第2話
西新橋にあるTCTに着いたのは午前一時半を少し過ぎていた。
早朝から深夜まで働いているテレビ局は、こんな時間でも社屋全体が明るい。タクシーが地下駐車場の車寄せに止まると電話をかけてきた野口が待っていた。
「すいません急にお呼びだてして」
さっき電話で話した時の情緒不安定ぶりに比べると、ずいぶんとまともな出迎えだった。久しぶりに会ったが、細身のスーツを着こなし想像よりスマートな印象を持った。
野口は丁寧に自分の名刺を差し挨拶した。肩書はプロデューサーに出世していた。
「山崎さん早速会議室にご案内します。富田もお待ちしてます」
「えっ、富田さんってチーフプロデューサーの?」
「はい、そうです」
「それ事前に言ってほしかったわ」
これは、仕組まれた騙し打ちだ。
富田はTCTのドラマ部門のトップに立つ男で、数々のヒットドラマを出したプロデューサーだ。百キロはありそうな巨漢で黒ぶち眼鏡をかけていた。私が淡路のサブライターをしていた時に、書いたものを見て「エモーションを全く感じない。見たくなるキャラがない、テーマが凡庸、何を書きたいかも伝わらない、いいところが一つもない」とボロボロにけなし、それが今もわたしのトラウマになっている。どんなけ偉かろうが会いたくない人物の一人だ。いると分かっていたら来なかった。
野口は早く荷物を渡して楽になりたい配達員のようにソワソワとその富田が待つ会議室へ私を先導した。入った部屋は思いのほか広く、すでに十名くらいのスタッフが疲れ切った顔で詰めていた。午前一時過ぎの会議室は煮詰まったいやな空気が充満していた。ささくれだった顔が一斉にこちらに注目したが、知らない顔だと思うと興味を失ったようにまた目線をそらせた。ホワイトボードを背負って見覚えのある巨漢、殺し屋の目をした富田が座っていた。
富田は私の方をみると小さく頷き「俺は今からこちらの先生と作戦会議をしますので、皆さんは連絡があるまで一旦解散ということでよろしく」と会議室のメンバーに言った。
その声を合図に会議室にいたスタッフは席をたった。雰囲気からしてドラマの現場スタッフであろう。ほっとした表情を浮かべて席を立つ者、猜疑心のある目つきで出ていく者、確実に何か事件が起きた後だ。
富田は私を空いた近くの席に座らせた。
「ミナちゃん、ほんと急にごめんね。でもこれはある意味チャンスだから」
三十過ぎた私を名前でちゃんづけする。この感じ懐かしいけどほんとやだなぁ。同時に上から目線のマウント、完全インテリヤクザの手口だ。
「それで、だいたいのことは野口から聞いてくれたかな?」
携帯をいじりながら富田は当然のように聞いた。
「いいえ、ほぼ何も聞かずに呼び出されています」
あくまでもこちらはお願いされて来た一般人であることを相手に強調しておかなくては。
「なんだよグチ、ちゃんと説明しろって言っただろう、それと先生にコーヒーとお菓子早く出さないかぁ」
また出た、野口をグチと略して呼ぶこの古さと恫喝スタンス。
「すいません」野口は異様に恐縮している。この上下関係が彼の情緒に影響を与えているようだ。
「では、ミナちゃんが知っていることは?」
富田は冷たい目で私を見据えた。
「淡路先生がいなくなったというくらいです」
「本当に困ったことになった」と、いうと富田は『何が、どう、本当に困っているのか』を一方的に話し始めた。話の節々に自己弁護と自慢ひけらかしが混じるので要約すると次のようになる。
TCTテレビの金曜九時枠は視聴者の高齢化、若者のテレビ離れという二重苦の中で最近五年ほどは厳しい状況となり、タイムテーブル上のお荷物となっていた。そこで枠の立て直しとして「金曜の夜はポリス&ドクター!」というキャッチコピーで昨年再ブランディングされた。
「学校、恋愛、会社、家庭など共同体の問題」を乗り越えた高齢者世代が最後にたどりつく興味「誰が殺したか?」と「健康と病気」にジャンル特化したドラマ企画枠となった。
その流れで今年の十月期は「医療モノ原作」で進んでいたが、「医療界のタブーに挑む姿勢を貫いて欲しい」原作者の思いと、「ヒロイックにカタルシスが欲しい」主演俳優事務所の要求とが折り合わず放送三か月前に破綻。別企画へ方向転換されたが有力キャストや人気脚本家は捕まらず、そこで急遽起用されたのが淡路十三だった。新鮮味がないことから仕事が減っていた淡路は久々の連ドラに奮起して『超心理捜査』という企画をオリジナルで作った。それをプロデューサーの富田が短期間の内にごり押しで通した。経緯からして『穴埋め企画」感が強く、負け戦の匂いが濃厚だ。その敗戦処理的立場にプロデューサーとして抜擢されたのが三十歳の野口だった。
富田は続ける。
「最初は俺も本打ちに入って、クランクインまでには台本四冊揃っていたんだ。でもね、俺が別件の単発で忙しくなり始めた六話目あたりから本が遅れはじめた。七話が上がったのは撮影一か月を切ってから。その後も淡路さんは締め切りを伸ばし、八話はスタッフ不眠不休、九話がやっと上がったのが放送一週間前。美術に俺が無理をお願いして何とか撮り切った。当初は十二月十日にオールアップ、二十日に『最終回放送と打ち上げ』という余裕を持ったスケジュールを組んでいたんだが大崩壊だよ。十二月十日になっても本は上がらず。全部野口に任していたらこの始末だよ、私の監督不行き届きでお恥ずかしい」
説明を聞いているうち、ライターの立場から淡路のことが気の毒に思えてきた。大勢で圧力をかければうまく回るものでもない。ドラマ脚本が完成するまでに私なら一か月は欲しい。
「今日放送した九話には最終回の予告編が絶対必要なので、急遽十一日に淡路先生と野口とで話し合い、その日の夜から淡路先生にはホテルで缶詰めになってもらうことになったんだ。今時珍しいが、本人のたっての希望だからしょうがない。そこで隣の『グランド愛宕ビジネスホテル』に野口が部屋をとって、何とか放送当日早朝に十ページ分の原稿だけは上がった。その日に撮った分とテロップだけで『いよいよ次週最終回! すべての真相が明らかに!』となんとかつないで乗り切った。でもそこからだよな、グチ!」
富田は横で立っていた野口に話を渡し自分はまた携帯をいじり始めた。
「はい、その後も全然先生の原稿は上がらず、夕方に予告編を納品して僕が部屋に行ったらすでに淡路先生の姿が消えていました。買い物に行ったのか自宅に帰ったかとも思いましたが携帯がつながりません。そこからもう八時間以上連絡がとれないんです。そこで山崎さんにお電話したということで」
「肝心なところ話が飛躍してますが、先生が居なくなったった件と私が夜中に呼び出された件はどう関係するんですか?」
携帯をいじる富田の目が私を睨んだ。
「信頼できる人に最終回を書いてもらいたい。そこで白羽の矢が立ったのがミナちゃんなわけだ。淡路さんのゆかりの人でないとこの続きは書けない」
「ゆかりじゃないし、他に何人もことわられて、夜中にまんまと引っかかったのが私ってことですか」
「そんなことはないよ。いろいろ考えているうちに時間がたってしまっただけだよ」
「私みたいなザコライター呼ぶ前に、先生をちゃんと探す方が大事なんじゃないですか?」、私は疑問に思っていることを口にした。
「まぁ、それはそうなんだけど、君も知っての通り淡路先生は今までも携帯のつながらない地下の飲み屋でべろんべろんでカラオケ歌ってたり、シナハンと称して急に京都に旅行したり、時々勝手に居なくなるような性癖があったよね、今回もそうじゃないかと思ってるんだ」
「それでも、いきなり別の人間が無断で最終回書くというのはあとあと問題になるんじゃないですか? 警察に届けるとか一応手を打つべきでは……」
富田は不機嫌になった「じゃあさぁ、お前のいうようにしたとするよ。離婚協議中の先生の奥さんにお願いして失踪人捜索届けを出してもらう、そして俺は『作家が行方不明になりまして最終回の放送ができません』と会社の上の方に報告する、編成の若造に馬鹿野郎とののしられる、営業部にクズ野郎と怒られる、広告主さんにお詫び行脚する、損害賠償発生する、ネット炎上、視聴者からは非難ごうごう。私は作家を追い込んだブラックプロデューサーとして表舞台から消える。その後に淡路さんが週明けお土産持ってひょっこり舞い戻って来ても、業界追放でテレビの仕事は二度と来ない」
「ムチャクチャ悲観的過ぎませんか?」
行き過ぎた負のスパイラル連想だ。
「それに引き換え、黙々と最終回の脚本を作って撮影し、放送が無事できた場合は、何も問題はおこらない。どうだ?」
富田は眼鏡の奥から私をのぞき込む。
「どうだじゃないですよ。不眠不休で仕事した淡路先生が街に出てもし事故か何かにあっていたらどうするんですか? 私も経験ありますが三徹すると幻覚が見えてきますよ」
「まぁ、君の言わんとすることは分かる。でもね、それは考えないことに決めたんだ」
「なんで勝手に決めるんですか」
そんな私を見た富田は口を歪めて、野口に何かを持って来るよう指示した。
野口は一枚の紙を持って戻って来た。
「私が先生の部屋を見に行った時、これが一枚プリントアウトされてました」
そこには、小さな字で次のような文章があった。
シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた
「童謡の歌詞ですね」
意外な文面に一瞬ハッとした。これがしゃぼん玉の歌であることはすぐ分かったが、やがて得体の知れないイラ立ちが沸きあがって来た
「これの意味は何だと思う」
富田は私にきいた。
「身勝手ですね、あざといですね」と思わず言ってしまった。
失踪する書置きだとすると、本来ならお詫びを書くべきだ。それを自虐的な『消えた』や『壊れた』など謎めいたキーワードでカモフラージュして、自分にはアイデアがないことをほのめかしている。
「だろ、俺もこれをみて、淡路さんは何もかも嫌になってきっとどこかに隠れているに違いないと直感したよ。そうなると探しても簡単に見つかるもんじゃないし、我々にそんな時間はない。そういうわけで早く君に続きを書いてもらいたいんだ」
「無理です。先生のドラマは全く見ていませんし、急に刑事モノのシナリオ書くなんて出来ません、他の人をあたってください」
私は不本意ながら富田に頭を下げてこの場を去ろうとした。
「来年の四月の深夜枠作家がまだ決まっていないらしい。山崎水菜やってみるか」
「そんな適当な出まかせで釣られると思わないで下さい」
「本当だよ。フレッシュな作家と演出家の登竜門にしたいと思っている。試金石のつもりで今回はこの窮地を助けてくれ、この通りだ」と、言いながら富田の頭は一つも下がっていない。
「断ったらどうなるんですか」
「どうにもならないよ。ただうちの仕事は君には来ない気はするな。あくまでも気配だけど」
「それって脅しですよね」
「とんでもない我々、創作者同士の気持の話をしているだけだから。どう、片やリスク含み、片や何も損はない。ここまでオッズに差がついていたら迷いはないでしょう」
毎年三月はいつも金の工面で危機がやってくる。特に来年は家賃の更新もあることが頭をよぎった。
「わかりましたが、富田さん仕事は必ず約束して下さいね」
「もちろんだよ。おっと時間だ。この後、私は出ないといけないので、あとは野口と話し合ってくれ。また明日飯でも食べながら対策会議の続きしよう」
一方的に話を締めくくると、時間を気にしながら富田は席を立った。閉店後のキャバ嬢と食事でもする約束をしているのか、テレビ界絶滅危惧種だ。
「野口、大丈夫だな」と嫌な念を押し富田は居なくなった。
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