第14話 血

 細い月と、無数の星だけが光源だった。リクは職業柄、夜目がきくけれど、それでもかすかな表情の変化まではわかり得ない。すぐ隣にいるルカがどのような顔色でいるのかを探るのはそうそうにやめ、リクは月の輪郭を視線でなぞった。

「私の母は、とあるお屋敷の下働きをしていました。性格も背格好も骨太で、良くいえば豪胆、悪くいえばガサツな女性でした。そんな母の、どこを気に入ったものか……。そのお屋敷の主人のお手付きとなりましてね。生まれたのが、私です」

「ははあ……、どーりで違うと思った」

 リクは得心がいって、何度も頷いてしまった。

「違う?」

「うん。物腰も、言葉遣いも、俺たちとは違うな、って思ってたんだ、ずっと」

 それは、武人大会で相対したときから感じていたことだった。ルカからはずっと、気品のようなものが発せられていて、リクやガイとはまったく違う種類の人間だと思わされた。どちらかというと、殿下に近い人間なのではないか、というような、そういう。

「違うはずだね。ルカには貴族の血が流れていたんだな」

「……血、ですか……」

 ルカが、ふ、と微笑んだ気配がした。笑みというよりはため息に近いものだった。

「どんな血が流れているのか、知りはしません。殿下よりシトリンの名を頂戴する前の、私の名前はルカ・イーヴリス。ユーツレク地方の下級貴族イーヴリス家の出身……、ということになっています。けれど、私の中にイーヴリスの血は一滴も流れてはいません」

「え」

「母に手を付けた男は、母が私を身籠ると出産を待たずに屋敷から追い出したんです。正確には、自分の指図に文句を言わない相手に押しつけた。下げ渡す、などと呼ぶそうです。下げ渡す。人間の女を、まるで物のように。それも、身重の女を」

 吐き捨てるような語気でルカが語るのを、リクは黙って聞いていた。ここで差し挟むべき言葉は、たぶんこの世に存在しない。

「母と私にとって幸いだったのは、義父であるイーヴリス氏に良心があったことです。自分の子ではない私を殺すことなく、母を冷遇することなく、一家に迎え入れてくれた。私がそれなりの教育を受けられたのも、義父のおかげです。私は義父に感謝しています。ですから……、母が義父の子を産んだとき、私はイーヴリスの家を出ました。私は、私は、どうしても、ソール・サリードラ卿に心を寄せてしまうのです。血筋に振り回されている彼のことを。私と似たような境遇である、などと申すのはおこがましいとわかっていますが、それでも。血筋。血統。血。血。ああ、本当にバカバカしい。そんなものがなんだというのか」

 ルカはどんどん早口になり、不意に、言葉を詰まらせた。泣いているのだろうかと、リクはこっそり息を飲む。婚礼の儀の最中、昔を思い出して、と顔色を悪くしていた姿が脳裏をよぎった。

「……せめて、この婚礼が……、殿下と閣下のご結婚が、不幸なものとならないことを願います。私は……、私の母は……、いえ、これはもう、やめておきましょう」

 ゆっくりと呼吸を整え、ルカは立ち上がった。

「つまらない話をしてしまってすみません。暇つぶしにもならなかったかもしれませんね」

「いや、そんなことはないんだけど。俺が聞いても良かったことなのかな」

「良いも何も。私が勝手に話したんですよ。……聞いてくださってありがとうございました」

 ルカが微笑んだようだった。今度はため息ではなく本当に笑っているのだろうと、リクには感じられた。

「さて。そろそろ中の騒ぎも落ち着いたでしょう。戻りましょうか」

「あ、うん……、あの、さ、ルカ」

「はい?」

 すっかり落ち着きを取り戻したルカを、リクは立ち上がりつつ呼びとめた。

「さっきの、話の中で、ソール・サリードラ卿が血筋に振り回されてる、って言ってたけど……、あれはどういう意味?」

 気にはなりつつも、あの瞬間には尋ねることのできなかったことだった。ルカは、ああ、と少し意外そうに答える。

「ガーネットは知らなかったのですね。ソール・サリードラ卿の母君は庶民の出身で……、まあ、いわゆる、妾という立場の方なのですよ」

 ルカは何でもないことのように告げて、裏庭を出て行った。何でもないことにしたいのだろうと、リクは、そう思ってしまった。

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