9 『淫蕩』狂乱1 - <淫蕩のドミニオン/スローネ>
「うふふ――」
――周囲に、異様な空気が満ちていく。
(なん、だ……?)
漂っていた白いもやがうっすらと
それは、
「
その
「う、ぁ……」
ぴりぴり、と――手足の先から心地良い痺れが広がる。ロストは思わず声を漏らしていた。反射的に息を吸い込む――甘い風味が口内を侵し、器官を犯し、心肺にて達する。
「ふふ――その
唄うような声が弾むように謳う。踊るように舞いながら、可憐に、淑やかに。囁くように、撫でるように――舐めるように。
『気をしっかり持ちなさい! 剣を――わたくしを強く握っ、//』
『幼気で健気な少年ね、いじめたくなっちゃうわ――初心で素直な少年を弄ぶ、狂わせる、壊しちゃう――これほど背徳的なことがあるかしら』
「頭に……っ、」
言葉が入ってくる。
『ねえ、坊や。記憶がないのでしょう? 初めて目にする女はどうかしら。昨夜は楽しめた? 前戯だけでは物足りないでしょう。だけど、今だけ特別よ、今なら
どこからか現れた白い
『魔女の……<セイズ>――』
ノイズ混じりに聞こえてくる聖剣の声――だんだん遠のいていく。
(からだ、が……うごか、ない)
身体は硬く、血流は狂いだす。
聖剣を握る手から力が抜けていく。その重量を支えられない――もしも手放してしまったら――不安と恐怖は、その先に待つ××への――
『――無知な子どもを未知で満たす、新しい扉を教えてあげる。お菓子をあげるわ犯してあげるわ。花の蜜を注いであげる、わたしの×で満たしてあげる。噛みついたら病みつきよ。さあ扉はここよ、鍵はあなたの手の中に。さあ
ここは既に『淫蕩』の独壇場、欲に塗れた舞台劇――
「……おっと――いけないわ。長年染み付いた悪いクセね。頭が
ふっと、硬直が緩む。なんとかしたいという意志がある。動かなければと決意する。その一瞬にロストは聖剣の柄を固く握りしめる、が――
「でもふと我に返ること、それは自らの愚かさを顧みる良い機会。罪を犯している自覚、目を逸らすことで得る背徳。倒錯に耽る羞恥、汚れた自分に涙する――もう後には引けないの、生命の
「あ、う――なんで――」
自分の意思とは無関係に、緊張し膨張しているモノがあって――どくどくと、血管が脈打つ感覚。下半身が熱くなる。どろどろと、理性が溶けてなくなりそうほどの熱。頭のなかが沸騰する。
これは、これを――見られるのは――恥ずかしいこと。恥ずべきこと――
「初めてなのね、動けないのね。恐がることないわ、それは自然な反応だもの。びくびくしていて可哀想に、いじめてあげたくなるじゃない――ふふ、うふふ。さわってあげたらどうなるかしら。ねえ、想像してみて――ねえ、私の視線を感じてる?」
「――!」
――<
杖を右手に左手に、交互に手渡しながら歩み寄る。その棒から目が離せない。魔女が撫で回すその先から、熱に溶けた蝋のように杖を滴る白濁の液。指先についたそれを赤い舌で舐めとって、魔女はうっとり笑みをこぼす。
ごくりと、固い唾を飲み込んだ。
聖剣を握りしめたまま動けないロストの前に――時間がゆっくりと流れていく――焦らされるような感覚に腰が、脚が、勝手に前へ行こうとひきつり出す――魔女はもう、手の届く距離に。
「焦らされすぎて、我慢しすぎて溢れてきそう? 本当の自分を解き放ちたい?」
魔女が手を伸ばす。黒いレースに包まれた華奢な指が――
『強硬手段で行きます――!』
それは、ほとんど一瞬の出来事――聖剣を握るロストの手のひらが熱く、焼いた鉄でも握っているかのように聖剣が熱く――燃え盛る。
「う、ぐぁわあああああああああ――!?」
喉を裂くような悲鳴が弾けた。絶叫に呼応するように――ロストの全身を包む炎が勢いを増す。空気を焼き、肌を皮膚を焼き肉を焦がし骨に染み入る――身体の表面が黒く剥がされるそばから、血のように溢れ出した白い液体がそれを修復していく――
魔女はとっさに身を引いた。しかし遅かった。犯す者は油断していた。振り上げられた聖剣をその身に受ける――左から上へ向かった炎まとう斬撃は、魔女の右の脇腹を斬り裂きながら――
心臓で、止まる。
『なっ――わたくしをなんだと思っているのですか!』
「名ばかりの、聖剣でしょう? 主なき、鈍らが――己の分を弁えなさいな。ここは私の領界、私が
杖ごと右腕を断たれ傷口から泥血と白濁を地にまき散らしながらも、しかし魔女は左手一つで大剣を受け止める。炎はその手のひらに吸い込まれるように消えていく。
「男を満たすのは武勇でもなければまして、お飾りの武器ではないの――私だけ、私だけがその子を満たしてあげられ――う、」
赤い唇をさらに赤く染め、魔女はぬるりと刀身から身体を引き抜いた。ふらりと、よろめきながら後ずさる。ぐらりと、ロストの身体が傾いた。左手だけが溶接されたように聖剣の柄を握っている。
共に、身体の傷は消えていた。魔女の右腕も当然のように生え変わっている。白い陶器めいた
しかし――左手で胸を押さえながら、なおも魔女は後ずさった。
「あぁ、せっかくの身体が――これが、生身。ふふ、苦しい――まるで首を絞められて、激しく突かれているみたい――心音が耳に痛いわ。それがだんだん弱っていくのを感じる――あぁ、
胸を覆う黒いベールが、灰のように崩れていく。露になる肌色に、染み入り交わる白と黒。再生と崩壊の均衡が崩れつつある。
「まさか――でもね――ふふ――ここにきて、これまでの我慢が実を結ぶとは思わなかったわ。イキたいのよ、私はそういうモノ――呼吸が止まるなら、心臓が止まるなら――ねえ、簡単な話よ」
崩れるように、零れ落ちるように、魔女は倒れた。仰向けに、もやに覆われた天を仰いで微笑んでいる。
『まだ……――聖騎士、とどめを刺しなさい! いい加減動けるでしょうこのぼんくらが! 肝心な時に動けず、何が聖騎士か!』
『ッ――』
ふううう――と、深い呼吸音。レリエフ(仮)の鎧から蒸気が噴きだし、周囲の薄もやを吹き飛ばす。
『面目、ないであります――これが、魔女――』
――戦慄が、あったのだ。これまで誰の手にも触れられることがなかった――自分ですら知らない何かに、直接触れられる恐ろしさ――心の間隙に忍び込んだそれに、全てを支配されそうな感覚と戦っていた。自分のことで手いっぱいで、外界の全てが完全に意識の外にあったのである。
初めて対峙した、理外の存在を前に――
『"これが、聖騎士の本懐"――』
とどめを刺すべく。手甲の刃が再び熱を帯びる――歩き出す、それより一瞬早く、
え――
ふらりと、瞳から一切の色をなくした少年が――
『痛みもまた、快楽なのよ』
魔女の声が、もやに乗って――
『痛い、苦しい、つらい――死にたくなるほどに、それは死への反証になる。生きている証明――私が高めてあげたのに、他の
『聖騎士――っ!』
『ぐ――』
『このっ、ぼんぐらが……!』
しかし、仕方ないのだ。
動き出そうとしたレリエフ(仮)の足元に絡みつく――固くしがみつく、白い蝋。それは切り落とされた魔女の右腕と杖、その成れの果て。白蝋は空気と繋がり固着して、その空間に騎士の像をつくり上げようと這い上がる。
『ねえ、聖騎士さま――これは正しいことなのよ。私は今、とっても死にそうなのだから。助けてほしいと懇願してるの。今にも昇天しちゃいそう。堕落した私でも、許しを請うことは許されるでしょう? ねえ、助けて――見捨てるのは正義なの? それが聖騎士のすることかしら?』
哀願する。愛玩する。甘えるように媚びるように、騎士の心に訴えかけ、その心を弄ぶ。
倫理を
たとえその中身がどんなに狂っていたとしても――今はそれが、ただ一つの真理。
ならば誰もが従うのみ。
なぜならこの場は魔女の領域、理性に仇なす<淫蕩のドミニオン>――魔女が全てを支配する。
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