20 _ - ゆめのおわるばしょ




 水かさは、ロストのお腹のあたりまでで――小人たちの背丈ならじゅうぶん溺れてしまいそうな深度で――少しずつ、浮上を始めた。


(水に削られたのか、足元はつるつるしてる――何も見えないから不安だったけど、なんとかここまでこれたな)


 片手は聖剣を引きづり、もう片方の手は強く、きつく握りしめられている――両手が塞がっているこの状況で、何かに足をとられでもしたらと思うと、けっこう気が気でない時間だった。


 見下ろしても、水のなかは窺えない。何かしらの生物がいたかどうかも分からないまま――


 緩い傾斜を上っていく。


 先に舟を脇につけていた長老たちが、ロストとアリスが上ってくるのを待っている。杖にくくりつけられた――というか、杖が絡みついている――炎を収めた金属容器が、足元を照らしてくれた。


 空気はひんやりとしていて、奥から風の音がする――まるで呼吸のようだ。闇の奥にいる、虚大きょだいな何かの――振り返っても、集落のかがり火はもう届かない。暗闇と、それを薄く覆うようなもやだけが広がっている――それは洞穴内も同様だが、前を行く明かりと小人たちのお陰で、少なくともロストの進路上は視界が晴れていた。


「びしょびしょだわ……」


「…………」


 ロストは目のやり場に困っていた。暗がりに、浮かび上がるように白く――ただえさえ身体のラインに沿っていた薄地のドレスが、今やその肌に張り付いてるのだ。骨の浮き出た細い身体――それとはまるで対称的な――ピンと尖った――ふたつのふくらみが――思わず、繋いでいた手を離した。


(うう……)


 身体は熱を失う一方だというのに――いや、ある一点にだけ熱が集中し――頭のなかが沸騰しそうなほど、熱くなる。


「おお……せいけんさまが反応しておられますのじゃ……!」


「やめてください!」


「? どうしたの……? やっぱり――歩きづらいものなの?」


『はっ(嘲笑)』


「……おうちにかえりたい」


『この奥に進めば帰れるかもしれませんよ』


 小人たちが声を上げる。長老が杖を掲げる――炎が、周囲をうっすらと映し出す。


 巨大な、暗黒の裂け目があった。


(これが……『断痕さま』……? 巨人の、破壊の跡――)


 少し行った先に、『壁』の一部なのであろう――「枠」があった。扉の枠である。その両端に――言われてみなければ気付かないのだが、扉だったものと思しき巨大な鉄の塊がくっついている。


(確かに……まるで無理やりこじ開けたかのような――剣で斬り開いたみたいな――そういう印象だ)


 これが、第一の扉。残骸の隙間に開いた暗闇の先に、もう一枚の――外へと通じる扉があるのか。


「行きましょうぞ」


 明かりを持つ長老を先頭に、それぞれ荷物を背負った小人たちが後に続く――裂け目に入っていく。小人たちが通ってもまだ余裕がある。ロストやアリスも難なく進めるだろう。

 残された二人は一瞬目が合って――逃げるように、アリスが先に光を追いかけた。だんだんと、明かりが遠ざかる。すると、聖剣の刀身がほのかな輝きを帯びていることが分かった。ロストも慌てて聖剣を両手で引きずり、闇の奥へと進んだ。


(水のなかは石みたいな足ざわりがしたけど、この辺は地上と変わらない――踏み均されてるのかな)


 小石などが転がっている様子はないが、しかし急にぐさりとくるかもしれないから、裸足であることがとても不安だった。前を行く光も離れていくし、聖剣の放つ輝きだけでは足元の確認には頼りない。自然と歩幅が小さくなる。


 周囲は静かだった。厳かな雰囲気――ロストがそう感じているだけかもしれないが、おのずと気分が引き締める。


 前を行くアリスの柔らかく静かな足音。靴下を履いているためだろう。ロストは裸足でぺたぺたと、聖剣が地面をこする音がする――不思議と、小人たちの足音は聞こえてこなかった。しかし、ちゃんと前方に、長老の掲げる炎は健在――明かりに照らされ、ここが先の洞穴よりも、若干天井が低いことが分かった。


(そういえば、ここってもう『壁』のなか――『壁』を貫通する、トンネルなんだよな……? やっぱり大きいだけあって、相当厚いってことか)


 奥へ進むほど――それだけ、この『壁』が厚いということ。天を衝き、陽射しを大きく遮るあの高さを考えれば、不思議ではないのだが――


(ほんと、巨人がつくったとしか思えないな……。古代文明の謎技術――「外」の人たちは、これがなんのために作られたのか、知ってるのかな――場合によっては、ボクが仲介役にならないと。外にも人間がいるなら、小人さんたち見て驚くだろうし)


 この先には、扉がある――視線を上げながら、ロストは無意識に左手を首の付け根に、左肩の方から感じる熱に触れて――


『――そういうことですか』


 ふと、聖剣さまが何かをつぶやく。


 小人たちが立ち止まる――目の前には、見上げるほど大きな――いよいよ儀式の時間かと、ロストは息を飲み、足を止めた。


「これを……持っていくのじゃ」


 炎の灯った金属容器を取り外し、長老が一人の小人に杖を手渡そうとする。


「これは、我々の――古き同胞たちの亡骸。心を、魂を失った抜け殻――きっと役に立つじゃろう。持って行くのじゃ――」


 小人たちが、それを恭しく受け取ろうとした――



「――そういうことなのよ?」



 ……?


 不意に、そのあいだに割って入る者。長老から杖をひったくる――


「これは、この子たちの亡骸。その抜け殻を寄せ集めて加工した、成れの果ての最終系ひとつのかたち。意思はなくとも、生きている――<アンデッド>とは違うのだけどね。まあ似たようなものかしら、勝手に動くか、使われるかの違い――扉を開く――魔法のステッキ


 それが、振り返る――


「謎が解けてすっきりした? 理解するというのは気持ち良いこと――あたしワタクシの不満がお分かりかしら? 心の充足なんて――身体の満足に比べれば、キャンディーとケーキくらいの差があるわ。クリームは胃にもたれるけれど、飴玉なんて溶けるだけ――」


 杖を、振るう――その手の中で小さく短く伸縮する――どろりと――小人たちが消えてなくなる。


「……あり、す……?」


「初めて呼んでくれたわね?」


 ふっ――と。そしてどさりと――小人たちの荷物が地面に落ちた。


「待ちくたびれちゃったの」


 にこっ――と。どこまでも可憐に――とてつもなく邪悪に――


「本当はね? 純粋に楽しみたかったのよ? 本当よ、嘘じゃないわ。"初めて同士の、ハジメテを"――清純で、美しく、純粋で、愚かな――戸惑う姿を、痛みに、快楽に、だんだんと我を忘れるその様を――愛を覚え、愛に溺れ、ただただキモチイイだけを貪るその様子を――あたしも一緒に楽しみたかったの。でもね――」


 ――我慢できなかったのよ。


『ロスト!』


「――!」


 名を呼ばれ、はっと我に返る――ロストは弾かれるようにアリスから距離をとった。両手を聖剣に――


「『断痕さま』……ですのじゃ……?」


「ええそうよ、おばあさま――」


「長老さん……!」


「ここまでよく働いてくれたわね。おばあさまは特別よ、特別な<目>であたしをこの場に見いだした――そうやってあの子たちを導いた。救いがあると、希望があると――あたしの趣味ではないのだけど、信じることも快楽よね。苦しみから楽になれるもの。『ハジマリの業』なら仕方がないわ」


 アリスの足元に、かつて小人たちだったものが――白い液体が、どろりと――集まって、固まって――


「シチュエーション、雰囲気づくり。それはとっても大事だわ。身体の満足を高めるために、心の充足は必要だもの。あたしだけじゃ無理だった――そんなに我慢できないもの。そういう意味では良かったわ、生殖できない小人たち――快楽を得られない木偶の坊成れの果て――知識の探求、苦境からの脱出――ええ、ええ、ここまでよく頑張りました」


 彼女のお喋りは止まらない。口を挟むことも、相槌させる気もなく一方的に、ゆっくりとリズミカルに、聞いている側の意識を掴んで放さない身振り手振りを添えながら、ただひたすらに、身勝手に――


「おばあさまは誇りよ、餌よ、囮なの――哀れな赤ずきんを騙すため、オオカミのまとう毛皮からだのような――そうね、そろそろ我慢できないわよね、じゃあご褒美をあげましょう」


 分からない。何が起きているのか、まるで――しかし、危険な状況だと思う。理解が追い付かないまま、それでも動き出そうとしたロストを制するように――


 扉を開いてあげましょう――アリスの手の中で、短くなった杖が軽く振るわれる。手首のスナップをきかせて、まるで指揮でも執るように――


 突如として、周囲の闇が――流出する。


(浸水……!? いや――違う――)


 どろりとした――闇に紛れる何かがある。それが長老の持つ明かりに照らされた、奥の扉にまとわりつく――染み込んでいく――流動している。


「けっこう力を使うのよ。でもせっかくだから見せてあげる。どんな顔をするかしら。夢も魔法もないことに――それとも興奮するかしら? きちんとそこに、現実があって――」


 地響きがあった。


「扉が……」


 ロストは思わずそれに目を奪われる。長老も背後の扉を振り返る。


 ――動いている。二つの巨大な――壁が開くように、ゆっくりと左右に――唸りをあげながら、吸い込まれていく。


「扉というものはね、押したり引いたりするだけじゃないのよ。横に動かせば開くのに――まあ、ヒトのでは無理なのだけど。でもせっかくだから見ていって、これが真実、ここが現実――夢見た先のその景色」


 扉が――開いていくというのに――何も、変わらない。


 光が差す訳でもなければ、風も吹きこまない。今が夜だから? ……違う。


 景色が、開けない。


 空気が死に絶え――静寂だけが、そこに残る。


「なん、だ……これ……?」


 土が、そこにあった。まるで大地の断層だ――扉の向こうは行き止まり――


「純粋であるという愚かさ――何も知らないから信じてる。扉とは阻むもの、その先には別の何かがある――どこかに通じる入り口だって……それは当たり前のことだけど。だけど扉は壁なのよ、暗闇の先には闇があるだけ。真っ暗だから見えないんじゃないの、目の前には壁があるだけ、行き止まり――かたちだけの扉が此の世のなかにあるなんて、とてもじゃないけど信じられない?」


 塞がっているのか。土に埋もれてしまったのか――誰かが、外から埋めたのか?


 ……いや、そうじゃない。確かに阻まれてはいるが、これはもう、そういう次元じゃない。


 扉が開いても、土くれ一つ落ちてこない――完璧に固まった――


(地面だ……まるで地中だ。"断層"だ。そんなところに、扉をつくる訳なんて――なんの、意味が――)


 からん、と――光が地に落ちた。長老の手から金属容器が離れる。明かりを覆うように、長老が膝をついたのが分かった。


「がっくりきたかしら、年だものね仕方ないわ。でも――でもね、大丈夫よ。みんなの望みは叶えてあげる――せっかくだもの、終わらせましょう――快楽の扉を開いてあげる。還りたいのでしょう、土くれに。もやに溶けるだけの何かになんてなりたくないものね。心も魂も、真に解き放つ愉悦を教えてあげるわ。あたしと一緒にきましょう? あたしが外に連れてってあげる――この『壁』の外へ――この『扉』の先へ――あたしがなるのよ、<大淫婦セラフィム>に――!」


 くるっ――と、振り返る。


「……あら? どうしちゃったのおばあさま? どこへ消えちゃったのかしら? 一人で勝手にイクなんて――きっと我慢できなかったのね?」


 最初最後の小人が消え去った。



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