52話 高天原の死闘
「こい、
伊織は自身の魂と結びつく神器・草薙剣を鞘ごと出現させ、腰に携えた。
學園で待っている沙奈を想う。
玲士以外の全てを捨てようとした、陽菜乃の覚悟を想う。
玲士に託された想いが、激情となって燃えたぎる。
そして何よりも、伊織自身の怒りをもって。
「
吹き荒れる白き風が
太陽も月もないが明るい、高天原の空が軋めく。
大地が振動し、微かな地鳴りが起こる。
「――
顕現に応じ、伊織の定めた法則が、世界を包み込んだ。
「『
さらに口に出し、世界に告げることで、敷いた法則の強度を増す。
元から一切の不備はないが、何せ相手が相手だ。
呑まれないように、万全を期すべきだろう。
「大倭国の神器……、当然かしらね」
アリスが西洋の神器・アスクレピオスの杖を出現させ、片手に握る。
「神威識・顕現――」
アリスの身体が、ふわりと宙に浮いていく。
解き放たれた存在感が、輪をかけて空や大地を揺らす。
闘志が充溢し、
「――
アリスの定めた法則が、世界に敷かれる。
「『我が身は星と共に』!」
空中に佇むアリスが、同じく法則を口に出し、両腕を広げた。
楽しげに、歓迎するかのように。
「さぁ伊織、踊りましょう! 精魂尽き果てるまで!」
「望むところだ!」
伊織は抜刀の構えを取り、アリスが杖を掲げた。
相対せしは現人神なれど、伊織の初手は流派の基礎、待ちの反撃だ。
ゆえにアリスの先制攻撃は、必然だった。
「降り注げ破壊の結晶――
空が割れる。遥か上空より、多数の赤い光点が飛来する。
近づくにつれて、轟音が響き、光点の本来の大きさが垣間見える。
一個一個がとてつもなく巨大な、球状の固まりだ。
熱を帯びるそれらは、小天体にほかならなかった。
「なっ……!?」
流石の伊織も度肝を抜かれ、開いた口が塞がらない。
魔術? あれが? 冗談だろう? あまりにも規模が無茶苦茶だ。
しかしなるほど、遅れて認識を正す。
無茶苦茶で
なぜなら彼女は魔術の追及を、生涯の目的に掲げる現人神。
「あはっ、はははははっ! お手並み拝見といきますわよ!」
世界最高峰の魔術使い、アリス・エトワールが、声高々に笑う。
挑発の眼差しで、「この程度は防げるでしょう?」と。
「上等……!」
落下してくる多数の小天体を前に、伊織は不動を保つ。
心を静め、小天体が迫り、よもや接触の寸前。
(無月一心流魔刀術、
抜刀――真・風刹は一の太刀で、より強力な剣気の風を飛ばす術だ。
氣の消耗は激しいが、現人神の氣に底はない。
つまり術によっては、術者の技量に依存し、どこまでも発展していく。
上部の前方、飛ばした極大の剣気の風が、小天体を斬り刻む。
現世で撃てば、地形が変わるであろう範囲と威力は、お互いさまか。
勢いを失った小天体の欠片が、伊織の周りに吹く白き風にあてられ、
神威識の状態の白き風は、阿頼耶識の特性である
弱い攻撃は、白き風が自動で防ぐ。
一方、正真正銘の全力で撃った剣気の風は、小天体を斬り刻んだくらいでは止まらずに、空中のアリスをとらえるが。
「効くと思いまして?」
防御の挙動もなく、アリスの周囲、剣気の風が消滅した。
手始めの応酬としては妥当だろうが、現状においてはそれこそが異常だ。
伊織が敷いた法則のもとで、剣気の風は、斬るという概念を帯びていた。
斬れないなんて、ありえない。
考えうる理由は。
「俺の法則に、抵抗しているのか!」
「同じ現人神な以上、他人の法則に、
「たしかにな……!」
あくまでも抵抗であって、無効化ではない。
ならばと伊織は刀を両手で持ち、足元に暴風を起こし、アリスに向かって跳んだ。
「直接、斬る!」
接近して胴を狙い、斜めに刀を振り下ろす。
「斬れるかしら?」
アリスが片手を突き出す。
刀が不可視の壁、何らかの力に
(重い……!?)
刀を振り切ろうとすればするほど、重さや、反発力が増していく。
魔術を疑うが、違う。法則に抵抗できるのは、現人神という個だ。
さっきの小天体もそうだが、魔術の現象は斬れる。
すなわちこれは、アリスが敷く法則だ。
そもそもアリスは何の魔術的な現象も起こさず、いかにして浮遊を維持している?
『我が身は星と共に』――導き出される答えは一つ。
「きみは、周りの重力を支配して……!?」
「あはっ、支配ではありませんわ! 私はこの法則を、星の力との共存と認識していましてよ!」
感覚的に、薄っすらと理解する。
星の力とは重力に限らず、アリスの周囲の物理法則、全般に関わるのだろう。
伊織が刀を振るう動作は、当たり前だが、既存の物理法則に準ずる。
アリスの法則は、その動作自体に、影響を及ぼしているのだ。
斬る概念を帯びた刀と、星の力。お互いの法則がせめぎ合う。
「阻まれようと! 重力ごと斬る……!」
どんな力も斬ろうとする伊織と、さらにその動作を阻害するアリス。
突き詰めれば水かけ論に等しいが、もしくはそれが現人神同士の戦いか。
「うおおおおおぉぉぉぉ!!」
「……っ!? まさか押され……」
雄叫びを上げ、伊織はアリスの法則を押し、強引に刀を振り切った。
致命傷には程遠いが、弾き飛ばされたアリスの左腕に、鮮血が滲む。
「この私に、傷を……! 許されませんわよ、伊織!」
ここに至って、アリスが怒気を滲ませる。
同時にアスクレピオスの杖の先端、青い石がぼんやりと発光し、アリスの左腕の傷が癒えた。医療をつかさどる神器の効果だ。
お互いに不死の現人神、しかもアリスは治癒の力を持つ。
果たしてこの死闘のゆく末が、どこにあるのかも分からずに。
「はっ、許されない? こっちの台詞だ! 俺の友の尊厳を
地面に着地した伊織は、刀を構え直す。
「現人神には、その権利がありましてよ! 熱波の海に溺れなさい――
空に太陽が形づくられ、耳をつんざくような爆発音が鳴る。
降り注いだ熱波が地表を焦がし、伊織の周り、白き風と喰い合う。
「そんな権利はない! 現人神だろうと、何だろうと!」
刀の切っ先をアリスに定め、両手を頭の横につける。
白き風でも熱波を防げず、全身を焼かれながらも。
(無月一心流魔刀術、奥義! 真・
灼熱の大地を踏み締めて、その場で神速の刺突を放つ。
刀に纏っていた風が幾重にも分かれ、何本もの竜巻となって熱波を相殺し、アリスを呑んだ。
「でしたら現人神は、何のために在るのかしら? 人間に干渉しない神など、居ても居なくても同じでしょう!」
竜巻に包まれ、黄金の髪を
自分たちの、現人神の存在意義を。
「干渉の仕方が、認められないと言っている! 傲慢なんだよ、きみは!」
「所詮は正否のない事柄ですわ! その価値観を押しつける伊織こそ、傲慢なのではなくて? 極寒の滅び――
瞬時に気温が低下し、焦げていた地表が凍てつく。
いくつもの氷山ができ上がり、竜巻が掻き消える。
「が、あっ……!」
空気を吸った伊織の、肺が凍る。凍傷で手足が壊死していく。
気候すらも模すとは、もはや魔術を超えた魔術……、まさに星の力だ。
「それ、でも! 俺には託された、友の想いがある!」
刀で薙ぎ、極寒の気候を斬って走る。
氷山を登り、両腕を伸ばし、刀を掲げる。
「
高く高く跳躍し、アリスの頭上から、打ち落とすがごとく刀を振るう。
無月一心流魔刀術、奥義、
斬る概念を帯びた威力は言うに及ばず、ともすれば刃は光速に達していた。
星の力に阻まれるが、止まってなるものか。
写本を取り返すと約束した。魂に懸けて誓った。
想いと誓いが、伊織の神威識を、最高潮へと引き上げる。
「まずは一度、死んでおけ!」
「なっ……、かはっ……!」
かろうじて身体をずらしたアリスの、肩から腰にかけて、深く斬る。
傷は心臓にも届いていた。
直後にアリスが杖の先端で、伊織の胸元に触れる。
「舐め、ないで! 森羅万象、凍てつきなさい――
「……っ!?」
伊織の全身が凍りつき、心臓が停止した。
声も発せず、アリスもろとも地上に落ちる。
双方が死に、時間の逆行によって、全快していく。
意識を失っていたのは、どちらも数秒ほどだろう。
「……初めて死にましたけれど、嫌な経験ですわね……!」
お互いに起き上がり、伊織は刀を握り直し、アリスが再び浮遊する。
「要求を呑め、アリス!」
「自由を信条とするこの私が、誰かに屈するなんてありえませんわ!」
「呑むまで何度でも、斬ってやるよ……!」
「諦めるまで、殺して差し上げましょう!」
――双方の死を経て、戦闘は尚も激化の一途を辿る。
アリスが次々と魔術を行使し、伊織はことごとくを斬り続ける。
余波で高天原の、空や大地の一部が崩れる。
どれだけ死のうと、死んだぶんだけアリスを殺し、決して諦めずに。
「はぁ、はぁ……! 伊織にとって友人とは、それほど大切ですの!?」
「大切だ! はぁっ、俺が望む普通の生活は、皆が居てこそ成り立つ!」
次第に、お互いの呼吸が乱れていく。
肉体は不死だが、死を重ねるたびに僅かずつ、精神が摩耗していた。
「狂気じみた執着心ですわね……!」
「何を言われようと!」
何度でも空中のアリスに斬りかかる。
しかし最初から分かっていたが、命を奪い合うだけでは、勝ち筋が見えない。
このまま精神が摩耗しても、結果はお互いの気絶だろう。
だとすれば、何をもって勝ちとする?
(俺は何を斬れば勝てる……?)
土台、斬るしか能がない身だ。
魂を斬るか? 無駄だ。肉体と同じく、時間の逆行で修復される。
ひたすらに考える。勝たなければいけないから。
「いい加減に諦めなさい!
生成された恒星が大爆発し、視界が眩さに染まる。
巻き起こった衝撃が、地表を抉り尽くす。
「諦めるかよ! 俺は絶対に!」
襲いくる衝撃を斬り、応酬の
できるだろうか? いいや、やるしかない。
風の渦を足場にして、宙を疾走し、アリスとの間合いを詰める。
「果てのない死闘など……!」
「だったら! 俺が果てを見せてやる!」
「戯言を! 灼熱の鞭よ――
アリスの杖の先端から、細い紅蓮の炎が噴出し、しなやかに曲がる。
伊織は鞭のような炎を紙一重で
(斬ってみせる!)
もう幾度となく繰り返した動きだ。
ただし
肉体を素通りしていく刃に、アリスが「えっ?」と眉をひそめる。
草薙剣は、使い手が斬りたい対象を選別して斬れる。神器の効果だ。
「何のつもりでして……!?」
「たしかに斬ったぞ……!!」
そう、伊織は間違いなく斬っていた。アリスの背後、高天原の空間を。
斬った空間が割り開かれ、深淵の闇が覗く。
「なっ、動けない……!? 伊織、何を斬りましたの!?」
暴風に押され、闇の空間に入ったアリスが、困惑ぎみに叫ぶ。
「次元の壁だ! 俺たちの死闘の、果てを実感しろ!」
勝利のために編み出した一刀は、無月一心流にあらず。
これは伊織にしか使えない、伊織だけの術だ。
概念魔刀術、
伊織が居る三次元空間は、上下、前後、左右と、立体で構成される。
二次元空間は面、一次元空間は線。最も低い零次元は、点しかない空間だ。
「次元なんて、そんな……! いったん逃げ……」
アリスが現人神の力で、現世に量子
「は……? 量子瞬間移動が、使えない……?」
目を見開いたアリスが、焦燥感をあらわに呟く。
「やはりな。零次元は点……、位置だけの空間だ。移動の概念がなければ、逃げられもしないだろう」
「ま、待ってください! 待って……!」
伊織の眼前、次元の亀裂が塞がっていく。
「しばらくそこで、反省していろ!」
「やめ、きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーー!?」
零次元の座標に位置を固定されたアリスが、絶望の表情で悲鳴を上げる。
「俺の勝ちだ、アリス!」
宣言と共に、亀裂が完全に塞がり、零次元と三次元が遮断された。
疲れ切った伊織は着地も儘ならず、地面に両足をつけ、よろめく。
「伊織さん……!」
膝立ちになり、倒れかけた伊織の頭部が、温かく柔らかな感触に包まれる。
いつの間にか佇んでいた常世姫に、抱きとめられたのだ。
「姫さん……、勝ったぞ」
「はい、見事でした……」
震える声の常世姫が、泣きそうな顔で微笑む。
「友の、想いは……、俺が……」
零式・次元斬は、予想以上に精神の負担が大きかった。
死での摩耗も相まって、徐々に伊織の意識が薄れる。
「今は何も考えずに、休んでください。わたしくが身体を運びます」
「頼んだ……」
高天原の嵐は去り、伊織は常世姫の言葉に甘え、意識を手放した。
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