4幕 霧賀原に荒波迫る

79話 霧賀原の戦い

   ◇◇◇


(伊織さんと沙奈は、無事でしょうか……)


 朝霧結月は駿馬しゅんばまたがり、黄泉比良坂を目指し、農道を走っていた。

 天日栖宮あめのひすのみやで琴羽を伊織と沙奈に任せ、町にいって駿馬を借り、数時間。

 あちらの決着は、とっくについているだろう。


(……いえ、やっぱり伊織さんが負けるはず、ないですね)


 九尾の狐の力は脅威ながらも、戦場跡の戦いと同様に、伊織が負ける姿は想像できなかった。


 沙奈の方は、きっと伊織が守る。

 心配するべきは、自身の御役目だ。


 懐中時計をたしかめる。もう午後の三時半を回っていた。

 百鬼夜行が起きる黄昏時は、夕暮れの頃で、厳密な時刻は決まっていない。


 だが現在の太陽の傾きを眺めるに、午後の五時までには黄泉比良坂に着き、入り口に天魔反ノ札てんまがえしのふだを張り、御役目を果たす必要があろう。


(ほんとに、ぎりぎりって感じですねー……)


 このまま農道を通りすぎ、先の霧賀原きりがはら――広大な草原を突っ切れば、黄泉比良坂に到着だ。

 所要時間は、三十分といった具合か。


(……ま、経緯が経緯ですし、一時間くらい余裕が持てるだけ、ありがたいですね。伊織さんと沙奈のおかげで……)


 二人に感謝し、ひたすら農道を進む。

 周りの風景が田畑から森へと移り変わり、霧賀原に差しかかる。


(あと少し……)


 御役目を果たし、百鬼夜行を未然に防げば、人々に被害が及ばずに済む。

 朝霧家での、立場も上がる。


 立場が上がれば、御役目よりも内輪の権力を優先するような、朝霧家の内情を正していける。


 百鬼夜行の防止は遠い昔、朝霧家が初代常世姫から仰せつかった、大切な御役目だ。


 全ては、出雲の人々を守るために。

 その初代常世姫の崇高な想いを、軽んじるなど許せない。


(御役目は、あたしが必ず果たします……!)


 駿馬の手綱を強く握り、短い草が生い茂った一帯を駆ける。

 最中さなか、上空より高速の何かが飛来した。


(……っ!?)


 飛蝗ばったの群れだ。完全な不意打ちだった。

 視認し、脳内が疑問で埋め尽くされる。


(琴羽さんの死霊術? 何で? 追いつかれた? 伊織さんと沙奈は……)


 乗馬している姿勢では、ろくに防御もできずに。


「きゃ、あっ……!」


 飛蝗の群れに呑まれ、駿馬から放り出された結月は、地面に転がる。

 駿馬の速さ上、氣で肉体は保護していても、相応の衝撃だ。


(くっ……!)


 痛みをこらえ、手を突いて立ち上がれば、


「結月さん、久し振りだね」


 近づいてきたのは、箱のような鞄を抱える琴羽だ。

 天日栖宮で殺生石を取り込み、四尾の狐と化したはずの琴羽は、なぜか人間の姿に戻っていた。


 一方で琴羽の後方、駿馬が飛蝗の群れに追いやられ、去っていく。

 結月は混乱しつつも、琴羽との対峙を余儀なくされる。


「久し振りって、数時間前に会ったじゃないですか。何でここに居るんです? どうやって先回りを……」


 にわかには信じがたい状況だ。

 たとえ何らかの要因で、伊織や沙奈を振り切り、琴羽が自由になったとしても。

 駿馬を追い越しての先回りは、至難の業だろう。


「答える義務はないね。私は任務を遂げるために、ここに居る。それが全てさ。結月さんを止めるよ」

「……あたしだって、御役目を果たします」


 望みの返答は得られなかったが、琴羽の目的は一貫している。

 琴羽と戦わず、黄泉比良坂に向かうか? 無謀だ。


 背中を晒すのは危うい。高確率でやられる。

 戦うしかなかった。


(馬は失っちゃいましたけど、ここで琴羽さんを倒して急げば、徒歩でもまだまだ間に合う……!)


 洞窟の連戦での疲れは抜けておらず、氣も消耗しているが、仕方がない。

 結月は戦闘を決意し、暁逆鉾を構える。


「ふふっ、やる気のようだね」


 琴羽が飛蝗の群れを上空にとどめ、抱えていた鞄を開く。

 鞄から出されたのは、折り畳まれた女性……、の死体だ。

 戦場跡で倒したものと、同一だった。


「それ、雁野がんのさんが操ってた……!」

「雁野が作った屍人しじん。密かに回収したのさ」


 続いて琴羽が数珠じゅずを片手に、いんを結ぶ。


の空虚なる器よ、目覚めたまえ! 穢土化楽操えどけらくそう幽玄屍人ゆうげんしじん!」


 女性の死体――屍人が、ぎこちなく直立する。

 琴羽が屍人を操るのは意外だったが、結月は既に一度、あれを倒している。

 そういった意味で、大した脅威ではない。


「覚識・顕現――瀬降津比売せおりつひめ!」


 迷わず覚識を顕現させ、第六感で琴羽や屍人の穢れを知覚し、相対的に浄氣の効果を高める。


 結月と琴羽の視線が交錯し、


「始めようか、結月さん!」

「早めに決めます!」


 屍人が俊敏に距離を詰め、右拳を繰り出す。

 注意するべきは、銃が仕込まれている左の掌だ。

 そして結月の覚識は、対象の穢れを細分化し、悪意の強弱を感じられる。


(雁野さんと同じく、銃を撃つときは、琴羽さんの悪意が強くなるはず……!)


 琴羽の悪意に変化はない。単なる殴打か。

 銃撃であれば備えるが、殴打の場合は恐れるに足らず。


身境しんきょう清浄、封魔!」


 結月は殴られる寸前、六境清浄の術を使う。


「……っ!? なぜ浄術が、怪異以外に効果を……!?」


 屍人が硬直し、琴羽が目を見開く。

 効果は数秒、一度使えば対策を取られるだろうが、出し惜しみはしない。


「まずは屍人を無力化します!」


 身体を捻り、引いた暁逆鉾に、浄氣を纏わせる。

 纏う浄氣が青白いもやのような光となって、暁逆鉾の先端から、横の片側に伸びる。


 伸びた浄氣は、揺らめく刃のごとく。

 暁逆鉾を持ち手にした、大鎌と似た形状が作られる。


(これでっ!!)


 無防備な屍人を、大鎌の浄氣の刃で、大振りに一閃。


 朝霧流浄槍術、鬼縛之参きばくのさんえんじゅ――本来は人型の怪異を想定した、浄氣の力を用いることでの、防御不能、消滅の斬撃だ。


 普通の朝霧家の術者は、槍の先端に浄氣を纏うだけなのだが、結月は浄氣の扱いが上手うますぎて、大鎌と似た形状に昇華させていた。


 威力や範囲では浄氣の放出に劣るが、この術は氣の消耗が最小限で済む。

 今の消耗状態で、無闇に浄氣を放出すれば、氣が尽きかねない。


(落ち着いて勝ちます!)


 放った一閃が、屍人の両肩や首に当たる。


「屍人に込めた私の氣が、浸食されて……!? これが浄氣の……!」


 六境清浄の術が解け、屍人の頭部と両腕が、だらりと下がる。

 浄氣の刃が当たった箇所は、しばらく操作できまい。


(屍人は無視して、直接、琴羽さんを……!)


 結月が屍人の無力化を、確信したとき。


「……なんてね。一度負けている屍人で、真っ当に勝てるとは思っていないさ」


 焦りを消した琴羽の悪意が強まる。


(銃を撃とうと? けど屍人の左腕は……)


 瞬間、耳をつんざくような爆音が鳴り、視界が明滅し、結月はとてつもない衝撃を浴びた。


(……っ!?)


 吹き飛んで地面に横たわる。

 熱い。全身が激痛にさいなまれる。


(な、何が起きて……?)


 目をやれば屍人は消えており、代わりに細かな肉片が散乱し、周りの草が焼け焦げていた。


 屍人が爆発したのだと、遅れて状況を認識する。

 仕込み爆弾による、自爆だ。


「雁野は死体を大切にしすぎていた。死霊術の強みは、こんな攻撃もできる点さ」


 琴羽ははなから、屍人の自爆を狙っていたのだ。


(油断、しました……! 最悪……!)


 後悔の念を抱く。

 雁野との戦いがあったからこそ、注意するべきは銃撃のみだと、先入観にとらわれていた。


 まさか、屍人を使い捨てるとは。

 爆発に巻き込まれた結月は、もはや満身創痍だ。

 覚識は解け、指先一本を動かすのも、苦痛で堪らなかった。


(それ、でも……!)


 血が滲む手で暁逆鉾を握り、覚束ない動作で立つ。

 敗北は許されない。立たなければいけない。

 負ければ、御役目を果たせなければ、百鬼夜行が起きてしまう。


「諦めろ、結月さん!」


 琴羽が片腕を振るうと、上空にとどまっていた飛蝗の群れが旋回し、結月を呑み、通過していく。


(くっ……!)


 術で対抗する余力はなく、結月は無数の擦り傷を負い、転びながらも。


「御役目は、果たします! 絶対に……!」


 歯を食い縛り、両足で地面を踏み締める。


「どうしてそこまで……。命が惜しくないのかい?」

「惜しいですよ! けど命を懸けるくらい、この御役目は大事なんです!」

「……私たちも任務は大事だ。命を懸けるくらいにはね」


 飛蝗の群れが繰り返し、結月を襲う。

 再び倒れるが、結月は立つのをやめなかった。


 常人ならば、疾うに気絶しているのかもしれない。

 凡人ならば、疾うに諦めているのかもしれない。


「終わりませんよ……! あたしは、天才ですから……!」


 精一杯の強がりで、自身を鼓舞する。

 何としても百鬼夜行を防ぎ、人々を守らなければ。


(あたしの才能は、怪異から人を助けるためにあるんですよ……!)


 才能の意義を信じて疑わず、何度でも立つ。

 矜持をもって、決して諦めずに。


 ――倒れて、立ち、倒れて、立ち、どれほどの時間が経過しただろうか。


「はぁ、はぁっ……!」

「……残念ながら、結月さんの負けだよ」


 幾度となく飛蝗の群れに呑まれ、尚も立ち上がる結月に、琴羽が憐れみの眼差しで言った。


「まだ、あたしは……、負けてません……!」

「いいや、負けだよ。気づかないのかい?」


 琴羽が飛蝗の群れを撤退させ、空を見上げる。

 いつの間にか、太陽は沈んでいた。


「あ……、あぁ……! そん、な……!」


 結月は微かな地鳴りに気づき、絶望のふちに突き落とされた。

 霧賀原の遥か向こう、黄泉比良坂の方角から、ゆっくりと何かが押し寄せる。


 荒波と見間違えそうなそれは、大小様々な、怪異の集団だ。

 総数は、数万匹に及ぶであろう。


 伝説の龍、八岐大蛇やまたのおろち大天狗だいてんぐを率いて空を飛び、集団を導く。

 巨人、大太法師だいだらぼっちが、歩くたびに地面を揺らす。


 鬼たちが得物を掲げて吼える。

 暗雲が漂い、局所的に天候が乱れる。


 黄泉比良坂の深層――現世と幽世かくりよの中間から這い出た、全てを蹂躙せんとする、悪しき怪異の行軍。

 この現象こそが、百鬼夜行にほかならない。


「ふふっ、はははっ! 百期夜行は起きた! 任務は完了だ! 結月さんは失敗したんだよ! 私たちの勝ちだ!」


 琴羽が勝利を宣言し、


「……あたし、御役目を果たせなかった……」


 結月は敗北を自覚し、大粒の涙を流す。

 悔しさに。自身の不甲斐なさに。

 被害をこうむる人々や、御役目を定めた初代常世姫に、申し訳がなくて。


 いくつの町村が潰れる? 何人の死者が出る?

 避難は? 間に合うわけがない。


(全部、あたしが失敗したから……)


 責任が圧しかかり、かろうじて保っていた気概が崩れる。

 心が折れ、もう立って居られず、ふらりとよろめく。


(そっか)


 遅れて思う。

 他人の心配ばかりしていたが、


(あたしも、死んじゃうんですね)


 ここで倒れれば、結月は怪異に殺される。


「ごめんなさい……。あたし、ここで終わりみたいです……」


 誰に対しての謝罪なのか、自身でも分からずに。

 後ろに倒れかけ――突風が吹いた。


「終わらせはしないさ、結月」


 力強い声が聞こえ、誰かに優しく抱きとめられる。

 一振りの刀を腰に携え、颯爽と現れたのは、仮初の相方だった彼だ。


「あ……、伊織さん……!」


 結月は絶望の中、縋るように名を呼んだ。

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