80話 百鬼夜行

   ◇◇◇


(何とか、結月は生きているな……)


 単身で霧賀原きりがはらに駆けつけた伊織は、結月の肩を抱き、ほっと胸を撫で下ろす。

 傷だらけの痛ましい姿だが、幸いにも致命傷は負っていない。


 黄泉比良坂よみひらさかの方角に首を曲げれば、遥か遠くに怪異の行軍がうかがえた。

 禍々しく、不気味な景色だ。

 あれが百鬼夜行か。


「伊織さん、あたし、失敗しちゃって……! 頑張ったけど駄目で……! せっかく協力して貰ったのに……!」


 結月が俯いて、嗚咽を漏らす。


「大丈夫だ。まだ終わっていない」


 伊織は結月の頭に片手を置き、琴羽に視線を移す。


「琴羽、きみには……、きみたちには、してやられたよ」

「蓮水さん、久し振りだね。貴方がここに居るのなら、やはり向こうは負けたか」

「琴羽は俺が斬った。だが、きみはここに居る」

「…………」

夷瀬いせ琴羽は、最初から二人居たんだな。男女の双子か?」


 霧賀原への道中、考えていた。

 当初、戦場跡の戦闘で、琴羽は間違いなく伊織の術を受け、傷を負った。


 しかし梨々香と話した直後に会った琴羽は、無傷だった。

 かと思えば、温泉で会った琴羽には、傷跡が散見された。


 それも現状を踏まえて、初めから夷瀬琴羽が二人存在し、途中で入れ替わっていたのだとすれば、違和感を拭える。

 やたらと高度な移動の術にしても、おそらく二人がかりで使っていたのだろう。


「正解さ。もう隠す意味もないよ。夷瀬家は必ず任務を遂げる。たとえ私の片割れが犠牲になってもね」


 まつ毛を伏せる琴羽は、片割れの死をいたんでいるのか、どこか寂しげだ。

 結果、琴羽たちは有言実行し、任務を遂げた。

 一連の作戦や覚悟は、敵ながら感心に値しよう。


「見事だと、褒めておこう」

「お褒めに預かり光栄だ。犠牲の甲斐あって、百鬼夜行は起きた。蓮水さんは、まだ終わっていないと言ったが……、もう終わったんだよ」

「違うな。たしかにきみたちは勝ったが、まだ終わっていない」

「……どういう意味かな?」

「きみも結月も、大きな勘違いをしているな。そっちが勝ったからと言って、結月が負ける道理はない」


 言って結月を見る。

 結月は琴羽と同じく、不思議そうな表情だ。


「結月、きみが百鬼夜行を防ぎたかった、一番の理由は何だ? 朝霧家の命令で仕方がなくか? 違うだろう?」

「一番の理由……。周りの町村や、人々を守るために……」

「おう、知っていた。だから、まだ終わっていないんだ」

「え……?」


 結月の目的の根本が、百鬼夜行に伴う、人々への被害の防止なら。

 夷瀬家の任務と、結月の想いは、相反しない。

 琴羽たちは勝った。それがどうした?


「ここで百鬼夜行の怪異を退治し尽くせば、被害は出ない。被害が出なければ、結月も勝ちだ」


 ゆえにまだ終わっておらず、結月は敗北していないのだ。


「ふふっ、世迷い言を……。あの数が見えないのかい? しかも一級どころか、特級の怪異だって何十匹も居る。不可能に決まっているだろう」


 嘲笑う琴羽に、


「不可能かどうかは、きみじゃなくて俺が決める」


 伊織は淡々と告げる。

 その態度に気圧されてか、琴羽が「うっ……」と怯み、


「いくら蓮水さんでも……。まぁいい、任務は遂げたし、もう私には無関係だ。干渉はしないよ」


 肩を竦め、軽く両手を挙げた。


「結月を傷つけたきみを、許す気はないぞ」

「……やり合えば、私は確実に殺されるね。ただ、猶予はあるのかな?」

「……今は見逃す。きみはあと回しだ」

「ふふっ、はははっ! 私は幸運だ。まさか蓮水さんが、百鬼夜行に挑むなんて無謀な選択をするとはね。おかげで逃げられる」

「どこに逃げても構わない。絶対に追い詰める」

「……っ、強がりを……。遠慮なく逃げるよ」


 口端をひくつかせた琴羽が、飛蝗ばったの群れを連れ、百鬼夜行の行軍の反対方向に逃げていく。


「伊織さん……、ほんとに百鬼夜行と戦うつもりですか?」


 問う結月は弱々しい。


「無論だ。結月、きみは休んでいろ」

「……怖くないんです? だって、あんなに大量の……」

「恐怖はないな」


 僅かな沈黙を挟み、


「……あたしも戦います。ほんの少しは回復できましたし、休んでるよりは、一匹でも怪異を……」


 結月が暁逆鉾を抱き、自らの足で立つ。

 身体が震えているのは、疲労のせいか、恐怖のせいか。


「無茶をするなよ」

「します。伊織さんが戦うんでしたら、無茶します。一度は諦めましたけど、足掻く気持ちになれたんです」

「……そうか。俺の背中から、離れないようにな」

「はい!」


 頷いた結月が涙を拭い、伊織の後ろに回る。

 そして伊織は、百鬼夜行の行軍に向き直った。

 敵は数万匹。これは戦闘であり、戦争だ。


「……なんか無理心中みたいで、どきどきしますね」

「きみな、縁起でもないことを……」


 突拍子もない発言をする結月は、感情がたかぶっているのだろうか。

 徐々に地鳴りが近づく。二人が佇む霧賀原に、怪異の荒波が迫る。


 上空の龍が睥睨へいげいし、雷鼓らいことどろく。

 行軍との距離が縮まり、


「伊織さん……!」


 結月が一変して、不安げに叫ぶ。

 伊織は左手で刀の鞘を掴み、右手を柄に添える。


阿頼耶あらや識・顕現――空魔刀くうまとうおぼろ!」


 顕現に応じ、肉体に凶暴な白き風を纏う。

 微塵も臆さず、威風堂々と。


「無理心中にはならないさ。きみも、その想いも、守ってみせる!」


 凄烈せいれつに抜刀。

 無月一心流魔刀術、真・風刹ふうせつ――前方の広範囲に、特大の剣気を乗せた風を飛ばす。


 初撃で数千匹の怪異が、剣気の風に斬り刻まれる。

 間髪入れずに両手で刀を握り、


(無月一心流魔刀術、奥義! 真・風縛刺ふうばくし!)


 かすみの構えを取って、神速の刺突を放つ。

 切っ先から分かれた風が、いくつもの巨大な竜巻になり、辺り一帯を包む。

 竜巻によって、さらに数千匹の怪異が消し飛んだ。


「わ、伊織さん、すごすぎ……!」

「雑魚はこれで片づくな。本番はここからだ」


 今の攻撃で討てた怪異は、伊織の体感、二級以下の強さだ。

 手加減せずに大きな術を撃てば、二級以下は容易たやすく倒せる。


 問題は負傷しつつも生き残っている、一級らしき怪異や、まったく負傷していない特級らしき怪異だ。

 怪異たちが足を止めず、次々とこちらに群がる。


「斬り尽くす!」


 伊織は後ろの結月を守りながら、手当たり次第に怪異を斬り始める。

 十匹、百匹、二百匹……、数えるのも面倒だ。


 魔刀術を交え、延々と太刀筋を連ねる。

 中には遠距離の攻撃を行う怪異も居るが、阿頼耶識の特性、鎌鼬かまいたちの風の自動防御が防ぐ。


「せめて補助を……! 眼境がんきょう清浄、封魔!」


 結月の術で、何十匹もの怪異が右往左往した。視界への干渉だ。

 頼もしい補助もあって、苦戦もなく怪異を斬る。

 ただ全てを一刀とはいかず、


「……っ! こいつは……!」


 伊織の斬撃を金棒かなぼうで受け止めたのは、隻腕で赤く筋肉質な体躯、頭部に一対のつのを生やす鬼だ。

 鬼が「ぐるるっ!」と、醜悪な形相で威嚇する。


「隻腕の赤鬼……、特級の茨木童子いばらぎどうじです! 気をつけて!」

「特級か……!」


 茨木童子が巧みに刃を逸らし、伊織に金棒を叩きつける。

 避ければから振った金棒が、地表を抉って凹ませる。


「結月、動きを止められるか?」

「できますけど、特級には多分、一瞬しか効きませんよ!」

「一瞬で十分だ!」

「は、はい! 信じます!」


 結月が果敢に茨木童子へと接近し、


「身境清浄、封魔!」


 暁逆鉾の先端を向け、術を唱える。

 茨木童子が「ぐおおっ!」と、鬱陶しげに固まった。

 伊織は刀を頭上に掲げ、


「特級だろうとっ!!」


 風陣歩で茨木童子の懐に入り、渾身の力で振り下ろす。

 無月一心流魔刀術、奥義、風牙兜割ふうがかぶとわり――刃に暴風を纏わせ、威力に特化した一撃が、茨木童子の頭部を割る。


 頭部を粉砕された茨木童子が、ちりと化す。


「特級の怪異を、こんな簡単に……!? 伊織さん、どれだけ強いんですか……!」

「氣の消耗は激しいが、今出せる全力でいく! 少しずつ移動するぞ!」

「わ、分かりました!」


 戦闘の余波で荒れた足場を捨て、じりじりと移動し、怪異を駆逐し続ける。

 だがどう戦っても、敵は数万匹だ。


 止まることを知らない怪異の行軍が、人里を目指しているのか、ばらけて霧賀原の四方八方に進む。

 伊織は襲いくる怪異の対処で、手一杯だ。


「伊織さん、このままじゃ、怪異が霧賀原の外に……!」

「あぁ、想定済みだ!」

「え……?」


 この流れは事前に想定していた。

 何せ百鬼夜行は、初代常世姫が危惧するほどの現象だ。

 討伐はともかく、人々への被害を防ぐのなら、伊織だけでは手が足りまい。


「対策は講じた。沙奈を學園に寄らせてな。もう着いているはずだ」


 沙奈が同行していないのは、皆を呼んで貰ったからだ。

 伊織は皆の助けを信じ、結月に微笑みかけた。

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