失踪ライター
遊良カフカ
第1話
十二月十三日(金)二十一時
冷たい雨が二週間降り続いていた。
ネット記事の直しながら雨をドトールでしのいでいたが、二十二時の閉店で追い出された。
外の雨足は強まっていた。容赦ない横なぶりの雨の中、駅から十五分かかる自宅へつく頃には靴は水浸しとなり、鞄の中まで濡れていた。
私は雨を見くびっていたことを後悔した。バスタオルで髪をふき、スウェットに着替え、冷蔵庫からビールを取り出しベッドに寝転がった。ようやく一日の責任から解放され頭を空にできる。
その時、電話がかかってきた。
着信表示は『ノグチ』とあった。
(誰だっけ)
時間は深夜〇時近い。仕事の話だとマズイと反射的に出てしまった。
「夜分に申し訳ございません。山崎水菜さんですか? 今大丈夫ですか?」
「えぇ、まぁ、はい」
「TCTドラマ制作部の野口です……」
声に聞き覚えがあった。野口はTCT(東京中央テレビ)のアシスタントプロデューサーだったはずだ。五年ほど前にTCTでド深夜の三十分ドラマを書いたことがある。源泉引かれて手取り二万円という儚さだったと思うが、それ以来音沙汰はなかった。
「あの、それで、なんでしょうか?」
馴染みの薄い人物からの深夜の電話に私は警戒した。
「すいません、実はちょっと、と言うかとてもヤバイことが起こりまして。あの、これから言うことは絶対誰にも言わないと約束して下さい」
電話の向こうで思案しているような間が空いた。
「実はですね、先生が消えたんです」
不安そうな細い声だ。
「あのぉ、何のことですか」
咄嗟に意味が分からず私は聞き返した。
「つまり先生が跳んだんです」
「お話の要点がよくわからないんですけど、誰が跳んだんですか?」
「淡路先生がどこかに行ってしまったんです。それで山崎さん、どこに居るかご存じないですか?」
「何で私が知ってるんですか」
「山崎さん、淡路十三先生のお弟子さんですよね……」
淡路十三という名は久しぶりに聞いた。
私が大学に時代に通っていたシナリオスクールの講師が淡路だった。当時の淡路は九十年代に早い展開のラブコメディで当て、いくつかの賞を受賞し、雑誌などにインタビューが掲載される売れっ子脚本家だった。講義の内容はライバル作家のダメ出し、自慢話、芸能界の舞台裏など雑談が多く一回一万円とるにしては相当いい加減だった。三か月の講義の締めくくりの課題で私が提出した『父親が引きこもる』話について、淡路は受講者全員の前で褒めちぎってくれた。そのことが傷つくことの多かった当時の私にとっては、たまらなくうれしく、「私もこの先、脚本で食べていけるかも」と勘違いした。その後も連続して講義に通い、そのうちに淡路の原稿の手伝いをするようになっていった。
淡路が受けた仕事のネタ出しから、プロットライター、構成案、挙句は脚本のほとんどを書いて、書き出しと主人公のセリフの語尾だけいじって決定稿になるものもあった。並行して私は各テレビ局の主催するシナリオコンテストにも応募していたが、最初の年に応募したものが三次選考に残ったのが最高位で、先生の指導のもと当たりのフォーマットに変更していくたびに、だんだんと自分が書きたいものが分からなくなり、やがて審査も一次すら突破しなくなっていった。
そんな私を気にして、淡路も局のプロデューサーに紹介してくれたが時期が悪かった。二〇一〇年頃はドラマ不況で各局の放送枠が減っており、私にチャンスが訪れることは無かった。二十五歳も過ぎいい加減なまとめ記事やエロサイトのさくらコメントなど、書ける仕事なら何でも引き受けるフリーランス人生に突入。その中で携帯恋愛ゲームのシナリオが上手く仕事につながり今に至る。夢見たドラマの世界からはだいぶ遠のいたが、文章を書く仕事でようやく実家から自立した生活ができるまでになった。
淡路とは、五年前に別れてからは全く顔を合わせていない。
「弟子じゃないですよ」と私はきっぱり否定した。
「でも何作も共作なさってますよね、ずいぶん仕事を世話したと淡路さんから聞いてますが」
何を勝手なことを、一気に不愉快になった。
「全然世話になっていませんよ、もういいですか切りますよ」
「待って、待って、待って。すいません、ほんとにすいません。僕も大分弱っていまして、暴言をはいて申し訳ございません」
急に野口は下手の口調に変わった。
「暴言とかいうのではないですけど、自宅には連絡しました?」
「帰っていないようです。他にも先生が立ち寄りそうなところには連絡したんですが、どこにもいませんでした。付き合いの長い山崎さんなら心当たりありませんか?」
「ずいぶん会ってませんので、何か分かったら野口さんの携帯に連絡します。今日はもう夜遅いので寝かせてください」
この会話の終了を匂わせた。
「えーっ山崎さん寝られるんですね。いいなぁ、僕なんか三日寝ていなくて、どこにも居場所なくて、それ以上に悩んでいて、本当につらいんですよ!」
何か知らないが急に逆切れられた、この男の情緒はちょっとおかしい。
「あの、愚痴いうのなら切りますよ」
「すいません、とにかく僕の話聞いてもらえますか、淡路先生が今うちの金曜枠をやっていたことはご存じですね」
「はぁ何となく、でも確かもうすぐ最終回ですよね」
今日はもう十二月二週。来週か再来週で十月期のドラマは最終回のはずだ。いくら撮影が押していても脚本はとっくに上がっている時期だ。あとは現場で俳優のセリフ直しとか、打ち上げ日程の調整くらいしか仕事はないはず。脚本料でもめたりはあるかもしれないが、そんなことで関係ない私に深夜に連絡してくるなんて非常識にも程がある。
「淡路先生はいいかげんで気分屋ですが、あっさりした性格なんで、何かトラブルがあったとしても、二、三日したら連絡来ますよ。じゃあ、これで失礼します」
私は今度こそは本気で電話を切ろうとした。
「いや、そういうんじゃなくて本が無いんです」
言っている意味がすぐには分からなかった。
「本ってシナリオのことですか?」
「あたりまえじゃないですか、脚本しかないでしょ。とにかく時間がないんです」
また急にまくしたてられた。この男苦手だ。
「今から局にきてくれませんか? そこで詳しい事情をお話しします。特別にタクシー使用OKもらっていますんで、とにかくすぐに来てくださいお願いします。現金で清算しますんで領収書もらうの忘れないようにしてください」
深夜で電車も無い時間に、「タクシーで来て良いよ」とありがたそうに言うなんて、こっちを確実に見下している。
「いや、でもね野口さん」
「もちろん、謝礼お支払いします」
「……いくらぐらいですか」
「税込みの三万までなら」
「そこまでお願いされたら分かりました。行きます」
シャワーを浴び眠気を覚ますと。目黒通りに出てタクシーを拾った。テレビ局に向かう車内、人通りの少ない通りを見ながら今の状況を考え始めた。
シナリオが無いとはどういうことなのか?
淡路先生が上げた原稿が何らかの理由で没になったか、メールでもらった原稿を間違って削除したか、でもそれで先生の居場所が分からないことがなぜ今緊急問題になるんだろうか?
神経質な顔をしながら、笑うときは子供のような顔になる、白髪交じりの淡路の顔が思い浮かんだ。
ろくなことが無かったとは言え、三年近くは一緒に仕事をしていた淡路の身に何が起こったのかが気になった。
とにかくなるべく話が早く終わることを願いながら局へ向かった。
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