第15話 遠乗り

 芽吹いたばかりの緑を蹴って、駿馬は進む。ごう、と音をたてて、耳を風が通り過ぎる。いや、自分自身が風になっている、という方が感覚としては近いのかもしれない……。これまでに数え切れぬほど馬で駆けてきたはずなのに、リクは改めてそんなことを考えたりしていた。

「違う空の下、だからかね?」

 呟きは自分にすら届かず、一瞬にしてばらばらに散った。

 警戒に始まり、兄妹喧嘩で終わった殿下の婚礼の儀の、翌日。リクは遠乗りに連れ出されていた。リクだけではない。宝石の名を持つ従者全員が、それぞれ馬を駆っている。

「リーザ、そろそろ休んではどうかな」

「はい、閣下」

 黒髪をなびかせた美丈夫、ソール・サリードラ公が馬の足を緩めると、金髪を結い上げたエリザベータ妃殿下もすぐに手綱を引いた。リクたちを連れ出したのはもちろん、この新婚夫婦である。

「あのあたりへ馬をとめよう。ヴォルガ」

「は」

 ソールの合図を受けてヴォルガが先導し、夫婦は馬の頭を揃えてそこに続く。仲睦まじいその背に付き従いつつ、リクは何をどう解釈していいものか、さっぱりわからずにいた。

「ねえ、どういうことなの?」

 ネイが小声でホウタツに尋ねているのが聞こえるが、返ってくるのは、さあ、という意味を持たぬ一言だけ。ネイも別に期待はしていなかったのに違いないが、それでもつい誰かにこぼしてしまいたくなる気持ちはリクにもわかった。

 結局、殿下の初夜はどのようなことになったのか。リクたちが知りたいのはそのことだ。

 一行が馬をとめた大樹の周囲には、簡易的ながら水場がつくられていて、このあたりが遠乗りや狩りによく利用されているのだとうかがえた。

 ハンナが誰よりも早く馬を降り、夫婦が休息をとるための環境を整える。リクもそれに続いたが、どうしてもソールが気になってしまった。ソールの「生まれ」について昨夜ルカから聞かされ、婚礼の来賓客たちの陰口の意味がようやく理解できたこともそうなのだが、何よりも、この美丈夫が本当に縛り上げられたまま一晩を過ごしたのだろうか、という疑問が解消されぬまま渦を巻いているのだ。

「リーザ、疲れてはいないか」

「いいえ、とても楽しゅうございますわ」

「そうか。深窓の姫君がこうも見事に馬を駆るとは驚きだ」

「こんなお転婆だとはお思いにならなかった、ということでございましょう? がっかりさせてしまったでしょうか」

「いいや、逆だよ。素晴らしい妃を得たと思っている。自ら馬で駆けてまで嫁入りを果たしてくれた妃など、後にも先にもおらぬだろう」

 リクたちの胸中などおかまいなく、おふたりは実に新婚夫婦らしい甘やかな会話を繰り広げている。「リーザ」などという愛称で呼ばれ、頬を夕陽に染められたように赤くする殿下の姿を、リクはいささか複雑な思いで眺めざるを得なかった。リクですらそうなのだから長年仕えてきたジークとハンナの心中はいかばかりか。そう思って、そっとふたりに視線を送ろうとしたが、途中でガイの顔が目に入ってしまった。

「……うっわ……」

 誰にも聞こえないように、リクは小声で呟く。内心を少しも隠す気のないニヤニヤした笑い顔がそこにあった。

「まったく」

 ふう、と息をついて、ソールが呆れたような笑いを滲ませた。リクたち宝石の名の従者をぐるりと見回す。

「揃いも揃ってそう物言いたげな顔をしてくれるな。この様子で察してはくれぬのか? そなたらの大切な主人は、俺にとっても大切な妃なのだ」

 ジーク、ハンナ、ルカが息を飲んだ。リクは少し首を傾げ、少し遅れてハッとした。つまり、ソールは、殿下の秘密をすでに知っているということなのではないか。それについて考えを巡らす前に、リクは、ソールの隣で涼しい顔をしている殿下の首筋に目をとめてしまった。

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