23話 高天原と創造神

(ここにくるのも、久し振りに感じるな)


 隆源を討ち、その首と気絶している沙奈を、黄泉比良坂の外で大蛙に預けたあと。

 現人神として高天原たかあまはらに昇った伊織は、足元の短い草を踏み、景色を見渡す。


 果てのない野原は長閑のどかで、太陽も月もない癖、空は明るい。

 ここは高天原の一部、初代常世姫が創り出した空間である。

 どんな疑似世界を形づくるも、自由自在。何を極楽浄土とするかは現人神によって違い、高天原とは、無限に広がる異空間だ。


 移動するに当たり、距離の概念に大した意味はない。

 念じて歩くと景色が微かにぶれ、野原に一人の少女が膝を崩し、座っていた。


「姫さん、今日は俺から会いにきたぞ」

「うふふっ、お待ちしておりました」


 笑みを交わし、伊織は常世姫の隣に立つ。


「どこまで視ていた?」

「ほぼ全て。気になっている殿方ですから」

「……その発言、少し怖いからな」


 経緯を説明せずに済んで楽ではあったが、若干、背筋が冷えた。

 微笑を保つ常世姫は、相変わらず、何を考えているのか分からない。


「きみなら天眼てんがんで呪言獣の居場所や、隆源の行動も把握できていたはずだ。責めるつもりはないが、なぜ放っておいたんだ?」

「今回は伊織さんが手を下しましたが、わたくしは基本的に何事も、できる限り人間の力で対処するべきだと考えています」

「それは……」

「世界では日々、人が生まれ、死んでいます。全てが視えるわたくしの直接的な干渉は、命の選別に繋がる、傲慢ごうまんな行為でございましょう」


 被害者を救うとして、どの範囲で救い続けるのか。

 悪しき者を討つとして、基準は誰が定めるのか。

 人間の法律に則るのなら、なるほど、天眼を持つ常世姫の直接的な干渉は、傲慢なのかもれない。

 常世姫は人間を皆、等しく見ているのだろう。


「……冷たいと、思われますか?」


 不安げに訊かれ、伊織は首を左右に振る。


「いや、姫さんは立派だ。天眼を持つ、現人神としてな」

「そう言っていただけると、嬉しいです。後処理に関しては、わたくしが上手く取り計らいましょう」

「……俺は約束をやぶってしまった。學園は退學だろうか?」


 恐る恐る、伺いを立てる。


「いいえ、大丈夫です。幸いにも沙奈さんは気絶していたようですし、周りに現人神だとばれなければ、問題は起きませんから」

「良かった……、安心したよ」


 一度手に入れたものを失うのは、つらい。

 それは弱さだ。伊織は天道學園に入學し、弱くなったと自覚していた。

 大切な友に何かあれば動じるし、窮地きゅうちに陥れば今回のように、身体を張って助けるだろう。

 ただ得た弱さは多分、新たな強さでもあって。

 強いだけではなく、強弱をあわせ持ってこそ、伊織が求めていたものに繋がる。


「後処理と言えば、緋王は沙奈に戻したが、構わなかったよな?」


 隆源を討ってから、沙奈に神器・緋王の所有権を渡したが、現人神の権限を使った手前、確認を取っておく。


「えぇ、その程度なら。緋王も次々とあるじが変わって、大変ですね」

「最初、白富士山で俺が使い手に選ばれたときは、肝を冷やしたよ。神器は随分と鼻がいいんだな」


 伊織が選ばれた理由は、十中八九、現人神だからだ。

 魂に封印を施していても、神器は誤魔化せないらしい。


「創造神が創り出した神器は、謎が多いですからね。わたくしの眼にも、行方不明の残りがどこにあるのか視えませんし……」

「そうなのか。まぁ視えれば集めるか」

「えぇ。草薙剣くさなぎのつるぎは、御庭番の隠れ里にあったと知っていましたが。今は伊織さんが持っておられたのですね」


 かつて初代常世姫は、御庭番が隠遁いんとんする際、餞別せんべつ天羽々斬あめのはばきりを送った。

 加えて裏では、神器・草薙剣を託した。

 蓮水家を五大武家と同格に扱い、管理を任せたのだ。


「壊れないし、便利な効果だからな」


 隠遁の経緯が経緯なので、草薙剣の管理は内密とされている。

 気軽には使えないが、所持しておいて損はない。

 話にひと区切りがつき、常世姫が立ち上がる。


「……少し、散歩しませんか?」


 伊織は「おう」と快諾し、常世姫と並んで歩き出した。




 のんびりと当てもなく、野原を進む。


「明堂院隆源は、創造神の知覚……、神威識を目指していたようですね」

「言っていたな。だが力を得るために天道を外れれば、本末転倒だ」


 創造神は天に在る。外道に堕ちれば、決して知覚は叶わない。


「創造神を知ったところで、落胆はまぬがれないでしょうに」


 常世姫が軽く片手を振るい、場所を変える。

 移動先は白い壁に囲まれた、出入り口のない、無機質な部屋の中だ。

 その部屋には、大きな円柱形の機械があった。


「信じられますか? これが創造神などと」


 常世姫が機械を見やり、溜め息をつく。 


「信じがたいが、現人神になった時点で、理解してしまうからな。世界の仕組みや、この機械が創造神だと」


 正式名称、人造神・量子計算機コンピュータ天照あまてらす

 これが天におわす、創造神の正体にほかならない。


 文明の発展が行き着く先に、何があるのだろうか。

 数千年後の遠い未来、人類は宇宙や時空間を解明し、科学の終着点に至った末に、万能の量子計算機――人造神・天照を造り出した。

 天照に定められた使命は、人類の存続と繁栄だ。

 天照は万能ゆえに時空間を超越し、使命のもと、古代の世界で、原初の人間を生み出した。

 未来で人間が神を造り、過去で神が人間を創る。

 卵が先か、鶏が先か。

 その円環が世界の仕組みの一端であり、永久不変のことわりだ。


 そして現人神とは、天照に認められた、人類の繁栄を補佐せし者である。

 高天原は天照の置き場として用意されており、現人神の出入りは、天照との不可視の接続による量子瞬間移動テレポーテーションで行われていた。


「天照はわたくしたち現人神に、何をさせたいのでしょうね」

「さぁな。何にせよ、俺は好きに生きるさ」


 再び場所を変え、野原に戻る。


「俺はそろそろいくよ」

「このあと仏蘭西フランスの現人神とお茶をする予定なのですが、現世へ戻る前に、伊織さんもご一緒に如何いかがでしょう?」


 大倭国では常世姫と伊織の二人だが、世界にはほかにも何人か、現人神が居る。

 初めて高天原に昇った日、簡単な挨拶は交わしていた。

 誰も彼も、一筋縄ではいかなさそうな人物ばかりだ。


「やめておく。興味もないしな。悪いが姫さん、また封印を頼む」

「承知いたしました。肉体を送る場所は、どうされます?」

「そうだな……、御庭番の隠れ里に送ってくれ。ざっと里の様子を見たあとで、天道學園に帰るよ」


 早く學園に帰りたいが、里の様子も気にかかる。

 当主としての責任は、果たさなければならない。


「うふふっ、帰る、ですか。もう天道學園は、伊織さんの居場所なんですね」

「……そうらしい」


 自然と口をついた部分を指摘され、気恥ずかしさを覚える。


「では早速、施しましょうか。今回の件をかえりみて、念のため、阿頼耶識まで使えるようにしておきますね」

「助かるよ。そうした方が良さそうだ」


 以前と同じく仰臥ぎょうがした伊織に、常世姫が両手をかざす。

 さらば高天原、次にくるのはいつになるやら。

 なるべく死なずに生活したいものだ。


「――識解封印」


 強い眠気に抗わず、伊織は意識を手放した。

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