51話 嵐の予兆

(こうも早く、また訪れるとはな)


 伊織は高天原たかあまはらの、広大な野原に立つ。初代常世姫が創った一帯だ。


「伊織さん」


 隣には、着物姿の常世姫が佇んでいた。


「やはり視ていたか。どこまで把握している?」

「……おおよその経緯は」

「話が早いな。あの子の留學を許可したのは姫さんだ。きみの意思がどうあれ、同行して貰うぞ」


 人間が起こす事件には干渉しない姿勢の常世姫だが、相手が現人神の場合はどうなのか。そういった意味で、常世姫の考えは推し量れないが。

 少なくとも今回の件の大元は、彼女の留學だ。

 常世姫には出雲の統治者として、同席の義務があろう。


「はい。わたくしもそのつもりです」


 常世姫が真剣な表情で頷く。


「いくか……」


 伊織は会うべき相手を脳裏に浮かべ、片腕を軽く振るい、高天原を移動する。

 移動した先は、植木に挟まれた、石畳の広い道だ。

 奥には尖った屋根が連なる、巨大な宮殿があった。

 大倭国の文化ではない、もの珍しい外観だ。西洋の意匠か。


 常世姫と並び、道に沿って進む。

 宮殿の入り口の手前側、道の左右は、綺麗な庭園になっていた。

 庭園の中、円形の噴水の近く。召使いの格好の女性たちに囲まれ、卓子テーブルに着き、優雅に茶を飲んでいる少女が一人。


「アリス。初めて訪れたが、ここがきみの極楽浄土か」


 庭園に立ち入り、少女――アリスに声をかける。ここらはアリスが創った一帯だ。

 召使いの女性たちは、本物の人間ではない。

 創造神・天照あまてらすや現人神を除き、全てが疑似的な世界だ。

 事実、召使いの女性たちは、部外者に何の反応も示さず。


「伊織、常世姫、ようこそ。中々の見栄えでしょう」


 こちらを向いたアリスが、にこりと笑う。

 服装は天道學園の制服ではなく、港で纏っていた洋服だ。

 もう學園に、用はないのだろう。


「会いにきた理由は、分かるか?」

「お茶の誘いでしたら、歓迎でしてよ」

「…………」

「あはっ、冗談ですわよ。正直、ばれるとは思いませんでしたわ。伊織が動いていたのは意外ですわね」

「きみは占事略决の写本を所持し、内容を実践するための保険に、玲士を手中に収めようとしている。間違いはないだろうか?」

「この状況で、言い訳をするつもりはなくてよ」


 あっさりと認めるアリスは、まるで悪びれる様子もない。


「以前も伝えましたが、私の生涯の目的は、魔術の追及にありますわ。大倭国の式神の術は、大いに役立ってくれるでしょう」

「……善意で留學を受け入れた姫さんを、裏切ったのか」

「善意? 受け入れるしかなかった、が正しいのではなくて?」

「……だとしても、善意には変わりない。姫さんへの裏切りは、出雲への敵対に等しいぞ」

「あはっ、はははっ! 出雲と敵対したからと言って、どうなるのかしら?」

「何だと……?」


 可笑おかしげなアリスを、伊織はいぶかしむ。

 出雲への敵対など、不利益しかなかろうに。


「どうやら伊織は、思い違いをしているようですわね。常世姫に限っては、ばれても一向に構いませんのよ」

「……意図を理解しかねるな」

「私は常世姫の、術や異能の詳細を知りませんわ。けれど一つだけ、確信を持っていますの」


 アリスが常世姫に視線を移す。


「代々が現人神へと至る常世姫については、西洋にも文献が残されていますわ。調べる限り、どの常世姫にも、直接的な戦闘能力はない」


 指摘に常世姫の柳眉が、僅かに動いた。


「今代の常世姫も、例外ではないでしょう。如何いかがでして?」

「……その通りですよ」


 意外な事実に、伊織は少々驚く。

 久遠くおん家の常世姫が歩む刻道こくどうは、それ自体が門外不出だ。

 封印の術くらいしか知らなかったが、よもや攻撃の術がないとは……、ほかと一線を画する道だ。


「つまり常世姫の主力は、五大武家のみ。私単体に劣りますわ」

「……でしょうね」

「私が所属している薔薇十字団ローゼンクロイツァーとの関係性も考慮すれば、事態を知っても、常世姫には何もできませんのよ」

「そう、ですね。あくまでも事件を起こしたのは、玲士さんです。出雲の統治者としては、皆の安全を優先し、内々で処理せざるを得ません」


 弱腰だが、理解できなくはなかった。

 アリスは取引を持ちかけただけで、乗って行動を起こしたのは玲士だ。

 発端はアリスでも、責任は玲士にある。


 そこを踏まえてアリスや薔薇十字団への敵対と、写本と玲士と陽菜乃。二つを天秤にかければ、常世姫の立場上、後者を手放す選択は正しかろう。

 むしろアリスはそうさせるために、直接は写本を盗らずに、玲士を介したのだ。


「……伊織さんには、幻滅されたでしょうか。わたくしの権力は、大倭国にしか及びませんゆえ。常世姫とは、その程度の存在なのです」


 伊織の方に首を曲げる常世姫は、悲しげだ。


「幻滅はしていないさ。俺は俺なりに、きみの立場を知っているつもりだ」

「……ありがとうございます」

「姫さんとアリスについては理解した。けどな、俺は姫さんとは違うぞ」


 伊織は一歩前に出て、アリスを睨みつける。


「会いにきたところを見るに、察していましてよ。私の唯一の想定外は、伊織が動いたことですわ」

「俺の要求は三つだ」

「あら、多いですわね」

「一つ、写本を返せ。二つ、陽菜乃の視力を治せ。三つ、沙奈や玲士や陽菜乃に謝罪しろ」

「どれも断りますわ。所詮、人間の些事でしょう」

「きみは……! 人間を何だと思っているんだ……!」


 沙奈の立場を、玲士と陽菜乃の尊ぶべき仲を。


「誤解はしないでくださいます? 私は決して、人間を見下してはいませんわ」

「だったら、どうして……!」

「けれど事実、人間は人間、現人神は現人神ですわ。高天原にも昇れない人間には、現人神に立ち向かう権利すら、ありませんのよ」

「それ、は……」

「人間は現人神の下位、別の存在。私が節度をわきまえて、欲しいものを少し貰うくらい、どうってことはないでしょう」


 現世において、現人神はどう在るべきか。

 常世姫は天眼てんがんもあって、極力、人間に干渉をしないことを選んだ。

 アリスは人間を下位の存在だと区別し、現人神としての、傲慢ごうまんな振る舞いを良しとしている。

 正否は分からない。正否を決められるのは、創造神・天照だけだ。

 ならば同じ現人神の伊織は、どう在るのか。


「俺は……、同意できない」


 今こそ在りかたを自覚し、定める。


「現人神も人間も同じ、心ある人だ。俺は人間と、友と対等で居たい。お互いを尊重し合い、付き合っていきたいんだ」

「……人間を装って生活する、伊織らしい考えですわね。否定はしませんわ。価値観は人それぞれですから」

「要求は呑んで貰う。力尽くでもな」

「お互いに不死の身で、やり合う気ですの? 無意味な……」

「意味は俺が作る。きみが留學してきたとき、姫さんの部屋で伝えたよな。俺の周りのやつらに何かあれば、きみを斬ると」

「……退く気はなさそうですわね」


 アリスが椅子から腰を上げる。

 召使いの女性たちや、巨大な宮殿が、粒子となって霧散する。


「姫さん。万が一に備えて、天照を見ていて欲しい。もしも不味いようなら、俺に声をかけて、止めてくれ」


 振り返って、頼んでおく。

 全力でやり合えばどうなるか分からず、天照や高天原に影響が出るのは、本意ではない。


「仰せのままに。伊織さん……」


 常世姫が心配そうに名を呼ぶ。

 天眼を用いても、この戦いの結末は予測できないのだろう。


「大丈夫だ。俺は負けないさ」

「……はい、信じています」


 常世姫が姿を消し、伊織は改めてアリスを見据える。


「沙奈の立場を危ぶませ、玲士と陽菜乃の関係性を利用した、その許しがたい所業! つぐなえ、アリス!」

「あはっ、受けて立ちましょう!」


 高天原に、嵐のきざしが満ちていく。

 くして不死たる現人神同士の殺し合いが、幕を開けた。

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