22話 回想

 伊織が天道學園に入學する、前日。


(今日も退屈だ……)


 麗らかな晩春の昼下がり。

 はかま姿の伊織は、大広間で肘を立て、ごろりと寝そべっていた。

 場所は御庭番おにわばんの隠れ里、当主の屋敷だ。


 伊織が前当主を殺して座を奪い、里の体制を変えて、数週間が経った。

 今の里では、子供に修行を強制することもない。

 ときおり外から、子供たちの無邪気な遊び声が届く。


(交ざって遊びたい気持ちもあるが、迷惑がかかるだろうな)


 里の人間に会えば平伏され、畏怖いふの眼差しを集める立場だ。

 特に女子供の場合は感謝からか、伊織が「へっくし」と迂闊うかつにくしゃみでもしようものなら、「お風邪ですか!?」と医者を呼んで大いに騒ぐ。笑い話にもならない。

 温かく、孤独だった。

 あるいは当主とは、く在るべきか。


(……暇だな)


 天井を眺めて欠伸を漏らすと、


「退屈そうですね?」


 鈴を転がすような声が返ってくる。

 視線を下げれば大広間には、いつの間にか、着物姿の人物が正座していた。

 白銀色の長い髪の、可憐な少女――常世姫だ。

 伊織は「うおっ!」と、驚いて身体を起こす。


「姫さん……。こうして話すのは、三度目だな」


 蓮水の一族と代々の常世姫には、過去の関係上、密かな交流があった。

 今代の常世姫も、例外ではない。

 初めて話したのは、刀技を披露し、天下三刀の称号を受けたまわったとき。

 二度目は前当主を殺した日――死闘を経て伊織が神威識に至り、現人神となって、高天原たかあまはらに昇った日だ。


「えぇ、高天原で会って以来ですね。あまり出入りしておられないようですが、極楽浄土はお気に召しませんでしたか?」

「そういうわけじゃない。今の里は……、子供の遊び声が聞こえるんだ。高天原は、静かすぎてな」

「うふふっ、左様ですか」

「それで、何か用事が?」

「現人神の身にも慣れたでしょう伊織さんに、改めて一つ、お願いがありまして」

「何だよ?」


 常世姫が深々と頭を下げる。


「どうか、出雲の自治にご協力を。新たな大倭国の現人神が世に姿を見せれば、混乱は必至。友好関係を結びたく存じます」

「お、おい、頭なんて下げないでくれよ!」


 伊織は慌てて、常世姫に駆け寄る。

 出雲の最高権力者にまで平伏されては、堪らない。


「そういうわけにはいきません。を磨き続けた、蓮水の一族が行き着いた先……。伊織さんは大倭国で唯一、正当な方法で神威識に至った御方ですから」

「正当? 姫さんは違うのか?」


 常世姫が頭を下げたまま、微かに首を動かす。


「代々の常世姫は天眼によって、生まれたとき創造神・天照を視て、強制的に神威識へと至ります。順序が逆なのですよ」

「……難儀な異能だな」


 常世姫の血統異能・天眼の詳細については、高天原で会った際に聞いていた。

 政府や出雲の術者が知る天眼は、世情の流れ、ひいては物事の移ろいを視るものとされている。

 かつての戦争を勝利に導いた、占いの力だ。


 しかし実態は違う。天眼はその名の通り、天から全てを視る眼だ。

 占い、移ろう物事の予測は副産物にすぎず、天眼を持つ常世姫は、世界で起きているありとあらゆる事象を視られる。

 秘める可能性を考慮すれば、とりわけ政府には明かせなかろう。


「次代の女子を生み、異能を継げば、母親の異能は神威識もろとも失われます。それが常世姫という立場なのです」


 現人神の資格ごと、子に継いでいくわけか。

 たしかに、でなければ常世姫の立場は維持できまい。


「分かった、分かったから頭を上げてくれ。友好関係だったな、結ぶよ。俺に大倭国をどうこうするつもりはない」

「……ありがとうございます」


 ようやく常世姫が頭を上げる。


「つきましては、わたくしにできることがあれば、何でも仰ってください。何か願いはおありでしょうか?」

「願い、か……」


 伊織は悩み、躊躇ためらいがちに口を開く。


「……天道學園に通ってみたい」

「えっ?」

「俺くらいの歳の術者は普通、天道學園に通うんだろう。同年代の人々と暮らして、人付き合いを学び、友を作って……、気になる女子ができたりして」

「…………」

「俺はそういう、普通の生活に憧れているんだ」


 蓮水の一族の最高傑作――そう呼んだのは誰だったか。

 血筋と比類なき才能に恵まれ、死と隣り合わせの鍛錬に励み続け、ただ強くなるだけの生だった。

 果てに現人神となり、その先に何がある?

 何もない。孤独は寂しかった。

 普通が欲しい。伊織の切実な願いだ。


「うふふっ、全てを持ちうる現人神が、ゆえに普通を望みますか」

可笑おかしいか?」

「……いいえ、わたくしも望んだことがありますから。人間は特別な現人神に憧れ、現人神は普通の人間に憧れる。皮肉でございますね」


 常世姫が慈しむように微笑む。


「その願い、叶えましょう」

「ほ、ほんとか? どうやって……」


 言っておいて何だが、まさか聞き入れられるとは思わなかった。


「伊織さんの魂に封印を施し、力を覚識まで大幅に引き下げます。周りに現人神だとばれなければ、支障はないでしょう」

「封印……。現人神同士なら可能か」

「そちらが受け入れてくだされば。死ねば解けますので、くれぐれも死なぬように。本来の力は使わないと、約束できますか?」


 現人神は疑似的な神ゆえに、不老ならずとも不死である。

 肉体が死に瀕しても、宇宙の法則が死を許さず、時間の逆行で生かされる。


「約束しよう」


 喜々として頷く。不便はないだろうと、気楽に考えて。


「では早速、準備いたしましょうか」




 伊織は里の重鎮たちに留守を伝え、大広間に戻って仰臥ぎょうがした。


「……何だか緊張するな」

「できるだけ力を抜いてください。苦痛はないでしょうが、深く眠ることになりますので、ご了承を」

「おう。天道學園へは?」

「高天原を通して、わたくしが運びましょう」

「分かった。それじゃ、頼むよ」

「はい」


 そばに座り直した常世姫が、伊織の身体に両手をかざす。


「――識解しきかい封印」


 魂への衝撃と共に、伊織の意識が薄れていく。



 伊織は入學した日、事実、巫堂ふどうの結界に干渉はしていない。

 なぜなら高天原を経由し、結界の内側に直接、移動したのだから。

 目覚めたのち沙奈と出会い、死合うとも知らずに。


(友はできるだろうか)


 無垢な期待を胸に、伊織は深い眠りへと落ちた。

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