2 森の終わり - Lost in the Wall




 あちらこちらから、見られている――ケモノと、それ以外の『何か』の気配を感じていた。


 しかし襲撃を受けることもなく、聖剣を引きずりながら少年ロストは何かに導かれるように歩を進めていき――道中、水たまり同然の水場で喉を潤したり、聖剣が「食べなさい」という怪しい木の実を摂りながら、ようやく――日が傾いてきたのか、暗さが一段と増した頃になって、


 森を抜ける。

 視界が開ける。森の青臭さとは異なる匂いが風に乗って届く。

 これまで背の高い雑木林ともやに隠れて見えなかった光景が、ようやく目の前に現れた。


(森を抜けたというか――)


 木々を押し潰すように土砂や瓦礫が降り積もった結果として、森のなかと比べて草木の少ない一帯がつくられているようだ。森の土地とは確実に地続きでありながら、雰囲気ががらりと異なっている。地面も雑草が少なく、砂利が多い。湿気があり蒸し暑く感じた森のなかと比べ、ここは風の通りが良いぶん、やや乾いた空気を肌に感じた。


 顔を上げる。

 すぐには、目の前に広がるその光景を呑み込むことが出来なかった。


 そこには、断崖があった。

 まず数メートル先に土砂や瓦礫による岩山があり、その向こうに、高く、高い――どこまでも続くような――それを見上げようと首を傾けると、思わず後ろにひっくり返ってしまいそうになるほど、終わりの見えない――『壁』である。


(壁……? 崖……?)


 こちら側に向かって少しずつ湾曲しながら、どこまでも高く、天を突くように伸びた巨大な障害。それは、縦方向だけではなく、横方向にも広がっている――さながら森を囲う柵のように――もやがかっていて十数メートル先の様子までは分からないが、恐らくはどこまで行ってもこの壁が立ち塞がっていることだろう。


 異様な光景である。自然の神秘ならまだなんとか頷けるが、どこか人工物めいた冷たい印象を覚える――巨大な存在に圧倒される。夜が近づいたせいもあってか、その暗さが巨壁の存在感をより大きなものにしていた。


 不思議と、森も含めたこの一帯全てが、この巨壁にぐるりと取り囲まれているのではないか――そんなイメージが脳裏をよぎった。


「これは……なんでしょう?」


 自然に生まれた断崖絶壁なのか、文明の手によって形作られたものなのか。

 いずれにしても、これは超えられない。森はここで終わり、ここから先は行き止まりだ。


『とりあえず、この壁を伝っていけばどこかにはたどり着けるでしょう』


「……一周しちゃいそうな気もしますが」


 これからの苦労を思う。もしも、何も見つけられず、長い時間をかけた末に再びこの場所にたどり着いたとしたら――もしも、この壁が無限に続いていたとしたら。出口などどこにもなく、自分たちは一生ここから出られないとしたら――起こりうる徒労、どうしようもない巨大な存在を前に、心が折れそうになる。


「ここ……たぶん、ボクの住んでいた世界じゃないと思うんですよね」


『どうしましたか、急に。現実逃避ですか』


「現実なんでしょうか、これは……。オオカミに追いかけられたり、剣が喋ったり、黒いでっかい怪物は現れるし……きっと、記憶を失う前のボクがいた世界とは異なると思うんです。少なくとも、記憶がなくなる前のボクは、こんなワイルドな格好はしていなかったと思うし……あまり他人と話す人間でもなかったような気がします」


『はあ……』


「違和感だらけと言いますか。ボクってたぶん、こんな汗水たらしながら運動するような人間じゃなかったと思うんですよ。というか、ここまで歩き通しておきながら、ぜんぜん身体的な疲労がないって――異常チートですよね。ここに来るまでに草で足を切ったりしたはずなのに――昨日の噛み痕も、何も残ってないんですよ」


『<聖剣わたくし>の加護ですね』


「これはきっと、ボク、異世界転生したんじゃないかなーって――じゃなきゃ、夢でも見てるのか、既に死んでるのか……死んで生まれ変わったのでは……?」


『イセカイ? テンセイ? 何を言っているんですか、気でも狂いましたか。ここは現実ですよ。あなたが夢だなんだと言おうが、それを否定しようが、今目の前にある以上、それが現実です。そしてその現実は否応なく進むのです。ならば、行動しなければ困るのは自分自身ですよ。……具体的には、こうしている今も貴重な時間が浪費され、夜が近づいています。寝床や食糧の確保に使うべきだった時間が、ただただ無駄に失われています』


「うう……働きたくない……」


 座り込みたくなる。自分がとても意志薄弱になったと感じる。きっと、こういう人間ではなかったはず――こんなことで頭を悩ませることも――


『はぁ……。あなたはきっと、これまで恵まれた環境で過ごしていたのでしょうね。だからこうも低能非力なのでしょう。しかしそれは、裏を返せばあなたには、あなたの面倒を見てくれる人間が……家族がいたということになります。あなたも人間であるからには、此の世に産み落とした親がいるはず――そういう人間に会いたいと、本来の自分を取り戻したいとは思わないのですか?』


「そう、言われると……」


『この状況から脱したいと、そう思わないのですか!』


「うう……!」


『よし、その意気です――……はぁ、こうやって励ましてやらなければ移動も出来ないとは、面倒な手足にんげんですね……』


「出鼻をくじくようなこと言わないでもらえますか!」


『ともあれ、まずは人間を探しましょう。言葉の通じる現地人を捜索し、話を聞き出すのです。……この壁を一周するまでには、何かしらの集落を見つけることが出来るでしょう。食糧の採れる森が近場にあり、加工し道具に出来うる石材がいくらでもある――こういう境にこそ、人は棲みつくものです』


「なるほど……」


 素直に感心した。つけ加えるなら、こういう地帯なら獣もよりつかないだろうし、もしも人が住むならそこには水場もあることだろう。生活が出来る環境が整っているはず――


 ……人がいれば、だが。



 ――う、うう……。



「!」


 ロストはびくりと背筋を伸ばす。周囲に視線を巡らせる。


「……せ、聖剣さま、今、何か……。今のはボクとは違うタイプのうめき声です!」


『人の気配がします――あの石山の方向です』


 巨壁の足元――土砂や瓦礫が積もり、森とはまったく違う剥き出しの地面が広がった空間――自然と人工物の境のような場所から、何かのうめき声が聞こえてくる。それはか細く、弱々しく、くぐもっていて、気を抜いていれば聞き逃しそうなほどに微かな声だ。


「……もやが――」


 気のせいか、ある一点だけもやの濃度が薄く――そちらに目を凝らせば、布のようなものが岩山の上に覆いかぶさっているのが分かる。明らかに、人工の品物だ。


「……ど、どうしましょう、聖剣さま……?」


『自分の心に従うのです』


「いや、でも……」


 恐らく、怪我をしている。そういう人間が、そこでうめきをあげている――そうロストは予想した。負傷しているなら助けるべきだ、とも思った。誰であれそれが人間なら、助けたお礼に何かを聞きだせるかもしれない、という打算もあった。

 ただ、自分には記憶がなく――ここは特殊な環境だ。こんなところにいる人間が果たして信用に足る人物なのか。助けようとした結果、攻撃されるなんてことにならないか。何も分からないことが恐怖と警戒心を生む。


「……ボクはその、下僕なので……聖剣さまの判断に従います」


『まったく、優柔不断で自信のない、頼りない下僕ですね。いいでしょう――わたくしをここに置いて、まずは様子を見に行くのです』


「ええぇ……」


『わたくしの言葉に従うのでしょう? ほら、行くのです。この地域の第一住人との接触を図るのです』


 現実問題、聖剣を引きずったまま岩山を上るのは難しいのだから、聖剣は置いていくしかない。しかしそうなると無防備になる訳で、もしもの時にどうすればいいのか――


『いいから早く行きなさい! あなたがもたもたしているあいだに死んでしまっては元も子もありませんよ!』


「うう……」


 そう言われると、仕方ない。人として、行動しない訳にはいかなかった。


 意を決し、ロストは聖剣を地面に突き刺すと、岩山に向かって歩を進めた。ほんの数メートル先に、ロストの胸のあたりまでの高さの瓦礫がある。手を伸ばしそれを掴み、身体を持ち上げる。だいぶ暗くなってきたので足元に不安が残るも、そうした要領で次々と大岩や瓦礫といった障害をよじ登り、乗り越えていく。


 ちら、と聖剣の方を振り返る。ついさっきまで自分を叱咤していた声がまるで聞こえなくなり、ちょっとした不安に襲われたのだ。声の届く圏外なのかもしれない。


 暗がりのなか、聖剣は確かにそこにあった。自身の存在を主張するかのように輝きを放っている。そしてその向こう、聖剣の輝きによってより強調される、深い闇――まるで巨大な怪物が横たわっているかのようで、木々のざわめきが唸り声のように思えてくる。ともすると、昨日の記憶が蘇り、不安定な岩山の上で動けなくなりそうだった。


 しかし、こうして高所に出てみると――木々の背があまりにも高くて森の向こうまでは見渡せないが――遠く、東の方角――うっすらと、白もやが光っているように見える。


(あっちの方は……まだ太陽の光が届いてる……?)


 この半日、ほとんど休むことなく歩いてきたが――この辺りはどうも日照時間が短いようである。いくらなんでも暗くなるのが早すぎるのではないかと、体内時計が訴えていた。自分に関する記憶はまるでないのに、肉体の持つ本能なのか、そうした違和感だけははっきりと感じていた。


(この壁のせいで――陽の光が遮られてるのか……?)


 木々ともやのせいで常に夜明け前、日が昇る前のような薄暗さではあったものの、それでも頭上からの陽光を感じられる時間帯はあった。ほんのいっときのその時間が過ぎると、途端に暗くなってきたのだ。

 その一方で、こことは反対側の方角はまだ明るい様子――見上げる先、そびえ立つこの壁の存在が、どれだけ巨大であるかを思い知る。


(この壁、崩れたり……しないよな? なんだか傾いてるっぽいけど――下から見上げるから、そう錯覚してるだけなのか――ボクが今いる、この瓦礫の山……、いや、まさかね……)


 自分の想像に少し身震いしてから、暗がりのなか手探りしながらひと際サイズのある瓦礫によじのぼり――大きく広がった、褐色の布を視界に収める。


 足元に気を配りつつ、その全体を観察する。ごわごわとしていて、厚い……毛皮か、それとも合皮か、なんにしても加工された形跡がある。

 その端には紐のようなものがくくりつけられており――複数の紐が複雑に絡まりながら――


(何か、いる……)


 布が盛り上がっている個所がある。そこから、かすかなうめき声が聞こえる。もうずいぶんと弱々しいというか――だいぶ、落ち着いている。


(……寝てる? それとも、息を殺してこちらの気配を探って――)


 恐る恐る、布の端に手を伸ばす。ゆっくりとめくる――重さを感じながら、中を覗き込む。


「……?」


 足、だろうか。何か、大きなものがある。金属のようだ。冷たそうな、硬い質感が見て取れる。動かない。


 思い切って、布をめくりあげた。


「わ――」


 思わず、声が出た。巨大な壁を目にした時も驚いたが、それと違ってこちらは心が折れるほどの畏怖ではなく――



……!」



 自然と頬が緩み、再び声が出た。

 ……独り言がクセになっているのかもしれないなと、ふと我に返って恥ずかしくなった。



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