50話 好き

「――面白かったな」

「はい。最後なんか感動して、思わず泣きそうになってしまいました」


 まだ余韻に浸っているようで、緋彩の表情は映画が始まる前よりも落ち着いている。


 映画は主人公である父親と、その娘とのやり取りを描いたものだった。

 ある日、その年に高校に上がった娘に突然反抗されて、関係が悪くなってしまう。

 主人公は必死に寄り添おうとするが、娘はそれを突き放すばかり。

 悩んでいた主人公は、ふとしたきっかけで娘が変わってしまった理由を知った。

 主人公は素直になれなくなった娘に長い年月をかけて寄り添い続け、関係を戻していく。


 ストーリーのあらすじだけ一見すると、ただ思春期真っ只中の子供が親に反抗するだけのどこにでもある家族関係を描いた映画に見えるが、実際は全く違った。


 ありふれた家族とのやり取りを丁寧に描いていて、言動一つ一つにもしっかりと共感ができる。

 特にクライマックスは、主人公に迷惑をかけたくまいがために今まで素直ではなかった娘が映画中初めて主人公に心を開き、感動が胸に込み上げてきた。


 緋彩も同じ気持ちになったのか、はたまた違う理由があったのか映画中に俺の手をそっと取り、もう離したくないと言わんほどに強く握ってきた。

 その真意は、俺には分からない。

 今のところ緋彩の表情に変化は見られないが、俺は一つ彼女に尋ねたいことがあった。


 映画館を後にすれば日が傾いており、夕日が少し眩しかった。

 歩きながら、俺は彼女に問いかける。


「これからどうする? まだどこかに行くか?」

「彼方君に聞いても、きっと何でもいいって言うんでしょうね」

「俺はどこでもいいからな。お前と行ければどこでも」

「嬉しいです」


 そう言って俺の手を握りながら、切なげに笑う緋彩。

 覚悟は出来ていた。

 だから、俺は彼女に優しく微笑み返した。


「……まだ、映画の余韻に浸っていたいんです。だから、マンションの近くにある公園に寄りませんか?」

「あぁ、いいぞ」


 そうして俺たちは、デートの最後を公園で迎えることにした。

 面積もあまりない小さな公園には、ブランコや滑り台など子供が遊べるような遊具が置いてある。

 その隅に備えられていたベンチにお互い腰を下ろした。


 会話はない。

 ただ蝉の鳴く声が、二人の間を満たしていく。

 緋彩は映画の余韻に浸っているのだろうが、その間俺は考えていた。


 彼女と、彼女の父親のことについてだ。


 あの人が緋彩を傷つけた罪は大きい。

 それは、緋彩の生き方をも曲げてしまったほどだ。

 だから彼に同情する気はない。


 だが、彼が去り際に見せたあの苦しげな表情。

 そして、緋彩が話す中で感じた違和感。

 彼にも何かしら理由がある気がする。


 解決したい気持ちは山ほどあった。

 でも、これは緋彩の家族の問題。

 彼女の父親に関して言えば、俺は全くの他人だ。

 そんな俺が口出しすることは出来ない。


 だが、そんな俺にも出来ることはあった。


 緋彩と俺しかいない公園のベンチで、俺は彼女の肩を抱いて引き寄せる。

 突然だったので驚いたのだろう。

 声には出さなかったが、彼女の体が少しだけ跳ねた。

 だが時間が経過するとともに、彼女の体の強張りが消えていく。

 そうして彼女が俺に寄りかかってくると、俺は口を開いた。


「……聞いてもいいか?」

「なんですか?」

「どうして、あの映画を選んだんだ?」


 尋ねると、彼女は苦笑した。


「私、普通の家族がどういうものなのかよく分からないんです。私の家庭は普通ではなかったので」

「……そうだな」

「だから、普通の家族の在り方を知りたかったんです。単純に、興味が湧いたから」


 そのトリガーとなったのは、きっと数日前も出来事だろう。

 もしあれがなければ、緋彩は話していた恋愛映画を見たいと言っていたはずだ。


「んで、知れたか?」

「よく分かりません。私が試した方法は多分、再認識するためのものだったような気がします。普通の家族がどういうものなのか知っていれば、もう少し腑に落ちたのかもしれません」

「あれは普通の家族の在り方だったような気がするぞ」

「そうなんですか?」


 目を丸くした緋彩に俺は「あぁ」と返事を返す。


「姉さんも一時期、あの映画みたいに親に反抗してたからな」

「美幸さんが?」

「俺もな」

「えっ?」


 よほど驚いたのか体を起こして俺の目を見つめる緋彩。


「そんなに意外だったか?」

「だって、今の彼方君からは想像出来ません」

「そりゃあ、あのときは“反抗期”だったからな」

「反抗、期……」

「授業で習っただろ?」

「習いましたが、私にはいまいち落ちなかったんです」


 そう言って緋彩は表情を曇らせる。


 そうか。

 あの人は緋彩に反抗することを教えてやらなかったのか。


 思わず、俺は彼女を抱き寄せた。


「か、彼方君?」

「なぁ緋彩」


 胸の中から聞こえてくる声を無視して、俺は彼女の名前を呼ぶ。


「お前は、今楽しいか?」

「……楽しいですよ。彼方君と一緒にいられて、今まで経験してこなかったことをたくさん経験出来ています。それは全部楽しくて、笑顔なれることばかりでした」

「……そうか」


 嬉しいし、安堵した。

 どうやら緋彩は、俺と出会ってから今までと違う生き方を出来ていたらしい。

 彼女を笑顔に出来ているなら、それで何よりだった。


「……もう、デート終わっちゃいますね」

「そうだな」


 今日一日はいつもに比べてあっという間に過ぎていった。

 彼女と過ごす時間がとても幸せで、充実していた。

「楽しかった」の一言では言い表せないほど、愛おしかった。


 これほどにも彼女と過ごす時間が切ないのは、きっと俺の心が変化してしまったからだ。


「……まだ、別れたくないです」


 そう言って俺のことを強く抱き締める緋彩に、俺は苦笑する。


「何言ってんだ、まだ一緒にいられるだろ?」


 晩ご飯を、例え作らなくても俺の部屋で食べればいい。

 その後も、いたかったら俺の部屋にいればいい。

 そんな意味を込めて笑いかけると、彼女は俺を見上げた。


「……はい!」


 傾く夕日の光にも負けない明るい笑顔が、俺の胸を締め付ける。


 ……そうか。


 俺は、緋彩のことが好きになってしまったんだな――。

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