8 ひとよのおとも - ??狂乱女形??




 レリエフ(仮)が破壊したせいで発生したのか、それとも岩山の下に本当に隠れていたのか――『壁』の足元には川が存在した。


 上流に向かっていくか、下流に沿っていくか――上に向かえば大きな湖などがあり、そこに人が住んでいるかもしれないが、水源となる雪が積もった山などに行きつく可能性もある。下流ならば、上流よりもまだ人里に行きつく可能性が高いということで、ロスト一行は川に沿うかたちで南に向かって進むことになった。


 現在地は、どちらかといえば西方向――目指すのは、東だ。そこに聖剣の真の持ち主がいるかもしれない。そのため、南に周るルートで東へ向かおうという方針だ。


『森を通って直接、東へ向かった方が早いのでは? 聖剣殿なら方角も分かるという話でありましたが』


『愚かな騎士ですね。人は未知を求めて冒険するものです。一度通った森に戻るなど、言語同断』


『なるほどであります……!』


 壁を右手に、森を左目に映しながら、砂利道を進む。壁に陽光があたっているのか周囲は明るく、不思議ともやも薄いため見晴らしは良かった。


 壁際にある川のせせらぎは聞こえない。レリエフ(仮)が吹き飛ばした岩山は全体のごく一部で、その後も壁の下には連綿と瓦礫の山が続いているのだ。川もその下に埋もれているのだろう。ちなみに、レリエフ(仮)が今も片手に持っているバケツは、その瓦礫のなかから発見したらしい。他にもいろいろなものが落ちていたそうだ。


 文明の気配のする右手と、自然のざわめきが絶えない左側――その境界を進んでいく。


「ボクとしては……お二人(?)に火炎放射で森を焼いてもらって、最短ルートを行きたいところなんですけど――」


『そうすると下僕、あなた死にますよ?』


「え」


 火災に巻き込まれるとかだろうか、と他人事のように考えてから、不意に――あれって聖剣さまが出してるものでは……まさかボクの命を吸って――思わず足を止める。


『<聖炎ビーム>はそうそう連発できるものではないであります。具体的にどうなっているのか、我輩にも理解しかねるでありますが……連発すると、軽い眩暈のようなものを覚えるであります』


「いったい何を燃やしてるんだ……」


 生命力をエネルギー源としているのだろうか、と――ぼんやり考えながら、両手で聖剣の柄を掴み直し、砂利道を引きずりながら歩みを再開する。時折小石にぶつかって聖剣も小石も跳ね上がるのが迷惑だったが、聖剣さまはあまり気にならないのか、


『<聖炎ほのお>とはヒトが内に持つ、聖なる力です。わたくしも、その<聖骸>も、使役者の内なる力を増幅しているに過ぎません。……聞くところによると、排泄をするのと同じような感覚で、人間なら誰しも扱うことの出来る身体能力、だそうですが――下僕……あなたにはその素養がないようですね。記憶を失っているからなのか……』


「ええー……。ボクでも頑張れば出せるようになりますかね?」


『やめておきなさい。――今度は失禁するより酷いことになりかねません』


「~~~!」


 顔が熱くなる。再び足を止め、左手で熱を帯びた首筋に触れる。起きてしまったことは仕方ないが、なんとかならないものだろうか――というかやっぱり引きずっている状況が気に入らないのか――


「ん――……熱い……?」


『下僕!』


 右手だけで重量を支えていたためか、より深く刀身を砂利道に擦りつけられていた聖剣が非難めいた声を上げる。


『恩人殿――我輩の失態でありますっ、』


「え、あ、いや……別に……押し付けるより本人が自主的に言い出してくるのを待ってただけなんで、なんなら今から持ってもらっても、」


『何者かにつけられていたであります!』


「え?」


 言われ、とっさに振り返る――陽光のお陰かもやが薄く、普段よりも遠くまで見通せる視界――後方に、人影。


 また<アンデッド>かと思うも、その姿かたち、姿勢や歩き方はごく自然で、とても人間的だ。まさか原住民の方からこちらに接触してきたのか――いや、聖剣やレリエフ(仮)の様子を見るに――


「うふふ」


 ぞわり――と、その笑い声を耳にした瞬間、ロストの全身に鳥肌が立った。身体がある一点を除いて急激に冷えていく。


ワタクシを、忘れたのですか? お互いの大事なところを分け合った……一夜ひとよを共にした仲だというのに――」


 知らないようで、知っている声――ぞくぞくと、身体の内側を何かおぞましいモノが這っていくような、単純に「不快」とは言い切れない感覚が襲う。


『な、何を言っているでありますか!』


 レリエフ(仮)が声を荒げる。動揺しているのか、声に震えが混じっていた。短い付き合いだが、初めて見る反応だった。


 シュ――と、鋭い音が聞こえたかと思えば、レリエフ(仮)の手甲から刃が伸びている。不思議な光も帯びていて、今にも発火しそうなほどの熱が感じられた。


「れ、レリエフ(仮)さん……、ちょっと待って。臨戦態勢なのはいいんですが、話もしないまま攻撃するのは――それに、ほら、レリエフ(仮)さんの捜してたお姫様かも、」


『下僕! 何を言っているんですか! 気でも狂いましたか! あれは――この上ない邪悪……いえ、この下にないほど下劣で低俗な存在ですよ!』


「え、そこまで言う? ――あれ、今の台詞どこかで、」


『そうであります! ――我輩の捜す姫は清廉潔白にして可憐な乙女! であると同時に民を導くに相応しい武勇と慧眼と威光を兼ね備えるお方! 立てば刀剣、座れば花束! 歩く姿はお姫様! であります!』


「どんどん妄想が美化されてませんか!?」


『なんにしても、であります。あのような――醜悪極まりない、邪悪の化身では決してありえないであります!』


「ありえないのかあるのか、どっちなんです……」


 しかし、二人(?)が揃って、そこまで断ずるということは――



「うふふ、言ってくれるじゃないの――聖騎士」



 現れる、人影。


 そこには、美しき女の姿があった。


 年のころは二十代から三十代といったあたりか。肩幅よりも広いつばを持つ黒い帽子をかぶり、つややかで長い黒髪を伸ばした、長身の女である。白い肌に整った顔立ち、青い瞳には鋭い視線を、赤い唇には蠱惑的な笑みを湛え――ロストたち一行の前で、立ち止まる。


 その全貌を一目見て、「異質だ」とロストは確信した。


 その理由は女の格好にある。まるで舞踏会で着るような、豪奢で華美な装飾が施されたドレスをまとっているのだ。黒と赤が入り混じり、身体のラインを強調するように肌に密着した、胸元や脚の付け根などの露出が激しい――扇情的でありながら、しかしどことなく貞淑な印象の――薄い黒のベールが露出した肌を覆うように縫い付けられており、細長い手にはレースのような生地の手袋をつけている。


 顔以外の全ての部位を何かで覆っていて、細長い首にも、まるで獣の尾のようなふわふわとした白いストールを巻いている――


 明らかに、場違いな装いである。足元なんて、線が細く踵の高い靴を履いているのだ。あんなものでこの砂利道を歩いてこれるとは思えない。


 しかし、その異質さを除けば――×ならば誰もが「美しい」と息を止めるような、人間というかたち、女というかたちの最高傑作のような――


『おかしいですね――もしや、あの女形オンナ、昨夜わたくしの下僕に何かしましたか』


「え? え? どうしましたか、聖剣さま――もしかしてやいてます?」


『焼きますよ』


 冗談じゃない。真剣マジだった。


「一夜を共にした仲だ、と言いましたでしょう」


「!」


 触れたものにしか聞こえないはずの聖剣の声に――女が、応えた。


ワタクシの魅力を心で、身体で理解している。ならば私に見惚れるのは自然の摂理でありましょう――えぇ、存分に。私の姿を堪能してくださいな。どうぞ、ナマの私を見て、見つめて、その目に焼き付けて――その瞳の炎を滾らせて――」


『レリエフ! 聖騎士であるならば、今すぐにソレを滅しなさい!』


 これまでになく激しい聖剣の声に、しかし――


『……聖剣ど、の――しくじり、ました』


 レリエフ(仮)の手甲から伸びた刃が――その輝きを失っている。鎧が全体的に前のめりになる格好で傾いている。歩き出そうとして、全身が錆びついて、動けなくなってしまったように――ぎし、ぎし、と――


「聖騎士といえど、人間であるならば。人並みの感性があるならば、美しいものを傷つけること、かなわず。――『


 恍惚と、笑む。


「何より、私は。――あぁ、良いですね、素晴らしい――私はようやく、私の本分を取り戻した――この感覚、その表情です――」


 目を閉じ、うっとりと――舌の上でとろける甘味を堪能するように――それから、


「……まったく、矛盾、破綻、混沌、甚だしい。どうして此の世はこれほどに狂っているのか。私は『淫蕩』――狂い、乱れ、耽り、犯す――空虚を満たし、浪費するモノ。……である、というのに――どうしてこんなにも、私の在り方は狂ってしまったのか……」


 しみじみと、ぶつぶつと、何かをずっと一人でぼやき続ける。

 虚空そらに向かって、嘆くように。観客に向かって独白するように、劇的に。それは次第に高まっていく。エスカレートしていく。


「貞淑を、清廉を、我慢を! ……押し付けられるように、私の存在意義を否定するかのように、この地獄は狂ってしまった。どうしてこの私が、知恵を求めるのでしょう? 趣味に興じるのでしょう? 芸術を極めるのでしょう? ――……心の満足を得る? そういう求道者をこそ、私が染め上げるべきだというのに――そういう引きこもりで陰なる者をこそ、滅茶苦茶に狂わせ、心を乱し、悪に耽させ、罪を犯させる……! 道を踏み外させ、私という奈落あなに突き落とす! それが……! それがこの私だというのに!」


 狂ったような嬌声を上げる。犯すように、喘ぐように、だんだん上り詰めていく――それが、不意に、


「あぁ、しかし――良いです。良いのです。今は全てを許しましょう。今だからこそ許せるのです。我慢、我慢ですね、ふふ――これがいわゆる、放置プレイというものです――これまでは、この一瞬のために! うふ、うふふ……うふふふふふふ!」


 上品に――醜悪に。高らかに――低俗に。

 美しく――狂おしく。


 ――『淫蕩』が咲く。


 薔薇のように、百合のように――狂い咲く。


 其は、ヒトの肉体に基づく欲求の一つにして、

 本能に根付いた――やがて死に至る罪悪の一。



   <魔女>



 ――悪因顕現、『淫蕩』狂乱――



「さぁ――私が、犯してあげるわ」



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