9話 山小屋の一夜
馬車を使って一日走り、
「これは……、登り甲斐がありそうだな」
「雪がないだけ、まだいい方かしらね」
伊織は沙奈と並び、
傾斜で凸凹の多い道や、周りの背高な木々は、いかにも険しさを思わせる。
「それにしても、やけに親切な村だったな」
振り返り、遠く村を眺める。
急に訪ねたが、宿に食事に足りない物資の提供と、至れり尽くせりだった。
おかげで背負い鞄の中身は充実し、仕舞いには保存食まで持たされていた。
「伝え忘れていたけれど、あの村ね、明堂院家の遠縁の人が大半なのよ。山の管理を任せているの」
「傘下の御家か。道理で……」
白富士山は明堂院家が所有しているし、当然と言えば当然か。
前を向き、二人で山道を登り始める。
霊山には怪異が住みつきやすい。たまに視界の端をよぎる極小の影は、細かい形状こそ違えど、まとめて
怪異にも良性と悪性がおり、全てが人間に
中には知性を持った怪異も――
「こりゃあこりゃあ、明堂院家のお嬢さん!」
――分かれ道に差しかかり、しゃがれた声が上空から届く。
何だ何だと上を見れば、空から降り立つ鳥人間が一人、いやさ一匹。
「なぜ分かるかって? 匂いで丸分かりよ! いやぁー、お世話になっとりますね。このたびは視察ですかい? それとも山の
鳥類の頭に、動物の体毛に包まれた、人のような体躯。
背には黒い羽が生え、身長は三尺(約一m)ほど。
口振りからしてこの怪異、明堂院家の知り合いか。
「
「……そうみたいだな」
沙奈が屈み、烏童子と目線を合わせる。
「この山に住まわせる対価として、入り口付近の見張りをしてくれているのよね」
「へい、百年ほど前から! おかげさまで退治もされず、長生きしとります!」
「私たち、頂上の
「ほぉ、そいつぁ四年ぶりでございやすね」
烏童子が分かれ道の前で、羽と両腕を広げた。
「さてさてご両人、片方の道は頂上へ、もう片方の道は崖っぷちへ! この烏童子にじゃんけんで勝てたら、正解を教えましょう!」
「……試練ってわけね。受けて立つわ!」
挑戦的な沙奈の一方、
「……ふざけた怪異だな。斬るか」
伊織は刀を抜き、烏童子に切っ先を突きつけた。
「ひっ、すいやせん、すいやせん! 正解は右でございやす! しきたりなもんで! 許してくだせぇ!」
「ちょっと伊織くん、乱暴は駄目よ! 正解、言っちゃってるし……」
残念そうな沙奈は、試練とやらを受けたかったのだろうか。真面目な子だ。
正解を聞いてしまった以上、右の道にいく。
「最近、どこからか不気味な獣が入ってきとりますんで、お気をつけて!」
別れぎわに注意を喚起し、烏童子が羽ばたいて飛び去った。
(不気味な獣……)
恋華と出かけた日に見た、臓物を喰われた死体が脳裏に浮かぶ。
ちらりと
(
いたずらに怯えさせても悪い。
帰ってから念のため、警察に伝えておけばいいだろう。
万が一にでも遭遇した場合、戦うか逃げるかすれば問題はない。
「……? 伊織くん、どうかした?」
考え込んでいた伊織は、首を左右に振る。
「何でもない。そういえば、さっきの烏童子の話だが……。四年前にも、誰か神器を取りにきたのか?」
「四年前なら隆源さんね。祠まではいったけれど、選ばれなかったの」
「彼か」
神器は対象の魂で、使い手を選ぶ。魂とは、その人物の根源だ。
人間性や可能性、潜在意識など、要素は様々だが、強ければ選ばれるというものではない。
「選ばれたいな……」
「きみなら選ばれるさ」
ぽつりと呟く沙奈を
最初は順調だったが、まぁそう楽にいけば、白富士山の名折れだろう。
「沙奈、次は後ろだ!」
夕焼けの淡い光を刃に映し、伊織は沙奈と隣り合い、刀を振るい続けていた。
戦闘の開始から、かれこれ三十分は経ったか。
敵は
「はぁ、はぁ……! く、
見るからに疲労困憊の沙奈が、召喚していた首切舞を操り、斬馬刀で後方を薙ぐ。
(……そろそろ沙奈は限界か)
伊織の場合、体力はまだまだ尽きないが、若干のやりづらさを感じていた。
まず傾いた道は足場が悪く、沙奈を気にかけながらでは、
何よりも幻傷や騙刃
ついにはさらさらと雨まで降り出し、
「沙奈、きみは大木を背に休んでいろ!」
伊織は防戦に徹するかと、冷静に指示を飛ばす。
「……っ、まだやれるわ! 伊織くん、私のことは気にせずに戦って!」
「だが……」
「ついてきて欲しいとは頼んだけれど、そこまで足手まといになるつもりはないわ! 守られてばかりじゃ、私は私を許せない!」
疲れていても闘志は激しく、沙奈が自ら、伊織との距離を開く。
「……きみを信じよう」
ならばと伊織は疾走し、魑魅魍魎の群れに突っ込む。
一刀で十を斬り、返す刃で十を斬り、ひたすらに繰り返す。
やがて雨空が薄暗くなり、
「沙奈、怪我はないか?」
最後の一匹を仕留めた伊織は、座り込んでいる沙奈に手を差し出す。
「何とかね……。結局、ほとんど伊織くんが倒しちゃったわね。すごい……」
手を取った沙奈が立ち上がり、ふらりとよろめく。
雨のせいで、余計に体力を奪われたのだろう。お互い、ずぶ濡れだ。
「……今日はここまでだ。早く村の人が言っていた、山小屋で休もう」
「そうね……」
沙奈を抱きとめた伊織は、そのまま肩を貸し、放っていた荷物を拾う。
村人の話では、一日で登れる距離に合わせて、管理用の小屋があるはずだ。
周囲を警戒しつつ道なりに進むと、
「あれだな」
話の通り、一軒の小屋が見えた。
辿り着いて小屋に入り、戸締りし、囲炉裏で火を
十畳くらいの広さの小屋は、綺麗とは言いがたいが、寝るに困らない環境が整っていた。
「脱ぐか。きみも脱いだ方がいいぞ」
伊織は
「……えぇ、そうするわ」
言い淀んだ沙奈が後ろを向き、上着に手をかけた。
「……何か言われるかと思ったが、素直だな」
「風邪をひいて倒れるなんて、ありえないからね。伊織くんには、ついてきて貰っているわけだし……。け、けれどあまり見ないでくれると、その……」
恥ずかしげに言葉を切られ、伊織は「あぁ」と身を反転させる。
今の状況で覗くほど、悪趣味ではない。
さっさと全裸になり、畳まれていた大きな布を拝借し、すっぽりと身体を覆う。
「……伊織くん、こっちを向いて大丈夫よ」
見れば沙奈も同じく、身体に布を巻き、前で結んでいた。
脱いだ服を壁側に干し、囲炉裏を挟んで腰を据える。
「一つ聞いてもいいかしら?」
「好みの部位の話か? 俺はどちらかと言えば、胸よりも尻派だ」
「違くて! もう……。伊織くんって、どうしてそこまで強いの?」
「血筋と才能だ」
「……身も蓋もないわね。たしかに御庭番は、最強の一族だったって記録に残っているけれど。努力とかは……」
「……以前、御庭番の隠れ里には、同年代の他人が居なかったと言ったよな」
「言っていたわね」
「俺が子供の頃は、何人も居た。里の修行に耐えられず、俺以外は死んだ」
「え……?」
沙奈が目を
「かつての御庭番は
「……常世姫に、まだ仕えたがっていたのね」
初代常世姫が出雲を自治するに当たって、不透明な組織である御庭番の存在は、民の反感を買った。
裏で多大な貢献をした御庭番が、ゆえに皮肉にも
御庭番は忠義を尽くし、自ら解任を願い出たが、その本心は違った。
「だが御役目は下されず、代を重ねるにつれ、いつしか強さそれ自体が目的になっていった。その集大成が俺だ」
「集大成……? 一族は目的を果たしたの?」
「分からない」
どれだけ考えても、答えは出ない事柄だ。
「俺が当主の首を刎ね、座を奪い、里の体制を変えたからな」
「…………」
幼くして死んでいった者たちへの、せめてもの手向けだ。
もう修行で子供を死なすような事態は、起こり得ない。
現在の伊織は、御庭番の一族……、蓮水家の当主の立場だ。
「努力するだけで強くなれるのなら、一緒に修行させられていた皆は、死ななかっただろう。だから俺が生き残れたのは、才能だと思っている」
「……そういう理由があったのね」
まつ毛を伏せる沙奈は、悲しげだ。
「納得できたわ。伊織くんの強さは羨ましいけれど、私が同じ状況に置かれたら……、きっと耐えられないと思う」
囲炉裏の炎を眺め、沈黙。冷えていた身体が、徐々に温まる。
炭がぱちりと音を鳴らし、沙奈が穏やかな笑みを浮かべた。
「……ご飯を食べて、早めに寝ましょうか」
「賛成だ」
手分けして支度し、食事をとり、寝ようとして気づく。
「……布団が一枚しかないな」
「伊織くんが使って。私は床でいいから」
「いいわけあるか! きみが使うべきだ」
すると沙奈が、むっとして。
「女だからって甘やかす必要はないわ。繰り返し言うけれど、伊織くんにはついてきて貰っているんだし」
「駄目だ。ここで俺だけ布団を使っては、男がすたる」
「嫌。譲るわよ」
「俺だって同じだ」
しばし言い争いを続け、
「だったら一緒に寝ればいいでしょ! それで問題ないわよね?」
怒りぎみな提案は、沙奈の妥協点か。
売り言葉に買い言葉、伊織は「問題ないな」と、威勢をつけて返す。
さっさと囲炉裏の火を消し、二人で
――問題は大ありだった。
狭い布団だ。腕が触れ合い、布越しに沙奈の体温と、緊張が伝わる。
伊織も男として、思うところはあった。
「い、伊織くん。友達として、信じているから」
「…………」
釘を刺された。凄まじく強い釘だ。
「……ねぇ、さっきの修行の話だけれど」
不意に身じろぎした沙奈が、か細い声で。
「少なくとも私は、伊織くんが生き残って、ここに居てくれて、嬉しいわ」
ただ不埒な感情は消え失せ、そう言ってくれる友人を大切にしたいという想いが、じんわりと心に染み渡る。
伊織は「……そうか」と微笑み、眠りについた。
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