第12話 提案
睨みあう兄妹は、どちらも瞬く間に冷静さを手放したように、リクには見えた。得物を取り出すようなことになればさすがに止めに入ろう、と思いつつ、ふと、自分の故郷のことが頭をかすめた。リクの生家は、貧しかった。貧しかったのに、子どもは多かった。いや、子どもが多かったから貧しかった、のだろうか。とにかく、兄弟は大勢いた。けれど、リクが思い出せる限りでは、喧嘩と呼べるようなものをしたことはない。
「あれは、喧嘩じゃなかった」
ぼそりと呟くと、ホウタツが顔を向けた。
「ん?」
「ああ、いや、なんでもない」
苦笑して、リクは首を横に振る。リクの生家では、腕っぷしの強い年長者が体の小さな年少者をねじ伏せるのが常だった、というだけのことだ。珍しくもないし面白くもない。つまり、他人に語るような話ではない。
「お前はいつもそうだ、感情を抑えきれずに合理的な判断ができない」
「いつもそうだ、というのであれば、お兄さまだっていつもそうです。合理性を優先させて大局を見誤る」
ジークとハンナの口論は、早々に本筋を外れたものとなっていたが、おそらく本人たちはその事実に気が付いていないのであろうと思われた。
「頃合いを見て割って入るしかないかー」
「ま、そーねえ」
リクとネイが呟きつつ目の端で頷きあった、その視界の端に。ちらり、と光が閃いた。
「ずいぶんと賑やかだ」
どこか甘さを感じさせる低い声が差し込まれ、ジークとハンナが背を強張らせて声の主を振り仰いだ。
声の主は、正装に勲章をいくつも下げ、すらりと背筋よく立っていた。まじまじとたしかめるまでもない。リードラ公……、ソール・サリードラそのひとである。傍らには、妃であるエリザベータ殿下の姿もある。リクたちは一斉に、その場に膝を折った。
「華々しい祝いの日だ。賑やかなのは良いことだが、場所がちょっとなあ。この扉は俺たちの寝所のもののはずなんだが?」
どこか面白そうにソールがジークとハンナを見比べる。貴族にしてはずいぶんと砕けた物言いだな、とリクは顔を伏せたまま思った。
「は……、申し訳ございません……」
「大変なご無礼を」
ジークとハンナが固い声で詫びると、それに続くように殿下が頭を下げた気配がした。兄妹が同時に息を飲むのが、リクにもはっきりと伝わってくる。
「わたくしの従者が分をわきまえぬ行いを致しましたこと、心よりお詫び申し上げます」
「いや、そう深刻になることはないさ。宝石とは持ち主の身を飾るためにあるもの。その持ち主の身が汚されるとなれば必死にもなろう」
あくまでもリクたちのことを「宝石」として扱う姿勢には独特な美意識と粋を感じるが、その実、セリフの内容は明け透けに過ぎるのではないかと思われてリクはこっそりと苦笑した。
「まあつまり、この賑やかさの原因を俺は知っている、ということだ、宝石の諸君。そこで問いたいが、諸君らは何をどうしたら満足する?」
ソールの声がいっそう面白そうな色を帯びた。ジークがそっと息を整えている。
「……申し上げてもよろしいのですか」
「お兄さま」
「うん、よろしいから訊いている。まあまずは面を上げよ」
ハンナの制止は耳に入らぬというように、ジークが顔を上げる。見える範囲で様子を窺おうと、リクも少しだけ視線を動かした。
「では、恐れながら申し上げます。今宵、こちらの寝室にわたくしも控えさせていただきたくお願いいたします」
「サファイア」
「お兄さま!」
静かに叱責の声を出した殿下と、悲鳴のように兄を呼ぶハンナに、ソールが少し笑う。
「よかろう。……と、言いたいところだが……」
ソールがちらりと殿下に視線を送ると、殿下は形のよい眉をきゅっと吊り上げ、きっぱりと首を横に振った。
「わたくしは嫌です」
「だろうな。……と、いうことだ。我が妃が良しとしないことを、俺もしたくはない。そこで提案なのだが」
リクは許されてもいないのに思わず顔を上げた。ソールの双眸とぶつかって、慌てて頭を下げなおそうとしたが、彼は構わん、と言うように手を振って、むしろ自分に注目せよとばかりに一同を見回してから、ジークを見つめた。
「まずは、そなたも共に寝室へ入ろう。その後、俺を、そなたが安心できる状態にしてから出てゆくといい。たとえば……、縛り上げるとかな」
「閣下!」
とんでもない提案をするソールに、さしもの殿下も慌てたらしく、声を大きくして詰め寄るように見上げた。
「よい。俺の何に怯えているのか知らんが、ここで憂いを払っておかねばこの先安心して眠れんだろう。毎夜寝室の前で騒がれても困る」
「ですが」
「他に良い手があれば聞くが?」
「それは……」
殿下が困り顔で夫となったばかりのソール・サリードラと、長年の従者であるジーク・サファイアを見比べている。この表情が本心によるものか演技であるのか、リクにはわかりかねた。
「ご配慮に感謝いたします。そのご提案通りにさせていただきたくお願いいたします」
ジークが深々と頭を下げ、ソールは笑って頷いた。ジークの隣では、ハンナが蒼白な顔をしていた。
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