第3話 箱の中

 これが宝石箱です、という言葉とともに、ひと棟の屋敷を示されたとき、ふたりの反応は対照的であった。リクは戸惑った表情をしつつその表情をなんとか隠そうとし、ジークは少しも遠慮することなくけらけら笑った。

「こちらを皆さまの住居としていただけたらと。少々古くはありますが、作りはしっかりしていますし、きちんと手入れもしてございます」

 ふたりに向かってそう説明するヴォルガは、にこやかに微笑んでいた。口髭を上品に整えた姿勢のよい男で、年のころは四十に手が届こうかというところだ。

「はい、それはもう一目見てわかります。とても素晴らしいお屋敷です。本当によろしいのですか、こんなよいところを我々が使っても?」

 軽快な笑いを喜びの声に変え、ジークがヴォルガに応じる。つくづく器用な男だ、とリクは内心で呟きつつ、目の前の建物を見上げた。リクには屋敷の価値などわからない。だから、この屋敷を拠点に戦うこととなったらどうしたらよいかを頭の中で組み立てた。「宝石箱」という名称が、リクたちを住まわせること以外の意味を持っているとすれば、ここはきわめて死に近い空間となるのだ。

「もちろんです、自由にお使いください。中をご案内いたしましょう」

「ありがとうございます」

 ヴォルガに続いてジークが屋敷に足を踏み入れ、リクもそれを追った。屋敷はヴォルガの言葉通り、古くはあるが手入れがゆき届いており、妙な仕掛けはなさそうだった。宮殿のような華美な装飾もなく、かなり実用的なつくりをしている。リクは物珍しそうな顔をつくってきょろきょろと屋敷内を見て回った。ヴォルガの説明を聞いているのは主にジークで、リクはそういう役割分担なのだろうと心得ていた。

「どうでしょう、何か不足があればお伺いしておきたいのですが」

「いいえ、まさか。不足どころか十分すぎるくらいですよ。ずいぶんな由緒のあるお屋敷なのでは?」

「いえいえ、由緒など、そんな大層なものは」

 ジークとヴォルガの会話を耳にだけは入れて、リクは窓のひとつに歩み寄った。窓の外を見物するようにして、素早く確認する。目の前には何があるか、光がどちらから差すか……、殿下のいる本殿はどの位置にあるか。

「そうそう、この屋敷ですが、皆さんの自由に改装していただいて構いませんので」

「改装、ですか?」

 ジークが戸惑うのを見て取って、ヴォルガは少し笑った。驚くのも無理はない、と言うように。

「古い屋敷ですからね。使い勝手を悪く感じることも出てくるでしょう。日々の生活についてもそうですが、あなた方の使命にかかわる部分でも」

「それは……」

「ご心配にはおよびません、ソール様の……、リードラ公の許可は出ていますから。と申しますか、そもそもリードラ公のご提案なのです」

「改装を許可することが、ですか?」

「ええ。必要な人員や資材はいつでも手配をしますから、遠慮なくおっしゃってください。さて……、そろそろ私は失礼させていただかなければ」

「ああ、お忙しいところをご案内いただいて申し訳ない」

 いまだ消すことのできていないであろう困惑を、ジークは実に綺麗に拭い去って礼を取った。ヴォルガは人のよさそうな笑顔でいやいや、と返す。

「どうぞ自由に見て回ってください。ここはもうあなた方のものだ。では」

 立ち去るヴォルガに、リクも慌てて礼を取る。リクとしてはヴォルガに対して特に警戒心を抱くべきとも考えていなかったのだが、ジークの困惑を見るとその認識を変えねばならないだろうか、とふと思った。

「改装かー。うーん、どう捉えるべきか」

 リクとふたりだけになった途端、ジークは言葉遣いをがらりと変えて腕を組む。

「何か裏があるかな?」

「わからないな。ただ、暗に『公妃殿下の部屋に通ずる道をつくってもよい』という意味を含んだんだと思うんだ。それはつまり、リードラの者を信用していないのはわかっているぞ、ということでもある……」

 ジークは半ば独り言のように語った。口調は軽快だが、目には強い光が宿る。

「……つくってもいい、っていうなら、つくっちゃえば?」

「え」

 自分でも驚くほど気楽な調子で、リクはそう口にしていた。ジークが目を丸くするのに合わせるつもりでもないのだが、自然、リクの目も丸くなる。柘榴の実のような色の瞳を持つ、切れ長の目が。

「あっはは、まあ、たしかに」

 大きく笑い声を上げたあと、ジークはぐるりと屋敷のなかを見回して呟いた。

「しかし、婚礼の日には間に合わないだろうなあ」

「あー、それは、まあ、そうだね……」

 リードラにて行われる婚礼の儀式。それはまさに、二日後に迫っているのである。

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