第13話 暇つぶし
どっと疲れが押し寄せるのを感じながら、リクはホウタツとともに宝石箱こと従者の館へ戻った。館にはガイとルカが待ち構えていて、ガイはニヤニヤと「とんでもないことになったらしいな」などと言っておもしろがっていた。ルカのほうはといえば、心配そうに眉を曇らせている。
「とりあえず、俺たちにできることはもうないわけだね」
リクは肩をすくめ、自室へ引き上げた。考えたいことはやまほどあったけれど、とにかく疲れていた。そもそもリクが得意とするのは戦働きであって、これまで煌びやかな場には縁遠い生活をしてきたのだから、まずはこうした環境に身を置くということに慣れるところから始めなければならなかったのだ。それが、貴族の婚礼儀式などという最高難易度の行事に初手から突っ込むことになった……。肉体の疲労とはまったく別のものに苛まれている気がして、リクは柄にもなくそんな弱音を胸中に渦巻かせた。
「豪気な領主サマだった、が……」
ばたり、と寝床に身を横たえながら、リクはソール・サリードラの顔を思い浮かべた。来賓客が口さがなく噂話をしていたところから想像できる姿とは大きく差があるように思われてならない。しかし、彼がどういう人物であるかという判断を下せるほどの情報は得られていないわけで、つまりはまだ何もわからないに等しい。ただ、なんとなく、あくまでもなんとなく……、ソールならば殿下を悪いようにはしないのではないか、という気がリクにはした。
そんなことを考えているうちに眠ってしまったらしい。リクは大きな物音と罵声によって叩き起こされた。
「なんということをなさったんです!!」
「ご提案くださったのは閣下だ」
「それを言い訳にするんですか、恥知らずな!!」
罵声はハンナとジークのもので、兄妹喧嘩の続きを始めたらしいことは明白だった。どうやらジークは本当にソールを縛り上げてきたようだ。
「はー。どうしよっかなぁ」
喧嘩を止めに行くかどうか、リクは少しだけ迷って……、やめた。止めに入ったところで穏便に済むような気はしない。とはいえ、このまま部屋で騒音にさらされ続けるのも嫌だと思い、リクは部屋の窓を開けた。すっかり日の落ちた、濃紺の空が見える。二階であることをものともせず、窓から館の裏庭に降りる。すぅ、と通り過ぎた風が、リクの首筋を冷やした。
ふと、リクの胸にひとつの考えが浮かぶ。この夜陰にまぎれて、あの寝室の様子を窺いに行ってはどうか、と。隣室までならば方法はなくはない。そう思って、足を踏み出しかけて。
リクは、ふ、と力を抜いた。口の端に意味のない笑みを浮かべたとき。
「およしなさい」
リクの背に、声がかかった。誰かが近づいてきているのは察していたから、別段驚きはしない。
「およしになるところだったんだ」
振り向きつつ冗談めかしてリクが告げると、ルカ・シトリンは淡く微笑んだ。
「ルカも、中の騒ぎにうんざりして出てきた?」
「ええ、まあ……。たぶんそのうち静かになるだろうとは思いますが」
「というと?」
「水差しに、ユースイ草の汁を入れてきました。この草は、人間が食べると眠くなりやすいのです。言い争いや殴り合いに疲れた頃合いで、ふたりのうちのどちらかは口にするでしょう。片方でも眠ってしまえば、喧嘩はできません」
リクはぽかん、とルカの顔を眺めた。
「すげーことするなー」
「あのまま放っておけば、どちらも無傷では済みそうにありませんでしたし、オニキスまで加わりかねませんでしたから」
「うーん、そうかもしれないけどそういうことじゃなく……、ってかガイのやつ完全に面白がってんな」
「オニキスとガーネットは旧知の仲なのですね」
「そんな洒落たものじゃないよ。ただの仕事仲間……、でもないな、顔見知りってとこ」
旧知だとか仲間だとか友だとか、そうした湿度の高い言葉は当てはまらない。いつだって自分の利益が優先で、つまりは利害が一致したときにだけ行動をともにする。ガイとリクの関係性はそうしたものだ。
「そうですか。傭兵、と仰っていましたか」
「まあ、そんなとこ。ルカは今まで何を……、ああ、別に話さなくてもいいけど」
さらりと手を振りつつ、リクは裏庭を見回して、近くの花壇の端に座った。もっとマシな場所があったかもしれないとは思うが、暗い中を探し回るほどのことでもないし、館の中よりは充分マシだ。
「いい機会ですから、聞いていただけますか」
ルカがリクの隣に腰を下ろす。少々意外な心持がしてリクは横目で彼を見た。
「喧嘩が終わるまでの暇つぶしにでも」
ルカは同じく横目でリクを見返し、再び淡く微笑んだ。
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