82話 霧賀原・北方面

   ◇◇◇


 ――霧賀原、北方面。


蝦蟇がまさま、左側お願い!」


 円城寺えんじょうじあおいは小刀を振るって怪異を仕留め、召喚している大蛙に指示した。


「あいよ、お嬢!」


 かたわらの大蛙が長い舌を伸ばして、左側に逃げた数匹の怪異を絡め取り、空中へと放る。

 葵は跳躍し、放られた数匹の怪異を、小刀で順々に斬る。


 霧賀原に駆けつけ、そろそろ三十分くらいは経ったか。

 怪異の群れは一向に途切れず、果ての見えない戦いだ。


(どれだけ敵が居ても、関係ない)


 連戦に身を投じる葵の心境は、悔しさに染まっていた。


(ぼくは少しでも、伊織お兄ちゃんの役に立つ……!)


 葵がここに呼ばれたのは、沙奈の独断だった。

 沙奈いわく、伊織は葵を呼ばなかったのだ。


(隆源のときと同じ……。伊織お兄ちゃんは、ぼくにできるだけ、戦って欲しくないと思ってる)


 伊織の考えは、察するところだ。


(ずっと命令に従ってたぼくを、気遣って……)


 伊織に救われるまで、葵は元老院に脅され、手駒として強制的に戦わされていた。

 そういった経緯を慮り、戦わせたくないという気遣いは、本当に嬉しかった。


 もしくは葵の、十二歳という年齢も一因か。

 いずれにせよ、ありがたさに変わりはない。

 ただ葵は、


(ぼくは頼って欲しいのに……!)


 恩を返したかった。救われたからこそ、伊織のために戦いたかった。

 困っているのなら、「一緒に戦ってくれ」と言って欲しかった。


 頼られなかった悔しさに、唇を噛む。

 沙奈の方は、戦力の不足を心配し、葵に声をかけたようだ。


(沙奈には感謝しないとね。おかげでぼくは、伊織お兄ちゃんのために戦える……! ついでに、結月も危ないみたいだし)


 葵に五大武家の仲間意識は薄く、結月のことは別段、好きでも嫌いでもないが。

 伊織が結月を守ろうとしている時点で、助力の対象になり得た。


(ここで戦果を上げて、伊織お兄ちゃんに証明する!)


 自身は頼りになるのだと、認めて貰いたかった。


「だから……!」


 大蛙と連携し、次々と怪異を狩る。


「お嬢! あの二匹、注意しなはれ!」


 交戦中、不意に大蛙が叫ぶ。

 有象無象の怪異、仲間だろうそれらを「邪魔だ」と言わんばかりに殺し、前に出てきたのは、人型で大柄な二匹だ。


 一匹は金棒かなぼうを担ぐ、赤黒い表皮の鬼。

 もう一匹は、身体は鬼だが頭部は牛で、両腕の筋肉が異様に膨れている。

 どちらも邪悪さに満ちており、一筋縄ではいかなさそうな雰囲気だ。


「蝦蟇さま、詳細は分かる?」

「赤黒い方が、特級の大嶽丸おおたけまる。牛の頭をしとる方が、一級の牛鬼ぎゅうきやな」


 流石は三百年を生きる式神、知識も豊富だ。


「特級と一級……。今のぼくで勝てるかな?」

「……死にはしまへん。危うくなれば、おいらが何としても、お嬢を逃がしますんで。正直、戦わんで欲しいですけど」

「……勝てないんだ」

「厳しいやろな」

「でも、勝たないと」

「せやけどな……」


 今の状態で勝てないのなら、やむを得まいと小刀を仕舞う。


「蝦蟇さま、道具と真名しんめいを使うよ」

「お嬢、そりゃあ……! 本気で言うとります?」


 大蛙が驚きをあらわに、まん丸な目を見開く。

 葵は天道學園に入學してから、一度も全力を出していない。


 厳密には、忍者としての全力を出せなかった。

 抜け忍とはいえ、葵には伊賀いがの里で教え込まれた、忍者のおきてが根づいている。


 忍者の戦いは、主君のためにある。

 忍者は力量は勿論、生涯の主君を決めて一人前だ。


 つまり葵は、未だに半人前だった。

 半人前では、大蛙に預けられている道具や、術の真名の使用が許されない。

 すなわち、ここで道具や真名を使うとは。


「本気。ぼくは伊織お兄ちゃんを、主君に決めるよ」


 決めた主君に、生涯を捧げるのと同義だ。

 躊躇ためらいは微塵もなかった。


 葵の伊織への感情は、好意を通り越し、もはや信奉の域に達している。

 仮に伊織が人間ならば、好意にとどまっていた。


 だが蓮水伊織は、常世姫と並ぶ現人神だ。

 天道學園の生徒で、葵だけが知る事実だった。


 學園の生徒や、出雲のほとんどの術者は常世姫を崇めているが、であれば葵の伊織への信奉も、おかしくはなかろう。

 何せ葵にとってはの伊織は、人生を救ってくれた現人神だ。


「……伊織のあんさんには、断られるかもしれんで?」

「いいよ、ぼくが勝手に決めるだけで。忍者は主君の影……、対価は望まない。伊織お兄ちゃんに、尽くしたいんだ」

「茨の道やで?」

「うん」

「後悔はしないんやな?」

「しないよ。絶対に」


 真摯に頷くと、一拍置いて。


「……分かりやした。お嬢は今をもって、一人前の忍者や」


 大蛙が口を開け、舌を使い、体内から二つの道具を取り出す。

 渡された道具を、葵はしっかりと掴む。


 右手に持つは、忍刀にんとう髭切ひげきり

 伊賀忍の筆頭、百地ももち家に代々伝わる一振りだ。


 刃は反りがなく真っ直ぐで、長さは脇差ほど。

 柄は黒く塗られ、闇に乗じる際、光を反射させないようにつや消しされている。


 左手には持つは、雷魔手裏剣らいましゅりけん

 こちらは葵の覚識を前提に作られた、専用の道具だ。

 重なっている五枚刃を回せば、円形の穴を中心に、大きな手裏剣の形を成す。


(手に馴染む……!)


 大蛙に飛び乗り、片膝を突き、


「覚識・顕現――建御雷鎚たけみかずち!」


 得た第六感で、周囲の地磁気を知覚する。

 これをもって葵は、万全の状態となった。


 そしてこの戦いは、一人前の忍者としての初陣だ。

 ゆえに主君である伊織を想い、名乗る。


忍道にんどう・忍術、伊賀流、円城寺葵! 蝦蟇さま、いくよ!」

「へい、お嬢!」


 左手を振りかぶり、魔術の雷を纏わせた、雷魔手裏剣を投擲する。

 回転しつつ横に放物線を描く雷魔手裏剣は、葵の細腕で投げたにしては、ありえないほどの速さだ。


 無論、単なる腕力ではなかった。

 雷魔手裏剣は帯電性が高い。葵は覚識と術を組み合わせ、肉体と雷魔手裏剣に雷を纏い、磁気の反発を利用し、投擲の速度を上げていた。


 直後に大蛙が前進し、大嶽丸や牛鬼との間合いを詰める。

 大嶽丸が静かに金棒を掲げ、牛鬼が「ぐおおおおっ!!」と吼え、殴打を繰り出す。

 接近し、牛鬼の殴打が葵をとらえた――かと思いきや。


「後ろだよ」


 ぽんと煙が漂い、大蛙に乗っていた葵の姿が、大量の木の葉と化す。

 伊賀流忍術、木遁もくとん空蝉うつせみ――本物の葵は、牛鬼の背後だ。

 一方で大嶽丸の金棒が、大蛙に振り下ろされる。


「舐めんなや! 小童こわっぱっ!!」


 特級の怪異を小童と評し、大蛙が片腕で金棒を受け止めた。

 大嶽丸の一撃は、たとえ歴戦の内丹術の術者だとしても、身体ごと潰れるであろう威力だ。


 そんな攻撃を受け止めるのは、とんでもない所業だった。

 それも当然。この三百年を生きる大蛙、本名を周防之大蝦蟇すおうのおおがまと言う。


 現在の基準で測れば、特級の中、上位に相当する元怪異だ。

 伊賀の里にて最強の式神であり、強さは術者の葵をゆうに超える。


「蝦蟇さま、そのまま大嶽丸を止めて!」

「合点承知!」


 葵は牛鬼の背後から、左手の平を突き出す。


(伊賀流忍術、火遁かとん炎廻えんかい!)


 葵の術で、牛鬼が炎の渦に包まれた。

 以前の白富士山での伊織との戦いでは、炎の術を使っても、小さめな火球を撃つくらいだった。


 比べれば術の真名を用いた今は、段違いの規模だ。

 術を口にする必要はない。忍術における真名とは、心の在りようだ。

 主君のための真名は、飛躍的に術の規模を上昇させる。


(倒すには足りない、けど!)


 燃える牛鬼が振り返りざま、丸太のような腕で薙ぐ。

 葵は低い身長を活かし、しゃがんでかわす。


 同時に横から、先ほど投げた雷魔手裏剣が飛来し、牛鬼の腕を切断した。

 さらに雷魔手裏剣が辺りを半周し、数十匹の怪異を仕留め、立ち上がる葵の左手に戻った。


「ぐおお……!」


 牛鬼が苦しみと怒りを滲ませて呻き、葵に覆いかぶさる。


「お嬢!」


 大嶽丸を止めていた大蛙が舌を伸ばし、ひょいと葵の身体を掻っ攫い、再び背中に乗せる。


「大嶽丸を往なして、手負いの牛鬼をやる!」

「あいよ!」


 葵は雷魔手裏剣を投げつつ、忍刀・髭切を構え、大嶽丸に飛びかかる。

 大嶽丸が引いた金棒で迎え撃つが、葵の攻撃は陽動だ。


退けや!」


 自由になった大蛙が、体当たりで強引に大嶽丸を押し退け、


「お嬢の前で、が高いんじゃ! たわけぇ!!」


 片手で牛鬼の頭部を掴み、易々と地面に叩きつけた。


 空中の葵は、体勢を崩した大嶽丸を蹴って跳び、落下の勢いを込め、髭切を牛鬼の頭部に突き刺す。

 表皮が硬く、傷は浅いが、刺した刃の先端から紫電を放つ。


(まずは一匹!)

「があああああ……!?」


 追撃の紫電で、牛鬼が痙攣したのち息絶え、ちりになっていく。

 すかさず大蛙が舌で葵を回収し、背中に乗せ、大嶽丸の方を向いた。

 無言の大嶽丸が踏み出し、大蛙も動く。


「蝦蟇さま、どう戦おう?」

「短期決戦や! 長引けば、お嬢の氣が持たん! おいらが抑えるんで、今の全力でやってみ!」

「うん!」


 大嶽丸が金棒を振るい、大蛙が防ぐ。

 大蛙の言葉に違わず、葵の戦いかたは、氣の消耗が激しい。


 何せ忍術とひと括りにしているが、見方を変えれば魔術の帯電、内丹術の素早さの強化、陰陽道の式神召喚を、併用しているのだ。加えて覚識の顕現も。


(まだまだ怪異は居るし、なるべく少ない手数で……!)


 大蛙と大嶽丸が拮抗し、せめぎ合う。

 最中さなか、投げていた雷魔手裏剣が、死角より大嶽丸の首を襲う。

 大嶽丸が即座に反応し、首を傾けて避け、大蛙から視線を外す。


「余所見は命取りやで!」


 隙に大蛙が両手で、大嶽丸の広げている両腕を押さえた。

 大嶽丸は腹を晒し、無防備だ。


(ここ……!)


 訪れた好機に、葵は伊賀流の歩行術、韋駄天いだてんを使って前へ。

 全身の帯電を、可能な限り強める。


 地磁気の流れに沿い、反発力で、輪をかけて速さを上昇させる。

 髭切の刃に紫電を渦巻かせ、音速の刺突を放つ。


 伊賀流忍術、奥義、雷遁・雷霆衝らいていしょう――伊賀流と銘打ってはいるが、これは大蛙の助言を受けて編み出した、葵だけの術だ。


 髭切でなければ武器が壊れるだろう威力の刺突は、大嶽丸を感電させ、腹に大穴を空けた。


 大嶽丸の腹を貫通した葵は、覚束ない足取りで止まる。

 雷遁・雷霆衝は、肉体への負担が尋常ではなく、全身の骨が軋む。


 しかし敵は特級の怪異なれば、尚も生きている大嶽丸が、大蛙を振りほどいて葵に迫る。


「お嬢!」

「心配ないよ」


 さっき避けられた雷魔手裏剣は、まだ勢いを失っていない。

 旋回した雷魔手裏剣が、大嶽丸の腹の大穴を通って裂き、胴体を上下に分けた。

 大嶽丸が死んで消えゆき、


(狙い通り……)


 葵は戻った雷魔手裏剣を左手に、ひと息つく。


「最後に手裏剣で狙っとったとは、おいらですら気づかんかったわ。お嬢、ほんまに見事な戦いや。おいらを従えるに相応しい、立派な忍者やで」

「ありがと。けど、まだ終わりじゃない」


 疲れた身体に鞭打ち、髭切を構え直す。


「一匹でも多く怪異を倒すよ。伊織お兄ちゃんの敵は、ぼくの敵だ」

「へい、ついていきやす!」


 全ての戦いは、生涯を捧げし主君のために。

 霧賀原の北方面、夕焼けの名残なごりりに影を映し、大蛙に乗った忍者が駆け回る。

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