第一章 虚穴の扉 - Hall in Love

 1 せいけんでんせつ - 聖剣さまのドミニオン




 伝説に謳われるのは、三本の聖剣。


 そう遠くない昔、やがて失われる星の霊を閉じ込めるため――×を討つために、二つの巨人の手によって造られた、三振りの聖剣。


 一つは、その銘を『不動うごかず』――引きこもりで面倒くさい。


 二つは、その銘を『不止とまらず』――付き合いづらい異常者。


 そして、三本目の聖剣こそ――『不定さだめず』――かくも素晴らしきこのわたくしです。


 ――……ふてい? 不貞……。ふてぶてしい……。不貞寝……。


 聖剣は決して朽ちず、折れず、毀れることがない、始原ハジマリの「根を断つ者」にして、あらゆる武器の頂点に在る至高の存在者。


 ヒトに宿りし<霊>を留め、その力を十全に発揮する――そして、ヒトが抱える<炎>を解き放ち、その力を導くもの。


 ヒトの手に在ってこその武器であり、しかしその担い手には相応しき者だけが選ばれる。


 終焉オワリの四騎を討ち果たす、四機のチカラ――その体現者。


 名を『聖騎士』――立ち向かう者、誇り高き我が主――


 わたくしを手にしたあの方は一騎当千、百戦錬磨、常勝無敗にして超絶最強――その<火の目>は全てを見通し、<光>の祝福はあらゆる魔を調伏する――手にするは聖剣、そしてその鞘はあらゆる傷を無効にし、どんな薬よりも優れた癒しをもたらす――わたくしの相方、つがい、入れたり出したりする仲ですが、わたくしが真に心を捧げるのは主さま一人――向かうところ敵はなく、その背には多くの守るべき民を従える――真の王たるお方、全てを統べるに相応しい人――


 伝説に謳われる聖なる騎士――歴史に刻まられるに足る栄誉ある偉人――


 なのに、どうして、わたくしは――




「う、うう……せいきし、さま、ばんざい……せいきしさま、かっこいい……」


 空をも覆い隠そうとする白もやを突き抜けて、か弱い陽光が周囲を照らしていた。


 木々のない開けた場所でうつ伏せに倒れていた少年は、うわ言のように繰り返し何かを呟いている。


 傍らには、聖剣が転がっていた。少年の片手はその柄に触れていて、そのせいか、頭のなかで繰り返し繰り返し、聖騎士とかいうどこかの誰かを称える声が響いている。

 それはまるで自分が頭のなかで考えていることであるかのように、思考の一片であるかのようにごく自然に混ざり込む。そのためだんだんと、聖剣の言葉が少年自身の思考、思想であるかのように思えてくるのだった。


 いわく、ひとはそれを洗脳というが、目覚めの過程にある少年には知る由もない。


「うう……。ここは……。ボクは、いったい……」


『ようやく目覚めましたか、我が下僕よ。ところでわたくし、あなたの名前を考えました。わたくしたちの出会いを記念して、記憶に残る事柄を当てようと思い――あなたの名前は今日から「負け犬」でどうでしょう』


「寝起きでよく分からないのですが……なんだかとてもイヤです」


『では、「ごはん」「おやつ」「ざんぱん」』


「どれもこれも人の名前ではないかと……」


 少年は身を起こす。全身汗まみれだし、多少の気だるさはあるが、比較的良好な体調だと実感する。


「ボクの名前は……」


 呟きながら、自分の状態を確認する。衣服としての機能をなんとか果たしているぼろ切れを身にまとった、なんともみすぼらしい姿だ。身体のあちらこちらに土がついているが、それ以外、特に気になる点はない。強いて挙げるなら、服が臭うくらいか。ただそれも、周囲の青臭さに比べればなんてことはないものだ。


「ボクの、名前……」


 もう一度、呟く。なぜか、その続きが出てこない。


 ボクは――誰だ?


「…………」


 すっと血の気が引いていくような、背筋に冷や水を浴びせられたかのような、そうした感覚が少年の鼓動を加速させる。


 ……ことここに至るまで、どうしてそんな大事なことに気付けなかったのか。

 まったく意識するヒマがなかった――それはもう、生きることに必死で、ただ生き延びようとする動物と変わらない。今の今まで、自分は人間ですらなかったのだと思い知る。


 分からない。何も、思い出せない。自分は何者で、どこの誰で、ここはどこで、どうしてこんなところにいるのか。


 昨日――頭上を仰ぐが、もやがかっているため全体的に薄暗く、はっきりと朝だと断言できないが……一夜を明かした感覚がある。つまり、あれから半日かそこら経っている。自分は昨日から、この森のなかにいた。しかし――


(背中が、痛くて――)


 恐らく、木の枝に引っかかっていて、それが折れたことで――地上に落下したことで、意識を取り戻した。


 オオカミの鳴き声――そうだ。そこからは、はっきりと思い出せる。だけど――


(どうして、そんなことに……?)


 少年が必死に頭のなかを探し回っていると、


『あなたには記憶がないのです。頭でも打ったのか、はたまた――まあ、わたくしにもよくは分かりませんが、"ここはそういう場所のようです"』


「それは……?」


『どうやら、記憶を……おもに自分に関する情報を喪失する――この「もや」のせいでしょうか。わたくしはこの森以外を知りませんが、どうやら周囲一帯を覆っているこのもやに原因があるようです。長居するほどに、何かを喪失していく――そのような感覚があります』


「記憶を、喪失……」


『ええ、あなたはどうやら自分の名すらも思い出せないようですね。だから、このわたくしが名を贈ってあげようと考えていたのです。――喪失くん、なんていかがでしょう』


「……あの、もっと、こう、なんとかなりませんか……?」


 なんとか――もっと人間らしく、素朴で呼びやすく覚えやすい、欲を言うならちょっとカッコいいような――


『ロスト、とかどうです?』


「それはいいですね!」


 それはなんだか得意げな声で、実は最初からそうしようと決めていながら最後の最後までとっておいた感のある言いようだったが――ちょっとカッコいいと思ってしまった少年ロストである。


「ボクの名はロスト――」


『……意味もなく口にするのはやめてもらえますか?』


「どうしてですか、カッコいいじゃないですか。それにこれは自分に言い聞かせるためで、意味はちゃんとあります。我が名はロスト――記憶を失いし者……」


『…………。ともあれ、あなたは昨日からわたくしの下僕、人権も尊厳も何もかも失いし者です。ケモノを前に失禁ロストしたり、わたくし無しではただの敗北者ロストになる、低能で非力な一人間です』


「…………」


 地面に座り込んだままの少年は、ぼろ切れに染み付いた汚れに視線を落とす。

 それから少し逡巡して、頭から被っていたぼろ切れを脱ぎ裸になると、汚れ、破れている個所を引き裂こうとする。ぼろぼろな割に、意外と頑丈な素材のようだ。手こずりながらも、黙々と作業を続ける。

 全裸でいることに恥ずかしさは覚えたが、今ここには他に誰もいない。……少なくとも、誰の目もない。大事なところは足のあいだに隠し、膝の上に置いた布と格闘した。


『まあ、あなたがわたくしの存在をなんとも思っていないことは許すとしましょう。それよりも――用が済んだのなら、行動しましょう。長年過ごした場所ですので多少名残惜しいですが、わたくしには使命があり、あなたにはそれを遂行する義務があるのです』


「はあ……。ボクに何をしろと?」


 少年は立ち上がる。程よいサイズに引き裂いたぼろ切れを腰に巻き、余った部分を肩から脇腹にかけて、斜めにかけた。これで多少はマシな見た目になっただろう。こんな場所で人目を気にしている自分が滑稽に思えるが――そうすることが、人として最低限必要な行為であると本能が訴えている。


『わたくしは主さまの下に馳せ参じなければなりません。あなたはそれを手伝うのです。あなたにとっても益のある話ですよ。主さまは必ずやあなたの活躍に応えてくれるでしょう。……というか、昨日自分から言い出しましたよね、それも忘れたのですか? ともあれ――そのためにはまず、この場所から移動する必要があります』


「そうですか……」


 ぼんやりと答えながら、周囲を見回す。聖剣の放置されていた、広場のような開けた空間。よくよく見れば、少年の背丈ほどはあるだろうサイズの瓦礫が木々のあいだにいくつか鎮座していた。

 まるで聖剣を祀る祭壇であるかのように――瓦礫は広場を取り囲むかのように配置されている。

 というよりも――


(聖剣さまのあった場所を避けて――瓦礫が散らばっている……? それとも、逆か……?)


 巨大な石の塊。断面はめちゃくちゃだが、それ以外の表面はきれいに加工されていたような跡が見られる――人工物の成れの果てといったところか。草木がまとわりつき、蔦が這っている。角も丸くなっていた。もうずいぶん長いこと放置されているもののようだ。


 埃のような粒子が光のなかで舞っている。朝露に濡れた下草が輝いている――昨日は気付かなかったが、なるほど、聖剣が「名残惜しい」と言うだけあって、この場所は清浄な空気に満たされているように感じた。森のなかと比べて、もやの濃度も薄い。心落ち着ける場所だ。離れたくない。


『いえ、いつまでもここにいる訳にはいきません。現実的な話、あなたは人間なのですから、食事を摂る必要があるでしょう。食べるものを探しに行かなければいけませんよ』


「あ、なるほど……」


 言われてはじめて、自分が空腹であると気付く。喉も渇いている――だが、差し迫っているかといえば、そうではない。なんだか他人事のような気分である。


『食べなければ弱りますし、恐らく……――いえ、まあいいでしょう』


「え? 何かとても不穏な感じなのですが?」


『ともかく、人間を辞めたくなければ行動しなさい、ということです。わたくしは根を断つ者ですから、あなたがこの地に根を張ろうと無理やり行動させますが』


「へえ……」


 剣のくせにどうやって人間を働かせようというんだ、にやにやと少年が思っていると、


『燃やしますよ』


「お、おう……」


 昨日、聖剣が火を噴いたのを思い出す。


『身体の中から燃やし尽くし、生きる屍として動かすことも出来るんですよ?』


「……!」


 ロストは聖剣を手にした。


 ……相変わらずクソ重いが、引きずってでも運んでいくしかない。


『まったく、最初から言うことを聞いていればいいものを……。正直なところ、人間ほど無駄な生物もいないとわたくしは思いますよ。わたくしにとってあなたは駄足だそくです。人間がいなければ動けないこの身を呪いたいところです。あーぁ、人間無しで動けないものですかねぇ……』


 なんだか寒気を覚えるようなことを言っているが、ともあれ――


「まず、どこに向かえばいいんでしょう……? 当てもなく進むのもあれですし。なんかこう、聖剣さまの偉大なるお力で、どうかボクをお導きください……」


『ふふ、いいでしょう。では、まずは西に向かいましょう。やや南の……西南西の方角です』


「西? せいなんせい?」


『そんなことも分からないのですか? 此の世には東西南北という、方位――方向を示す概念があるのです』


「いえ、それはなんとなく分かるのですが……知識として、頭のなかにあります。ただ、方角が分かりません。西はどっちですか?」


『あちらです』


「わっ、」


 ぐい、と手にしていた聖剣が何かに引っ張られるような感覚を覚え、ロストは思わず聖剣を手放した。そうすると、切っ先を下にして地面に倒れた聖剣が――その柄が、昨日ロストがやってきた方向を指し示す。


「……オオカミ、いません?」


『いても進むのです。出遭ったならむしろ幸運だと思いなさい。焼き肉にしてあげましょう』


「え、それは、なんかイヤだな……。それはそうと、どうして西に? 何か感じるものがあるのですか?」


『あなたが目覚める少し前、あちらで地響きがしました。行ってみましょう』


「え、悪い予感しかしないのですが……」


 もしかしてこの聖剣もこの森について何も知らないのではないか。だからとにかく手あたり次第、気になることから当たっていこうという腹積もりなのでは……。


『行くのです。焼きますよ』


「はい……!」


 かくして、少年は剣を手に取り歩き始めた。

 どうにかこうにか聖剣を引きずりながら、白いもやの立ち込める、薄暗い森の奥へと――



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