19 儀式 - あらしのまえの
儀式は、夜に行われる――
「あたし、アルルイス=アルマステラっていうのよ。音のきれいな名前でしょう? お母さまがつけてくれたのよ。あたしのことはアリスって呼んでいいわ」
アルルとかルイスとか、アルマとかステラとか……いい感じに呼べそうな区切りはいくつかあったのだが、本人がそう呼べというからには、無視も出来ない。
ごく普通の女の子といった見た目で、とてもお喋り。多少変わってはいるものの、悪い人間ではないだろう。頭の方は……あれかもしれないが――日中はレリエフが相手をしていたので、ロストは特に困ることはなかった。ちらほらと視線こそ感じたが、こっちが声をかけなければ自分から来ることはない――そういうお姫様なのだった。
そんな少女と――なぜか、二人になっている。
正確には前にも後ろにも人がいるから「二人きり」ではないものの――
「あたし、こんなきれいなドレスは初めてだわ。見て、夜なのになんだか光ってるみたい――知っていて? これはクモイトでつくられてるのよ。クモイトっていうのは、クモから採れる糸のこと! ……クモって知ってる? とっても大きくて恐いのよ。だけどあんなに大きいのに、クモイトはほんの少ししか採れないみたい。この前、小人さんたちが戦ってるのを見たわ……きっとこの時のためだったのね! 小人さんたち……『つよすぎわろた』『これちーと』『まじむりげー』ってずっと言ってたの。うわ言のように……目が死んでたわ……。つらいならやめたらいいのに、それでも果敢に立ち向かっていたの。なんだかよく分からなかったけど、すごい困難を乗り越えた末に手に入れたものなのよ。それを、こんなにたくさん……あたしのために用立ててくれたの! あたし、こんなきれいなドレスは本当に初めて!」
口を挟むというか、相槌する余地もないほどに一方的にまくしたてる。特に早口という訳でもないのだが、流れるような口調で身振り手振りを交えてリズミカルに、聞いている側に自然と口を閉じさせる勢いがある。
多少身勝手すぎるきらいはあるが、悪気はないようだし、一応自分の見聞きしたものを相手に伝えようという意志はあるようなので、邪険にすることも出来ない――そうなんだ、と黙ってその声に耳を傾けるばかりだ。口元には呆れたような、力の抜けた笑みが浮かぶ。おのずと、つぶやいていた。
「……お姫様、なのでは?」
「そ、そうよ……! でも、そういうことじゃないのよ。これはあたしのためだけのドレス――今からする、儀式のためのドレスなの。世界に一着しかないのよ。特別なのよ」
「ん――」
いったいこの村にはどんな技術があるのか――日中には服を濡らし、涙していた――思い切って言ってしまえば、貧民か奴隷のようにみすぼらしい少女だった。髪も手入れがされておらずくせっ毛で、素足で出歩いているために足は土塗れ――そんな少女が、である。
華奢な身体のラインにぴったりと合った、肌が透けてみえそうなほど白いドレスを身にまとい――未だくせは残るものの、きれいに透かれた髪は女の命と言うに相応しい色つやと輝きを取り戻し、ティアラのようにあしらわれた金属を頭に載せている。手には薄地の手袋を、スカートからわずかに覗く脚には、手袋と同じ仕様の靴下――華美ではない。派手ではない。芸術的な刺繍もなければ、特徴的な装飾がある訳でもない。
ただただ、シンプルに――可憐さ、清純さ――少女らしさ――その一点だけを突き詰めたかのような、純粋な装い。
鎖骨に沿うように開いたドレスの胸元を指先でなぞり――目を閉じてうっとりと、微笑む。
(日中に会った本人だとはっきり分かる――その上で、別人みたいだと感じる――)
まるで魔法だ。
化粧をしている様子もないのに、衣装一つで――ちょっと水浴びをするだけで、人は――女性とは、こんなに変わるものなのか。
本当に、お姫様のようだと――そう思ったから、言葉はおのずと口からこぼれたのだが――
(なんでこんな気持ちにならなくちゃいけないのか――)
一方、その横に並ぶロストはといえば、アリスのドレス同様、クモイトというもので織られてこそいるが――見た目だけでいえば、白い布をまとっているだけに過ぎない。ゆったりとしていて、頭と腕を通す穴があって、一応は服として機能している。しかし、問題がある。
(なんだかとっても恥ずかしいんだけども)
夜闇のなか――左右にいる小人たちの掲げるものと、村の方に設置されたかがり火に照らされ――ほとんど透明に近い生地を透過して、服の内側の身体がシルエットとして映しだされるのだ。気分的には、ほとんど裸を見られている感覚である。
聖剣を前に持ってきて、なんとか羞恥心をしのいではいるが――さて、これからどうなるのだろうか。
ロストの視線の先では、かがり火を頼りに小舟に荷物を載せている小人たちの姿。選ばれた六名の小人と、儀式を執り行う長老がそれに乗り込むのだ。
当然サイズは小人用なので、ロストやアリスが乗り込むと他の小人が入れなくなる。最悪沈む。レリエフなんて論外だ。ではどうやって扉へと続く洞穴を、そこにある湖を越えていくのかといえば――
(ほんとに足がつくのかな……)
徒歩である。小人たちでは厳しいが、大ニンゲンであるロストたちなら大丈夫じゃろう、というのが長老の見解である。湖に身を浸し、ケガレを取り払う意味もあるそうだ。
(それにしても――思ってたより、大掛かりというか――こんな服まで用意して。舟の荷物は儀式に必要な品というより――そのまま、旅に出るつもりみたいだ)
小人たちは全員、笑顔がデフォルトであるかのようににこにこしているが――今もそんな感じだが、日中とは異なり、「ノリ」のようなものは感じない。笑顔にも、穏やかなものがある。旅立つ同胞を見送る――そういった印象だ。
……特に、何かを期待されているといった感はない。念を押されたりも、儀式の手順なども説明されていない。服を着替えてほしいとだけ――それだけなのだが、小人たちにとって今回の儀式がいかに重要なのかは、この光景を見ているだけで分かる。
今更だが、緊張する。
『我輩、本当についていかなくて大丈夫でありますかね……』
「だって、レリエフさんだと水没しそうじゃないですか」
『ええ、まあ……試したことはないでありますが……不安がないとは、言い切れないであります……』
「――もし、何かあったら。その時は呼びますよ(助けを……)」
レリエフはその他大勢の小人たちと留守番だ。
だけど、聖剣は持っていく。……正直、この重量を引きずったまま水のなかに足を踏み入れるのには不安があるも――
「そういえば……こころなしか、軽くなったような。ずっと引きずってたから、ボクにもいいかげん筋肉がついたのか――……何かあったんですか? 気付いたらいなくなってて、ほんと驚いたんですけど――小人さんたちに何されたんです?」
イッヌに曳かれて現れた時は驚きのあまり、気付かなかったが――こうして夜闇のなか、炎に照り返して光る聖剣は――
「なんだか、つるつるしてますね……」
『そうでしょう』
誇らしげなようにも思えるし、不機嫌そうにも聞こえる反応だった。放置していったことを拗ねているのか――これまで
まったく扱いづらい聖剣であるが……『せいけんさま』などと呼ばれても、ロスト個人はどこまでも無力だ。もしも「奇跡」が必要になるなら、持っているに越したことがないのがこの聖剣。仮にも伝説の品である。
「――用意が出来ましたのじゃ」
と、長老が振り返る――既に小舟に乗っている。選ばれし六人の小人たちもまた、舟の片側に三人ずつ、向かい合うようにして座っている。舟の先頭には炎を閉じ込めた金属容器がとりつけられており、少し先の暗湖を照らしていた。
「我々についてきてくだされ――」
「あの……今更なんですけど、ここの水って飲料用に使ってますよね――飲みましたし――ほんとに、入っちゃっていいんですか……?」
「安心なされ、誰も気にしませんのじゃ」
「うーん――」
気にしまんじゃー、と肝心なところが抜けた木霊で困る。
「まあ、いっか――それじゃあ……えっと、舟はどうするんですか? ボクたちが押していく感じですか?」
「そこはほれ、このように」
と――長老が手にしていた白い杖の先端を湖に沈める――波紋のせいか、湖中で杖が折れ曲がったような……――ぐるん、ぐるん――ゆっくりと――だんだん早く――舟が前に進みだす。
「どうなってるんだろ、あの杖……聖剣さまよりよっぽどマジックアイテムなんですが」
『あれは「生きた屍」ですね――意思のない、ただの道具――あれこそまさに、成れの果てなのでしょう』
「?」
一人で納得するだけで、特に説明するつもりはないらしい。
『それより、舟を見失いますよ――それほど広くはないでしょうが』
「……聖剣さま、ちょっと冷たくないですか?」
『冷たいのが恐いのですか? 時間を潰していないで、早く行きなさい』
「う……」
深いもやと、暗闇――こちら側にはかがり火があり、向こうには明かりを灯した舟がある。しばらくは視界に困らないだろうが――
その先には、巨大な闇が控えている。底知れず、奥深い――全てを飲み込むかのような、暗黒が。
「――――」
この闇の向こうには、いったい何が待っているのか。
好奇心を杖にして、意を決して歩み出そう――としたその背中が、何かに引っ張られる。
出鼻をくじかれ、前につんのめりかける。そのまま湖に突っ込むところだった。
何かと思って振り返れば、片手をわずかにこちらへ向けて伸ばした格好の――アリスは視線を逸らし、胸元に添えられた右手が弱々しく握られる。
「手は、繋いでくださらないの……?」
「……え?」
「こ、こういうときは、男の子がエスコートしてくれるものでしょう……? 手を、とって……」
行き場のない左手が――
「あ、あたしはお姫様なんだから――っ」
「……うう」
小人たちの純粋な瞳に晒されているなか――これは、あまりにも――
「――――」
伸ばすと、恐がるように引っ込んだ。それから少しだけ歩み寄り――触れると、もう離れない。
――暗い水面に、波紋が広がる。
舟が進む。暗がりをかき分けるように――光が、遠ざかっていく。
冷たい風が吹いていた。
静かに、歩んでいく――水の冷たさに声を上げたのは一瞬、それからは、先ほどまでの賑やかさが嘘のように――暗がりに浮かび上がるような白い後ろ姿を、ただ見送る。
『彼らは、旅立つのでありますか』
「そーなのー」「きっといけるー」「そういう気がするー」
『……寂しくはないのでありますか』
「みんな一つだからー」「我々もこころはいっしょ」「すくいがまってる」
――かいほうされる、と――
(なんでありましょうか――この――)
穏やかで、静かな時間だ。にもかかわらず――どうしてだろう、とレリエフは思う。
日中、あんなにも騒がしかった――明るく、楽しげだった小人たちが――今、こんなにも静まり返っているということ。
『……儀式とは、いったい何を行うものなのでありますか』
「しん」「せいなる」「だんじょのー」「まじわーり」
『え』
一瞬、言葉の意味を判じかねた。
「『断痕さま』に捧げるのー」「みたがってる」「そういうぷれい、てきな」
『あ、あの……え? え?』
「ぎしきすると」「ひらいてくださる」「かいほう」「そういうはなし」「なってます」「であります」
小人たちの言う、『断痕さま』とは――巨人のような存在によるものと思しき、破壊の跡――それを偉大な存在の痕跡と見做し、小人たちは信仰している――
(そのまま受け取るなら――扉の前で、ま、まじわる……そういうことなので、ありますが……)
何か――目に見えない対象を信じているだけ、とは異なる――
(まるで誰かに、「そういう指示を受けている」ような――)
まるで小人たちは、その存在を――
『「断痕さま」とは――もしかして、本当にあそこにいるでありますか?』
「分からん」「長老さまだけが知っている」「我々にとってもまぼろし」「分かるけど、分からん」「長老さまも分かってない」「我々が見てる、まぼろしかも」
『考えすぎ、なのでありましょうか――』
だけど、いる――と。その存在を、感じている――
「長老さまは、まぼろしを見る」「そこにあった」「そこでおきた」「ものをみる」
『それは――もしや』
「ぜんぶじゃないけども」「たまにだけども」「それを我々もりかいするので」「そのせいで」「よく分からん」「ゆめかうつつか」「ふつつかものか」「こんどうさん」「でありますの」
『……<火の目>でありますか……? 長老さまとは、いったい――』
「ぶらっくなじだいから生きてる」「それもまぼろしかも」「分からぬ」「みんな忘れるので」「忘れてない、わけじゃないので」「かこはまぼろし」「きおくもあやふや」「ほーらく」「けいやく」「かけはし」「我々も知ってる」「けど知らない、かも」「きょうゆー」「つらいところよね」
――古くからここにいるのではなく、幻を見るため、そう思い込んでいるだけ……かも、しれない。つまりそういうことだろうか。記憶を失うため、幻を自身の体験だと混同している――長老さまが具体的にいつからこの『壁』の中にいたのかは知れないが、少なくとも他の小人たちとは何かが違うのだろう。
(ぶらっく……暗黒時代? それは地上に混乱が訪れたという、前時代の終わりのことでありますか? 分からないでありますが――長老さまには、『幻視』あるいは『過去視』の異能があると考えられそうであります)
では、あの洞穴の奥には――
(ただの幻、あるいは過去に起こった何かを
それとも、本当に――小人たちに指示を与えた、「何か」がいるのか――
『…………』
不意に知ってしまった「儀式の内容」について忘れてしまうくらい、ただひたすらに――不安だった。
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