11 せいなるしょり - 魔女退治の後始末




 ――おぞましい音を聞いていた。


 何かが潰れるような鈍い音。拳が大地を叩く音。その震動。

 水気のある音が飛び散った。硬いものが折られ、磨り潰される。


 何が起きているのか、分からない。分かりたくない。


 誰かが食事を嗜んでいるようだった。とても下品に、音を立てて。


 誰かが泣き叫んでいるようだった。嬌声を含んだ、狂乱とともに。


 ――目を閉じて、見ないふりをする――


 耳を塞いで、膝を抱えて、隅で小さく――ならなくても、ロストの意識は深いところに沈んでいた。


 ただ、音を聞いている。



『――王子――』



 誰かの声に、目を開く。

 ぼんやりとした光景――夢を見ているようでもあり、客席から演劇を見ているようでもある。


(これは――ボクの、記憶……?)


 そんなことをうっすらと思ったが、どうにも声の主は女性らしい。


 一人の女性が、幼い少年を見つめている――ように、見える。視界がもやがかっていて、何がなんだか分からない。


 しかし、女性がその少年に対し、並々ならぬ感情を抱いていることは手に取るように理解した。


『王子、お勉強の時間です』


『王子――固くなっていますね。どうしたんですか――』


 場面が次々と――混ざり合う。女性の目線で見ていたはずが、時折別の誰かの視点が入り込む――しかし、声はずっと女性のものだ。でも、もっと多くの人間の気配を感じながら――映像は続く。


『力を抜いてください――抜いてさしあげます――うふふ。どうしたんですか?』


 ……あれ?


(なんだろう、何か、こう……ヨクナイものを見ている気がする……!)


 何がなんだか分からないが、全身に熱を感じる――これは、この女性の――


『はあ――はあ……。王子――眠ってらっしゃいますね。ふふ――うふふ……、いえ、でも……ダメよワタクシ――相手は一国の未来を担う王族――穢れを知らない、幼い男の子――でも、誰も見ていないなら――王子も、眠っている今なら――』


(あ、え、ちょっと……! 何してるんですかこの人! ゆ、指を……口に!? え、あれ、あの……! 誰か!? 誰か来てくださいヤバいですこの人! 聖剣さまー!?)


 目を覆いたくなったが――それは出来なかった。


 それはきっと、過去の出来事。既に完了された事象――誰かの、記憶。


 しかしそれはまるで自分の記憶であるかのように頭のなかで展開され、自分が体験しているかのように――


(あ、頭が変になるうう……だれか、誰かー! 王子さまが大変なことに――)


 その時である。



『貴様――何をしている!? 我々に歯向かうというのか!』



『魔女めェ――焼き殺してしまえ!』



『逃がすな、一人残らず殺せ! 王族の者、そば仕えの者――全てだ!』



『これは<聖裁せいさい>である……! 悪魔の血族を全て処理しろ!』



 ――なん、だ……これ。


 凄惨な光景が繰り広げられていた。


 戦争のようであった。内乱のようであった。戦闘のようでもあったし、虐殺のようでもあった。ただただ暴力が吹き乱れ、××が糞みたいに棄てられる。


 地獄だ。


 その地獄から――また、地獄へ。


『必ず、我々が王子を見つけ出します――そして、ヤツらを――』


 囚われ、××された王子を――取り戻すべく。

 生き残った数人が――


(<ここ>に――?)


 そして、



 ――――これが、あの騎士が×した器の人生よ――うふふ。



 魔女が、こちらを見た。




 ……………………。

 ………………、

 …………。



 ――放心、しているようだった。



 赤黒く汚れていたはずのコート――その表面から浮かび上がるように白い液体が滲み出て、それが気化してもやに溶けると、コートの背から醜悪な染みは消え去っていた。


 その足元も同様だ。無惨に散らかっていた××の数々が、まるで最初から何事もなかったかのように――ふと気づいた時には、消えている。


 この場所の――この<ホール>における、生物の終わり方だ。


『…………』


 地面に投げ出されたままの聖剣は、その後ろ姿をただ見つめている。


 コートで全身を隠したその何者かは、砂利道の上に転がる何かを拾い上げた。金の鎖で繋がれた、ペンダントのようなものだ。その何者かはそれをコートのポケットに収める。


 その光景を、見つめることしか出来ない。

 目を閉じ――それまでと同じように――ただ、時が過ぎるのを待つ。


 やがて――巨大鎧の軋む音が聞こえてきた。


 目を開くと、放心していた何者かの姿はどこにもない。


『――聖剣殿』


 くぐもった声が、鎧のなかから聞こえてくる。


『恩人殿が、目覚めないであります』


『ええ、そのようですね』


 全身を燃やした上、意識がないところを魔女に利用されたのだから――目覚めなくても、不思議ではない。


 しかし――まだ、白くなって溶けてはいない。


(回復するものと見込んでの強硬手段でしたが――再生も無限ではない、ということですか。目覚めるまでに、どれだけかかるか――あるいは、)


 レリエフ(仮)が聖剣を持ち上げ、離れたところで仰向けに倒れているロストのそばに移動する。


『あの魔女は、確殺しましたね』


『……はい、であります。周囲の大気にその残滓こそ感じますが――大元は滅んだと見て問題ないかと。――<ケガレ>の気配はありません、であります』


『…………』


 聖剣は、そう判断しない。


(<聖骸>とわたくしの性能はどうも似て異なるようですね。わたくしにはまだ、あの魔女の<ケガレ>が感じられる――)


 それは――その、鎧のなか――


(……けれども、本体を前にした時の気配とはまた異なる、別種の――<聖骸>は装着者を守るもの。向けられる敵意に反応する……であるならば、問題ないと判断してもよいでしょうか)


 と――


『あなたの目から見て、下僕の身体に何か異常は見られますか』


『いえ――いや……、これは――』


『どうしましたか』


『何か、おかしいであります』


 鎧が屈みこむ。倒れるロストの頭のすぐ上に、聖剣を突き刺した。


『何がおかしいのですか? 今のあなたの行動の方がとってもおかしいのですが』


 聖剣が見るに、ロストの身体に特に異常は見られない。銀色の髪も頭も切断を免れたし、全身全焼したにもかかわらず肌には火傷の一つもない。下の腰巻が脱げてはいるが、レリエフ(仮)が用立てた新衣装も同様だ。耐火性があるのか――(わたくしがうまく制御できたのか)――


『何か、生えているであります……』


『はい……? いや……はい? それは、その――ロストの、足の付け根のところにある……それ、ですか?』


『キノコ状の物体が――身体に接着しているであります。いかにも怪しいであります。全身はこんなにも脱力しきっているでありますのに、コレだけが硬く、怒張しているであります――わっ、動いた……で、あります……』


『…………』


『聖剣殿――思うのでありますが、あの魔女には身体を複製する能力……再生能力がありましたであります。――それに関してはまあ、我々もでありますが――あの時の、白い液体――それとよく似た液体が、この物体にも付着しているであります』


『そうですね――どうやら本気のようですね』


『魔女が蘇生術を行おうとした時、魔女の身体にもっとも触れていたのはこの、下半身の辺り――何か、良からぬ呪いの類であるかも、であります』


『……あなたの<聖骸>は、そのような気配を感じたのですか?』


『い、いえ――しかし、<聖骸>も完全ではなく。不意に頭上に落ちて来る小石など、敵意のないもの――我輩に対する攻撃意志がないものに関しては、察知が遅れるでありますから……恩人殿単体を狙った呪いであれば、あるいは……』


『そうですか――本当の本当に本気のようです。……では、抜いてみるのはいかがでしょうか。恐らくは<硬直のセイズ>がまだ残留しているのでしょう。ああいうのは洗脳の一種、術者の意思でかけることは出来ても、解除することに術者の意思は関係ありませんから』


『しかし、相手は魔女の呪い……肉体とも相当癒着している様子。これは<聖炎ビーム>で滅するか、聖剣殿に切断してもらわなければ……』


『ええっ――……いえ、わたくしではサイズが大きすぎますから、そのような小さきものを切断する繊細な作業には不向きです。口惜しいですね』


 言ってから――たかが鉄クズ、××の助けにもなりはしない――魔女の言葉が意識をかすめる。


『…………』


『我輩も……出力のコントロールに難がありますので――もしも全身を焼いてしまった場合、果たして再生するかどうか――』


『それは恐ろしいですね。やはり、抜いてください――抜くとはつまり、内部に溜まった邪悪なケガレを、という意味です。中身を放出させるのです。そうすれば大人しくなり……ええっと……そうですね、やがて自然消滅すると思います。既に白い分泌液が出ているでしょう。少しでも刺激を加えればすぐに果てるはずです』


『そうでありますか――では、早速。えい』


「~~~!?」


『あ! 恩人殿!?』


 鎧の五指がそれを引き抜こうとした。するとロストの下半身ごと持ち上がり、意識のないロストの口から言葉にならない音が漏れ――ばたり、と。それまで以上に全身の力が抜けてしまった。ぶくぶくぶく……口の端から涎なのか泡なのか、よく分からないものが溢れている。同様に、下のそれも激しく内容物を噴出し、鎧の手甲にべたべたとまとわりついた。


『だ、大丈夫でありますかね……?』


『これでいいのです。解呪のためには体力が必要……呪いを解き放つほど、下僕も苦痛を味わうでしょうが――耐えるしかないのです。苦難を迎えるほどに悦ぶ体質であるかもしれませんし……ですが、一応、もう少し気を遣ってあげてもよいのですよ? ええ……出来れば、素手で、生身でお願いします』


『それは……』


『抵抗があるなら、そうですね――口とか、足――脇……膝……』


『?』


『何かこう、挟むのです。あるいは踏んだり蹴ったりするのです。とにかく刺激を加えることが出来ればいいのです――……わたくしはいったい何を口走っているのでしょう……?』


『そうでありますか……生身で……挟む……』


 がさごそ、ぎいぎい――鎧の胸部ブレストアーマーが内側から開き、中からコート状の織物で身を隠した何者かが姿を現す。


 ――レリエフ(仮)である。


 レリエフ(仮)はコートに隠れるようにしながら、ロストの足元にしゃがみ込む――なんだかとても問題のある――いやぎりぎり大丈夫な――光景が、聖剣の眼前で繰り広げられていた。


『わたくしは……いったい……何を……見せられているの、でしょう……』


 とても混沌としていた――頭を抱え、目と耳を塞ぎ、自分が招いたこの事態を心底後悔していた。もう現実なんて知らない。ロストの気持ちを初めて理解した。



 だからなのか。



 わんわんわんわんわん!



『!』



 気配もなく近づいていた――ソレの気配に、気付けなかった。



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