3幕 浅比古屋敷の落としもの

14話 呪言獣の被害

   ◇◇◇



「全て片づけた。きみは自由だ」


 白富士山から戻り、数日後の朝。

 伊織は學園の中、宿堂の裏に葵を呼び出し、そう伝えた。


「どういう意味? 爺は死んだけど……」


 葵が素っ気なく視線を逸らす。

 大久保栄蔵の死は、まだ公表されていない。

 世間に松江城の警備が手薄だと思われては、政府の面子めんつに傷がつくからだろう。

 実際は、厳重も厳重だったが。

 葵は立場上、栄蔵の死を知っており、伊織の仕業だと感づいているようだが、言及はしなかった。


「元老院はどうにかなっても、伊賀忍が……」

「ほら、伊賀の里からの書状だ。きみに手は出さないと、血判が押されてある」


 昨日届いた書状を渡すと、


「え……、百地ももちの名と、本物の血判……!?」


 目を通した葵が、伊織に詰め寄る。


「う、嘘、どうやって!?」

「蓮水家の当主として、伊賀の百地家に書状を送り、取引を持ちかけた。蓮水家の術の一部を教える代わりに、葵に手を出すなって」


 大蛙も言っていたが、御庭番と伊賀忍には、大昔の所縁しょえんがある。

 信用のもと、正当な取引相手になり得ると踏んでいた。


「ただ、それだけでは足りなくてな。きみは形式上、俺のもとで修行中という扱いになった。百地家は歓迎らしい」


 蓮水家の当主が、百地家の孫に修行をつける。

 この形式なら、百地家の面目も保たれるだろう。

 蓮水の一族の強さは、伊賀忍も知っているからだ。


「きみはあくまでも伊賀忍のままで、大昔の所縁を頼って、俺のところに身を置いている。面倒だが、そういう立場だ」

「……円城寺家は?」

「そのまま円城寺を名乗ってもいいし、養子から抜けてもいい」


 裏帳簿で円城寺家を脅せば、どうにでもなる。

 すると葵が、悩む素振そぶりを見せて。


「……このまま養子で居るよ。便利な家名だし」

「そうか。隠れみのには、丁度いいかもな」

「お前は……、ぼくに命令しない?」


 未だに疑っているのか、葵の眼差しに怯えの色が浮かぶ。


「そろそろ信じてくれよ。あー……、強いて言えば一つ」


 びくりと身を竦める葵に、伊織は笑いかけた。


「もう誰の命令にも従うな。俺からは、それだけだ」

「…………」


 ぱちくりとまばたきした葵が、まつ毛を伏せる。


「……矛盾してるよ。そっか、ぼく、本当に自由なんだ……?」

「今は実感が薄いかもしれないが、ゆっくり自覚していけよ」


 伊織は何気なく、葵の頭に手を置く。

 馴れ馴れしかったか、という心配は、杞憂に終わった。


「……っ! ありがとう……」


 葵が飛び込むように、伊織の胸元へと抱き着いたのだ。

 ようやく警戒心が解けたか。その姿は、年相応の子供だった。


「ここまでして貰って、どうやって恩を返せばいいか、分からないよ」


 弱々しく頭を押しつけ、泣きそうな声を出す。


「白富士山で伝えたが、俺は俺の怒りもあって動いたんだ。恩返しは要らない。それがきみのかせになれば、本末転倒だ」


 やはり、かぶる。御庭番の隠れ里で前当主を斬り、強制的な修行の体制を変えたときの、子供たちと。

 自己満足で結構、何も枷はつけさせたくない。


「恩は、いつか必ず返すよ。ぼくの意思で」

「……それもきみの自由だな」


 離れた葵が、儚げに微笑む。


「これからは、伊織お兄ちゃんって呼んでもいい?」

「ははっ、好きに呼んでくれ」


 随分と懐かれていた。あるいはこれが、本来の葵なのかもしれない。

「うん!」と無邪気に頷く葵を連れ、伊織は學園内に戻った。






「修一郎、居るか?」


 午後、昼寝を挟み、伊織は柳葉家の道場を覗く。

 修一郎が居れば、鍛錬にでも誘うつもりだった。


「……伊織殿」


 道場では険しい顔の修一郎と、


「む? 余のお友達の、伊織ではないか。遠慮せずに入るが良いぞぉー」


 普段と比べて、大人しめの恋華が座っていた。


「……二人とも、取り込み中か?」

「いやなに、聞かれて困る話ではないのだ。そうだな……、伊織殿にも知っておいて欲しいし、是非とも座ってくれ」


 何やら修一郎は歯切れが悪い。

 伊織は「何だよ?」と靴を脱いで道場に入り、二人の傍に腰を据える。


呪言獣じゅごんじゅうの被害が、一気に拡大しておる。伊織殿、噂は?」

「……その話か。聞いているよ」


 學園に流れている噂――隆源が呪言獣に喰われたと。

 思い出されるのは、白富士山での烏童子からすどうじの話だ。

 白富士山に呪言獣が居たとすれば、辻褄つじつまは合う。

 さらにここ数日、あちこちの町村で、被害が相次いでいるらしい。


「……噂は噂じゃ。いけ好かん堅物ではあるが、畜生にやられるほど、弱い男ではなかろう」


 恋華の言葉からは、複雑な心境が感じられた。


「俺も同意見だ。しぶとそうだしな」


 だが、もしも本当に隆源が喰われていれば。

 果たして呪言獣は、どれだけ強くなっているのか。


「吾輩も、隆源殿が簡単にやられるとは思えぬ。今は生存を信じて、帰りを待つしかあるまい。それでだな……」


 修一郎がひと息を挟み、


「柳葉家に、呪言獣の討伐が命じられた。姫君の勅命ちょくめいである」


 重々しく告げた。

 常世姫の勅命の重要性は、伊織にも理解できる。

 もはやそれは天道學園、ひいては出雲の方針に等しかろう。


「警察では駄目か」

「駄目らしい。隆源殿の噂で、余計に及び腰だ。退治屋の方々もな」

「……無理もないな」

「今は恋華と、その話をしていたのだ」


 道理で険しい顔をしているわけだ。鍛錬どころではない。


「敵の強さが未知数な以上、伊織殿も学園を出る際は、用心してくれ」

「気をつけるよ。呪言獣の居場所は……」

「白富士山は調査させたが、何も見つからなかったようだ。現在は東の、浅比古あさひこ屋敷が怪しいと報告を受けておる。目撃情報があってな」

「浅比古……。伝え聞く、変人の屋敷か」


 見たことはないが、名称は知っていた。出雲でも有名な屋敷だ。


「うむ。数十年前に建てられ、ずっと増築し続けている、屋敷と呼ぶべきかも分からぬ建造物だ。危険ゆえ、吾輩が直々じきじきに出向こうと思っている」


 危険だから人に任せるのではなく、自らが出向く。

 柳葉家の次期当主でありながらの発言は、修一郎の人柄をよく表していた。


「修一郎。そっちに支障がなければ、俺もいこう」


 伊織は迷わず、助力を申し出た。

 呪言獣は気にかかっていたし、先ほど修一郎も言ったが、敵の強さは未知数だ。

 万が一、という事態もあり得る。

 友を一人でいかせるなど、もってのほかだ。


「おぉ! 支障どころか、頼もしいことこのうえないぞ!」


 喜ばしげな修一郎が立ち上がる。


「不謹慎じゃが、楽しそぉー……。決めた、余もゆこう!」

「……きみ、敵が出たら戦えるのか?」

「し、失礼なぁ! いくらかわゆく華奢な女でも、柳葉ぞ?」

(不安だ……)


 同行させて大丈夫か、と修一郎を見れば。


「ふははっ、これでそこそこの腕前だ。大丈夫であろう」


 気軽な調子で笑い飛ばす。意外にも。

 くして向かうは浅比古屋敷、鬼が出るか蛇が出るか、本命の呪言獣が出るか。


「ふふーん♪ おやつは何を持ってゆこうかのぉ~」

「…………」


 伊織は暢気のんきな恋華を眺め、肩の力が抜けるのだった。

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