85話 暁逆鉾に選ばれし者

   ◇◇◇


「はぁ、はぁっ……! 最後の、術です……!」


 霧賀原の中央。

 満身創痍な朝霧結月は、暁逆鉾あかつきのさかほこを逆手に持ち、地面を突いた。


 朝霧流浄槍じょうそう術、狐蝕之参こしょくのさん桃源とうげん――暁逆鉾の先端から、浄氣が地面に円形を描くように放出され、数匹の怪異を退しりぞける。


 これで術は打ち止めだ。

 次に使えば完全に氣が尽きて、意識を失う。


 百鬼夜行に挑み始め、どのくらいの時間が経っただろうか。

 感覚は曖昧だ。意識が朦朧もうろうとし、視界は霞がかっている。


「……あと一匹か。長かったな」


 刀を振るい、今しがた退けた数匹の怪異を仕留め、伊織が呟く。


「え? あ……!」


 眼前にばかり注意を払っていた結月は、はっとして周りを見回す。

 にわかには信じがたい光景だった。


 戦い続けた末に、気づけば地上の怪異は、全て片づいていた。

 飛び交う大天狗だいてんぐも倒され、残るは上空の一匹のみだ。


(伊織さんが、ほとんど一人で……!)


 ひとえに驚愕する。

 補助の効果をあわせても、結月の術で倒したのは、千匹にも満たない。


 行軍を逸れ、霧賀原のあちこちに散った怪異を除いても、敵は四万か五万か。

 彼はほぼ単独で数十匹の特級を討ち、数百匹の一級を討ち、数千匹の二級を討ち、数万匹の三級を討ってみせた。


 怪異との戦争を、個の力で圧倒するとは。とてつもない偉業だ。

 底が知れない。彼に底はあるのか?


(……違う)


 よく見れば伊織の額には、汗が滲んでいた。

 うに阿頼耶あらや識は解け、呼吸も乱れていた。

 彼も疲れている。無理をしているのだ。


(あたしのために……!)


 溢れそうな感謝の涙をこらえる。まだ終わっていないから。

 結月は伊織と共に、最後の一匹を見据える。


 上空に佇む、八つの頭と、八本の尾を持つ龍。

 頭部のつのは猛々しく、口から覗く牙は鋭利で、瞳は灼熱の色を帯びている。

 特級の八岐大蛇やまたのおろち――大倭国で最も強かろう、伝説の怪異だ。


「やるか……!」


 伊織が風の渦を足場に宙を疾走し、八岐大蛇との間合いを詰める。


(負けないで……!)


 氣が尽きかけている結月には、願うことしかできない。

 悔しさと情けなさに歯噛みし、成り行きを見守る。


 ――人間の戦いとは思えない、怪異の戦いとは思えない、苛烈を極めた死闘が繰り広げられる。


 百鬼夜行の只中に置かれている結月をもってして、初めて目の当たりにする規模の激戦だ。


 伊織の斬撃で、八岐大蛇の頭が一つ切断される。

 八岐大蛇が怒り狂うように吼えて暴れ、七つの頭を曲がりくねらせ、打撃で伊織を振り払う。


「ぐっ……!?」

「伊織さん……!」


 心配し、思わず叫ぶ。結月が憶えている限り、今まで伊織は、怪異から一度足りとも攻撃を受けていなかった。


 伊織の疲弊は勿論、それだけ八岐大蛇は強い。

 伊織に追撃で、八岐大蛇の七つの口が、火炎や吹雪や風雷を吐く。


 まるで天災。龍の息吹とでも呼ぶべきか。

 それらの攻撃の範囲は、地上の結月を巻き込むほどだ。


「きゃ、あ……!?」


 結月は成すすべもなく、熱や冷気の暴風を浴び、横たわる。

 もう力が入らず、手放した暁逆鉾が、遠く地面に転がる。


 不意に、龍の息吹が遮られた。

 そばにきた伊織が、結月に背を向け、刀で防御の姿勢を取り、盾になっていた。


「……っ!? い、伊織さん! あたしは放っておいて、逃げてください!」

「放っておけるか。きみを守ると言った!」

「どうして、そこまで……!」

「きみは大切な友だからな。安心しろ、俺は負けないさ」


 尚も龍の息吹は途切れず、伊織に傷が増えていく。

 彼の言葉からは、形容しがたい説得力を感じた。

 きっと彼は負けないのだろう。何かしら、勝つ算段があるのだろう。


(けど……!)


 だとしても事実、今この瞬間、伊織は傷を負っている。


(あたしが弱いせいで……!)


 見ていられない。嫌だ。もう傷ついて欲しくない。

 なぜなら結月もまた、伊織を大切な友人だと思っているからだ。


(友人……、それだけじゃない……)


 仮初の相方になって、一緒に怪異退治を重ねて。

 御役目に協力して貰って、窮地に駆けつけてくれて。


 今や伊織には、友人以上の感情を抱いていた。

 だったら、彼に傷ついて欲しくないのなら。


(あたしも戦わなきゃ……!)


 氣は尽きかけ、術は使えない。油断すれば、意識を失いそうだ。

 それでも、限界を超えて足掻こう。


(だって、あたしは天才なんですから……!)


 瞬間、地面に転がっていた暁逆鉾が、眩い光を放つ。

 光の粒子となって消え、結月の右手に移動した。


「暁逆鉾……! あたしを選んでくれた……!」


 直感で理解し、暁逆鉾と魂を結ぶ。


「きみ、神器に選ばれて……?」


 こちらを一瞥する伊織は、驚いている様子だ。

 神器は意思を持ち、対象の魂で使い手を選ぶ。


 結月が戦う決意をしても、根源たる魂は変わらない。

 ゆえにここで選ばれたのは、幸運というよりほかなかった。


(……ありがとう)


 結月の脳裏に、佐田町の旅館で伊織と一緒に見た、座敷童子ざしきわらしの姿がよぎる。

 もたらされた至高の幸運は、必然だった。

 伊織と一緒に見たからこそ、彼を想って決意した今、幸運が訪れたのだろう。


「おかげであたしは、まだ戦えます!」


 選ばれたことで、これまでは使えなかった暁逆鉾の効果を知り、結月はかろうじて立つ。


「伊織さん。信じてくれるのなら、あたしを八岐大蛇のところまで、連れていってください」

「承った。きみを信じよう」


 龍の息吹が止まり、伊織が即答し、結月を抱き上げる。


「結月、いくぞ!」

「はい!」


 結月は伊織の首に左腕を回し、右手の暁逆鉾を構える。

 伊織が足元に風の渦を作り、空中を駆け、八岐大蛇に向かう。


「息吹を受けないように、できるだけ上にお願いします!」

「よし、跳ぶぞ!」


 宣言し、高く跳躍。

 八岐大蛇の前方、斜め頭上を取る。


「これでっ……!!」


 右腕を引き絞り、槍投げの要領で、暁逆鉾を投擲する。

 八岐大蛇が振った一つの頭と、暁逆鉾の先端が、衝突を果たす。

 途端に八岐大蛇の、暁逆鉾に触れた箇所が、問答無用で崩壊した。


「……っ!? 神器の効果か!」

「神器・暁逆鉾の効果は、刃に触れた怪異への、未知の損傷です!」


 使い手の結月も、どんな損傷なのかは分からない。

 物理とも術とも違う、防御不能の、概念的な攻撃だ。

 怪異退治の観点においては、至上の武器だと言えよう。


 投げた暁逆鉾は勢いを緩めず、八岐大蛇の六つの頭を崩壊させ、胴を削いだ。

 最後の頭が大口を開け、こちらを狙うが。


「終わらせる!」


 伊織が一閃、打ち首に処するがごとく、最後の頭を断つ。

 全ての頭を失い、伝説の怪異、八岐大蛇がちりと化す。


「やった……! やりましたよ!」

「中々の強敵だったな……」


 伊織が結月を抱きかかえたまま、地面に着地する。

 上空から下りる過程で眺めた限り、もうどこにも怪異は居なかった。

 散り散りになった怪異は、伊織が呼んでくれた、五大武家の皆が倒したのだろう。


 百鬼夜行は収束だ。

 結月は暁逆鉾を魂に仕舞い、伊織の胸元に顔をうずめる。


「全部、伊織さんのおかげです……! 伊織さんが駆けつけてくれて、皆も呼んでくれて……!」

「全部ではないさ。きみも十分すぎるくらい、戦った。特に八岐大蛇は、きみの力で勝ったも同然だ」

「いいえ、伊織さんのおかげなんです。伊織さんと一緒じゃなかったら、多分あたしは神器にも……」


 百鬼夜行の被害を防いだうえ、生き残れた安堵感で、気を抜いた結月の意識が、段々と薄れていく。


「ごめんなさい、あたし、眠く……」

「眠っていい、休んでおけ。天魔反ノ札てんまがえしのふだを使っていないのなら、天日栖宮あめのひすのみやの洞窟に戻す必要もないだろう」


 顔を上げれば、伊織が優しく微笑む。

 同時に結月の視界の端に、こちらへと歩いてくる、五大武家の皆が映った。

 何人かは傷だらけながらも、全員が無事だ。


(良かった……)


 重ねて安堵し、伊織を見つめる。


「伊織さん、好きです……」


 意識を手放す間ぎわ、本心をささやき、結月は目を閉じた。

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