皇子殿下の嫁入り道具 リードラ編
紺堂 カヤ
第1話 窓の外
空から降りそそぐ光は、いつも鈍い。
強烈な太陽の光というものを、ロード帝国に生きる者たちは知らない。そこに貧富の差は関係なく、自然の摂理というものはたとえ皇族といえど覆せぬのである。王宮の窓から見える空も、特に晴れやかとはいえない。
王宮の窓の前に立つのは、そんな空の雲を切り裂きそうな威圧感を持つ男だった。宝石のように澄んだ青い目を持ち、白皙は金の髪でふちどられ、実に優美な容貌でありながら、彼の持つ苛烈さはその優美な印象をたやすく裏切る。
アレクサンドル皇子。今年、ロード帝国の王太子となった彼が皇子女宮殿を出て皇帝宮殿に出入りするようになってから、王宮の雰囲気は少しずつ変化しているようだった。
「失礼いたします、殿下」
アレクサンドルの背に、ひとりの将校が挨拶をした。軍靴をぴしりと揃え、敬礼している。
「やあ、大佐。何か用かな」
振り返りながらアレクサンドルが微笑んだ。そのよく通る声は、軽い挨拶であっても相手に緊張を与える。大佐、と呼ばれた人物……、サルニコフ大佐も、自分の背中が強張るのを感じていた。
「はっ。調査のご報告に参りました」
「調査? ああ、大会の件ですね。うかがいましょう」
「は……、例の武人大会、殿下のご依頼どおり、主催者が誰なのかを調べました。その結果……、ムソルグスキー卿が申請したとのことでございまして」
「ムソルグスキー卿?」
アレクサンドルの両目がスッと細められる。サルニコフはそれだけで冷や汗が出るような心地がした。
「けれど……、たしか昨年から寝込みがちであるらしいと聞いていますが?」
「はい。我々も妙だと思いまして、ムソルグスキー卿本人に尋ねるべく手配をしております」
「なるほど。わかりました。引き続き頼みます」
「は」
サルニコフが再度敬礼し、踵を返しかけると、アレクサンドルは静かに手招きをしてそれを引きとめた。
「大佐。あの空は、何色に見えますか」
「……空、でございますか」
遠慮がちに窓に近づき、サルニコフはアレクサンドルが促すままに空を見上げた。
「白……、でしょうか。いえ、灰……?」
「やはり、そのように見えますか」
「は……」
アレクサンドルの言葉には感嘆も落胆もなく、サルニコフは困惑した。何を意図した質問であったのか、読み取れない。
「リードラの空も、同じ色をしているでしょうか」
「リードラ、でございますか」
リードラ。ロード帝国の西端に位置し、代々サリードラ家が治めている地である。代々とはいえ、その年月は百年に満たない。もとはリードラ王国という独立国家であったのを、ロザレフ帝の時代に併合したのである。現在の領主、ソール・サリードラは、昨年、隣接するロベーヌの民衆反乱を鎮圧。その功績を称えられ、皇帝の息女であるエリザベータ皇女を妃として迎えることを許された。
「エリザベータが嫁して三日経ちますか……。リードラでの婚礼は、そろそろでしたね?」
「四日後でございます」
つい三日前、エリザベータは帝都サラートペテルークを出てリードラへ嫁した。婚礼の儀式や祝宴は、嫁ぎ先で行うのがロード帝国のならわしである。アレクサンドルも参列する予定となっており、二日後にはリードラへ向かう。
「楽しみだな。我が妹はずいぶんな美女であるそうですよ」
「は……」
なんと答えてよいかわからず、サルニコフは礼をするにとどめた。皇子や皇女の顔を、兄妹であるアレクサンドルが知らずにいる。それどころか皇帝陛下もご存じではないという。なぜそのようなことになっているのか、誰もわかっていない。
「エリザベータに会うのも楽しみだが、ソール・サリードラに会うのも楽しみだな。たった一滴の血すらも流すことなく、ロベーヌの反乱を鎮めた……、興味深いと思いませんか?」
「誠に驚くべきことかと。どのようにして成し得たのか、見当もつきません」
「どのようにして……、ですか」
アレクサンドルがふっと笑みをもらした。軽やかな笑みであると同時にひどく冷ややかで、サルニコフはぞっとする思いで息を飲んだ。
「私は、どのように、ということよりも、どうして、ということの方が気になりますね」
「どうして、でございますか」
「ええ」
アレクサンドルは再度、窓から空を見上げた。
「安易な方法を捨て、困難な道を選ぶとき、そこには必ず何らかの理由が存在しているはずです。その理由は、ときに……」
そこで言葉を切り、アレクサンドルは空を見つめ続けた。その視線の先に何があるのか、サルニコフにはとても、想像しえない。
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