第23話 望むもの

 考えてもいなかった、というのはリクだけではなかったようだ。

「望む、もの」

「え、なんでも、って言われてもなー……」

 ルカが戸惑った声を出し、ネイは目を泳がせ、ホウタツは考え込むように顎を引く。リクも自然とまばたきの回数が増えた。

「そんなに戸惑うとは思わなかったな。まさか皆、本当に何も考えていなかったのかい?」

「え、なんか、すっかり忘れてた、っていうか……。あたしはそもそも殿下の従者に加えてもらえただけで満足してしまったところがあるので……」

 殿下に微笑まれ、ネイがもごもごと返事をするのを、リクも内心で頷きつつ聞いていた。むしろ、ガイはこの約束をよく覚えていたものだと思うほどである。

「まあ、いいや、考えておいて。……ジーク、ハンナ。お前たちもだよ」

「え」

「……殿下、我々は」

「さて、そろそろ戻るかな。……送ってくださる?」

 ジークとハンナの狼狽に毛先ほども触れることなく、殿下はすらりと立ち上がり、声と口調を妃としてのものへと鮮やかに転換して見せた。

「……は。かしこまりました」

 兄妹のどちらも、言いたいことがいくつもあるのだろうことは明らかだったが、その様子を隠し切れないながらも一旦は言葉を飲み込んだらしく、ふたりは殿下を送り届けるために部屋を後にした。

「……はあ」

 大きく息をついたのはネイである。リクは苦笑しつつも気持ちとしては同じだった。ルカも細く長い息を吐き、静かに瞼をおろしている。ホウタツだけが、考え込むような姿勢のままだった。

「えー、どうしよ。これって、何か望むものを申告しなくちゃいけない、のかしら?」

「さあね、いけない、ってことはないんじゃない? 何もありません、でも別に。まあ、勿体ない気はするけど」

 きょろきょろと周囲を見回して素直な戸惑いを口に出すネイに、リクは肩をすくめて見せる。リクは別に殿下の従者となったことで「満足した」というわけではないが、すっかり忘れていた、という意味ではネイと変わりがない。

「ルカは? 何か欲しいものある?」

 リクが水を向けると、ルカはハッとしたように顔を上げた。

「私、ですか。そう、ですね……、正直なところ、望むものをあげよう、という殿下のお言葉は頭に残っていなかったのですが。ここまでが、なかなか怒涛の日々でしたから」

「まあ、そうだよね」

 リクとて帝都で行われた武人大会に参加したことが今の状況に繋がっているなどとは予想もしていなかったし、今もときどき信じられない気持ちになることがある。

「けれど……、なんでも望みを叶えてもらえるというのであれば、お願いしたいことはあります」

「そうなの? え、どんなこと?」

「……私は、学者になりたかったのです」

「学者」

 一瞬、学者、という言葉の意味がわからずに、リクは繰り返した。これまでに数えるほどしか耳にしなかった言葉だ。

「帝都に、王立学院があるでしょう?」

「えーと、ごめん、知らない」

「ああ、すみません。要するに学校なのですが……、何かを教わる場所というよりは古い文献を紐解いたり、空や大地の観測を行って新たな発見をしたり、法則の解明をしたり、という研究を主とするところですね。まあ、つまりそういうことを専門に行う者を学者と呼ぶわけですが」

「……う、うん」

 おそらくルカはかなり嚙み砕いて説明をしてくれているのであろうけれど、リクは頷くことが精一杯だった。横目でちらりとネイを窺うと、すました顔をしてはいたが理解はしていなさそうだった。指摘すれば蛇のような顔つきになるであろうから黙っておくけれど。

「たしか、王立学院に入るには試験があるのではなかったか?」

 壁と一体化するかのように沈黙を守っていたホウタツが、不意に口を開く。ルカが柔らかく頷いた。

「一応、学術試験ということになっていますが、実際の入学可否は家柄によって判断されているようです」

「なるほど。ルカは貴族出身なのだから入学できたのでは?」

「まさか。養父には申し訳ありませんが、あの地位では手も足も出ませんよ」

「じゃあ、その王立学院? に入るのが望みってわけ?」

 結論を急ぐようなネイの問いに、ルカはかぶりを振った。

「いえ、そうではありません。王立学院には及びませんが、似たように研究を中心とした学術施設が国内にいくつかあります。リードラにも昨年開設されたとか。もし、そこで学ばせていただくことができれば、と……」

「ふうん……、学ぶ、かあ」

 何か感じ入るものがあったのか、ネイが考えるふうに小首を傾げた。

「そうか。その望みであれば叶えられるのではないか? 新設であるリードラの研究機関であれば、入れてもらえる可能性は高そうだ。まあ、試験はあるのかもしれないが。家柄ではないやつが、な」

「生まれが関係ないのであればいくらでも受けて立ちます」

 固い口調でのホウタツの軽口にルカが微笑む。リクはホウタツの言葉に少し引っかかるものを感じた。

「ホウタツの望みは、叶いそうのないもの、ってこと?」

 リクが尋ねると、ホウタツは軽く目を見張った。

「……リクは、妙なところで鋭い物言いをするな。そうだな……、叶いそうのないもの、というよりは、叶える意味を失っているもの、というべきか。いや、すでに叶っているともいえる」

「どういうこと?」

 ホウタツは困ったように口ごもってから、ため息とともに小さく告げた。

「新しい名前が欲しかったんだ、俺は」

「名前?」

「昔の話だが。望み、と問われればそれしか思い当たらない」

 ホウタツは、リクを見ていなかった。その目は、遠く故郷を見ていた。

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