84話 霧賀原・南方面

   ◇◇◇


 ――霧賀原、南方面。


「緋王、燃やし尽くして!」


 明堂院みょうどういん沙奈は、召喚している緋王を操り、辺りに熱波を撒いた。

 熱波で焦げた怪異の群れが、次々とちりになっていく。


(何とか、守れているわね……)


 呼んだ五大武家の面々とは違って、沙奈は天日栖宮あめのひすのみやの洞窟での疲労があり、最初からかなりの消耗状態だ。


 天日栖宮を出て、皆への言伝を預かった際、伊織には「きみは疲れているし、學園で休んでおけ」と言われたが。


(私だけ休んでなんて、いられないわ……!)


 想い人や五大武家の仲間が窮地となれば、参戦するに決まっていた。

 そもそも結月の御役目には、同行を承諾した以上、沙奈も関わっている。


 仕事は天魔返ノ札てんまがえしのふだの回収までだが、まさか放っておけるはずもなかった。

 ただ皆も気遣ってくれて、沙奈の担当は、怪異が少ない南方面になった。


 なぜ少ないかと言えば、百鬼夜行の行軍が出てきた黄泉比良坂よみひらさかは、霧賀原の南方面に位置している。


 また南方面の先は山で、町村はない。

 怪異たちは町村を目指し、霧賀原の中心に向かって前進した。

 南方面から見れば、行軍の後ろを取っている形だ。


(つまり私の方にくるのは、中心から逃げ戻ってきた怪異……)


 とはいえ町村には迂回もできるので、ここも死守するべき方面だ。

 ついでに百鬼夜行の怪異は、やたらと鼻が効く。


 十二年の周期で、最も活性化している日時のせいだろう。

 沙奈が居るだけで、人間を嗅ぎつけて寄ってくる状況だ。

 がさずに済んでありがたい反面で、相応の連戦は免れない。


(どんなに厳しくても、絶対に守り続ける……! 時間が経てば経つほど、私たちの有利よ……!)


 駆けつけたのは、東西南北を担当している四人だけではなかった。

 一緒にきてくれた恋華れんかと陽菜乃は、霧賀原の外周で、結界の札を張り回っている。


 時間が経てば結界も増え、怪異の行軍は、霧賀原を出づらくなる。

 しかしながら、沙奈の札で防げるのは、二級が精々だ。


 一級は効くか怪しく、特級は確実に防げない。

 防げないということは、沙奈の力量で勝てる望みは薄い。


(ただでさえ疲れているし、特級には遭遇したくないわね……)


 と思って間もなく。

 沙奈の願望は打ち砕かれ、明らかに異質な怪異が現れた。


 全長、二十丈(約六十m)はあろうか。

 頭から黒い布地をかぶっているような、なまずの上半身のような、坊主の太い巨躯。


 顔には単眼と横長の口がついており、首はない。

 頭と同じ幅の胴体の左右、短い腕が生えている。

 下半身は存在せず、地面に接している平らな部分は、水浸しだ。


海坊主うみぼうず、よね。多分、特級の……!)


 海に出没し、船を襲うとされる、有名な怪異だ。

 よもや地上で会うとは。百鬼夜行に怪異の生息する場所は、無関係か。

 いずれにせよ、


(正直、自信はないけれど……。やるしかない!)


 全力で戦い、勝つしかなかろう。


「覚識・顕現――八門方陣はちもんほうじん!」


 得た第六感で、八つに分けた方位を知覚する。


「式神召喚、悪行罰示あくぎょうばっし、きたれ鬼将きしょう首切舞くびきりまい!」


 緋王に加えて首切舞を召喚し、数枚の札を握る。


「緋王、首切舞! 西からいくわよ!」


 方位を読み、吉方きっぽうに回らせた緋王が爪を振るい、首切舞が斬馬刀ざんばとうで斬りかかる。

 こちらが吉方から攻めれば、敵は凶方だ。


 緩やかに前進する海坊主は、何の反応も示さない。

 攻撃は難なく胴体に当たったが、掠り傷がついた程度だ。


(硬いわね……!)


 こちらへの吉方の幸運や、敵への凶方の不運はもたらされているはずだが、単純に硬すぎる。


 むしろ吉方や凶方でなければ、掠り傷すらつかないであろう事実に、沙奈は特級の強さを垣間見る。


(それなら急所を!)


 高度を上げられない首切舞には胴体の攻撃を継続させて、飛べる緋王に、海坊主の単眼を狙わせる。


 緋王が接近すると、海坊主が頭を振って傾ける。

 人間ならば何気ない動作だが、敵はあの巨躯だ。

 爪撃は届かず、接触した緋王が体勢を崩し、後退を余儀なくされる。


(吉方からの攻撃なのに……! いえ、吉方や凶方を読んでいなかったら、この程度じゃ済まないってこと……!?)


 止まった海坊主が、ぎょろりと沙奈や首切舞を見下ろす。

 続いて沙奈に照準を定め、開けた口から、勢いよく水流を噴出した。


「首切舞、防いで!」


 避けずに式神での防御を選んだのは、沙奈の疲労が原因だ。

 下がらせた首切舞が、斬馬刀を盾にする。


 水流を受けた斬馬刀が、あっさりと弾かれる。

 のみならず水流は、圧力で首切舞に甚大な負傷を与え、その身体を軽々と吹き飛ばした。


「かはっ……!?」


 首切舞の負傷が術者に返り、沙奈は鮮血を吐く。

 迫る高速の水流。もはや回避は間に合わず、


(まず、い……!)


 沙奈が水流を食らう寸前。


の空虚なる器たちよ、目覚めたまえ! 穢土化楽操えどけらくそう屍獣戯画しじゅうぎが!」


 舌足らずな、幼い声が響く。

 横から俊敏に駆けてきたのは、骨だけの大型犬だ。

 骨の犬が擦れ違いざま、沙奈の制服の上着をくわえ、引っ張って運ぶ。


(え、な、何なの!?)


 一瞬の出来事だった。水流が何もない地面を叩く。

 少しの距離を移動し、骨の犬に放された沙奈は、


(私を助けてくれた……?)


 尻餅を突き、困惑しながら立つ。


「危なさそうだったから、助けてみた……」


 言いつつ着物姿の女児が、早足で沙奈のもとにくる。

 おさげの髪で、可愛らしい顔立ちだが、瞳に生気が感じられない子だ。


「ど、どうして私を?」

「……蓮水、さんの仲間みたいだから」


 答える女児は、なぜか複雑そうな表情だ。


「伊織くんの知り合い……。助けてくれて、ありがとう。協力してくれるって認識でいいのかしら?」


 詳しい経緯を聞いている余裕はなく、率直にたしかめる。


「協力したげる。怪異退治の練習に……」

「練習? よく分からないけれど、頼もしい戦力よ。あの海坊主を倒すわ」


 こくりと頷いた女児の周りに、何匹かの骨の犬が集まる。

 死霊術だ。琴羽を連想させるが、女児が誰であれ、助けてくれた時点で、信用するには十分だった。


 重傷の首切舞を消した沙奈は、改めて海坊主を見上げ、緋王を操る。


攪乱かくらんするね……」


 と女児が片腕を振るい、骨の犬たちが海坊主を襲う。

 海坊主が水流を噴き、一匹の骨の犬を壊すが、すぐに組み直った。


「便利な術ね! これなら……!」


 吉方から緋王の熱波で牽制し、単眼への攻撃の機会をうかがう。

 沙奈も走り、


二重にじゅう起爆符きばくふ!」


 重ねた札を投げ、張りつけた海坊主の胴体で、二重の爆発を起こす。

 以前までは一枚が限界だったが、これも日々の鍛錬の賜物だ。


 単独であれば危ういが、骨の犬たちの攪乱で、海坊主に狙われずに動けていた。

 小刻みに攻撃を繰り返す中、やがて痺れを切らしたか。

 海坊主が沙奈や女児に向けて、特大の水流を噴く。


「また運ぶね……」

「お願い! 助かるわ!」


 骨の犬たちが素早く、沙奈と女児を水流の範囲外に運ぶ。

 水流を噴いた直後の海坊主は、隙だらけだ。


「緋王、やって!」


 好機を逃がさず、緋王の炎で、海坊主の単眼を潰す。

 急所であり弱点だったのか、思いのほか苦しげな海坊主が、塵と化した。


(た、倒せたの……?)


 しばし呆然としていた沙奈は、遅れて討伐を実感する。


「やった……! 勝てた、勝てたわ!」


 自身の力量や、疲労の具合をかんがみれば、特級の討伐は快挙だ。

 ただまぁ、討伐できたのは、謎の女児の助力によるところが大きい。


「特級、硬かったね……」


 女児が喜ぶでもなく、無感情に呟く。


「そういえば貴方、お名前は?」

梨々香りりかは、梨々香だよ」

「梨々香ちゃんね。私は沙奈よ。引き続き協力してくれるのなら、一緒にここを守りましょ」

「一緒に守る……」


 奇妙な共闘相手を得た沙奈は、僅かな体力を振り絞る。

 想い人や仲間の手前、休憩の暇はない。


「緋王! 無理をさせて悪いけれど、頑張って!」


 霧賀原の南方面、徐々に薄暗くなっていく晴空を、羽ばたく美しき火の鳥、緋王が照らす。

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