第10話 昔のかけら
磨き上げられた床、そこに反射する煌びやかな広間の明かり、弦楽器が奏でる旋律に混ざる銀食器の触れ合う音、できたての肉料理が放つ香ばしさ。
祝宴は、それらが見事な調和を生み出し、華やかにして円滑に催された。特に心配すべき事態にはならなさそうだと「宝石たち」の誰もがそう感じている中で、ひとりだけ、複雑な思いを胸に抱いているがごとく表情を曇らせている男がいた。
「ルカ……、シトリン。顔色が悪いが大丈夫?」
広間の扉のひとつを警護する衛兵として立つルカに、侍女姿のリクが人目を気にしつつ身を寄せてきた。
「え、ええ、大丈夫です」
「……」
リクはルカの返事を聞いてもなお、疑う視線を向けた。ルカの様子には、昨夜から気になっていたのである。ルカはかすかに苦笑した。心配をされたくないのであれば、感情を表に出さないようにする訓練をした方がいいだろう。
「本当に、大丈夫です。少し昔を思い出してしまっただけなんです。それより……、先ほど、殿下の周りに何か変化があったようですが、そちらの方こそ大丈夫だったのですか」
「ああ、うん。王太子殿下と話をしていただけみたい。一応、俺が傍に控えてたけど何事もなかった」
会話の大半を耳にしていたことは、ひとまずここでは伏せ、リクはルカにそう伝え、そっと広間の中に戻った。殿下の御身に何事もなかったのは事実だし、あまり長々と話しているわけにはいかない。宴はもうまもなくお開きとなり、リクやルカたちにとって本当に警戒をしなければならない時間がやってくるのだから。
正直なところ、リクはあまり乗り気ではなかった。ジークの主張はもっともだと思うし、これが自分の仕事であると心得ているから、不満などはないけれど。ルカの様子がおかしいのは、リクと同じような気持ちであるからだろうかと思ったのだけれど、どうやら違ったらしい。
「昔、ね……」
殿下の嫁入り道具たちの中に、ワケありでない者などいるはずもない。だがそのワケそのものについて、リクは特に積極的に知ってゆこうとは考えなかった。ルカ自身が話したくなったら話すだろう。
リクが広間の壁に沿うように移動していると、給仕がひとり近づいてきた。ジークだ。
「ガーネット。そろそろ」
目を合わせずにそれだけを告げて、ジークは去った。傍目にはふたりがすれ違ったようにしか見えなかったろう。こうした身のこなしや、裏工作といった分野において、リクはとてもジークやハンナに敵う気がしなかった。この兄妹がこれまでどのようなことに心を砕き、いかにして殿下に尽くしてきたか垣間見えるというものだ。
広間をあとにしつつ、リクはふと思った。ジークがこのようにして陰ながら殿下を守ろうとしているということは、ハンナも同じような行動を取っている可能性が高いのではないかだろうか、と。今夜の計画において、ジークはハンナと連携しているわけではないようだから。
「昔から、ハンナは殿下に甘いんだ」
作戦会議の際にジークがそう話していたことを思い出す。
「従者とは、主人の命に絶対に従うもの。けれど、その命に従うことで主人の命が危うくなるのであれば、優先させるべきは命だ。……もちろんそれは、ハンナもわかっていることなのだけれど、あの子はときに殿下の意向を優先させるんだ」
あのとき、そっか、と頷きはしたけれど、リクはそれ以上何も言わなかった。ジークにこのような意見があるように、ハンナにはハンナの言い分があるだろう。同じく、昔から、で始まるような、そんな。
「……昔から、ね……」
さっきもそんなことを呟いたな、などと思いつつ足早に移動する。使用人のほとんどが宴席に駆り出されている今のうちから、寝所の隣の部屋に入り込んでおくのがリクとホウタツに割り振られた役目である。まもなく、ホウタツとの合流予定点だ。
「ガーネット」
はたして、予定通りの地点にホウタツはいた。けれど、そこにいたのはホウタツだけではなかった。
「はい、ご苦労様、覗き魔ども」
ふん、と顎を上げてリクを睨むのは、ネイ・アメジストだった。
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