24話 天の下に風そよぐ
(思いのほか、時間を食ってしまったな)
数日後の昼間。伊織は天道學園の正門前に、帰ってきていた。
時間が空いた理由は、御庭番の隠れ里で、里の人々に引き止められたからだ。
気持ちは嬉しいので、むげにもできず、予定よりも遅れてしまった。
(……皆は居るだろうか)
正門をすぎて宿堂へと入り、自室に荷物を置き、ぶらりと廊下を歩く。
巫堂の近くを通りかかると、
「よう、沙奈」
ばったり沙奈と出くわし、伊織は片手を挙げた。
「え……!」
沙奈が瞠目し、
「伊織くん……!」
早足で駆け寄り、抱き着いてくる。
伊織は「おっと」と沙奈を受け止め、華奢な両肩を軽く掴む。
見たところ、怪我は治ったようで何よりだ。
「今までどこに居たのよ……。私も皆も、心配してたんだから……!」
「……すまない、気が回っていなかった。御庭番の隠れ里に寄っていたんだ」
「謝らなくていい、帰ってきてくれただけで……!」
伊織の胸元に顔をうずめる沙奈は、涙声だ。
「……伊織くん、おかえりなさい」
「あぁ、ただいま」
沙奈が目端に浮かばせていた涙を拭い、笑顔を見せる。
「ありがとうね、また助けて貰っちゃって。感謝してもしきれないわ」
「友ならば当然だ」
「……伊織くんは怪我、なかった?」
「見ての通り、大事はないよ」
まぁ死んだが。現人神だと明かすわけにはいかず、それでなくても伝えれば、沙奈が気に病みそうだ。誤魔化しておく。
「それよりも沙奈、この状態は少し照れるな」
「あっ……」
そそくさと離れた沙奈が、頬を染めて
「えっと、あの、修一郎くんや恋華ちゃん、葵ちゃんも、伊織くんの帰りを待ってたから。会いにいってあげて?」
「勿論……」
「それでね! あとで話があるの。巫堂の中庭にきてくれないかしら?」
食いぎみに言われ、伊織は「お、おう」と頷く。
「私、仕事を片づけてからいくわね!」
呼び止める間もなく、沙奈が巫堂の方に去っていく。
(……今日も忙しそうだな)
話とは何だろうかと疑問に思いつつ、伊織は足を動かした。
鍛堂に向かう途中、ひと気のない廊下を通ると、天井から童女が降ってきた。
「……きみ、普段から隠れているのか?」
「忍者だからね。割と忍ぶ」
身軽に着地した葵が、じっーと伊織を見上げる。
「ど、どうした?」
「
両手を合わせて拝まれた。意味不明だ。
「……なぜ拝む?」
「ご利益があるかと思って。だって伊織お兄ちゃんは、あらひと――」
「おおおーーーい!」
伊織はぎょっとして叫び、葵の小さな口を手で塞ぐ。
「むぐっ……!?」
そのまま軽い身体を抱え、廊下の隅まで運び、慌てて周囲を見回す。
(だ、誰にも聞かれていないよな……)
焦りで心臓が激しく脈打つ。
この童女、間違いなく今、「現人神」と口走ろうとしていた。
唐突にもほどがある窮地だ。
「葵、それをどこで知った?」
声量を落とし、ひそひそと。
「……
(あの大蛙め……)
腑に落ちる。
黄泉比良坂を出て、隆源の首と沙奈を預けたときに、見抜かれたのだろう。
何せ、魂の封印を看破した大蛙だ。姿を見せたのは、失敗だったか。
頼りになる反面で、優秀すぎるのも困りものだ。
「葵、誰かに話したりしたか?」
「んーん、言ってない」
「俺がそれだとばれたら、俺は學園に居られなくなるんだ」
「……皆、混乱するだろうね。
「
「伊織お兄ちゃんの頼みなら、誰にも言わないよ」
伊織は「よし!」と、葵の頭を撫で回す。
「……くすぐったいよ。ほかには誰か、知ってるの?」
「御庭番の隠れ里の人間を除けば、姫さんだけだな」
「じゃあ學園の生徒では、ぼくと伊織お兄ちゃんだけの秘密だね」
「そうなるな」
「そっか……」
葵が自らの小指と、伊織の小指を絡める。
「指切り。約束の証だよ」
その行動は年相応な、子供っぽい可愛らしさがあり、伊織は頬を緩める。
「ははっ、約束だ。本来は、俺の方から言うべきなんだろうがな」
「ところでさ。ぼくって今は、伊織お兄ちゃんのもとで修行中、ってことになってるんだよね?」
「あぁ。伊賀の里の手前、体裁上はな」
「暇なときでいいから、ほんとに修行、つけて貰えないかな」
「一向に構わないぞ」
「良かった。それも約束ね。絶対だよ」
念を押した葵が、身をひるがえす。
垣間見えた横顔は、にこにこと嬉しそうだった。
葵と別れた伊織は、柳葉家の道場にいく。
「まだまだ踏み込みが浅いぞ、恋華!」
「わ、分かっておる!」
外まで届く、二人のやり取り。
道場を覗けば、修一郎と恋華が模擬戦を行っていた。
というよりは、修一郎が恋華に稽古をつけているのか。珍しい光景だ。
「二人とも、精が出るな」
道場に入り、普段の調子で話しかけると、動きを止めた二人の視線が伊織に向く。
「い、伊織ぃ~……!」
途端に恋華が大粒の涙を流し、
「伊織殿! 帰ったか!」
修一郎が喜色を浮かべた。
「沙奈にも言ったんだが、御庭番の隠れ里に寄っていてな。時間が空いた」
伊織が道場の端に座ると、修一郎と恋華も近くに腰を下ろす。
「そうであったか。吾輩も恋華も、心配していたぞ」
「ひぐっ……、それなら伝言くらい置いてゆけ。余がどれだけ……」
「悪かったよ。そんなに泣かないでくれ」
修一郎に苦笑を返しつつ、恋華を
恋華が泣きやむまで待ち、少しの間を置いて。
「……伊織殿。
背筋を伸ばす修一郎は、
「よせ、畏まるなよ」
「そうはいかぬ。伊織殿は吾輩や恋華の、ひいては柳葉家の恩人だ。後日、一族総出で正式に謝礼の場を」
「違うだろう、修一郎」
「ほら、きみも拳を上げてくれ」
「う、うむ……?」
と上げられた拳に、ごつんと拳をぶつける。
「友だったら、男同士だったら、これでいい」
「伊織殿……」
修一郎が目を
「友情に感謝を。まこと、貴殿は
「ははっ、大袈裟だって」
次に伊織は、恋華へと向き直る。
先ほどから、何か言いたげにしていたのだ。
「……良くぞ隆源を討ってくれた。おぬしは余の命の恩人じゃな。褒めてつかわす」
相変わらずの物言いだが、恋華にいつもの自信は感じられない。
「戦う前の、腹ごしらえが効いたのかもな。あの串焼きは美味かった」
「うわあぁーーーん! 何ゆえ余を泣かせにくるぅ……」
号泣である。そんなつもりはなかったが、随分と涙もろい。
「だから泣くなよ……。身体はもういいのか?」
「ぐすっ……、おかげさまでな。解呪されてからは、鍛錬に励んでおる」
「さっきもやっていたな」
「うむ。余はもう、あんな悔しい思いはしたくない。もっと強くならねば……、異能が効かん相手とも戦えるように」
「……いい心意気だ」
そういえば、と一つ思い当たる。
(恋華の異能は、人間にしか効果がない……。俺に効かないのは、現人神なせいか)
蓋を開けてみれば、単純な理由だ。
下手をすれば逆説的に、正体が露呈しかねないが。
「そうじゃろぉ~? かわゆい余が怪異とも戦えるようになれば、もはや無敵よ!」
(……ばれる心配はないか)
自慢げな恋華を眺めて、何となくそう思う。
「と、ときに伊織よ。おぬし、本気の兄上と戦って、勝ったと聞いたが」
声を上擦らせる恋華は、なぜか挙動不審だ。
「あぁ、何とかな」
ちらりと修一郎を見れば、深く頷いていた。経緯を話したらしい。
「柳葉家は金持ちじゃぞ。権力もあるし、将来の仕事には困らん」
「……知っているが」
「分家も含めて、皆、善人ばかりじゃ」
「そうなのか」
「べ、別に深い意味はないが? 憶えておいて損はないぞ」
恋華が気恥ずかしげに、そっぽを向く。
「何が言いたいんだ……?」
それから、伊織が道場を出る間ぎわ。
恋華を残して、ついてきた修一郎が、肩を組んでくる。
「ど、どうした?」
「伊織殿、貴殿は恋華の夫となる条件を満たした男だ」
「はぁ? ……いや、前に聞いたな。きみに勝ったからか」
「うむ。将来の身の振りかたを、考えておいてくれ。なぁに、返事は気長に待つ」
「返事って……」
「蓮水家とは、
ぐっと親指を立てた修一郎が、道場内に戻っていく。
(……聞かなかったことにしよう)
いきなり将来などと、いくら何でも飛躍しすぎだ。
伊織は
學園を半周する形で巫堂の中庭に着けば、既に沙奈が待っていた。
「待たせたか?」
「いえ、気にしないで」
「それで、話って何だよ?」
向かい合うと、沙奈が視線を泳がせる。
「えぇーっと……、そろそろ夏よね」
「だな」
日々の気温は段々と上昇し、中庭の草花も色を変え始めていた。
「もう少し暑くなったら、恋華ちゃんや修一郎くんも誘って、海にいかない?」
「いいな。葵も誘ってやりたい」
「勿論よ、皆でいきましょ」
出雲は海に面しているので、交通の便には困らない。
海水に浸かると言えば
最近では、涼むために海水浴をする人々も増えている。
皆と一緒なら、格別に楽しそうだ。
「話ってそれか?」
「ち、違くて。言いたいことは、別にあって……」
沙奈が自らの胸元に手を添え、もじもじと揺れ動く。
「私たちって、友達じゃない?」
「そう思っているが」
「あの、それで、ね……」
意を決したかのように、前のめりになって。
「友達以上の関係に、なれないかしら」
「それは……、親友ということか?」
「……泣いていい?」
「待て、念のための確認だ。悪気はない」
伊織は沙奈から告白されたのだと自覚し、返答に悩む。
こういった経験は何度かあり、動揺はしなかった。
蓮水家の当主になってからは、言い寄ってくる女性も多かったのだ。
今までは断ってきたが。
(断りたくないな)
思った時点で、異性としても、沙奈を好いているのだろう。
もしくは友として、傷つけたくないのか。
分からない。境界線は曖昧だった。
「迷惑だったら全然、断ってくれても……」
「迷惑なわけあるかよ」
「…………」
「……友達以上、恋人未満でも構わないか?」
「え……?」
「気持ちは嬉しいし、きみのことは好ましく思っている。けど俺はまだまだ常識知らずなところがあるだろうし、恋人として上手くやれる自信がないんだ」
考えた末、伊織なりの答えを出し、正直に伝える。
沙奈は初めての友だ。大切にしたい。
だからこそ、軽はずみには付き合いたくなかった。
「……ずるいだろうか?」
後ろ頭を掻く伊織に、
「ううん、今はそれで十分よ。私も気持ちが焦っちゃってたかも」
沙奈が柔らかく笑う。
「少しずつ、進んでいけたら嬉しいわ」
「あぁ」
「お昼ご飯は食べた?」
「まだ、これからだ」
「じゃ、一緒に食べましょ」
照れ臭そうな沙奈が、伊織の腕に引っつき、手を繋ぐ。
季節は移ろい、友との関係性もまた、移ろいゆく。
伊織が欲したもの以上の何かが、その先にはあるのだろう。
沙奈の綺麗な黒髪が風にそよぐ。
初夏の風は、甘い緑の香りがした。
入學編 了
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