12話 葵の事情

   ◇◇◇



 ときはさかのぼり、紫電の渦を浴びた伊織は、微かによろめく。


(まさか、俺が攻撃を食らうとは……)


 一時的に全身が麻痺し、筋肉が痙攣する。かわす間もなかった。

 思わぬ強敵に、伊織の口角が意識せず上がる。


「感電とは、里の修行を思い出すな」


 倒れずに踏みとどまると、葵が口を半開きにした。


「何を平然と……。効いてないの?」

「痛いが我慢しているんだ。磁場じば……、地磁気やその辺りの知覚か? いい覚識だ」

「しかも、一発で見抜くし……」

「磁気らしき力で、ほんの僅かに刀が引っ張られたからな」


 伊織の風にも言えるが、魔術の現象は自然を模したものであって、本物の自然現象ではない。

 ゆえに雷に類する術だけを使っても、磁気は発生せず、刀は引っ張られまい。

 つまり葵の今の磁気を帯びた攻撃は、術と覚識で得た自然の力の、組み合わせなのだろう。


「気絶しないなら、気絶するまで感電させる!」


 高く跳躍した葵の両手から、ばちばちと紫電がほとばしる。


(回避は厳しそうだな。やるか)


 伊織は刀に纏わせている風を強化し、刃を旋風で包む。

 飛来する紫電に一振り、斬って分散させた。

 旋風の回転力で、紫電の指向性を掻き乱したのだ。


「いつまで斬り続けられるかな?」

「さぁな!」


 旋風に残留した紫電が刀を通し、伊織の両手を痺れさせる。

 握力は弱まるが、仕方がない。

 前進し、逆刃で葵の着地を狩り取らんと、足元を狙う。


「お前に斬る気がないなら……!」


 空中の葵が放電し、くるりと半回転した。


(磁気の反発か! 器用な……!)


 体勢を変えて、刀を避けるかと思いきや。

 予想に反し、葵が刀を蹴って弾いた。


「ははっ、そうくるか!」


 こちらが逆刃だからこそできる芸当だ。

 挑発されていた。これが嫌ならば、斬りにこいと。

 つい笑みが零れ、少々、しゃくさわる。


「子供には、仕置きが必要だな」


 伊織は何としても斬らないことに決め、これ見よがしに溜め息をつく。

 あまり使いたくはないが、手段はあった。


「子供扱いは嫌いだって、前に言った……!」


 怒ったか葵が猛攻に移り、


(ひと太刀で決める……!)


 伊織は飛び交う紫電を幾度となく斬り、機会をうかがう。

 両手の痺れが蓄積し、段々と感覚が薄れていく。


「葵! 姫さんにそむいて、恥はないのか!」

「……っ!」


 葵が束の間、怯む。今だ。

 伊織は風陣歩を使って、瞬時に間合いを詰める。


「覚識・顕現――」


 立てた刀を頭の横に寄せ、八双の構えで踏み込む。


「――霊魔刀れいまとううつろ


 顕現と同時、刀を緩やかに振り下ろし、逆刃を葵の肩にすとん、と乗せる。


「は? なに……、げほっ……!?」


 葵が不思議そうな表情で嘔吐し、仰向けに倒れた。


「きみの魂を打った。ひと太刀で十分だろう」


 伊織の覚識は、生物の魂を知覚する。

 ぼんやりと魂を感じられる、ただそれだけなのだが――無月一心流魔刀術との組み合わせが、魂への些細な干渉を可能にしていた。

 原理は格闘の発勁はっけいと似ており、発勁が内臓への揺さぶりだとすれば、霊魔刀・虚の状態での攻撃は、魂への揺さぶりだ。

 受けた葵は、とてつもなく気持ち悪かろう。


 ただし効果を成すには、非常に繊細な打ち込みが求められる。

 対策が取られやすいので、できれば殺す相手以外には見せたくなかったが、皮肉にも生かして捕らえるには便利だ。


「魂を……。こんな攻撃、防ぎようが……」


 苦しげな葵が、尚も戦意を失わせず、「まだ……!」と指先を噛む。


「おい、何のつもりだ?」


 刀を鞘に収める伊織の前、指先から流れた血を地面に垂らし、


「きて、蝦蟇がまさま!」


 本人の身のたけを遥かに超える、褐色の大きな蛙が召喚された。 


「式神だと? 陰陽道まで……、違う!」


 これまでの術から、伊織は葵の正体を察す。


「きみ、忍者か!」


 忍者とは特定の主君に仕え、あらゆる仕事をこなす、隠密の一族だ。

 忍者は火を噴き、水面を歩き、大蛙おおがえるを使役する。

 魔道、仙道、陰陽道を交わらせ、歩む道は忍道にんどう

 となれば数々の器用な真似にも、合点がいく。

 道の特異性や、厳しい掟から、忍者は極めて少数な存在だ。


「お嬢、あきまへんわ。おいらを出しても、この御方には勝てへんで」


 大蛙が喋った。伊織はびくっとして片足を下げる。

 ……異なこともある。式神が口を利くとは。

 式神の元は怪異なのだし、おかしくはないが。


「何で。戦って」

「嫌ですよ、お嬢が死にますもん。この御方、ただでさえ強い癖、魂に何かの封印までかかっとるし。格が違いすぎますわ」


「封印……?」と葵が呟き、


「おい大蛙、余計なことを喋るな。斬るぞ」


 伊織は慌てて会話に割って入る。なるべく知られたくない事柄だった。

 当然のように魂の封印を見抜かれたが、普通はありえない。

 この大蛙、中々やる。


「こりゃ失敬、秘密でしたか。斬るのは勘弁してくだせえ」


 大蛙のまん丸な目が、伊織に向く。


「あんさん、御庭番おにわばんの蓮水の一族やろ? 匂いで分かりましたわ」

「そうだが……、蓮水家を知っているのか?」

「えぇ、おいらは伊賀いがのもんさかいな。伊賀の式神は子々孫々、受け継がれる決まりでして。大昔の戦争で、御庭番と共闘した経験があるんですわ」

「伊賀だと? だったら葵は伊賀忍か」


 忍道を歩む忍者は、大まかに二つの流派、二つの一族に分けられる。

 伊賀流、伊賀忍の一族と、甲賀こうが流、甲賀忍の一族だ。

 そして御庭番と伊賀忍は、かつての諸外国との大戦争で、同じ作戦に組み込まれ、共闘した仲だと伝えられている。

 まさか大倭国が転機を迎えた戦争の、生き証人ならぬ、生き証蛙と会うとは。

 そんな大蛙は現在、葵の式神なわけだが。


「伊賀忍の葵が、なぜ円城寺家の養子に?」

「…………」


 答えない葵は、不貞腐れているような表情だ。


「お嬢。おいらを出した時点で、隠し切れんて。殺さずに居てくだはるなら、事情を話したらどうや? また嫌な命令、受けてるんやろ?」


 大蛙が優しい声色で、葵に語りかける。


(命令無視で戦わず、しかも術者をさとすか。随分と人間味に溢れた式神だな……)


 感心する伊織に、


「……ぼくの本名は、百地ももち葵だよ」

 

 葵がぽつりと言う。


「百地……、伊賀忍の筆頭の御家じゃないか」

「現当主の孫だね。それとぼくは元、伊賀忍。抜け忍だから」

「……それはまた、よく無事に生きているな」


 抜け忍とは、一族を抜けた忍者だ。

 忍者の術は門外不出もんがいふしゅつが鉄則で、抜け忍を許さないと聞き及ぶ。

 噂では一族が総力を挙げて、殺しにくるらしい。

 しかしよりにもよって、筆頭の百地家とは、扱いが難しそうな。


「百地家の孫が、どうして伊賀忍を抜けたんだ?」

「……自由が欲しくて。命令に従うだけの生活が、嫌で」


 葵が悔しげに拳を握る。


「けど、駄目だった……。追ってきた一族と戦って、死にかけたところを、元老院の爺に拾われて。条件を出された」

「条件?」

「元老院の権力で伊賀忍から守ってやる代わりに、服従しろって。非術者で構成されてる元老院は、使える術者の手駒を探してたみたい」

「……条件というか、脅しだな」


 元老院の庇護下を離れれば、葵は伊賀忍に殺される。断れまい。


「……元老院は円城寺家への支援に力を入れて、ぼくを養子にねじ込んだ。五大武家の会議で、ぼくを通して、発言権を得るためだね」

「権力を使って、さらなる権力を求めるか」

「結局ぼくは、命令からのがれられなかった……」


 残っていた疑問が解ける。

 元老院の命令に従っているのは、円城寺家でなく、葵個人か。

 元老院からの支援の手前、円城寺家は黙認、といったところだろう。

 はっきり述べれば、無鉄砲に一族を抜けた葵の、自業自得ではある。

 ただ葵の年齢を考慮すれば、指摘する気は起きなかった。

 何よりも、自由を欲する想いに非はない。


「あんさん、あんたは御強い。おいらの見立てでは……、多くは語らんでおきます。どうにか、お嬢を助ける手立てはなかろか?」

「手立ては、あるかもしれないが……」

「少しでもお嬢を不憫ふびんに思うんでしたら、何卒、助けてやってくだせえ。この三百年を生きる蝦蟇がま蛙、何でも致しやすんで」


 どんな手段を用いるにしても、簡単にはいかなかろう。

 伊織は考え込み、


「葵、きみはどうなんだ?」


 と本人に訊く。


「できることなら、助けて欲しいに決まってる……!」


 激情を滲ませ、大粒の涙を零して。


「けど無理だよ! ぼくが逃げれば、伊賀忍と元老院、両方に追われる! 大倭国に逃げ場なんてない……!」

「そうか。助けて欲しいのなら、助けよう」


 葵の意思を聞き、迷いを捨てて承諾する。

 怒りが湧いていたのだ。仄暗く、どろどろとした怒りが。


「だから無理だって! 大体、何でぼくを……」

「きみの姿が、かぶるんだよ。御庭番の隠れ里で修行させられて、逆らえずに死んだ子供たちとな。これは俺の勝手な怒りだ。それに……」


 葵を凝視し、「ふむ」と頷く。


「きみは将来、美人になるだろう。理由はそれで十分だ」

「……意味分かんないよ……」

「あんさん、見る目がありますなあ。ほんま、おおきになあ」


 顔を背ける葵の一方で、大蛙が感謝の意か地面に伏せ、


「……人がくるようなんで、おいらは引っ込みますわ」


 ぽんと煙を上げて消えた。

 少しして霧の向こうに、人影が見える。


「伊織くん!」


 歩いてきた沙奈が、にこりと笑う。


「沙奈……、隆源に勝ったか」

「何とかね。えへへ」


 伊織は安堵し、軽く沙奈の手当てを済ませる。


「その子、葵ちゃんは……」


 沙奈が葵に視線をやる。同じ五大武家の生徒なのだし、知り合いで当たり前か。


「葵は連れていく。事情があってな」


 屈んだ伊織は、まだ動けないであろう葵を抱き上げる。

 無言の葵は、抵抗しなかった。


「敵意がないなら、構わないわ。じゃ、帰りましょうか」


 沙奈の頭上、道中は任せろとでも言いたげに、緋王が旋回する。

 帰りは登りと比べて、楽な道のりになりそうだ。

 伊織は「おう」と足を進め、下山し始めるのだった。

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