81話 霧賀原・東方面

   ◇◇◇


 ――霧賀原、東方面。


「ふははっ、はははははっ! ここは通さんぞ!」


 柳葉やなぎば修一郎しゅういちろうは歓喜し、徒手空拳で怪異を狩っていた。

 遠目に映る怪異は数え切れず、どうやら一級や特級も居る様子だ。


 柳葉の若獅子と名高い修一郎でも、命懸けの死地だった。

 本来は喜べる状況ではないが、修一郎は歓喜に打ち震える。

 理由は一つ。


「呼んでくれたのだ!」


 誰にともなく叫び、左右の拳を振るい、何匹もの怪異を殴る。


「伊織殿が、吾輩を頼ってくれたのだ!」


 大まかな経緯は沙奈から聞いた。伊織の言伝ことづても。


『百鬼夜行が起きていたら、助けて欲しい。手が足りそうにないんだ』


 その言伝に、一瞬の迷いもなく頷いた。

 修一郎にとっての伊織は、大切な友にして、隆源の件で世話になった恩人だ。


 伊織の強さは知っている。

 敗北を喫した修一郎の力量では、計り知れないことも。


 そんな友が、恩人が頼ってくれるのは嬉しく、誇らしかった。

 歓喜の感情を抑えられず、しかも五大武家の仲間、結月が危ういとなれば、助力するに決まっていた。


(必ずや、守り切ってみせようぞ!)


 沙奈たちと打ち合わせた修一郎の役割は、霧賀原の東方面の防衛だ。

 ほとんどの怪異は人間を嗅ぎつけて襲ってくるので、索敵には困らない。

 たまに例外もおり、数匹の怪異が修一郎を無視し、脇に逸れていくが。


「覚識・顕現――流転之理るてんのことわり!」


 得た第六感で、周囲の氣の流れを知覚する。

 以前の伊織との戦いでは、攻撃を受け流すために使っていた覚識だが、現状は用途が違う。何せ、怪異には氣がない。


 ただ周囲の自然の植物、草の一本一本には、ほんの僅かながらも氣が流れている。

 怪異が踏みつければ、雑草の氣が乱れる。


 氣の乱れを知覚すれば、目をやらなくても位置が分かる。

 修一郎は別の怪異と戦いつつ退き、


「しっ!」


 右拳の親指を弾き、視線を向けず、横に小さな球体の氣を飛ばす。

 柳葉流内丹ないたん術、指弾しだん――氣の塊が当たり、霧賀原を出ようとしていた数匹の怪異が爆散した。


「通さんと言ったであろう!」


 銃撃と遜色ない威力は、無論、修一郎の腕前があってこそだ。


(もっとも伊織殿は、難なく斬っていたがな……!)


 やがて数百匹の怪異を倒した頃。

 ずどん、ずどんと轟音が響き、地面が揺れる。


「ぬぅ、あれは……!?」


 見れば小山こやまほどの大きさを誇る人型の怪異が、近づいてくるではないか。

 轟音や地面の揺れの原因は、あの怪異の移動だ。


(かの有名な、大太法師だいだらぼっち……! 確実に特級であるな!)


 額に汗が滲む。特級の強さは、修一郎も学んでいる。

 専門家の退治屋が、討伐隊を組む規模だと。

 勝てるか? と不安にさいなまれるが。


(否、そうではない!)


 勝てる勝てないの問題ではなかった。


(伊織殿は、吾輩たちを信じて頼ってくれたのだ!)


 期待に応えなければ。

 挑んで、勝つ以外の選択肢はない。

 こちらに気づいたか、大太法師が修一郎を狙い、片足を上げる。


(……っ!)


 視界が影に覆われる。

 動き自体は遅いが、空に天井が現れたかのごとく、大きな足裏だ。


 避けると大太法師の片足が、ほかの怪異を巻き込んで潰し、修一郎の眼前に下ろされた。

 地鳴りがとどろき、土埃が舞う。


「ふははっ! いくぞ、大太法師!」


 生じた恐怖を笑って掻き消し、土埃に突っ込み、大太法師の片足を殴る。


「うおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーっ!!」


 一見すると無謀だろう。愚かだろう。

 よもや大太法師の巨体に、素手で挑もうとは。


 だが殴る。両拳で交互に殴る。全身全霊を懸けて殴る。

 それでも殴る。まだ殴る。ひたすらに殴る。


「吾輩は、勝つ!!」


 数十回目の殴打で、よろめいた大太法師が屈み、片足を下げる。

 直後に片手の平が振るわれ、


「がっ、あ……!?」


 修一郎は回避の間もなく、平手打ちを食らって吹き飛んだ。

 凄まじい衝撃に晒され、何度も地面に跳ね返り、無様に横たわる。

 並大抵の術者であれば、即死の一撃だった。


「ごほっ……。吾輩は、勝たねばならんのだ……!」


 あちこちの皮膚が裂け、骨にひびが入り、だとしても。

 頼られた誇らしさを胸に、気合いと根性で立つ。

 対して大太法師が、殴打が効いたのか片膝を突く。


(この機会、逃がしてなるものか!)


 修一郎は疾走して距離を詰め、そのまま止まらずに、大太法師の膝をのぼった。

 不安定な姿勢だが、これも柳葉流の歩行術、残影ざんえいの成せる芸当だ。


「決める……!」


 大太法師の大腿部を足場に、高く跳ぶ。

 跳躍は巨大な顔面に届き、


「この一撃でっ!!」


 額に殴打を放つ。

 受けた大太法師が、あとずさって白目を剥き、体液を吐いた。


 これはただの殴打ではない。

 柳葉流内丹術、奥義、瀲震発勁れんしんはっけい――拳に集中させた氣を波のように揺らし、振動を伝え、殴った対象を内側から壊す術だ。


 どれだけ巨体でも、人型ならば脳があるだろう。

 脳を激しく揺さぶられた大太法師が仰臥ぎょうがし、ひときわの轟音が響く。


「吾輩の勝利だ!!」


 少なくとも、黄泉比良坂で伊織と戦った際の修一郎の心持ちでは、大太法師を倒すのは不可能だった。


 伊織との戦いでも全力を出したつもりだが、なぜならあのときは、誇れる動機ではなかった。


 そもそも修一郎が目指すのは、活人の拳だ。

 なればこそ今、誇れる動機のもと、人々を守るための戦いで、柳葉修一郎は如何いかんなく潜在能力を発揮できていた。


「容赦はせん……!」


 大太法師の顔面に着地し、とどめを刺すべく、尚も殴り続ける。

 皮をえぐり、肉を抉り、骨を抉り、脳を抉る。


 むごたらしく、苛烈に、一切の容赦をせずに。

 普段は温厚な修一郎だが、土台、優しいだけで柳葉家の次期当主は務まらない。


 必要に駆られてつちかった凶暴性もまた、修一郎の強さだ。

 息絶えた大太法師が消滅し、修一郎は再び地面に立つ。


「たしかに討ったぞ! 大太法師!」


 周辺の怪異が、知性の有無に関わらず、たじろぐ。

 修一郎の獰猛どうもうさを、本能で恐れているのだ。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーっ!!」


 牙を剥く若獅子の雄叫びが、霧賀原の東方面に響き渡る。

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