10 『淫蕩』狂乱2 - つくられたケダモノ




 ――あたまがふわふわする。


 強烈な痛みに全てが消し飛んだ。理性が焼き尽くされるほどの――全てを見失うような、絶頂。


 真っ白になった頭に、忍び込む――魔女の息吹。


 理性を、意識を失った身体は、もはやただの肉の塊。欲求に従う、ただそれだけに衝き動かされる本能の奴隷。


 与えられ、刷り込まれたのは生存欲――種を残そうとする生物の本能。


 ――しかし。これは呪いである。魔女が囁く言葉は、いずれ死に至る悪因の一つ。


 性を、快楽を、悦楽の限りを貪ろうとする、『淫蕩』の罪悪――己が滅びようとも際限なく、残すべきタネを棄て、継ぐべきセイを浪費する。

 繋がるのは己のため、愛など不要、嵌合するなら満たされるなら、ヒトでなくとも構わない。

 壊れたように前後する、狂ったように上下する――ただそれだけの人形キカイと化す。


 ふわふわと、ものを考えられない肉体は、ただただ「気持ち良い」を求めて行動する。その歩みは夢遊病者のそれである。気持ちの良い方向へ、心地の良くなる何かを求めて――意思をもったように屹立するソレが、己を満たす穴を求めて――傀儡と化した少年は、魔女の欲望を満たすべく歩みを進める。


 そして――そこに達する。


「ねえ、あなたが私をこうしたのよ――責任もって、助けてよ」


 甘えるようなその声は、まだ若い少年を虜にするにはじゅうぶんだ。


「止まりそうなのよ、おかしくなりそうなの――身体が冷たくなりそうなの。熱をちょうだい、私を抱いて――」


 求めているのは、簡単なコト。

 止まりそうな心臓を動かすには――衝き動かすには――


「眠り姫を起こすには――ねえ、分かるでしょう?」


 そして魔女は絶命する――命の火が熾ると確信して。


 今、この時、その身は確実に停止した。


「ぁあ……、」


 口端に涎を垂れ流しながら、虚ろな目をした少年が跪く。

 地面に手をつき這うように、魔女の亡骸にしがみつく――すがりつく。祈るように、許しを請うように――美しく眠る横顔を見下ろすように、その上にまたがって、


『何が眠り姫だこらー! 自分の身体年齢考えろ怪物が――!』


 遠くのノイズは届かない。


 ――ギッ、ギィ――


 金切り声を上げる巨大鎧。


「…………」


 少年は、魔女の胸に手を伸ばした。

 柔らかな感覚に、沈んでいく。ドレスの破片が溶けだし少年の両腕に絡みつく。誘うように、吸い込むように、とん、とん――と、少年の腕を上下させる。何も遮るものがない、肌と肌の癒着が始まる。指の隙間からこぼれるような脂肪の塊。爪を喰い込ませても、いたわりなく掴み揉みしだいても――それは全てを包み込む。


 ゆっくりと――だんだん激しく、少年は死体の上で前後する。


 皮膚を肉を押しやって、骨を砕きそうなほどに力を込めて――自分の全てを押し付けて、体重を乗せて圧迫運動を繰り返す。


 そうすることが気持ち良いから――際限なく繰り返す。


 ――とくん、どくん、と――際限ない鼓動が繰り返す。


 それは即ち――蘇生術である。


 今にも魂がその身から離れていきそうな、哀れな死人に生を分け与える――これは、正しいこと。だから少年のなかにうっすらと理性が残っていても、この行為に疑問を抱くことはない。


 正しいことは――気持ちの良いことなのだから。


 悪人に石を投げるのは正義だ。嘘つきを糾弾するのは正義だ。人殺しを罰することも、また正義――正義を掲げれば、何をしても許される。


 残るは、呼吸を戻すだけ――生命の息吹を、虚ろな唇へ。蠱惑的に開いた穴が、そこにある。


 嵌合すれば満たされる。満たされたらもう、戻れない――



「その理性なき性交――待ったー! であります……!」




 ――少年の口が、火を噴いた。


「っぁ――! おいたが過ぎるわ、鉄クズが……!」


 見るものを毒す魔女の顔面が焼却される。魔女は反射的に少年の身体を突き飛ばしていた。


 ――完全掌握、絶対服従までもう一歩だった。

 魔女との口付け。逃れられない嵌合。不必要な<炎>を吸い出して中身を白く塗り潰す――去勢したケダモノのように、モノにする――契約が済んだなら、意識を戻して――壊れるまで、弄ぶ。


 久しく見ない玩具だった。成熟していない、性の悦びを知らない――純粋な、男の子。


 足腰が立たなくなるまで動かそう。倒れ込んだなら押し潰そう。空っぽになったなら満たせばいい。泣き喚くなら塞げばいい。抵抗するなら奪えばいい。


 それでも、心だけは生かしたまま――修復不可能な尊い宝物。それが壊れるまでは、遊び続けよう。


 なるべくなら、壊さないように――叩きつけて生まれたヒビをなぞるように、亀裂を抉りながら愛撫して、中身を掘り出して空洞カラにする。


 やがて眼を閉じ自ら声に従うだろう。求めることが幸福であると知るだろう。手にすることだけが己を満たす。いずれ考えることの意味を失い、ただひたすら貪り続けるブタになる。自分は永遠であると信じて腰を振り続け、精魂尽きて果てるまで――『淫蕩』に耽溺する――


 そして一人のニンゲンが、堕落する。


 ……その様を思うだけで、その過程に馳せるだけで――堪らない快感に脳がとろけてしまいそう。


 それなのに――


(――我慢? いいえ、この機を逃すべきではないわ――私は手に入れる。あの子が欲しい――犯したい。ハジメテが欲しい――壊したい)


 ソレの行動原理はただ一つ――己の快楽、それだけである。


 善意もなければ、悪意もない。優しく頭を撫でた手で首を絞めるし、柔らかく唇を重ねたその口で喉を裂く――ただ、気持ち良くなるために。


 ソレは徹頭徹尾――真正の邪悪、その化身なのである。


 しかし、完全ではない。


「せい、きし――」


 白い液体によって復元していく顔――唇が、魔女の意思とは無関係に言葉を紡ぐ。



 …………聖騎士聖騎士聖騎士聖騎士聖騎士聖騎士――――!



 ――――どうしてお前だけが生きている



 ――――なんのための聖騎士なんだ



 ――――お前がいたのに、どうして



 頭のなかを――器のなかを、満たすナニカ。


「あぁ――それはね、いただけないわ――」


 虚ろにつぶやきながら、手足を這わせて後ろに引きさがりながら――近づいてくる何者かを視界に捉えながら――


「それは、私には似つかわしくないモノよ――考えて、考えてもみて。あなたはアレが憎いのでしょう? でもそれは、私とは異なるモノよ――」


 頭のなかで鳴り響く声を黙らせようとするように、ずぶり――と、自身の右手をこめかみに突き刺す――吸い込まれるように、溶け込んでいく――その肉体は既に純粋な物質ではなく、固体と液体のあいだを絶え間なくさまよっている。


「憎いのなら、報いましょう。殺すんじゃないわ、犯すのよ。復讐するなら、屈服させるの。屈辱を与えましょう。辱めてあげましょう。貶めるのよ、尊厳を。陥れるの、淫蕩に――ええ、えぇ――あらゆる悪辣を尽くしてあげる。私があなたを満たしてあげるわ。だって私のためだもの――」


 手を引き抜く――瞬間、うっとりと――恍惚に歪んだ表情で、地に両手をついて、立ち上がる。


「どうしましょう、どうしましょうか。単なる肉欲では物足りないのね。恥を知るにはどうすればいいかしら――ねえ、聖騎士さん。××を×ませるのはどうかしら。聖騎士とかいう優れたタネを――――あら、」


 魔女はようやく、それを見た。これまで視界に映しながら、まったく眼中になかったそれを初めて意識する。


 ――この上なく、極上な笑みが浮かんだ。


「あら、あらあら……ふふ、うふふふ……」


 笑いが止まらない。お腹を抱えて、涙を流して、声の限り爆笑したい――それほどまでの激しい高ぶりを自覚する。それでも魔女は体裁を崩さない。


 ――王道を征く騎士が好む女とは、このようなかたちである――と、その顔立ちも変化する。


 騎士の理想は知っていた。その心を覗き込んだから。もやを通して少年の夢に潜り込みながら、同時に鎧に身を包んだ何者かの心に触れた。だから――知っているつもりであったし、騎士が己の術中に嵌っていることも当然の帰結であると理解していた。


 その予想が、覆された。


(私が見ていたのは、心の輪郭――その本性。「中」は見えても、「外」は見えていなかった――)


 それなら、なるほど――


(単なる肉欲に収まらない、もっと複雑な葛藤で――身動きを封じられていた、という訳ね。想像以上に不能だと思えば――)


 魔女の顔を視界に収めながらも、『聖騎士』は歩みを止めない。

 その気になれば速く駆けることも出来るだろう。しかしまるで己を律するかのように、その歩みは着実で――それもそのはず、魔女を直視すれば理性を失い、『淫蕩』の虜となるからだ。美しきものは、傷つけられない――はず、なのだが、


(想定外に、効かないわ)


 敵意を以て、近づいてくる。


――うふふ」


「…………」


「なるほど、うふふ――聖騎士。せいきし――ふふふっ」


 子どものような無邪気な声音で、何度となく繰り返す――せいきし、せいきし、と――誇りを嘲る。


「そのナリで、聖騎士とは笑わせるわね。醜悪極まりない、邪悪の化身……でしたっけ。?」


「…………」


「どこでそんな言葉を覚えたの? 頭がいい子――可哀想な子――ふふ、うふふ」


「……黙れ」


「おかしくて堪らないわ――開いた口が塞がらないの。なるほどそういうことだったのね! ――と、手を叩いて跳ねまわりたい気分。少女のように純粋に興奮しているの――今だけ幼女になってもいいくらい」


 ――その方が、とっても――


「黙れ」


「いいえ、いいえ……せっかくお話しできるんだもの、ここで終わってはもったいないわ――わたしをころすの? ――ひとでなし」


「――――」


「ここにいるのはなんのため? あなたが無能である証――飛び込んだのではなく、棄てられたの。使えぬ騎士など、ケモノのエサにでもすればいい――同じ///ノ、ど、じわ、」


 ぐちゃ――


「ねえ、一方的な暴虐は楽しんでいるかしら――手も足も出せない××を、」


「――わた、しを――」


「聖騎士が、聞いてあきれ、」


「愚弄するな――――ッッッ」


 ――ぶちゃ――ずぶ、ぐちゃ、どぴゅ、びちゃ――


 器官損壊――会話不能。複製、再現開始――粉砕――複製、挑発――潰滅――嘲笑――咬――がりばりぼりぐちゃぐしゃごぎゅ――




 ――あぁ、申し訳ないけれど、非常に残念なのだけど。溶け合い満たしたあなたの同胞――質量ストックの全てを使い果たすわ。それだけの価値があるもの、許してね。きっとあなたも満足するはずよ。



   殺される



 ――見て、この醜悪な光景を。



   壊される



 ――我に返ったその時を、私のなかで眺めてあげて――



   暴かれる



 ――このケダモノにをあげましょう、きっと相応しい器になる。



   砕かれる



 ――『情動』『過信』『飽食』――『暗愚』



   ……塞がれる。



 ――誰もが欲しがる、理想の器――



   食される



 ――ねえ、『赤ずきん』を知っていて? 遠い未来のお話よ。



   啜られる



 ――あれはまるで――///



   満たされる。



   あとには、なにものこらない。



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