第2話 宝石箱
リードラは、帝都よりもいくらか暖かいようだった。それが本当に気温に由来するものかは、疑わしくもあるけれど。
エリザベータ皇女殿下および七名の「嫁入り道具たち」がリードラへ入って三日経つ。この三日間は、至極平穏に過ぎた。嫁入り前の緊張感や、嫁入り当日の危険な状況が嘘のように。
「しばらくは、のんびりしていられるでしょう。皆も体と心を休めなさい」
殿下は七名にそのように告げ、リードラ公妃のためにとあてがわれた部屋へこもった。まるで糸の切れた人形のように、ぐったりと眠り続けているという。
「気丈にふるまっておいででも、実のところはお疲れであったのでしょう」
現在、殿下のすぐ近くに仕えることを許されている、ハンナ・オパールが静かに語る。
「完全に警戒を解くことはできませんが、皇子女宮殿よりもこちらの方が安全であることはたしかです。殿下のお言葉どおり、皆も休んでください」
「でも、リードラ宮、ちょっと警備が薄すぎない? そりゃあ大きさは帝都の宮殿とは比べ物にならないけど、仮にも皇族が降嫁できるような領主の館でしょ?」
ネイ・アメジストが口を尖らせると、ジーク・サファイアがおもしろそうに笑った。
「いや、ここはこの警備体制だからこそ、治安が保たれているのだと思うよ」
「は? どういうことよ?」
「警備が薄いんじゃあなくて、風通しがいい、ってことさ」
眉を寄せたネイにそう返したのは、ガイ・オニキスだった。
「ここはそもそも、館といい、庭といい、どこかに隠れてこそこそするのにまるで向かない構造だ。加えて、出入りする連中は全員、お互いの顔と名前を認識していて、ただすれ違うだけでも声をかけあっている。礼をするに見せかけて、顔を伏せたまま歩きでもすればその方が目立つくらいだ。よそ者には、何事も非常にやりにくい環境になってるわけさ」
ふうん、と頷いてからネイは、はたと気がついたように瞬きをした。
「え、つまり、今いちばん目立ってるのってあたしたちってことじゃない?」
「まあ、そういうことになりますね」
ルカ・シトリンが苦笑しつつ頷く。
「くれぐれも、怪しまれるようなことは慎んでくださいね、アメジスト。我々の行動は殿下のご評判にかかわるのですから」
「わかってるわよ」
ハンナが身を乗り出して注意するのに、ネイはため息を飲み込むようにして返事をした。ハンナはそれに頷き返すと、そそくさと立ち去り、ネイも慌ててそれを追う。いくらリードラが安全であっても、殿下をひとりにしておくことはできない。
現在、殿下の部屋に立ち入ることを許されているのは、ハンナとネイだけである。リードラの侍女を使ってよい、とリードラ公からは告げられているのだが、殿下は「今は、まだご遠慮申し上げます」とだけ伝えて辞退している状態だ。
「……どうした、リク」
「……へ?」
皆のやりとりを黙って眺めていたリク・ガーネットは、同じく口を挟むことのなかったホウタツ・ジェイドに突然声をかけられ、呆けた返事をよこした。
「何か考えごとをしていたように見えたが」
「あー、いや、考えごとっていうか……」
「なんだよ、言ってみろよ」
言葉を濁すリクを、ガイが肘で小突く。背中になかなかの衝撃を受け、リクはガイを横目で睨んでから口を開いた。
「風通しがいいってことはたしかに敵が隠れにくいわけだけど、それってつまり、殿下が隠したいものも隠しにくいってことじゃないかと思ってさ。まあ……、俺がわざわざ言うまでもなく、皆気がついてるとは思うけど」
殿下が、隠したいもの。それはつまり、エリザベータ皇女の正体がアルテム皇子で……、性別を偽って嫁いできた、ということ。
「もちろん気がついているさ。でも、まあ、それについては殿下にお考えがおありのようだから。もうしばらく、待ってみよう」
にわかに緊張感の増した雰囲気の中で、ジークが微笑んだ。
「ところで……、今日は午後からヴォルガ殿のところへ行かないといけないんだ、誰かついてきてくれないか?」
ヴォルガ。たしか、リードラへ到着した日に顔を合わせた、ソール・サリードラの側近のひとりだったはず、とリクがつい三日前の記憶を探っていると。
「ガーネット。頼むよ」
ジークがリクの肩をつかんだ。
「え、俺? なんで?」
「ガーネットがいちばん似合いそうだから」
「似合いそう?」
ドレスを着させられたことが咄嗟に頭に浮かび、リクは警戒の色を隠さずにジークを見やった。ジークはその視線にかけらもひるむことなく笑っている。
「うん。ヴォルガ殿は、俺たちに宝石箱をくれるんだそうだ」
「宝石箱?」
ジークのセリフに、リクだけでなく全員が、首を傾げた。殿下より宝石の名を賜った男たち全員が。
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