22 赤ずきんと死人の小人1 - <淫蕩のドミニオン/スローンズ>
くうん、くうん――と、これまでどこにいたのか――不意に聞こえたイッヌの哀し気な鳴き声に、レリエフは一瞬気を取られた。
ロストたちの入っていた洞穴へと足を向けたその先に、地面を流れていた白泥が立ち塞がる――突然、目の前で壁のように隆起したのだ。
壁……あるいは、巨大な――
湖へと続く……洞穴へと続く傾斜のただ中に、それは出現する。
『巨人……』
レリエフが見上げるほど大きな、人の形をした白い塊がそこに佇んでいた。
まるで小人たちが集まって固まったかのような――その質量を増やしサイズ感を増した、小人がそのまま巨大化したような姿である。
見た目の質感も小人たち同様だが、肌の色だけが夜闇に浮かび上がるような灰色に変じている。細く短いがサイズ感に相応しい太さの手足は、黒い煙状の「何か」に拘束されており、顔にあたる部位は黒いヴェールに覆われている。
その足元に、白泥の下に埋没していた……小人たちが身にまとっていた腰巻きと看板が積まれていた。
「巨人?」
声に振り返ると――ネコの近くに、もう一体。こちらは拘束されておらず、小人をそのまま巨大にしたような見た目だ。しかし表情はなく、眼球はまるでつくりもののようで、顔の表面に張りついて一体化している。
「ニンゲンってそもそも、こういうモノでしょう? あなたたちが退化したんじゃなくて?」
くすくすと、まるで少女のような笑い声をあげる――ネコのかたちをした、何か。
その正体が――つかめない。
レリエフの<火の目>は『把握する《つかむ》』もの――今現在、目の前にある物体の構造や、起こっている状況を把握する才能だ。建物を見ればその構造や欠陥が掴めるし、人体を見れば抱える負傷や病巣さえ見抜く。
先日遭遇した「魔女」……女の姿をしたそれは、限りなく肉に近い身体をしながら、確実に異なる「何か」でかたちづくられていた。ケガレとも言うべき邪悪な力を帯びた「何か」を身に宿した、一目で「異物」と判別できる存在だった。
現れた二体の小人巨人も同様だ。小人の皮をまとってこそいるが、その内部にはケガレが渦巻いている――それは紛れもなく、あの『
しかし、このネコは日中、村のそこかしこで見かけた――小人たちが乗り物にしているという――飼いネコの一匹に違いない。肉体を持った、動物だ。喋っている以外におかしなところは見られない。
ただ、一点――
「その<火の目>とやらをもってしても、中身までは見抜けないのね。聖剣の方は、違ったようだけど。『起源』の違いかしら、それとも『製法』? あるいは単に、あなたが無能なだけかしら?」
こちらに向けられる、邪悪な意思はひしと感じている。
「その鎧に引きこもっているのがいけないのかもしれないわ。その目で、瞳で、しかとあたしを映してくれないと――正体も何も分からないものよ」
(考えを読まれている――長老殿の仰っていたとおり)
村の案内を受けながら、ロストが長老にたずねていたのだ――『魔女』とは何か、と。
魔女とは――この<ホール>にはびこる邪悪、その権化。
(魔女はヒトの心を読む――その目を見てはいけない。目を合わせれば、心を奪われる――)
魔女の『邪視』――目とは、瞳とは、心を映す窓。心へと繋がる入り口。故に目を合わせれば、己が心を邪悪そのものである魔女の「闇」の前へと晒すことになる。
しかし、レリエフの「目」は鎧のヘルメット、そのマスクの奥で輝く光――ではない。それは単なるセンサーの一つだ。位置でいえば胸部装甲の辺りにある。レリエフは<聖骸>の外部に備わったセンサー越しに、外の状況を把握しているのである。そのため直に目を合わせている訳ではないのだが――それでも、読まれている。その状況自体を、知られている。
「だって、鎧といえど――息はするでしょう?」
――やはり、空気を通して――
「でも仕方ないかもしれないわ、だって見分けがつかないくらい満遍なく――気付かれないよう周到に、あたしはずっと待っていたのだもの」
『……!』
ネコの正体も、小人たちの身に何が起こったのかも気がかりだが――胸の内にくすぶる危機感と、焦燥。こちら同様、洞穴の方でも何かが起こっているのなら――
「あっちにイキたいの? そんなに急がなくてもいいじゃない――別に、何もしないわ。本当よ? 不安なら、あたしの言葉が信じられないなら、きちんと理由を説明してあげるわ。せっかくお喋り出来るんだもの、知能があるなら問題は会話で解決すべきよね。だけどあなたは違うのかしら? 問答無用でイっちゃうの? それはまるで、
『…………』
実際、行く手は巨大な小人に阻まれている。呼吸すら感じられないほど微動だにしないが、見た目から伝わるずっしりとした重量、ただでは動かないことは――通してくれないことは、容易に想像できた。
ゆっくりと言葉を交わしているような心の余裕はなかったが――
「長老さまから教わったでしょう? この<ホール>の生物は、負傷すると『浄気』の力で傷を癒す――その代わり、記憶を消費する、と。厳密には違うのだけど、よくもまあ浄気が関係していると突き止めたものよね。……記憶がないからかしら、空っぽの心を満たそうと知識を探求する――純粋で、愚かな生き物。うふふ」
『お前は――浄気がなんなのか、知っているでありますか』
「自然の摂理であり、此の世の歪み――なのだけど、大事なのはそこじゃないわ――浄気はキズや穢れを浄化するモノ。ヒトの傷に触れれば、それを治す。けれど、人体の治癒能力を高める訳じゃない。浄気が傷を埋めるのよ。人体に置き換わるの。『心と身体の記憶』を参照し、元のカタチに復元する――それだけ聞くと、便利なものよね」
真偽は知れない。しかし語る言葉は理にかなっているように思われる。
「だけど代わりに、肉の身体が浄気に置き換わっていく――記憶の参照とはつまり、その記憶を消費するということ。だから記憶が失われるし――いずれ痛みも何も感じない、浄気でつくられたモノに成り果てる」
その言葉の全てを信じるつもりはないし、鵜呑みにすることには抵抗があるが――それは、魔女の言葉に実感を覚えている故かもしれない。
「負傷だけじゃないわ――浄気は空気に含まれているから、呼吸するたび体内に侵入し、中身を置き換えていく。この<ホール>で採れる植物や肉を摂っても同じ。それらだって浄気の影響を受けている。空気なんだから当然でしょう? 水に、土に染み込んでいるのよ。まあ、とうに食欲もないのだから、食べ物についての心配はいらないかもしれないわね?」
『……!』
食欲がない――痛みも何も感じなくなるとは、つまり――
「あたしの言いたいことが分かってきた? 怪我をさせるのは本意じゃないの――キズモノにしたくはないの。だって負傷するほどに、感じられなくなっちゃうんだから――あの子たちはまだ、感じられるの。特別なのよ」
この魔女が『淫蕩』を司るというのなら、「何も感じない」というのは本意でない――それは事実だろう。だから、
「だから、あたしはあの子たちにヒドいことはしない。襲わない、とは言わないけれど――だって、息をするのも、食事をするのもダメなら……ねえ? やれることなんて、楽しみなんて他に一つしかないじゃない?」
『何を――』
「もう、分かってるくせに――でもね、あなたは別よ――」
ネコのそばに佇んでいた巨人が動き出す。
「いっぱい、虐めてあげるわ――もしもあっちにイっちゃったら、巻き込むことになるけどいいかしら?」
――振るわれたのは、黒い手刀だった。
それが少女の首から上を――
「!」
熱を帯びた液体がロストを襲った。
「それがニンゲンの中身、ニンゲンの血よ――あったかくて、赤いでしょう?」
洞穴内の明かりは、『扉』の前に立つアリスの足元で今にも消えそうな微かな炎だけだ。
「あたしにはまだ赤い血が流れていて、あったかくて、そしてとっても――痛いのよ。でも大丈夫、すぐに戻るわ――だってキレイに斬ったもの」
壁際には炎の明かりすら呑み込むような闇が在って、そこから巨大なヒト型の上半身が生えている。二本の腕が伸びている――その一つが飛び散ったアリスの
声のする腕が、立ち尽くしたままのアリスの身体に――首の断面に向かって伸びる。近づく。吸い込まれる――その背後に控える巨大なヒト型の闇が、アリスの中に飲み込まれていく。
「ふう――」
と、声は闇のなかから。可燃物を喰らい尽くした足元の炎が、断末魔のようにひと際大きく輝き、そして消える――その刹那に、垣間見えた――
魅惑的なドレス姿から一転し、さながら黒い布をまとったような――黒いフードを被りコートのようなケープで身を覆い、その下には肌が透けるような白いワンピース。白のスカートは柔らかそうにふわりと膨らみながら、どこか肉体的な質感のある流動を繰り返している。それ自体が身体の一部であるかのように、身にまとう全てに彼女の意思が通っている――
「どうかしら、新衣装。不気味で可憐な赤ずきん。……明かりがないのが残念ね。夜目が利かないあなたが悪いのよ?」
闇ともやのなか――浮かび上がる黒と白のコントラスト。
「――――」
ロストはこの状況に、すぐには理解が及ばなかった。
記憶がないせいもある。魔女と遭遇した時の記憶が判然としていればまだ少しは考える余裕もあったのだろうが――
いったい、何が起きているのか――思考が停止する。頭のなかが真っ白に――
そのためか、
『(やはり長老が言っていたように、魔女はこの空気に存在するモノ――ヒトの悪性、特に「淫蕩」の性質が集まって固まったもの。不定不形、恐らく不滅。殺すことは不可能に近いとみるべきでしょう。斬ったとしても浄気とやらがある以上……つまりこの空間に空気が存在する以上、いくらでも再生する。<浄気体>とでもしておきましょうか。痛みも何も、魔女は失うことを気にも留めない――しかし、先の戦いであの女はわたくしの攻撃から心臓を守った――あの時は力が足りませんでしたが、今なら――)』
聖剣の思考が、流れ込んでくる。まるでロスト自身が頭のなかで考えているかのように、ごく自然に言葉が脳内を満たしていく。
『(あらゆる命ある存在は皆、<聖数3の法則>に縛られている。つまり、魂と肉体と心――それらが均衡をとり、拮抗することでヒトを含めた生物は存在している。魔女は肉体を持たないから、依代としてあの少女を使っている――空気は不定不形、それで魔女という意思や意識が存在出来るはずがない。魂や心に相当する、「心核」とも言うべきものがあるはず。そして、それを作り出すために集まって固まるにも、そのための<器>が必要――)』
器がなければ――先ほど消えた炎のように、無限に広がろうとして消滅する。広がっていく、霧散していく自分を抑え、かたちを留めるための<器>だ。
たとえ燃焼するための可燃物や酸素があっても、容器に収めなければそれはヒトの使う「
『(あの少女……アルルイスがそうなのだと思ってましたが、どうやら人格形成のための道具でしかない様子。大事な器をああも簡単に傷つけるとは考えにくい。真の本体は別にいる――いや、他に無数にあると考えるべきでしょうか。始まりはこの
「あ、あの……聖剣さま? 思考がただ漏れなんですが――」
『あえてそうしているのです。わたくしの考えは伝わったでしょう――あの少女を、ぶっ殺す。心臓に「心核」があります。再生の基点、ヒトで言えば「心の記憶」――それがなければ「自身」を保つことは出来ない。そこを潰せば――そうすればひとまずこの場は乗り切ることが出来るでしょう』
「ぶっ殺すって……!」
『あれはもう魔女です。<アンデッド>と同じ――魂を宿しただけの亡骸も同然。魔女自体は殺せなくても、依代を潰せば一時的にしろ無力化できるでしょう。黒い部分――ケガレであれば、わたくしの<炎>で焼けますが……この空間であれば都合がいいですが、そうするとあなたの安全までは保障できません。一片残らず滅するには最大火力を用いる必要がありますし――やるならここを出てからです!』
「物騒な話をしてるのね。せっかちなのは嫌いじゃないわ――あたしも我慢できないもの。だけど、ねえ、少しお話しない?」
アリスが、口を開く。明かりがないのもあるが、フードに隠れてその表情は窺えない。
「あたしを魔女だと言うけれど――確かにあたしはそうだけど――この子は死体じゃないのよ? 生きているのを感じたでしょう? 生きているのを感じてる……。たまたまこの子だっただけ、あたしに都合が良かっただけで――依代なら、あなただってなれるのよ? あなたや聖騎士さまは『守られている』から無事だっただけで、この村であたしを吸っていた以上、依代になる資格はあるの」
つまり――
『その子が、人質とでも言いたい訳ですか』
「ええ、交換するならそれも可能よ? でも――あたしはこういう提案をするわ。要求と言ってもいいけれど――ねえ、あたしと一緒になりましょう?」
「一緒に、って――」
『耳を貸す必要はありません、戯言です』
昨日今日知り合ったばかりの、縁もゆかりもない頭のおかしい赤の他人――そんなもののために命を賭ける必要はないと、いろいろまくしたてる聖剣の言葉を聞きながらも、ロストの心は揺れていた。
そんな彼に追い打ちをかけるように、アリスの声で――魔女は囁く。
「これはお互いにとって利のある話。みんなにとって大事な話。あたし――」
――<ここ>から出る方法を知ってるわ。
「あなたの大事なヒトの居場所もね――聖剣さま?」
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