21 ネコと赤ずきん - アナ・ア・キー村、終焉




「何? なに?」「どうなってるの?」「何かへん」「からだがへん」


『ど、どうしたでありますか……!?』


 小人たちがにわかに――騒ぎ出す。慌てふためく。


 レリエフは小人たちとそれなりに、少なくない時間を過ごしてきた。レリエフの知る小人たちは、わいわい騒がしく賑やかで、常に笑顔で、どこまでも余裕な……動揺とは無縁の存在だった。


 それが、今――まるで不安でも感じているかのように――


「どうなっちゃうのー?」「変!」「おかしい」「きょじんさま、」「たす、」


 湖の前にところ狭しと集まっていた小人たちが――うっすらと、光り始める。ふらつくように、それを堪えようとするように、少しずつ後ずさる。小さな両手で胸を押さえ、苦しみにうめくように表情を歪ませて――


 ただ事ではない。レリエフはとっさに小人たちに近寄ろうとした。


 じゅっ――ぼっ――左右から不審な音が聞こえる。――かがり火だ。掲げていた小人たちが手落としたことで、炎が地面の下草に引火したのだ。


 それはまるで生き物のように、空気を糧に、わずかな下草を食んで這って灰にする。その広がりは近くの小人を飲み込んだ。猛り、狂い――しかし彼らは気にしない――腰巻きや首から下げた名札に引火する――それ以上に苦しんでいる。


『くっ――』


 両手が届く距離ではない――が、レリエフは左右の手を伸ばす――手甲が光を帯び――


(燃やさず――)


 ――燃やす。


 両手の先から炎が――<聖炎ほのお>が噴出する。


 それはレリエフの――ヒトの、身体の内側に流れる――魂に宿るもの。


 炎とは、あくまでその「かたち」から付けられた名にすぎない。その実態は、似て非なる――生命の火なるもの――かつて巨人をかたちづくり、ヒトに受け継がれたもの――魂の放つエネルギー。いわばそれは、前を向く、前進する、生物の生きようとする意志そのものである。


 それすなわち、暗闇を切り開く灯火――なれば、それは物質を焼くためだけの炎ではなく。


 きらめくような炎はまるでケモノのように飛び立って、小人に噛みつくものを、村に毒牙を伸ばす猛火を打ち消した。


 しゅう――と、鎧から蒸気が漏れる。それはまるでため息のようだった。


(やれば、出来るでありますね――)


 レリエフの放った<聖炎>は消えず、留まり続けその場を照らしている。村で起こり始めた異変の全てを照らし出す。


 小人たちは散り散りになっていた。倒れ、座り込み、みな一様に胸やお腹を――身体の前面を押さえ、抱え、苦悶の表情で声を漏らす。


(いったい、何が――)


 ちら、とレリエフの意識は後方の洞穴に向く――視線を前に戻す。


(見るであります――今、何が起きているのか)


 鎧の胸部ブレストアーマーがにわかに輝きを帯びる――その奥で――内側にレリエフは、己の両眼に意識を集中させる。


 それは全てを把握するつかむもの――ヒトに継がれたもうひとつの異能――


 闇を照らし、全てを明るみに。確かな輪郭を描き出し、露わにし、そこにそれがあると知る――即ち、<把握つかみの火の目>――


(これは――周囲の浄気もやの濃度が上がる――視界を阻んでいる――)


 もやがかり、<火の目>を阻む。しかし、だからこそ――「イロ」を帯び始めたことが、はっきりと分かる。それらが小人たちにまとわりついて――いや、小人たちのなかから噴出し……?


「あ」「へん」「だめ」「おかしい」「なにか」「でる」「でてくる」


 ず――と、貫かれる。


 槍が降ってきたのかと――錯覚する。それぐらい唐突に、小人の身体が膨れ上がった。その胸から、腹から――幼い身体の前部から、槍のようなものが飛び出しているのだ。


(白く、どろりとした――これは、身体が変質している……?)


 小人たちはそれを抱えるようにしながら倒れ込み、座り込み――少しだけ、その表情が和らいだ。苦しみは去ったのか――自らの変化を確かめるかのように、槍のようなそれを見つめている。恐る恐る、手を伸ばす――触れる、触れる。ふれる――


「なにこれ」「なんで」「すごい」「くるしい」「つまってる」「くるしい」「ださないと」「はきたい」「いっぱい」「くるしい」「すごい」「だめ」「出る――」


 槍が次第に大きく――そして、弾ける。


 その先端から、白い液体が飛び散った。


(ちがう――)


 飛び散ったのは、その全て――小人のいた場所に、白いどろりとした水たまり。


『やめ――やめるであります!』


 次々と――放たれる。命が、生が――止まらない。まるで身体が勝手に動くかのように、それを――直前に、首を絞められたかのようなうめきがあった。その声が連続して、断続して、そして――止めようと手を伸ばしたレリエフの前で、びしゃりと。


『…………』


 静寂が、訪れた。


 どこかで、何かの燃える音がする――村の方に設置されていたかがり火が倒れたのだろう。顔を上げようとした。


 目に入るのは――残された、白い泥沼だけ――それがゆっくりと、レリエフの足元に忍び寄る――傾斜があるためだ。その先には湖がある。

 かつて小人だったものが――レリエフはとっさに足を上げるが、逃げられない。踏まないようにしようとも、すでに周囲の地面全てが覆われている――諦めるように、足を下ろす。


「未知で満ちて、セイしたのよ」


 声が、した。鈴を転がすような、聞いたことのない――


 視線を上げる。村の中心、そこに一匹の――炎に照らされた――


「ネコ? ネコとはこういうものだったかしら?」


 まるで人のような見た目をしている。目があり、耳があり、鼻があって、口がある。前肢と後肢が二つずつあって――長く細い白い体毛に覆われた――けれども、細部が異なるもの。何より、ヒトにあのような獣耳みみや尻尾はついていない。

 大きな目に、小さな鼻、顔のかたちは三角形のようで、すぼまった口元にヒゲがある――四肢の長さや胴の長さも異なって――


(我輩の知る、ネコという生き物は――)


 国に住み、人々に親しまれるそれは――


(愛らしく――上品で、優雅で――)


 その一方で――


故郷クニのネコたちは――痩せ細って、みすぼらしい――)


 いずれにしても、小さな小さな、動物だった。


 この村にいるような――人間に近しい大きさはしていない。言われるまで、思い出すこともなかったが――それでも、独自の進化を遂げたものなのだろうと、まだ頷ける。


 しかし、目の前のこれは違う。


 淫らで、扇情的な――


「不思議よね――どうしてこんなかたちをしてるのか? ねえ、考えて――分かるでしょう? 


 何より、ネコは喋らない。


「あら? 聞いたことがないだけかもよ。見た事もないのに『ありえない』とは言い切れないじゃない? それとも見ないようにしているの? ニンゲンたちは、ネコが喋ったら困るものね。だって全てを見られてる――」


『なん、で……ありますか。お前は、いったい――』


「あらあら、うふふ――見ないふりをしているの? あなたはまったく可愛らしい。きっと器にお似合いよ――『暗愚』、それとも『盲従』……"もうじゅう"、うふふ」


 ――ありえない、とは言い切れない。


 なにせ相手は――


「どうして気付けなかったのか? いいえ違うの、分からなかっただけ――だってあたしはずっとそばにいただけだから。この村の全てがあたしなのよ――あたしはずっと見ていたわ。雌伏の時間よ、至福のために。浄気もやの薄さに気付いていながら――あたしの香りを忘れたの? ――せいきし、さま?」


『魔女――!』


「うふふ……!」


 しかし、殺したはず――殺しても、死ななかったのなら――そんな理外に、どう立ち向かう。


「いいえワタクシは死んだのよ? あなたに無惨に食べられた――でも知らないの? 『淫蕩』とはつまり、過剰なる生殖本能――この村全てがあたしの子ども。あたしが根差した――小人こどもたち。あなたが犯したあれは、ただの端末、その一つ。あたしの本体あたしは向こうにいるの――」


『――!』


「今頃、あなたのお姫様――うふふ」




 金属容器のふたが外れ、こぼれ出た炎が地面の付けヒゲを舐めとった。


 後には何も残らない――白いどろりとした何かがそこにあって――少女の足元に、足首に絡みつき、その皮膚に染み込んでいく――


「冒されていくわ、侵していくわ――ねえ、あたしの可愛い王子さま? 扉を開けて、あたしを出して。あたしにれて、あたしにして――」


 ロストはそれを知らないが――聞いている。


「アリスが――魔女……?」


「いいえ、いいえ、それは違うわ。あたしはあたし《ここ》よ――」


 アリスの背後――開きかけたまま止まっていた扉が――それを開こうとしていた闇の流動が――アリスの下に集まってくる。


『つまり、魔女とは――かたちなきもの。浄気もやに混じった――不定不形の存在――此の世の邪悪を集めて、固めた――あの少女は、それを収めるための<器>にされている』


「え――それって、つまり――」


「そういうことなの、そうなのよ。生憎あたしの身体にくはないの――肉欲を司るというのにね。だから身体にくを欲するの――ちょうどいいからもらったの。あたしはずっとここにいたのよ、この村に――そこにこのがやってきた。のこのこと。無知で愚かで夢見がちな――うふふ――可愛いでしょう? きれいでしょう?」


 くるり、くるりと――白いドレスを見せびらかすように――足元に集まった白と黒が、消え行く炎に浮かび上がる、アリスの影に重なって――


「でもね、まだまだ足りないの――此の世の全てを犯すには。かたちなきものを人は恐れないもの――見えないふりをするのよ。失礼ね。だから身体かたちを求めるの。偶像、化身――即ち、<悪魔カミ>――」


 白と黒が混じり合う。溶け合って一つになり、それが――アリスの背後で立ち上がり――


「ねえ王子さま、あたしと一緒にきましょう? 気持ち良いことが待ってるわ。『外』で見せつけてあげましょう――素敵な愛にみんなが酔うわ。此の世に愛を広めましょう――愛は平和を広げるわ。――あたしが言ってること、間違ってる?」


 この場はもう――<犯/侵おか>されている――魔女の領域、<ドミニオン>――



 ――『淫蕩』が、乱れ咲く。



 聖女のように、悪女のように――愛をく。


 其は、ヒトの肉体に基づく欲求の一つにして、

 本能に根付いた――やがて死に至る罪悪の一。


   <魔女>


 今一度――悪因顕現、『淫蕩』狂乱――



「――そういえば、」



 背後の闇が巨大な人型を形成する――その腕が、



ニンゲンあたしみだれる姿を、知りたいのよね見せてあげるわ



 白い人型シルエットが、二つに裂けた。



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