20話 奪われる神器
◇◇◇
(ここは……?)
気絶していた明堂院沙奈は、寒気で目を覚ます。
冷たい地面だ。身体の節々が痛む。
横たわっている体勢で首を曲げれば、自然の岩壁が
随分と広い。洞窟かどこかだろうか。その割には明るい。
ばり、ばり、と音がして、そちらを見る。
「ひっ……!?」
悲鳴が漏れる。喰らっていた。
人型の獣が、大柄な鬼のような怪異を押さえつけ、
「……目覚めたか、沙奈」
怪異を呑み込んだ隆源が、口から赤黒い泥土を滴らせて言う。
「隆源、さん……」
経緯を思い出す。
呪言獣に体当たりされ、気絶したあと、隆源にここまで運ばれたのだろう。
この男は、畜生道に堕ちた。
しかも人間だけではなく、怪異まで喰らうとは。
見境のなさに、ぞっとする。
「
「黄泉比良坂? ここが……?」
「うむ、第五層だ」
隆源が奥を指す。目をやればそこには、厳重な結界に守られる台座があった。
台座の上には、一本の短剣が置かれている。
「あれは、
「察しが良くて助かるな」
隆源の反応は、肯定に等しかった。
黄泉比良坂は、進むにつれて肉体と魂が
裏を返せば、魂に干渉しやすい。
中でも第五層には霊剣・布都御魂剣が安置され、それを使えば、対象を問わず魂の結びつきを断ち、他者に繋げられる。たとえそれが、神器であろうとも。
神器を他者に移す、例外的な方法だ。
布都御魂剣を創ったのは初代常世姫であり、その目的は万が一に備え、現人神以外でも神器を譲渡できるようにするため、と伝えられていた。
初代常世姫が第五層に置いた理由は、魂と肉体の剥離の関係上、第五層以降でなければ機能しないからだ。
無論、常世姫の許可なき使用は、固く禁じられていた。
「沙奈、布都御魂剣を取って我に渡せ。あの結界は常世姫か、五大武家の人間でなければ干渉できん」
「……貴方はもう、人間じゃないのね。どうして……」
理解できない。御家や立場を捨て、重ねてきたであろう努力を裏切って。
畜生になり果てた先で得る何かに、価値はあるのか。
「喰らい返さねば死んでいた。生きるために喰らった。はっ、それとも我が
「そんなこと……。白富士山に放置した、私のせい?」
憐れみ、悲しむ。
山に入り、暗殺を試みたのは隆源だが、口に出さずにはいられなかった。
もしも、と可能性を考えてしまうのだ。
「
怒鳴った隆源が沙奈に近づき、髪の毛を引っ張り上げる。
「いたっ……」
「早く布都御魂剣を取れ!」
「……取ると思っているの?」
おそらく今の隆源には勝てない。
勝てなくても、拒絶はできる。
(緋王を奪いたいのなら、この男は私を殺せない)
布都御魂剣はあくまでも、双方の意思のもとで、神器を譲渡するための道具だ。
沙奈が死ねば、緋王の所有権は白紙に戻る。
前提として、神器に選ばれた所有者が居なければ、譲渡はできない。
何をされても、言いなりになる気はなかった。
「恋華に呪いをかけた。逆らえば恋華を殺す」
「え……」
覚悟が一言で揺らぎ、内心が掻き乱される。
自身ならば何をされても構わないが、友人に被害が及べば、きっと後悔する。
「嘘だと思うか? 貴様の拒絶は想定内だ。手立てを用意していないとでも?」
「くっ……!」
「布都御魂剣を我に渡し、緋王を寄越せば、恋華を助けよう。もう用はないからな。選ぶのは沙奈、貴様だ」
「……分かったわ」
恋華の命には代えられず、沙奈は台座に歩く。
台座から布都御魂剣を取り、大人しく隆源に渡す。
「次は神器だ。さっさと緋王を出せ」
(ごめんね、緋王……!)
逆らう選択肢は消え、手元に銅剣の神器・緋王を出す。
沙奈の胸元と緋王は、淡い光の糸で繋がっていた。
肉体と魂の剥離で、繋がりが可視化されているのだ。
「貰い受けるぞ!」
隆源が布都御魂剣を振るい、光の糸を断ち切った。
「う、あああぁぁぁ……!?」
沙奈は緋王を放し、膝から崩れ落ちる。
魂への干渉は、凄まじい苦痛だ。
同時に緋王の喪失感が、心を
肉体への傷はなく、緋王が粒子となり、隆源の手元に移動した。
「これが神器と繋がった感覚か! やはり我が持つに相応しい!」
布都御魂剣を投げ捨てる隆源の
「……貴方の望みは、叶えたわ。恋華ちゃんを……」
掠れる声で言うと、隆源が興味なさげに。
「明日には死ぬだろうな。呪いは解かんよ。柳葉家は邪魔だ」
「……貴方は、どこまで最低な……!」
「用も済んだし、ついでだ。貴様も我の糧にしてやろう。光栄に思えよ」
脇腹を蹴られた沙奈は、
(……っ!)
悔しさに涙し、うつ伏せに転がる。
「生きたまま喰らっても良いが……、くくっ、どうせなら一興だ」
隆源が醜悪な笑みを浮かべ、
「緋王、沙奈をなぶり殺せ」
新たな使い手として、緋王に命じた。
甲高く鳴いた緋王が羽ばたき、空中で旋回し、沙奈に襲いかかる。
(私は、私は……!)
懐を探るが、符術の
苦痛に苛まれる身体では抵抗の余力もなく、緋王の攻撃をひたすら耐える。
(死にたくない……!)
重なる痛みで意識が薄れていく中、あぁ、と思う。
前にも似たような状況があったな、と。
一筋の希望を幻視し、死の恐怖に泣き震え、名を呼ぶ。
「伊織くん、助けて……」
――突風が吹いた。
緋王が飛来した剣気の風を浴び、岩壁に叩きつけられる。
「生きているな、沙奈!」
威風堂々と、誰よりも勇ましく。
「伊織くん……」
「安心しろ、沙奈。きみは俺が助ける」
遠く目が合い、沙奈は安堵し、再び気を失った。
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