10話 緋王に選ばれし者
早朝に起床し、二人で山小屋をあとにする。
予想はしていたが、途中から険しさはさらに増した。
道らしい道がなくなり、木々の緑が消え、岩場に入ったのだ。
適当な木の枝を杖にして歩いていると、
「きゃっ……!」
沙奈が足を滑らせ、伊織は
先日の雨で、岩が湿り気を帯びていた。
「ごめんね、頼りっぱなしで」
「いつでも掴まってくれ。俺は歩行術があるし、簡単には転ばない」
頷いた沙奈と共に岩肌を見上げ、ゆっくりと進んでいく。
次第に薄っすら霧がかかり始め、それからどれだけ歩いただろうか。
無言で足を動かし続け、やがて。
「……あったわ! 鳥居よ!」
霧が晴れ、沙奈が歓喜をあらわに指さす。
先の平坦な一帯には、小規模な鳥居が建っていた。
となれば疲れも吹き飛んだか、沙奈の足取りが軽くなる。
「鳥居と周りの岩を繋ぐ形で、二重の五行結界が張ってあるわね。ここは人間以外、入れないみたい」
「學園の
並んで鳥居をすぎると、奥に古めかしい
祠の前に立ち、沙奈が恐る恐るといった動作でかんぬきを上げ、扉を開く。
「これが、明堂院家の神器ね……」
中に
外観は儀式用を思わせ、長さは一尺(約三十cm)ほど。
刃のない太めの刀身には、不可思議な模様が彫られている。
纏う神聖さで、直感的に理解できた。これぞ紛うことなき神器・
「……っ!」
沙奈が思い切りよく、緋王に手を伸ばした。
すると緋王が光の粒子と化して移動し、
「……俺か?」
なぜか伊織の手に収まった。
同時に頭上、一匹の大きな火の鳥……、式神が現れる。
全身を炎で包む美しい鳥が、天に向かって一声鳴く。
明堂院家に与えられし緋王は、陰陽道に関わる神器だ。
その効果は、無条件での式神・緋王の使役である。
ほかの式神とは違い、使い手の能力に応じて成長する緋王は、無限の可能性を秘めた存在だと言えるだろう。
「なっ、なっ、なっ……」
沙奈が肩を震わせ、涙目で頭を抱える。
「何で伊織くんが、使い手に選ばれてるのよーーーーー!?」
(……不味いな。可能性はあったが……)
沙奈も動揺していれば、伊織も動揺していた。
選ばれたこと自体は、仕方がない。だが緋王の所有権は法律上、明堂院家にある。
伊織が持っていては、明堂院家を敵に回すどころの騒ぎではない。
とてもではないが、所有など
幸いにもまだ、緋王には選ばれたが、伊織の方は選んでいない。
だったらついでに、と一策を講じる。
「おい、緋王!」
呼びかけると、羽ばたく緋王が下を向いた。
「俺は選ばないぞ! きみの
「え、ちょ、そんな命令で……」
涙を拭く沙奈を他所に、緋王がこくりと首を振り、
「えぇ!? ありなのーーーーー!?」
神器が再び粒子化し、沙奈の手元に移動した。
「沙奈、さっさと魂を結んでおけ」
「あ、うん……」
沙奈が呆然と神器を握り、見つめる。
直後に式神・緋王が霧散し、神器が粒子化して消えた。
「……できたわ。いつでも取り出せる……、不思議な感覚ね」
手をかざせば神器が出現する。魂から取り出しているのだ。
結んだ魂の繋がりは、一部の例外を除き、死ぬまで解けない。
これで帰ってから常世姫や明堂院家に報告すれば、沙奈が正式に神器・緋王の今代の使い手だ。
「伊織くん、あの」
「最初は主を勘違いしたんだろ。神器の意思ってのも、意外と適当なのかもな」
伊織は沙奈の言葉を
「それに俺が持っても、明堂院家の手前、姫さんの……、現人神の力で回収される。きみが選ばれたことには違いないんだ、素直に喜ぶといい」
「……伊織くんがそう言うのなら。ありがとう」
沙奈が嬉しそうに、神器を抱き締める。
「帰りましょうか。ふふっ、周りの驚く顔が目に浮かぶわね」
「きみの立場も、上がるだろうな」
祠を軽く掃除し、扉を閉め、鳥居側に戻る。
「……向こうに誰か居るな」
「え? 村の人かしら?」
不審に思って鳥居を出ると、近くの岩場に、二人の人物が佇んでいた。
「……よもや沙奈、貴様が緋王に選ばれるとはな」
長身で鋭い目つきの片方、隆源が沙奈を睨みつける。
「やあ、二人とも」
小柄なもう片方は、円城寺家の葵だ。
「……きみたち、何の用だ?」
「当初の予定では蓮水、貴様だけが対象だったが……。分家の女が緋王に選ばれたとなれば、本家の面目が立たん。どちらもやるか」
「隆源さん? 何の話を……」
「察しが悪いな、沙奈よ。ここで貴様らを殺すと、そう言っているのだ」
「……っ!?」
沙奈が唇を噛み、一歩
「沙奈は我がやろう。最後の稽古だ。葵、どうだ?」
「そうだね。沙奈に関しては、ぼくは関係ないし」
葵のぼんやりとした視線が、伊織をとらえる。
「じゃ、蓮水伊織。始めようか」
言うや否や、葵が駆ける。開幕は唐突だった。
速い――腰の後ろから小刀が抜かれ、流れるような一閃が迫る。
「おい……!?」
理由が分からない伊織は困惑しながらも、抜刀して不意打ちを防ぐ。
構わず葵が踏み込み、連続して小刀を振るう。
「待て、まずは理由を聞かせろ!」
理由も知らずに童女を斬れるか、と伊織は防御に徹して、鳥居の反対側に押されていく。
地形は
「沙奈……!」
敵は葵のみならず、沙奈の身を案じるが。
「伊織くんはそっちに集中して! 私は……、ここで隆源さんを倒す!」
逃げられないと判断したか、沙奈が強気に叫ぶ。
あるいは虚勢。あるいは緋王を手に入れての自信。
沙奈にとって隆源は、いつか越えるべき相手なのだろう。
(……っ! 死ぬなよ?)
伊織は沙奈を信じ、岩場を下り、薄い霧に呑まれた。
「いい加減に、しておけ!」
沙奈や隆源と分断されて、間もなく。
伊織は強引に刀を振り切って、小刀を葵の身体ごと弾き飛ばした。
葵が跳躍を繰り返して下がる。
「葵、何のつもりだ! 姫さんは知っているのか!?」
常世姫の名を出すと、
「……
ようやく葵が理由を告げた。
「暗殺、だと?」
「うん。明堂院家と柳葉家の関係性が悪化した。元を辿ればお前が原因。大々的には動けない明堂院の本家が、元老院に金を積み、ぼくに命令がきた」
明堂院の本家が関わっているのなら、隆源と一緒に居たのも納得だ。
しかしそれは。
「裏金じゃないか……。何でここで」
「ここなら柳葉家の目が届かないし、事故死で片づけられる。元々は隆源と組んで、お前だけを殺す気だったけど……。沙奈に関しては、さっき隆源が言った通りだよ」
「……それで追ってきたのか」
事故死で片づけるのなら、もってこいの場だ。
そのうえで、大きな疑問が残る。
「きみの立ち位置が分からない。なぜ円城寺家は、元老院に従う?」
「……知りたいなら、力尽くで聞き出せばいい」
話は終わりだと言わんばかりに、無表情の葵が再度、小刀で襲いくる。
異常な素早さだ。氣の強化にしても、身体能力が高すぎる。
(仙道……、
内丹術は、体内の氣の操作に特化した術だ。
たとえば伊織は全身に氣を纏い、保護や身体能力の強化を行っている。
内丹術ではさらに全身から足腰に氣を集中させ、一時的に俊足を得るような操作法を学ぶと聞く。
それはさて置き――伊織は尚も気がかりな点があり、反撃せずに防いだ。
大振りの一撃を受け止め、あえて逸らさず、力を拮抗させる。
「お前、やる気がないの?」
「こっちの台詞だ! きみの刃からは、殺意を感じない!」
殺すと言っておきながら、葵には大した殺意がない。
浮き彫りになっている矛盾が、伊織に反撃への
「……っ! うるさい! 仕方がないでしょ、命令なんだよ!」
指摘が不愉快だったのか、葵が感情的に怒鳴る。
「嫌々戦うくらいなら、やめろよ!」
「それができるなら、そうしてる!」
葵が一瞬、悲痛そうな表情を見せた。
(そんな顔をされては……!)
殺せない。元より相手は子供だ。事情を知らないまま斬れば、後悔するだろう。
となれば無力化し、本人の言葉通り、力尽くで事情を聞き出すか。
難儀な方針を定めた伊織は、葵の小刀を往なし、
刀の反りが逆では扱いづらいが、
「刃を逆に……? 舐めるな!」
察したらしい葵が、小刀を下げ、片手の平を突き出す。
「赤き炎よ猛れ!」と放たれる、小規模な火球。
伊織は驚き、反射的に身を
「魔術だと? きみはいったい……」
葵の火球は魔道、純粋な魔術にほかならない。
仙道とあわせ、複数の道を歩むとは珍しい。
通常、術者は一つの道しか歩まない。
御家の相伝は勿論、そちらの方が強く、上に至りやすいからだ。
葵は円城寺家の養子と言っていたか。途中で道を変えたか、それとも。
「硬き地よ溶けろ!」
横に回り込んだ葵が、足元の岩場を小刀で突く。
「おっと……!?」
途端に岩場の一部が浅い泥沼となり、伊織の片足が沈む。
「鋭き氷よ
葵が隙を見逃さずに氷柱を撃ち、次いで高く跳ね、小刀を振るう。
二方向の攻撃だ。泥沼で
(この年齢にして、この強さ……。本当に何者なんだよ……)
とはいえこの程度でやられるほど、やわではない。
伊織は不安定な姿勢で刀を振り上げ、まず氷柱を砕く。
続いて左手で天羽々斬の
「く、あっ……!?」
小刀を落とした葵が吹き飛び、覚束ない足取りで着地する。
無月一心流魔刀術、鞘打ち――刀と比べて軽い鞘を魔術の風に乗せて、
「今ので右肩が外れたな? 無理をせず、もうやめておけ!」
「流石は御庭番の末裔……。普通の戦いかたじゃ、敵わないね……」
深く息を吐いた葵が、鈍い音を鳴らし、右肩を
相当痛いだろうに、顔色を変えずに。
「伊織、お前は大きな勘違いをしてる」
「何を……」
だらりと両腕を下げた葵の戦意が、一気に高まる。
輪をかけて空気が張り詰め、まさか、と伊織は再三に渡って驚かされた。
「
外見や年齢でどこか見くびっていたが、考えてみれば、葵は天道學園の生徒だ。
つまりこの年齢で入學試験に受かるだけの力量を持ち、加えて明堂院家が元老院に金を積み、わざわざ動かすということは。
「――
術者の到達点の一つに至っていても、何ら不思議ではない。
瞬間、葵を中心に眩い火花が散り、
「言っておくけど、ぼくは隆源よりも強いよ」
(これは……!)
ほとばしる紫電が
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