第9話 初対面の兄妹
リクは、ふたりが入ると思われる部屋に目星をつけて先回りをした。飾り棚の中が空っぽなのを確認し、体をねじ込む。服の裾がはみ出さないよう細心の注意を払って戸を閉めた。目算を誤っており、別の部屋に入られたらリクは役立たずとなるのだが、それはどの部屋へ入るかを見守ってから行動することにしても同じことである。
「どうぞ、こちらへ」
「すみません、無理を言って」
「いいえ、なんということはございませんわ」
扉の開く音と殿下たちの声が聞こえ、リクは胸を撫でおろした。読みは当たっていたらしい。
「けれど、このように人払いまでなさって、どのようなお話がございますの、アレクサンドルお兄さま」
リクは、すっと息を飲んだ。わかってはいたことだが、殿下を連れ出したのは王太子・アレクサンドルであったのだ。
「いや、そう身構えることはないのですよ。エリザベータとは、兄妹とはいえ初対面ですし……、人前では何かと話しづらいこともあろうかと思ったのですよ」
「初対面。ふふふ、そうですわね。世間では奇異なことでしょうけれど、皇族においては当然のことでございますものね。お会いできて本当に嬉しゅうございますわ」
「私もとても嬉しいよ。生涯、顔を合わせない者同士もいるだろうから……、いや、そうしたことの方が多いでしょうね、きっと」
ふたりの会話は穏やかだった。少なくとも、その内容は。けれど、殿下の声には隠し切れない緊張がうかがえたし、アレクサンドルの言葉はどこかザラついているように、リクには感じられた。どこがどう、とはいえないのだが、ともすればそれは棘に変わりそうな、そんな。
「そうですわね。わたくしも、リードラへ嫁ぐことがなければこうしてアレクサンドルお兄さまと対面することなどなかったのではないかと思いますわ」
「そうかもしれませんね。……エリザベータ、ひとつ、尋ねたいのですが」
「はい、なんでございましょう」
「リードラへの降嫁に自ら手を挙げたのは、なぜです?」
棘に変わった、と、リクは思った。柔らかだけれど鋭利な、艶やかな花をつける植物がその身に有しているような。
「それは……、帝国のお役に立ちたいと思ったからですわ」
「ほう……」
アレクサンドルが感嘆の声を上げた。
「降嫁が帝国の役に立つ、とは、具体的には?」
「皇族と地方の公家に婚姻による繋がりができることは、政治や経済を連携させるきっかけになりますわ。帝国のさらなる発展を、わたくしが手伝えることができるのであれば、それは無上の喜びというもの」
「なるほど。それは実に……、美しい答えですね」
リクの背に、ぞくりとしたものが走った。なんだこれは、と両手を握りしめる。反射的に闘志のようなものを発してしまわないよう、ぐっとこらえる。こうした制御ができない者から死んでゆくのだ。
「少し話しただけでわかりました。エリザベータ、あなたはとても賢いひとですね」
「え……、そんな。アレクサンドルお兄さまにそのようにお褒めいただけるとは思っていませんでしたわ」
「ですから、きっとわかっているのだと思うのですよ。降嫁が帝国の役に立つ、ということの本当の意味を」
「本当の、意味……?」
殿下の緊張度が、増した。
「エリザベータ。婚姻は、架け橋となるのですよ。公家の反乱を、未然に防ぐための」
「反、乱……?」
「誤解しないでもらいたいのだけれど、現時点でリードラ公の反乱を疑っているわけではないのですよ。ただ……、どのようなことにも絶対はないのです。いつ、何が起こるかわかりませんからね。ですから……、エリザベータ。リードラ公をしっかりと見張っておくのですよ」
「見張る……」
殿下はおそらく、顔が引きつらないよう必死に不安げで心細そうな表情をして見せているだろう。リクにはその様子がありありと目に浮かんだ。
「わ、わかりました。帝国の平和のためになるのですから、わたくしの力が及ぶ限り、つとめさせていただきますわ」
「そうですか。……私は幸せですね。このように賢い妹がいて」
アレクサンドルが、ぐっと身を乗り出した気配がした。リクも、そっと身構える。
「私たちは……、………………なのですから」
「っ」
殿下が、息を詰めた。アレクサンドルが何か囁いたようなのだが、リクには聞こえなかった。
「さて。そろそろ宴が始まりますね。花嫁を私がひとりじめしていてはいけない。参りましょうか」
「……はい。どうぞ、お先においでになってください。わたくしは、少々身支度がございますので……」
「ああ、そうでしたか。では、お先に失礼しましょう」
こころなしか震えているように聞こえる殿下の声とは対照的に、アレクサンドルは平然としていた。優雅な足取りで部屋を出てゆく。部屋の戸がぱたり、と閉じたとき。
「は……」
息を吐きながらしぼむように、殿下がその場にへたり込んだ。
「殿下!」
リクは棚から飛び出し、婚礼衣装のままの肩を支えた。殿下はびくりと身構えたが、リクの顔を見ると力を抜いた。
「ああ、リク……ガーネットか」
「すみません、忍んでいました。大丈夫ですか」
殿下が自分を呼んだ声が、「皇女」のものではなくなっていることに気がつきつつ、リクはつとめて落ち着いた様子をして見せた。
「だいじょうぶ……、うん、大丈夫かな。いや、大丈夫じゃないかも」
乾いた笑いまじりに殿下が呟く。そろそろと動かされた手が震えていて、リクは思わずその手を取った。
「なあ、リク。私には、あんな兄がいたのだね。あんな……、恐ろしい兄が」
「恐ろしい……」
「うん。恐ろしいひとだ……、アレクサンドルお兄さまは」
殿下の手が、リクの手を痛いほどに握った。
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