21話 現人神
◇◇◇
(ようやく見つけた……)
負傷こそしているが、ひとまず沙奈は無事だ。
緋王に攻撃を受けていたし、神器は奪われたか。
「隆源、斬りにきたぞ」
隆源に視線を移し、睨みつける。
「蓮水……。修一郎でも討てんとは、驚いたな。なるほど、以前までの
隆源の腹から、ずずず、と
「今なら敵う気でいるのか?」
「言うまでもなかろう。貴様、疲れているな? 見れば分かる」
「別段。問題はない」
「はっ、強がりを」
「では、死合おうか」
伊織は抜き身の刀を、中段に構える。
「いいや、行われるのは一方的な虐殺だ! 以前の借り、ここで返そうぞ!」
隆源が数枚の
地面を蹴った伊織は、真っ直ぐに隆源を目指す。
お互いの間に羽ばたく火の鳥、緋王と、
(どちらも斬る!)
覚識の顕現は早計だ。式神や怪異に魂はない。
さすれば繊細な打ち込みは要らず、乱雑にでも斬ればいい。
足を止めず、隆源を狙い、大振りで牽制の剣気の風を飛ばす。
「緋王、守れ!」
隆源の指示で、緋王が前方に熱波を撒き、剣気の風を相殺した。
緋王の身体を包む赤い炎が、勢いを増し、蒼く変化していく。
隆源の力量に応じて、成長しているのだ。
沙奈が使役していたときと比べて、より強く凶暴に。
「呪言獣、喰い千切れ!」
一匹を守りに回したとなれば、もう一匹は攻めに回すだろう。
四足で岩壁を走り、呪言獣が迫りくる。
(この速さは……!)
もはや目では追い切れず、立ち止まって刀を下げる。
見えなくても間合いにさえ入れば、感覚で斬れる。
視界に頼らず気配を読み、
「そこっ!」
斬り上げ、呪言獣を一刀両断。
泥沼に刃を浸らせたかのような、不快な感触だ。
(なに……!?)
油断はしていなかったが、予想外の事態が起こる。
呪言獣の半身が大口を開き、伊織の左腕に噛みついた。
生きている――通常、怪異の急所は姿形に準ずる。
頭部も心臓も両断したが、不死などありえない。
まさかこの畜生、喰らった人間の魂すらも糧とし、命をいくつも持っているのか。
伊織は咄嗟に呪言獣の口先を斬り、振り払う。
落下した呪言獣の半身から、ぐずぐずと泥土が湧き、再生していく。
「くくっ……、終わりだ蓮水! 呪言獣の牙より入った泥土が身体を巡れば、貴様は呪いにかかる!」
「そうか」
嘘ではなかろう。傷の周りが、赤黒く変色し始めている。
呪いか左腕か。伊織は即決し、右手で刀を握り、左腕の肘から先を斬り落とした。
激痛が走り、切断面から血が噴き出す。
「は……?」
と固まる隆源に構わず、呪言獣が再生し切らないうちに、前へ。
「使わせて貰うぞ、その炎!」
急降下して振るわれる緋王の爪を刀で防ぎ、蒼炎に左腕を突っ込む。
重ねての激痛――熱で切断面を焼いて塞ぐ。
(ぐっ……!)
攻撃に転じたいが、流石に呼吸を整える時間が欲しく、いったん距離を取って壁を背にする。
「……俺はまだ、戦える。きみを斬ると言った」
「化け物め……! 人間でないのは、どちらだ……!」
隆源が頬を引きつらせ、一歩下がる。
とはいえ死地だ。ただでさえ不利な状況で、片腕は不味い。
(……再生を前提に斬り続け、呪言獣を削るべきか)
反面で収穫はあり、呪言獣が死なないと分かっていれば、合わせて動けばいい。
守らせているのなら、無闇に攻めてはこないだろう。
緋王が攻めてくれば、そのときは隆源を狙う好機だ。
「ならばもう一度噛んでやれ、呪言獣!」
完全に再生した呪言獣が、回り込んで牙を向く。
(片腕では、威力は望めないが……!)
刀を斜めに振り下ろし、滑らせるように手首を捻って振り上げ、横に一閃。
再び下、上と繰り返す。刃に纏う風を回し、高速で五芒星を描き続けるがごとく。
無月一心流魔刀術、
五連、二十連、五十連。太刀筋を連ね、噛める口も残さずに呪言獣を斬り刻む。
「泥の獣は、よく斬れるな!」
死ぬまで殺すと斬り続け、やがて呪言獣の再生力が鈍り出す。
「ちっ……! 緋王、いけ!」
ようやく隆源が緋王を攻めに回す。
判断の遅さは、左腕を斬り落としたのを見て、必要以上に警戒していたのかもしれない。
(詰める!)
またとない好機だ。伊織は再生中の呪言獣を無視し、一気に隆源のもとへ。
途中、擦れ違いざまに緋王の爪を往なし切れず、左肩を抉られるが、どうせ使いものにならない腕だ。
「覚識・顕現――
可能であれば首を刎ねる。防御されても魂を打ち、終わらせようと疾走する。
佇む隆源が、にやりと
「
(……っ!? 修一郎から、聞いてはいたが……!)
危ういが、どちらにせよ攻撃しなければ勝機はない。
「――
(これでっ!!)
接近した伊織は、残りの体力を全て注ぎ込むつもりで薙ぐ。
刃の軌道は、たしかにその首をとらえた。
だが刃で触れた箇所が泥土と化し、斬った
刀を振り抜いたが、魂も打てず、隆源は無傷だ。
「無駄だ! この身を構成する法則が違うのだからな!」
隆源が片手で
「人が作りし武器など!」
とてつもない力を込め、
「なっ……!?」
伊織の眼前、砕け散った薄水色の欠片が煌めく。
阿頼耶識は、己の無意識領域を知ることで至る識だ。
得られる力は、術者の内包世界の変革である。
阿頼耶識を顕現させた術者は、世界を支配する自然の
元より隆源は人間を捨てていたが、もはや今の彼には、伊織の攻撃が効くかどうかも怪しい。
人間を超えた隆源の強さは、計り知れない。
「やはり、阿頼耶識が相手では……!」
伊織は折れた刀を握り締め、跳躍して
「流石の貴様も、阿頼耶識は使えんだろう!」
その通りだ。現状の伊織は覚識までしか使えず、対抗の手段はない。
隆源が札を突き出し、
「今の我には、式神の負傷が返っても無意味だ! きたれ吉将・
空中の緋王、再生した呪言獣に加え、密迹金剛が召喚された。
三匹が伊織を囲み、別々の方向から襲いくる。
(まず、い……!)
緋王の熱波で肌が焼ける。呪言獣の泥土を浴び、足が腐る。
折れた刀では応戦も儘ならず、
「仕舞いだ、蓮水っ!!」
「が、はっ……!?」
密迹金剛の錫杖の先端が、伊織の胸部を貫いた。
「ごっほ、げほっ……」
錫杖が引き抜かれ、伊織は吐血し、ふらふらとよろめいて倒れ伏す。
溢れる血はとめどなく、凍えそうなほど身体が冷える。
潰れた心臓は機能せず、意識が遠のき、目を瞑る。
(無念……!)
たった一つの後悔の念を抱き、蓮水伊織は絶命した。
「くくっ、はははっ! はははははっ!」
黄泉比良坂の第五層に、隆源の嘲笑が響き渡る。
「忌々しい邪魔者は消えた! 我は黄泉比良坂で怪異を喰らい続け、やがては
しばし悦に浸り、
「……沙奈の前に、蓮水を喰らっておくか。くくっ……、こいつを糧にすれば、どれだけの力を得られるか」
足を動かし――異変が起きた。
「な、何だ……!?」
洞窟内を照らす、魂の残滓が揺らぐ。淀んだ空気が軋む。
伊織の身体の傷が、巻き戻るかのように治っていく。
「治癒……、再生ではない? 時間の逆行、か……!?」
おののく隆源が見据える先、伊織の目が開いた。
「明堂院隆源! 許しがたい、断じて許せない……!」
死をもって、魂に施されていた封印が解ける。
斬り落とした左腕も含め、あらゆる負傷が逆行し、完治する。
伊織は
「俺の大切な友を……! 恋華を呪い、修一郎を脅し、沙奈を傷つけたのみでは飽き足らず! よもや俺まで殺すとは!」
友を傷つけただけでも、万死に値するというのに。
そのうえで自身を殺し、封印を解くとは、絶対に許せない。
伊織が死にぎわに抱いた後悔の念とは、本来の力を使ってしまうことだ。
混乱を招くゆえ、本来の力は使うべからず――天道學園への入學に当たって、伊織の魂に封印を施した、常世姫との約束だ。
「きみのせいで、姫さんとの約束をやぶってしまった! 學園を退學になれば、どうしてくれるんだ……!」
「何を言って、貴様はいったい……!? 何だその存在感は!?」
隆源が動揺をあらわに叫ぶ。
阿頼耶識に至った彼には、感じ取れるのだろう。
圧倒的な、格の違いを。
「時間の逆行など、まるで
「もう喋るなよ、耳障りだ」
改めて刀を構えようとして、気づく。折られていたのだった。
(刀が要るな)
決して折れず、隆源を斬るための刀が。
伊織は
「こい、
虚空から新たな一振りを抜き放つ。
純白の刃の太刀は、現世のものにあらず。
神器・草薙剣。伊織の魂と結びつく、真の愛刀だ。
「なっ、草薙剣だと!? 行方不明の神器を、しかも使い手に……!」
うるさい男だ。苛立ちが
「神威識・顕現――」
白き風が
これより行われるのは、死合いでも、虐殺でもない。
畜生外道への断罪であり、処刑だ。
「――
伊織は現人神として、神威の識を顕現させた。
「なにぃ……!? 貴様、神威識に至った、現人神……!? 力を隠して……!?」
「選べ、隆源! 黙して死ぬか、抵抗して死ぬか!」
「あ、くっ……!」
隆源が瞳に、恐れを滲ませながらも。
「緋王、呪言獣、密迹金剛、やれ! たとえ現人神だろうと、今の我ならば!」
指示に応じ、緋王が急降下し、呪言獣が大口を開いて駆け、密迹金剛が錫杖を叩きつける。
「邪魔だ、消えろ」
伊織は歩き出し、軽く刀を振るう。
刃に掠った三匹が両断され、霧散した。
「な、何だその力は……! 呪言獣が、再生しない……!?」
「存在を斬ったからな。命がいくつあろうと、意味はない」
創造神・
得られる力は、外的な世界の変革だ。
すなわち、世界に固有の法則を敷ける。
伊織が敷いた法則は、『
概念魔刀・天斬とは、刀に斬るという概念を帯びる識だ。
天すらも斬りうる至上の一刀となり、白き風を纏いし神威が勇み立つ。
「手駒を失おうと!
隆源が指先から泥土を滴らせ、赤黒く染まった数枚の札を飛ばす。
だが札は伊織まで届かず、乾き切って
白き風にあてられ、瞬時に
「ぐっ、おおおおおぉぉぉぉぉ! 我は、我こそが神威識に至る器だ! なぜ貴様のような輩に至れて、我に至れん!?」
「……きみは大きな勘違いをしている」
「何を……!」
「天道を外れ、外道に堕ちた術者が至れるのは、阿頼耶識が精々だ。神威識は力だけで至れる境地じゃない」
「……っ!? 黙れ、黙れ、黙れえええぇぇぇーーーーーっ!!」
隆源が絶叫し、両手を泥土と化して前に出す。
伊織の頭上から、呪いの泥土が降り注ぐ。
「無駄だ」
一閃で全ての泥土が消滅し、隆源の両手が地面に落ちた。
「がっ、あああぁぁぁっ!? 阿頼耶識の、法則すらも……!」
「神威識は、個の法則ごと世界を呑み込む」
近づくと隆源が下がり、沙奈を盾にするかのように抱き起こした。
「はぁ、はぁ、はっ……! くるな、それ以上くれば沙奈を殺す!」
「……汚らしい腕で、その子に触れるな」
伊織は迷わず足を進め、沙奈ごと隆源の腕を斬る。
「なっ、何ゆえ……!?」
刃が沙奈を素通りし、隆源の腕だけが切断された。
無事な沙奈が、再び横たわる。
「草薙剣は、使い手が斬りたい対象を選別して斬れる」
概念魔刀・天斬は、空間すらも斬りかねない危険性を孕むが、神器・草薙剣の効果のおかげで、現世でも安全に使えていた。
「神器の……!? くそ、くそっ……!」
あとずさった隆源が、足をもつれさせ、尻餅を突く。
伊織は立ち止まり、その無様な姿を見下ろす。
「終わりだ、隆源」
「……蓮水、一つだけ聞かせてくれ」
諦めたか、隆源が脱力して上を向く。
「貴様が入學した目的は何だ? 姫君と並ぶ現人神が、天道學園で何をしようと?」
畜生外道とはいえ、辞世の問いには答えてやるべきか。
「俺の目的は――……」
學園に入學した目的を告げると、隆源が呆然とし、口端を上げた。
「くくっ……、やはり貴様、気が触れているな」
「理解して貰おうとは、思っていない」
草薙剣を掲げ、
「死して地獄にいき、魂が擦り切れるまで責め苦を受けろ」
伊織は隆源を、斬首に処した。
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