2話 氷の姫は分からない
「――私と付き合ってください」
「ふざけるな」
あの地獄を脱するためか柚子川に手を引かれた俺が向かった先は屋上。
そこで、何故か先程の告白する側とされる側の立場が逆転していた。
相変わらず無表情のまま淡々と告げた柚子川に俺は愚痴るように言う。
「何故そこで『ふざけるな』というセリフが吐けるのですか? 大体、最初に告白してきたのは
「……お前、俺の名前を知ってたんだな」
「入学時に配られた名簿に、写真と一緒に載っていたので」
それだけでは普通覚えられないんだよな……という感想を俺は口にすることなく飲み込む。
入学からニヶ月程しか経っていないが、特に興味もない人間の名前を、名簿を見ただけで覚えていることから柚子川の記憶力の高さが伺えた。
それだけじゃない。
彼女は容姿端麗に加え文武両道。
容貌が整っているだけでなく、勉強や運動能力にも秀でていると専らの噂だ。
この間の中間考査は学年トップ。
体育の授業でも非凡な才能を見せつけ、並の人間には出来ないような技を平然とやってのける。
柚子川のクラスは体育時に俺のクラスと一緒になるのだが、素人目から見てもあの運動能力は他を圧倒しているように見えた。
氷の姫と敬われるのにも納得がいく。
「一応言っておくが、俺は本気でお前に告白をしたわけじゃない」
「それは知っています。だからこそ私と付き合ってほしいと言っているんです」
「……ごめん、話の繋がりが全く見えてこない」
俺が本気で告白してないからこそ付き合ってほしい?
どう考えても矛盾していないだろうか?
理解不能な柚子川の言葉に俺は思わず頭に手をついてしまう。
「柊君は、私が日々たくさんの男子に告白を受けているのは知っていますよね?」
「あぁ、知ってる。大変そうだなって噂を聞いて思ってるよ」
「鋭いですね。まさに私はそう思っているんです」
自慢と捉えた俺は皮肉を返したつもりだったが、どうやらそれが柚子川への共感に繋がってしまったらしい。
「だったら何だ」
眉をひそめながら自分でも分かるほどぶっきら棒に吐き捨てる俺に、柚子川は表情一つ変えることなく説明していく。
「私の隣に男子がいれば、他の男子に声をかけられることはない。あっても、前よりはずっと数が減るはずです。告白の態度を見たところ柊君は他と違って私に下心がないようですし、好きでもない男子を隣に置いておくなら、私に好意を感じられない柊君が一番だと感じました」
「つまり、俺はお前にいいように使われるだけの男だと」
「そういうことです」
「改めて言う。ふざけるな」
柚子川の言っていることは理解はした。
だが、それだけだ。
「お前と一緒にいたら俺がどうなるのか分かってるのか?」
「分かりません。何せ私の隣に男子がいたことはないので」
「分からなくても、お前の脳みそだったら想像することくらい出来るはずだ」
「そうですね。柊君が周りの男子の恨みを買って、嫉妬の視線を浴びているのが目に浮かびます」
「そこまで想像出来て尚、俺を隣に置こうとするんだな」
「そうですね」
淡白な会話が繰り広げられる。
正直、この会話に意味などなかった。
同情を誘うつもりだったが、柚子川の冷え切った心はそれを受け付けない。
噂には聞いてきたが、まさかここまでだったとは。
回り道をしていても無駄だと感じた俺は、きっぱりとお断りすることにした。
「俺はお前とは付き合わない。俺から告白したことは謝る。精々他の男を見つけるんだな」
踵を返し、後ろにいるであろう柚子川にブラブラとだらしなく手を振る。
そうして屋上から立ち去ろうとした俺は、腕を掴まれることでそれを防がれた。
「……何をする」
「話は終わっていません」
「さっき終わらせただろ」
「私は柊君に付き合ってほしいんです」
柚子川緋彩に腕を掴まれでも止められて、恋人という関係を強いられる。
他の男子達にとって、このシチュエーションは喉から手が出るほど欲しいものだろう。
だが、俺にとってはそうじゃなかった。
鬱陶しい。
ただただ鬱陶しい。
言わばそこら辺の蚊と同じだ。
離れてほしくても、否応なしに纏わりつく。
『だってお前、いつまでもそのままじゃ生きづらいだろ』
休み時間に零弥に言われたこの言葉も。
「……手を離せ」
「私と付き合ってくれるまで離しません」
はぁ……と深いため息をつくと、俺は腕を振り下ろすようにして柚子川の手を振り払う。
「あっ、ちょっと!?」
後ろで動揺の声が聞こえると同時に振り返り、俺より頭一つ分くらい小さい彼女を見下す。
そうして視線を外し再度ため息をつくと、彼女に視線を向け直した。
「お前、そんな感情のある声を出せるんだな」
「今のは柊君が急に私の手を振り払うから、思わず出てしまっただけです」
「そうか」
他愛もない会話を交わして、一言。
「――付き合ってやるよ」
「……そうですか」
他意はない。
ただ零弥に申し訳無さを感じたからこそ、こう決断したまでのこと。
「ただ、付き合うとは言ってもあくまで偽物だ」
「『偽りの恋人』……というわけですか」
「そうだ。外っ面は仲睦まじいただの恋人。内はただの他人」
「いいですね。そちらの方が、私にとっても都合がいいです」
柚子川の同意を得たところで、もう一つ。
「後、周りの男子達はお前が何とかしてくれ。それが解決されないと、俺はお前と付き合わない」
「……分かりました。面倒臭いですが、それで柊君が隣にいてくれるなら」
交渉成立。
ったく、何で俺が柚子川なんかと付き合わなくちゃいけないんだ。
俺は三度目のため息をつきながら踵を返し、上半身をひねって柚子川に視線を送る。
「話が終わったんなら、もう帰るぞ」
「はい……って、えっ?」
俺の言っている意味が分からなかったのか、柚子川は目を丸くした。
「外っ面では仲のいい恋人を演じるんだろ? 一緒に帰ったりとかしないのか?」
「……そこまでしてくれるんですか?」
「そう頼んだのはお前だ。まぁ、嫌なら無理にしなくてもいい」
何せ冷たい心をお持ちの氷の姫だからな。
こんな俺とは並んで歩きたくもないだろう。
呆けている柚子川を置き去りにして、俺は屋上の扉を開く。
「ま、待ってください。一緒に帰ります」
てっきり断られると思っていたが、案外そうでもないらしい。
小走りで追いかけてくる柚子川の軽い足音が聞こえた。
何が「そこまでしてくれるんですか?」だ。
そう頼んだのは柚子川だろうに。
……本当、氷の姫は分からないな。
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