83話 霧賀原・西方面

   ◇◇◇


 ――霧賀原、西方面。


「複合射法・燕雨えんう!」


 大鳳おおとり玲士れいじはその場を一歩も動かず、落ち着いて怪異を狩っていた。


 神器・碧之波璃弓あおのはりゆみを左手に、無限に生成できる矢、碧羽々矢あおのははやを右手で数十本ずつ、連続して上空へと射る。


 魔術の風と雷を纏った矢が、前方に雨のように降り注ぎ、貫かれた数百匹の怪異が息絶える。


(これで合計、二千匹ほどはやったか)


 くいっと眼鏡の位置を整えた玲士は、使命感を抱きながら、次の矢をつがえる。


(蓮水伊織。今こそ、小生は恩義に報いる)


 伊織から受けた大恩は、胸の奥底に刻み込まれている。

 何が起きても消えない、消してはならない大恩だ。


 玲士が全てを投げ打って求めた、陽菜乃ひなのの視力の回復。

 慈悲深くも己の激情を預かり、願いを叶えてくれた伊織には、筆舌に尽くしがたい感謝の念があった。


 常世姫に無条件で罪を許されたのも、伊織が関わっているのだろう。

 おかげで求めていた願いの先、目が見えるようになった陽菜乃との、穏やかな學園生活を送れていた。


(小生の誓いに、一切の偽りはないぞ)


 大鳳の本家の裏庭で、天に誓ったのだ。歩む道と、魂に懸けて。

 今後一生、蓮水伊織に何かあれば、全力を尽くすと。


 沙奈からは伊織の言伝を聞いたあと、「命懸けになるわ」と言われた。

 玲士は「たかが小生が命を懸けるだけで、蓮水伊織の助けになるのか」と、仕事を放って駿馬を手配した。


 勿論、結月の窮地も、玲士の参戦の理由の一つだった。

 玲士にとっての結月は、五大武家に連なる、同僚といった認識だ。

 命が危ういとなれば、助力は惜しまない。


(当初、蓮水伊織が怪異に苦戦するとは、信じられなかったが……)


 なにぶん伊織は、現人神のアリスを屈服させた、稀代の益荒男ますらおだ。

 なぜ怪異ごときに苦戦を? とはなはだ疑問だったが、現場に駆けつけ、やっと理解に至った。


 敵は数万匹だ。倒すだけなら未だしも、目的が人的な被害を防ぐことなら、いくら彼でも手が足りまい。


(時間との勝負……。朝霧結月だけではなく、周辺の町村までも守ろうとはな)


 まさしく、益荒男の振る舞いだ。


(であれば小生は、持ち場を死守するのみ!)


 伊織への誓いのもとで、揺るぎない忠誠心をもって、辺りの三級らしき雑魚を一掃し続ける。


(む……!?)


 そんな中、二匹の怪異が矢を弾いた。

 片方は地上に佇む、人型で白装束の怪異だ。

 顔に鬼面をかぶり、手には大太刀を持っている。


 もう片方は宙に浮かぶ、轟々と燃え盛る馬車の車輪、その中央に頭部だけの老爺ろうやが嵌まっている怪異だ。


(あの鬼面や格好に大太刀……、特級の夜叉やしゃだな! 燃えている車輪の老爺は、一級の輪入道わにゅうどうか……!)


 勤勉な玲士は、専門家には及ばないが、そこそこ怪異の知識を有していた。

 判断は迅速だった。


「覚識・顕現――飛鷹大局相ひようたいきょくそう!」


 得た第六感で、物体が動く力の方向性、軌道を知覚する。

 本来ならば、一級はともかく、特級との遭遇は恐れるべきだ。

 玲士は恐れず、微かに口角を上げた。


僥倖ぎょうこう! 特級だろうと、夜叉に限れば脅威にあらず!)


 弓に一本の矢を番え、弦を引く。

 矢を魔術の光で包み、巨大化させる。


 二匹のうち、夜叉に狙いを定め、眩い光の矢を射る。

 凄まじい速度の光の矢が、真っ直ぐに夜叉を目指す。


 夜叉が大太刀を構えるが、防御には遅い。

 光の矢が大太刀と擦れ、夜叉の左肩をえぐった。

 心臓を射貫くつもりだったが、大太刀で僅かに逸らされたか。


(まだ終わらん!)


 玲士の操作で、光の矢が半円を描いて曲がり、斜め後ろから夜叉の心臓を穿うがつ。

 夜叉が微動だにせず、ちりになっていく。


(よし!)


 玲士の術の腕前で、特級の怪異をこうも容易たやすく討つなど、普通はありえない。

 理由は、使った術との相性にあった。


 那須なすの魔弓まきゅう術、奥義、夜叉狩り――これは那須流が起源、那須与一よいちが遠い過去、夜叉を狩った術だと伝えられている。


 怪異の弱点は、肉体的な急所だけではない。

 対象の怪異の歴史が、弱点を形づくる。

 つまり夜叉狩りは、夜叉に特効を持っているのだ。


(小生の腕前が未熟ゆえ、一撃では決められなかったが)


 不足を補ったのが、玲士の覚識だ。

 人間の動体視力で、夜叉狩りの矢の軌道を追うのは難しい。

 射手の玲士であっても、例外ではなかった。


 だが玲士は視力に頼らず、第六感で、矢の軌道を知覚している。

 軌道を知覚すれば、纏わせていた魔術の風を操り、適切に矢の方向を曲げられる。


 逆に軌道を知覚していなければ、射った夜叉狩りの矢を曲げ、速度を維持して対象に当てるのは、ほぼ不可能だろう。


 伊織にこそ敵わなかったが、玲士は神器に選ばれている点も含めて、大鳳家、随一の魔弓術使いだ。


(あとは輪入道だな……)


 残りの敵を睨む。

 玲士の場合、特級の夜叉よりも、一級の輪入道の方が脅威だ。


 夜叉の呆気ない死で、敵も玲士を脅威と感じたか。

 空中の輪入道が、迷いなく突進してくる。


(突進の軌道も、知覚しているぞ!)


 輪入道の軌道を読み、最小限の動きでかわす。

 振り向きざま反撃に、


「射法・鯨鯢けいげい!」


 弓を横に傾け、素早く三本の矢を射る。

 矢は命中したが、穿つには至らず、輪入道の炎で燃え尽きた。


(炎の防壁か! 厄介な……!)


 輪入道が俊敏に宙を移動し、再度、玲士に近づく。

 対する玲士は、どこまでも冷静沈着だった。


(鯨鯢の矢が効かないのなら、ほかの射法も厳しかろう。二射目の夜叉狩りは……、却下だ。氣の消耗が激しすぎるな)


 思考を巡らせ、即断即決。

 あえて両腕を広げ、無防備を晒す。


 輪入道に体当たりされ、軌道を読んでいた玲士は、後退の跳躍でその威力を削ぎ、真っ向から受け止める。


 輪入道は玲士の行動を、愚かと見たのだろう。

 燃え盛る車輪の中央、頭部だけの老爺がわらう。


 実際、捨て身だ。輪入道の炎で、玲士の制服や肌が焼ける。

 輪入道に限らず、大抵の者が、玲士の行動を愚かと見るに違いない。


 よもや弓使いが、両手を使って敵を掴むとは。

 碧之波璃弓は神器なので壊れなくても、この体勢では矢を射れない。


 弓使いが矢を射れずに、何をしようというのか。

 否、それこそが愚かな固定観念だ。


「笑止。矢を射れなければ、穿てないとでも?」


 熱さに耐え、離した右手に数本の矢を出現させ、握り締める。

 次いで纏った魔術の風と氷で、敵の炎を相殺し――老爺の脳天に直接、数本の矢をぶっ刺した。


 脳天を穿たれた輪入道が、力なく地面に落ちて消えゆく。


(討伐、完了)


 玲士は性格上、流派の型を大切にしている。

 このような捨て身で野蛮な戦法は、流派の型から外れており、まったくもって好ましくないが。


(小生の好みなど……)


 伊織への忠誠心を前にすれば、どうでも良かった。

 できるだけ短い時間で敵を処理し、より多くの怪異を狩らなければ。

 重視するべきは、過程ではなく結果だ。


(一匹足りとも、逃がさんぞ!)


 忠義を掲げし魔弓の射手が、霧賀原の西方面に矢を降らす。

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