二日目(1)・学校中から称賛されて可愛い後輩と下校する

 いつもの通学路。いつもの校門。

 正面玄関から校舎に入って二年A組の教室を目指す、いつもの廊下。

 特別、誰かと朝の挨拶を交わすこともない、いつも通りの登校時間。

 そのはずなのに、どこか違和感がある気がした。

(何だか、さっきから僕のことを見てる? 気のせいか。誰も僕なんか気にするはずないよな)

 登校する玲雄の姿を見た生徒の何人かが、まるで盗み見てヒソヒソと噂話をしているような気がした。

 その多くが、話をしたこともない相手だ。そんな人たちが、自分みたいに目立たない生徒のことを見ているはずがない。

 教室に着くまで、玲雄はそう考えていた。

「おっ! ヒーローが来たぞ!」

 玲雄が教室の戸を開けた瞬間、中から歓声が上がった。

 何の話かと思っている間に、玲雄はクラスの不良グループに取り囲まれていた。

「えっ……な、何?」

 普段は接点の無い茶髪やらピアスやらのクラスメイトたちに朝から迫られて、玲雄は思わず息を飲んだ。

 因縁を付けられるようなことをした覚えは無いはずなのに――と戸惑う玲雄に、クラスメイトは歯を見せて笑いかけた。

「昨日、見てたぜ如月君! すっげぇ、カッコいいのな!」

「き、昨日……?」

 説明されても何のことだか、玲雄にはまだ合点がいかない。

 そんな玲雄を半分放って、クラスメイトたちは互いに「そうそう」と笑い合っている。

 よく見れば、クラスメイトに混ざって隣のクラスの生徒までいた。体育の授業は合同だが、それくらいしか顔を合わせる機会もないのに。

 玲雄の視線に気が付いた隣のクラスの生徒が、スマホを取り出して玲雄に画面を見せてきた。

「昨日、ラインで如月君の武勇伝が回ってきてさ。いやー、俺もその場にいたかったよ」

 目の前に出されたスマホの画面を見ると、確かに玲雄の名前が表示されている。会話を読んでみると、電車だとか外国人だとかいった単語を見つけて玲雄もピンと来る。

「電車……外国人……あっ、もしかして昨日の帰りの電車でのこと?」

 電車の中で騒ぐ四人の外国人。怖がって誰も注意できずにいる中、玲雄だけが勇気を振り絞って注意をした。

 同じ車両にあゆみ橋高校の生徒が乗っていたとは、玲雄も気が付かなかった。

「スゴかったぜぇ。デカい外国人相手に『シャーラーップ!』とか言ってさ。一発で黙らせちゃったんだから」

 何だか話が誇張されている。実際に玲雄に注意されて外国人は騒ぐのを止めたが、当の玲雄は恐怖でガタガタと震えてるぐらいだった。

 堂々と怯むことなく一喝できたわけではない。外国人から逆に文句を言われ、突き飛ばされたりもした。

 玲雄は、自分では情けない結果に終わったと考えていた。それなのに玲雄のことを悪く言う生徒は、教室の中に一人もいなかった。

「如月君は、俺たちのヒーローだぜ!」

「また、ああいうのがいたらガツンと言ってやってくれよ」

「あーあ、俺も如月君みたいにカッコよくなりたいよなー」

 普段はろくに話もしない生徒たちが、玲雄のことを英雄のように持ち上げてくれる。

 実際に昨日の場面に居合わせた生徒は何人もいないだろう。ラインで伝えられた情報から想像をたくましくして、玲雄の武勇伝を作り上げているみたいだ。

 話を膨らませて盛り上がるクラスメイトたちを前にして、玲雄は口をはさめないでいた。

 何も自分が褒められているのが気持ちよくて、このまま勘違いさせておこうという思いがあるわけではない。

 昨日は気が付いたら外国人に注意していたが、本来の玲雄はこんな風に気後れするタイプだ。

 自分がヒーロー扱いされるのは、クラスメイトにも悪い気がすると玲雄は考えた。

(そんなカッコよく振舞えたわけじゃない。ちゃんと言って、誤解を解かないと)

 自分の話を聞いてもらうため、クラスメイトたちの会話が途切れるタイミングをうかがう。

 そうこうしていると、後ろの方から玲雄を呼ぶ別の声がした。

「あ、あの……如月、先輩」

 消え入りそうな小さな声。しかし透明感のあるその声は、クラスメイトの笑い声にかき消されることなく玲雄の耳に届いた。

 玲雄を称える話し声が、ピタリと止む。

 背後にある戸の方を振り返る玲雄。入口の前にいた何人かが、脇へと移動する。

 廊下から二年A組の教室に向かって立つ一人の女子生徒が、玲雄の目に映った。

「何だ何だ、下級生のファンまで来たのか? ヒーローはモテるよなー」

 女子生徒の登場に、教室はまたしても沸き上がる。そこに玲雄を茶化す雰囲気は無く、むしろ二人の邪魔をしないよう入口の近くから離れていった。

 クラスメイトの配慮に玲雄も多少の気恥ずかしさを覚えながら、廊下の方へと一歩近づく。

 教室と廊下。引き戸の溝を境に向かい合って立つ玲雄と女子生徒。

 玲雄は、自分を先輩と呼んだ女子生徒の姿をジッと見つめた。

(先輩って呼んだってことは、一年生だよね? 僕の名前を知ってるってことは……どこかで会ったっけ?)

 身長一六五センチの玲雄よりも頭一つ分は小さい、小柄な少女。

 ふわりとしたエアリーボブの黒髪。顔立ちはまだ幼く、黒目がちな大きな目をあちこちに泳がせている。

 玲雄のことを呼びかけたはいいが、何を話したらいいのか分からないでいる様子だ。

 その様子に、玲雄は小動物のようなか細さを連想した。会話のきっかけがつかめるよう、自分から声をかける。

「えっと、君は……」

 玲雄から声をかけられ、女子生徒が顔を上げる。

 まだ色あせていない紺色のブレザーの胸元をキュッとつかんで、意を決したように口を開いてくる。

「あの、私……一年の栗栖くりす結卯ゆう……です」

「栗栖さん?」

 馴染みの無い名前を玲雄が繰り返す。結卯と名乗った女子生徒の白く柔らかそうな頬に赤みがさす。

(名前は聞き覚えないけど……どこかで会った気がするんだよな)

 結卯の幼くも整った顔を見つめる内、玲雄はおぼろげながらも記憶の中に同じ顔を見つける。

 透き通った声、小動物のような仕草、そのどちらも上手く思い出せない。それよりも印象的なのは、大きな丸い瞳。

 そうだ、と玲雄は思い出した。

「あっ、もしかして君……」

「ぴゃっ……」

 玲雄の言葉を予期してか、結卯が短く悲鳴を上げて体をビクッとさせる。

 頬はいっそう赤くなり、薄紅色の唇をふるふると震わせている。

 ややうつむきながら、チラリチラリと上目遣いで玲雄の表情をうかがう。その仕草は、玲雄の次の言葉を期待している様子だ。

 当の玲雄は、結卯の仕草よりもむしろ「ぴゃっ」という悲鳴が気になっていた。

 その悲鳴を聞いて、結卯といつどこで出会ったのかの確信を得た。

「やっぱり……昨日、下駄箱の前で会った」

 結卯の髪型も顔立ちも、記憶の中の姿と一致した。

 昨日の放課後、下駄箱の前の廊下で目が合った女子生徒だ。

 可愛い子だと思ったことも思い出した。今と同じような短い悲鳴を上げて、何かに驚いた様子を見せていたことも思い出した。

 教室を訪れた下級生の正体が分かり、玲雄は安心したような笑顔を浮かべる。

 反対に結卯は、何故か目を伏せてしまった。

「あの……栗栖さん?」

「し、しつれいしますっ」

 結卯が急に元気を無くしたように見えて、玲雄も心配そうに声をかける。

 その呼び掛けが終わらない内に、結卯は思い切り頭を下げてきた。

 戸惑う玲雄の視線から逃れるように、結卯はそのままパタパタと走り去っていった。

(何だったんだろう……?)

 結卯が何をしに自分を訪ねてきたのか。何故、急に走り去ってしまったのか。

 玲雄はその意図が読めず、首を傾げながら結卯が去っていった後の廊下を眺め続けた。


「えっと……電車内のマナーの呼び掛けとか、いいんじゃないかなと思いました」

 帰りのホームルームの時間。いつもは連絡事項だけで終わるのに、この日は長めに時間を取っていた。

 昨日のロングホームルームの終わりに出された宿題――クラスで行うボランティア活動について考えてくること――を発表するためだ。

 席の端から順番に担任が当てていき、玲雄の番が回ってきたところだった。ここまで大半が「まだ考え中です」と答えたため、担任もイラついた様子で玲雄の名前を呼ぶ。

 玲雄が椅子から立ち上がった瞬間、ざわついていた教室が静かになり視線を玲雄へと集める。

 そして玲雄が「電車内のマナーの呼び掛け」を提案すると、教室中から賛成の声が上がった。

「それ、いいじゃん! さっすが如月君!」

「俺も如月君の案に一票!」

「私もー! 他にいい案も無いっしょ?」

 いつもはまとまりがなく、積極的な意見も出ないクラスの声が一つになった。担任も何事かと目をパチクリさせる。

 それ以上に、発言した玲雄自身が驚いていた。

(本当に、いいの? 僕なんかが出した案で……)

 昨日の電車内の一件で、教室は朝から玲雄の話題で持ちきりだった。

 昼休みもクラスメイトが玲雄を取り囲んで褒めちぎっていた。

(こんなに、みんなが僕の意見を聞いてくれるなんて……一年の頃には考えられなかったな)

 進級時にクラス替えが無かったため、玲雄は二年生になっても自分のポジションは一年の時に築き上げられたままだと思っていた。

 誰も自分のことなど気に止めたりしない。誰も自分の話など聞いてはくれない。そんな風に考えていた。

 電車内で騒いでいる人たちに静かにするよう注意しただけで、みんなが自分のことを褒めたたえてくれるなんて、もっと想像していなかった。

 今のホームルームでの発言にしたって、昨日の電車内の光景から思い付いただけのこと。

 それだけのことなのに、こうしてクラス中が賛成してくれるなんて。

「はい、じゃあそれでいいんですね? それじゃあ二年A組のボランティア活動は『電車内のマナーの呼び掛け』ということで、これについて来週のロングホームルームで具体的な話を進めていきますからね」

 思いのほか、あっさりとクラスの意見がまとまったため、担任も玲雄の案に決定した。

 早めにホームルームが終わったことで、クラスメイトたちは意気揚々と教室を出て行く。

 その際に、玲雄に別れの挨拶や感謝の言葉をかけるのを忘れることなく。

(まぁ、早めに終わったんだし。これでよかったよね? 今日は早くに帰れそうだ)

 ひとしきりクラスメイトに「じゃあね」と言ってから、玲雄も教室を後にした。

 図書室に寄って昨日借りた本を返却し、一階の下駄箱へと移動する。

 もしかしたら今日も結卯とバッタリ会うかもしれない、と秘かに考えては即座に「そんなわけないか」と打ち消しながら。

「あっ、あの……如月先輩」

「ん……わっ、ビックリした!」

 ローファーに履き替えて正面玄関を出ようとしたところで、下駄箱の陰から声をかけられた。

 思わず声を上げて驚く玲雄。無理もない。声をかけてきたのが「今日も会えるかもしれない」と秘かに期待していた相手――結卯本人だったからだ。

「す、すす……すみませんっ」

 結卯が急に声をかけたせいで玲雄が驚いたと思ったのだろう。結卯は何度も頭を下げて謝ってきた。

「あぁ、そうじゃなくって……ゴメン、ゴメン。考えごとをしてたからビックリしただけで、栗栖さんが悪いわけじゃないよ」

 頭を下げる下級生をなんとかなだめようとする。悪いのは結卯ではなく、ボーっと考えごとをして結卯の存在に気が付かなかった自分なのだと。

 もっとも、その考えごとの内容が結卯についてとまでは言えなかったが。

「あ……もしかして、僕を待ってたの?」

 結卯が今朝、せっかく自分を訪ねに教室まで来てくれたのに肝心の話が出来なかったことを思い出した。

 玲雄は結卯が一年何組の生徒なのかは分からないが、一年生の教室を回って調べるくらいは出来たはず。

 昼休みもクラスメイトの相手をして結卯のことを放っておいたことを素直に反省した。

「はい、あの……迷惑、でしたか?」

「そんな……全然、大丈夫だよ!」

 結卯の大きな目に、うっすらと涙が浮かぶ。玲雄も慌てて、両手を横に振る。

 女子と二人きりで話した経験など、玲雄はほとんど無かった。こんな時、もっと気のきいたセリフを言えないものかと自分にイラ立つ。

 少なくとも自分の方が上級生なのだから、もっとしっかりしなくてはと自分自身に言い聞かせる。

「えっと……栗栖さんは、帰りはあゆみ橋駅から?」

「あ、は……はい」

「じゃあ、一緒に帰ろうか? 歩きながら話そう」

「はい。あの……私、降りるのは倉見台駅で……」

「あっ、同じ方面だね。僕はその二つ先の一之宮駅だから」

 帰りの駅も同じ、乗車する電車のホームも同じ。少なくとも結卯が降りる駅までは一緒だと分かり、玲雄が笑顔を見せる。

 結卯の方はと言うと、やや目を伏せて小声で「はい」と返事をするだけだった。

 それでも玲雄と並んで下校することに抵抗があるわけではない様子で、玲雄に促されて一緒に玄関を出た。

「如月先輩……」

「ん?」

 いつもは一人で帰る通学路。今日は下級生の女の子と並んでの下校。

 少し緊張して、胸の奥のそわそわを感じる玲雄。歩きながら話そうとは言ったものの、さて何を話したらいいのか分からないでいた。

 緊張しているのは、結卯も同じみたいだ。下駄箱で玲雄を待っていた割りに、なかなか話を切り出さない。

 五分ほど無言で歩いてきたところで、ようやく結卯が口を開いた。

「先輩は、その……勇気があって、スゴいですね」

「勇気? 僕が?」

 思いがけない結卯の言葉に、玲雄はキョトンとしながら横を歩く結卯の顔を見る。

 結卯はうつむきながらも、薄紅色の唇の端に小さな笑みを浮かべて続ける。

「はい……だって、昨日……」

「昨日……あぁ、栗栖さんも見てたのか」

 朝から散々話題に上がったため、玲雄もすぐさま思い付いた。

 結卯はきっと、昨日の電車内での一件を話しているのだろう。大柄の外国人四人に、一人で注意してみせた玲雄の姿を見て勇気があると思ったのだろう。

「別にスゴくもないし、勇気だって無いよ」

 顔を前へと向け直して玲雄が言う。

「昨日は電車の中で騒いでいる人たちがいて、みんなが迷惑そうにしていたから。誰かが注意しなくちゃと思って……気付いたら、自分がその誰かになってたっていうだけだよ」

 思い返す昨日の出来事。足を震わせ、声まで震わせ、たどたどしい英語で訴える自分の姿を思い浮かべる。

 とても勇気があるようには見えない自分の情けない姿に、玲雄は小さなため息をつく。

 ふと玲雄は、自分の隣から結卯の気配が無くなるのを感じた。

「あれ? 栗栖さん?」

 後ろを振り向くと、結卯がその場でしゃがみ込んでいた。小柄な結卯の体が、より小さく見える。

「ど、どうしたの? 大丈夫……」

 急に具合でも悪くなったのだろうか。

 結卯は顔を両手で覆い、縮こまった体を小刻みに震わせている。

 心配して駆け寄った玲雄ではあったが、どう対応したらいいのか分からず戸惑ってしまう。

(こんな時、お母さんだったらどうするんだ……あぁ、分からない!)

 背中をさすってあげた方がいいだろうか。そうは思っても異性の体に触れることへの抵抗から、伸ばした手を引っ込めてしまう。

 ポツリ、と結卯が何か口にした気がした。

 玲雄に何か訴えたいことがあるのかと思い、そっと耳を近づける。

「カ……カッコよすぎるよぉぉぉ」

 小声ながらも結卯が深く息を吐きながらうなる。

 よく見て見れば、指の間から見える顔が真っ赤に染まっている。

 発した言葉の内容から、どうやら具合を悪くしたわけではないと玲雄も察した。

「だ……大丈夫? 立てる? と、とりあえず……どこか落ち着いて座れるところに行こう?」

 縮こまる結卯の肩先にそっと触れて、ゆっくりと立たせる。

 顔を押さえ込んだままの両手の奥から「すみません……」という小さな声が聞こえた。

 結卯を落ち着かせるのと通行人の邪魔にならないよう、その場から移動する。丁度、ベンチのある小さな公園の前だった。

 結卯をベンチに座らせると、玲雄は気持ちが落ち着くような温かい飲み物をと近くの自販機へと向かった。

 幸い、四月の時季にはまだホット飲料が売られていた。ペットボトルのミルクティーを二つ買うと、結卯が待つベンチへと戻る。

「はい、栗栖さん」

 戻ってきた時にはもう、結卯の両手は膝の上に置かれていた。

 うつむく結卯の顔の前にペットボトルを差し出すと、慌てた様子で顔を上げてきた。

「ぴゃっ、あっ……す、すみません」

 結卯が、鞄の中からピンク色の財布を取り出す。

 その動きを制止するかのように、玲雄はペットボトルのキャップを開けて結卯へと差し出した。

「いいから……はい」

 結卯がペットボトルを受け取ると、玲雄もベンチの隣へと腰掛ける。

 自身も温かなミルクティーを一口。それから横目で結卯の様子をうかがう。

 結卯は両手で持ったペットボトルに視線を落とし、ポツリと呟く。

「やっぱり……ダメだなぁ、私」

「えっ?」

 結卯が発した言葉の意味が分からず、玲雄は顔を隣へ向ける。

 結卯は視線を落としたまま続きを口にする。

「先輩に、色々と……言いたい気持ち、いっぱいあるのに……上手く言葉が出てこないなんて」

 たどたどしく自身の想いを述べていく結卯。その声色は、少しだけ涙声。

 その沈んだ表情をまた両手で覆ってしまいそうに見えて、玲雄は結卯の横顔を見守り続けた。

「如月先輩は、私なんかと違って……勇気があって、クラスの人気者で……」

 出会ったばかりの玲雄にも、結卯がどちらかと言えば大人しいタイプだというのは分かった。

 ハキハキと話すのが苦手な大人しい少女。結卯は、そんな自分の姿を情けなく思っているようだ。

 それは玲雄にも察しが付く。同意できないのは、結卯が語る玲雄の姿だった。

(うーん……やっぱり勘違いされてるよなぁ)

 結卯は恐らく、昨日より以前の玲雄を知らない。

 教室内に親しい友人を持たず、クラスメイトの誰からも話を聞いてもらえないでいたことを。

 たまたま昨日、電車内で外国人に注意をする玲雄を見かけた。そのことについて、二年A組のクラスメイトが玲雄を褒めそやすのを見かけた。

 そのせいで玲雄のことを勇気があってクラスの人気者だと思い込んでいるのだろう。

(本当の僕は、クラスの人気者になれる人間じゃない。きっと明日になれば、みんなも昨日のことなんか忘れてまた孤立するに決まってる)

 玲雄の胸に、ほのかなに芽生える罪悪感。

 自分は、結卯が語るほど立派な人間じゃない。そんな誤解を与えてしまっていることに、玲雄の胸がチクリと痛む。

(栗栖さんだけじゃない。自分のことを情けなく思ってるのは……そう、僕も同じだ)

 自分から積極的にクラスに馴染むこともせず、誰からも認められず、自分で注意した相手に震えあがる。

 そんな自分の小ささを玲雄は誰よりもよく知っている。決して褒められるのに値しない、弱い男だと思っていた。

「僕は、そんな風に言われる資格なんて無い。クラスでも浮いてるし、言いたいことも上手く言えないのは僕だって同じだよ」

 自分の真実の姿を偽りなく述べる。実際に口にしてみると、余計に自分が小さい人間に思えてくる。

 玲雄の言葉を、結卯が首を横に小さく振って否定する。

「そんなことない……先輩は、私の憧れ……です」

 消え入りそうな結卯の声。それでも、はっきりとした意思が、そこには感じられた。

 自分は、誰かに憧れられるようなヒーローなんかじゃない。

 玲雄は心の中で、申し訳なさそうに呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る