務。

 実際には定刻で上がれるとは限らず、三十六時間勤務になることもザラにある。

 玲雄がもっと小さい時は父親に遊んでとねだったものだが、今では家にいる時はゆっくり寝かせておこうと思いやっている。

 実際、当番明けの昨日は玲雄が帰宅した時間もまだ布団の中にいた。

 共働きの母親も勤務時間が不規則で、昨日は玲雄よりも帰りは遅かった。

(今日は作り置きじゃない、お母さんの手料理を三人で食べられる日だ)

 丁度、二人と話したいと思っていたところだ。たまの団らんだけでも嬉しいものだが、この日の喜びはそれ以上のものがあった。

 夕食を食べ終えた後のリビング。母、優子まさこが入れてくれたお茶を飲みながらテーブルを囲む。

「お父さん……お父さんは、いつも言ってたよね? どんなに怖くても悪い人を捕まえるんだって」

 息子からの問い掛けに、勇は自信を持ってうなずく。

「あぁ。俺は警察官だ。自分が着ている制服に、恥をかかせるわけにはいかないからな。平和な日本と言っても、実際には毎日事件が起きている。危険を伴うこともあるし、凶悪な犯人と出くわすこともある。それを解決できるのは、俺しかいないんだ」

 父親が話す内容。それこそが、本当の勇気だ。

 玲雄は父の目をまっすぐ見返しながら、大きくうなずく。

 それから、母親の方へと視線を移す。

「お母さんも、お父さんと同じだよね? お医者さんの仕事も、お巡りさんと同じ気持ちでいるんでしょ?」

 母、優子は四十歳。自宅近くの病院に勤務する医師だ。

 彼女の仕事も警察官である夫と同じで忙しく、特に手術がある日は帰りがかなり遅くなることもある。

 玲雄は何度も聞かされて知っていた。母親が父親と同じなのは多忙だというだけでなく、仕事に対する姿勢についてもだと。

「そうよ。お母さんが勤める病院に何人の名医がいようと、自分が執刀する手術の時はお母さん一人。患者さんを死神から守れるのは、お母さんしかいないのよ」

 玲雄は子供の頃から、両親の仕事について聞かされてきた。

 小学生の時は、漠然とかっこいいなと思うだけだった。中学生になると、両親を誇りに思うようになった。

 両親のことをただ、かっこいいと思うだけではない。人生の目標として、両親のようにかっこよくなりたいと願うようになった。

(お父さんとお母さんの話を聞く度に、僕は心に決めてきた……)

 何か問題が起きた時に人は「誰かが何とかしなくては」と考えるものだ。しかし、実際に自分がその「誰か」になろうと考える人は少ない。

 玲雄は両親こそが、その「誰か」だと考えていた。

(僕もお父さんやお母さんと同じように、問題が起きた時に真っ先に行動できる人間になりたい……と)

 ただ、現実は理想とは程遠い。

 幸か不幸か、玲雄は平穏な学校生活を送ってきた。何も問題が無ければ自分が行動を起こす必要もないと、玲雄はクラスでも目立たない大人しい生徒として過ごしてきた。

 特定の親しい友人を作ることもしなかった。そのため人間関係が希薄で、他人の考えについて想像任せになってしまいがちなところがある。

 困っている人を目の前にしても、自分の手助けが本当に必要なのかと考えてしまう。余計なおせっかいは、かえってその人にとって迷惑ではないかと。

 けれど、そういった躊躇いは両親とは程遠い。優しさと勇気を持った、かっこいい理想の姿とは。

 だから、昨日も今日も電車の乗客に迷惑をかける人たちに向かっていったのだ。それこそが、自分が求める理想――なりたいと願う姿だと信じて。

 その結果、例え一人であっても笑顔にすることが出来た。

 自分のことを憧れだと言ってくれる人に出会えた。

 自分の行動が正しかったのだと、父と母の言葉から確信することが出来た。

(二人の子供で……よかった)

 玲雄は今までの人生の中で一番強く、そう思った。

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