第6話 乙女の約束

 女同士の話、とはいったい何であろうかと、ネイは少しどきどきした。それは楽しそうな話題への期待感でもあったけれど、手にしているカップを落としはしないかという緊張感でもあった。繊細な筆致で花が描かれているカップは上等に違いなく、ネイにはその価値を想像することすらできない。

「オパール、頼んでいたことは調べてくれたかしら」

「はい。隣室にて立ち位置や姿勢を様々に変え、耳をすましておりましたが、殿下とアメジストの会話は少しも聞こえませんでした」

「壁に耳をつけても?」

「はい。声がしている、という程度は感じることができましたが、内容まではわかりかねました」

「何か特殊な道具を使用した場合は?」

「きわめて精度の高い道具であれば、あるいは……。しかしながら、難易度は非常に高いと考えます」

「なるほど、よくわかりました。ありがとう」

 殿下は満足そうに頷いたけれど、ネイはただぽかんとするばかりであった。ちらりとハンナに視線を送ったけれど、何も教えてはくれない。

「オパールに調べてもらったのは、盗み聞きのしやすさなの」

「盗み聞き、ですか?」

「そう。あ、わたくしがするんじゃなくってよ」

 鈴をころがすような声で、殿下が笑う。このひとが、本当は声変りを終えた男なのだということを、いったい誰が信じるだろうか、とネイは思ってしまう。

「調べてもらった理由は、わたくしとソール様の初夜の様子を盗み聞きしようとする不埒者に対処するため」

 初夜。その言葉にネイが目を見張るのと同時に、ネイの隣からぶわりと熱がほとばしった。

「そのような者!」

 ハンナが、両目を燃え上がらせていた。その姿はまるで、全身の毛を逆立てた猫のようである。

「わたくしが決して許しません!」

「ありがとう、オパール。でも、その不埒者があなたの兄であったら?」

「なっ……、失礼ながら殿下、兄が、ジー……、サファイアが、そのような不埒な真似をするはずがございません」

「本当に?」

 殿下は静かに微笑んでいる。本当に、という問いかけには、疑いとはまったく違う思いが込められているようだった。

「オパール、あなたもわかっているはずですわ。わたくしとソール様が初夜に使用する寝室は、外部からの侵入に警戒はしていても、室内で何か起きるとは想定されていない、と」

 ハンナが、息を飲んで唇を引き結んだ。なるほど、とネイは内心で頷いた。初夜では、ソール・サリードラに対し、殿下にとっての第一級の秘密を明かさずにはいられないはずだ。ソール・サリードラがその秘密についてどのような反応を示すのかわからない以上、殿下を守る者たちとしては寝室の様子がわかるような状態で警戒にあたらなければならないと考えるのは当然といえる。だが、殿下自身は、それを望まないようだった。

「ソール様については、わたくしに考えがあると、皆に伝えたはずです」

「……はい。けれど、そのお考えをお聞かせいただけていません」

 一瞬は目を伏せてうつむいたハンナだったが、すぐにパッと顔を上げ、殿下に食い下がった。

「ごめんなさいね、それを話すことはできないの」

「わたくしにも、でございますか」

「ええ」

「殿下……!」

 ほとんど悲鳴のように、ハンナの声が響く。ネイはそっと息をついた。ハンナの気持ちはよくわかる。殿下のその「考え」が何であるかを知らぬまま、命の保証のない寝室に送り込むことはできない、と考えているのだろう。

「女には、秘密のひとつやふたつあるものじゃない?」

 ネイは、ハンナの切実なまなざしを眺めつつ、あえて気楽にそう言った。丁寧な言葉遣いは投げ捨てて。

「あ、アメジスト、あなたね……」

「女同士であれば、その秘密を尊重し合えるとお考えになったから、殿下はあたしたちに不埒者対策をしてほしい、っておっしゃってるんじゃないの?」

 叱責の姿勢に入ったハンナを遮って、ネイは続けた。女同士であると、殿下は最初にそう告げた。であるならば、その言葉をきちんと受け止めるのが臣下の役目だ。ハンナの両目が、大きく見開かれた。そうして見ると、彼女もまだ幼さを残しているのだな、とネイはこっそり思う。

「ありがとう、アメジスト」

 殿下が、にっこりした。なんと美しいひとだろう、と、ネイはまた、思った。

「お願い、オパール。わたくしを信じて、わたくしに協力して頂戴。約束するから。初夜を無事に乗り越えて、必ず朝を迎えると」

 ハンナをまっすぐに見る殿下の双眸からは、少年の光が消えていた。代わりに、ぞっとするほど深い、女の決意が見て取れた。ハンナは、少しだけ泣きそうな表情をしたあと、それをきれいに消して、しっかりと頷いた。

「かしこまりました。殿下を信じます。そして、お約束いたします。必ず、殿下のご意向をお守りすると」

「もちろん、あたしも!」

 ネイは、ハンナの隣で大きく頷いた。繊細なカップをしっかりと両手で持ったままで。

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