5話 明堂院家の確執
◇◇◇
(気が重いわね……)
伊織の案内を終えた沙奈は、鍛堂の中、明堂院家専用の道場である、畳敷きの広間を訪れていた。
事前の呼び出しに応じてだ。
「失礼します」
「遅いぞ沙奈! 何をしていた!」
隆源の怒声を浴び、入室した沙奈は障子を閉める。
恐怖で指先が震え、心臓の鼓動が早まる。
「も、申し訳ありません。常世姫の命令で、蓮水伊織に學園の案内をしていました」
隆源と向かい合って同じく正座し、
直視すれば、さらなる恐怖に呑まれそうだった。
「ちっ、
隆源が吐き捨てるように言い、立ち上がった。
「沙奈、貴様も立て。なぜ
「……はい。私が今朝の死合いで、敗北したからです」
直立した沙奈は、隆源の行動を予想し、歯を食い縛る。
「その通りだ! 明堂院家の恥晒しめ!」
近づいた隆源が片手を振り上げ、沙奈の頬を叩く。
(……っ)
叩かれた沙奈は痛みを堪え、踏みとどまり、黙して視線を落とす。
ここで動こうものなら、次がくるだろう。
いや……、立ったままでも大差はないか。
「やはり未熟者の貴様には、姫君の部下など荷が重いのだ!」
ことあるごとの
慣れても恐怖だけは薄れず、感情を殺し切れない。
「分家の女の分際で! 御家の名に泥を塗るとは!」
二発、三発と頬を叩かれるが、沙奈に抵抗は許されなかった。
沙奈と隆源の関係性は、いとこに当たる。だが立場は大きく違う。
隆源は明堂院の本家の男で、沙奈は分家の女だ。
本家は上、分家は下。明堂院家に限った話ではない。
とりわけ明堂院家は
厳しく当たられる理由は、沙奈も察するところだ。
(分家の私が、常世姫の部下に取り立てられたから……)
常世姫の直属の部下は、名誉ある役目だ。前任が學園から卒業した場合、通例では在學中の五大武家、本家の生徒が後任に選ばれる。
しかし常世姫が後任に選んだのは、分家の沙奈だった。
他所の本家はともかく、隆源にしてみれば、屈辱だろう。
とはいえ常世姫に異議は申し立てられず、矛先は沙奈本人に向く。
折檻の原因となった、今朝の一件にしてもそうだ。
(死合いを提案した隆源さんは、私の死を望んでいた……)
それを沙奈は負けても命拾いし、隆源は伊織に一杯食わされた。
隆源の怒りは、いかほどか計り知れない。
「全ては貴様の弱さが招いた事態! 式神を出せ、稽古をつけてやる!」
「……はい。よろしくお願いします」
お互いに距離を取り、
「式神召喚、
沙奈は覇気もなく、義務的に式神を召喚した。
隆源はその態度が、気に入らんと言わんばかりに。
「式神召喚、
荒々しく
赤銅色の肉体は逞しく、岩のような顔には
片手に
沙奈の首切舞とは違い、全身の召喚は、単純に術者の力量差だ。
「いくぞ! せめて我に一撃、入れてみせよ!」
隆源の声に応じ、密迹金剛が腕を引き絞り、錫杖を突く。
沙奈は首切舞の
「く、あっ……!」
ただの一撃防いだだけで、斬馬刀に僅かな
式神が所持する道具は、式神の一部だ。
術者の沙奈は鈍い痛みに
「防ぐだけではなく、反撃に転じよ! 痛みで
稽古とは名ばかり。隆源は沙奈よりも圧倒的に強く、容赦のない攻撃が続く。
式神の質、操作の精度、共に段違いだ。
殺さないように、加減はしているのだろう。
どれだけ憎くて邪魔でも、直接手を下すのは不味いから。
「なぜ貴様のような未熟者が! 姫君の部下に!」
密迹金剛の一方的な攻撃で、首切舞が徐々に壊れていく。
「う……、けほっ……」
血反吐を吐く沙奈の意識が、
氣で回復を早めれば、明日には治る。耐えればいい、死ぬ前には終わる。
けれど、思ってしまうのだ。
(……誰か……、助けてくれないかな……)
誰もあの障子は開けられまい。ここは明堂院家専用の道場だ。
わざわざ他所の家の問題に首を突っ込む者など、居るわけがない。
「今朝の死合いで、息絶えれば良かったものをっ!!」
壊れかけの首切舞に、密迹金剛の錫杖が振り下ろされる。
障子は最後まで、開かなかった。
だが、
「きみは! 何をしているっ!!」
障子を蹴りやぶって乱入し、
「ごほっ……!?」
隆源の横っ
◇◇◇
(
状況を察し、隆源を殴り飛ばした伊織は、沙奈に目をやる。
「伊織、くん……、どうして……」
口から血を垂らし、手足を震わせ、沙奈が苦しげに声を発す。
葵の話で想像していたよりも、ひどい有様だ。
「貴様ぁ……! 自分が何をしたか、分かっているのかっ!!」
よろめく隆源が、片手で顔を押さえて怒鳴る。
伊織は微塵も動じず、つつー、と落涙した。
「何だ貴様、なぜ泣く……?」
隆源の問いは耳を素通りし、
「俺にとって、人生で初めての友……! 一緒に昼飯でも食えればと、そう思っていたのに……! 沙奈にこんな、ひどい仕打ちを……!」
伊織の内心は、悲しみの一色だった。
せっかく友人になったのに。これから楽しくすごせそうだと、喜んでいたのに。
矢先にこれだ。葵を無視し、沙奈についているべきだった。
どれだけ悔やんでも、悔やみ切れない。
悲しみは怒りへと転じ、ぐるりと首を曲げ、元凶の隆源を見据える。
「ひとまず殺すか」
当たり前のように
「な、にを……!? 密迹金剛!」
瞠目した隆源が一歩下がり、お互いの間に、密迹金剛と呼ばれた式神が滑り込む。
抜刀の軌道が密迹金剛の錫杖で逸らされ、眩い火花が散った。
構うものかと伊織は刃に風を纏わせ、都合十一の太刀筋を連ねる。
(……硬いな)
押して押して、深手は与えられないが、密迹金剛に幾度となく傷をつけていく。
「ぐ、を……! その程度の刃で!」
防戦に回っていた密迹金剛が、反撃に錫杖を突く。
術者の隆源が、太刀筋に慣れ始めたか。
(ならば……)
伊織は跳び
上段の構えだ。より力を込められる反面、外せば隙が大きい。
「……っ、良かろう、乗ってやる!」
対して密迹金剛が腕を広げ、錫杖を斜めに下げた。
上段の一撃を待ち、振り上げ、真っ向から弾くつもりか。
体格でも得物の長さでも、密迹金剛が勝る。そうくるだろう。
どちらも腹を晒し、無防備な状態。
(……っ!)
伊織は瞬時に踏み込み、刃を振り下ろす。
「読めているぞ、蓮水!」
ほぼ同時に、密迹金剛が錫杖を振るう。
「だろうな」
接触の寸前、刃の速度が急激に落ちた。
「な、にぃ……!?」
刃を弾こうとしていた密迹金剛が空振り、勢いを戻した伊織は、その胸元から腰にかけて胴を斬り裂く。
無月一心流魔刀術、
「ごほっ、
隆源が吐血し、密迹金剛の動きが一気に鈍った。
伊織は好機を逃さず、腰を落として密迹金剛の脇下をくぐり、術者の隆源に斬りかかる。
尚も狙うは斬首。さぁ死ねよ、と。
煌めく一閃、刃が首を刈り取った――かに見えた。
(……これも符術か)
隆源の身体が無数の札と化し、ざざざ、と崩れる。
気づけば本物の隆源は、壁ぎわに移動していた。
「はぁ、はぁ、はっ……! この我を、
額に大粒の汗を浮かべた隆源が、口元の血を拭う。
「蓮水、貴様、気でも触れているのか!」
「……俺から見れば、沙奈を痛めつけたきみこそ、正気とは思えないがな」
「抜かせ、立場の話だ!
隆源が新たな札を出す。
「やむを得ん、我も全力でゆくぞ!」
宣言と共に、さらなる戦意の高まりが伝わった。
「
(……やはり隆源ほどの術者ならば、識を使えるか)
識とはどんな道を歩む術者にも共通する、一つの到達点だ。
使われては少々面倒だと、伊織は先に仕留めるべく駆ける。
だが深手を負った密迹金剛が立ち塞がり、
「この式神、まだ動くのか……」
伊織が刀を振るい、密迹金剛が錫杖を突いたとき。
「双方、待たれよっ!!」
新たに筋骨隆々とした人物が、
刀を右拳で、錫杖を左拳で受け止めた男は、食堂で話した相手だ。
「きみは、柳葉家の……」
「修一郎か! 邪魔立てするな!」
伊織はいったん下がり、隆源もまた識を使わず、密迹金剛を後退させた。
(俺の刀を、拳で防ぐとはな)
無傷の修一郎が、伊織と隆源を交互に見る。
「障子が壊れているかと思えば、貴殿ら……、天道學園での個人的な死闘は、禁止であるぞ」
「ふんっ、百も承知よ! だが蓮水が殺しにくるのだから、仕方あるまい!」
「……友になった子が、痛めつけられていたからな」
伊織は広間の端、休んでいた沙奈に視線を移す。
「……伊織くん、もう十分よ。ありがとうね、私のために……」
意識が朦朧としているのか、沙奈がうわ言のように呟く。
「……だったら俺は身を引く。沙奈の手当てをしたい」
「貴様、身勝手にもほどがあるぞ! 我に刃を向けておいて……!」
やり取りを聞いていた修一郎が、深く息を吐く。
「ふむ……。仕掛けたのは伊織殿であっても、原因は隆源殿な様子」
修一郎の鋭い眼差しが、隆源をとらえた。
「隆源殿。沙奈殿の扱いは、吾輩も知っていたが……。今日はいくら何でも、度がすぎるのではないか?」
「明道院家の問題だ。柳葉の若獅子だろうと、口を出す権利はなかろうよ」
「否だ。度がすぎれば風紀を乱す。學園の問題であるな」
「くっ……」
ほどなくして隆源が密迹金剛を消し、
「……修一郎に免じて、我もここは身を引こう。許しはせんがな」
伊織を睨みつけ、広間から出ていった。
(仕舞いか……)
足を動かした伊織は、沙奈を抱き上げて、修一郎に向き直る。
「……修一郎、仲裁に感謝する。つい頭に血がのぼった」
「ふははっ、感謝は吾輩も同じだ。気にするでない」
両腕を組む修一郎は、なぜか嬉しげだ。
「どういう意味だ?」
「沙奈殿への仕打ちは、以前から吾輩や恋華も気にしていたのだ。しかし他所の御家ゆえ、おいそれとは口が出せぬ。伊織殿のおかげで、介入の余地ができた」
「……やっぱりきみ、いいやつだな」
伊織は口元を緩めて身をひるがえし、沙奈を医務室に運んだ。
「伊織くん。改めて、さっきはありがとう」
沙奈が神妙な表情で、ぺこりと頭を下げる。
夕方、伊織は沙奈と一緒に、ひと気のない庭園に佇んでいた。
医務室で沙奈が眠り、今しがた起きて合流したところだ。
「気にするな、頭を上げてくれよ。それよりも……」
伊織は修一郎の発言を思い出し、後ろ頭を掻く。
「……迷惑じゃなかったか?」
沙奈を助け、隆源と戦ったことは、明堂院家の問題への介入に当たるのだろう。
閉鎖的な隠れ里に住んでいた伊織は、そういった
沙奈にとっては、迷惑だったという場合もあり得る。
「迷惑なわけない!」
勢いよく頭を上げた沙奈が、じわりと涙ぐむ。
「嬉しかった。格好良かった。感謝してる……」
「お、おう……」
面と向かって「格好良かった」と言われては、いささか照れてしまう。
「けれど、その……。ただでさえ今朝の一件があったうえで、隆源さんに手を出したら、伊織くんの立場が……」
「何だ、俺の心配をしてくれているのか?」
「あ、当たり前でしょ。心配、するわよ」
まつ毛を伏せる沙奈は、しおらしい態度だ。
「隆源さんは明堂院の本家の人間だから、場合によっては、明堂院家全体に敵視されちゃうかも……」
「全体って、きみも明堂院だろう」
「……私は分家の女だから、影響力が薄いのよ」
「……ふむ。敵視されたら、何か不便が?」
「學園で生活はしづらくなるでしょうね。傘下の家々も多いし、嫌がらせされたり、もしかしたら襲われたり……」
「興味ないな。どうしても邪魔なら斬るさ」
「…………」
口を開閉させる沙奈は、呆気に取られている様子だ。
「……伊織くんは強くて、自由よね」
「もっと褒めてくれても構わない」
「世間知らずで、少し変な人。ふふっ……」
上目遣いの沙奈が、はにかむ。
「……私はまだまだ弱いけれど、その自由さは、見習うべきかもしれないわね。それが一つの強さなのかなって」
「そう思うのもまた、きみの自由だな」
「でもね、いきなり相手を殺そうとしちゃ駄目よ。もしも隆源さんが死んでいたら、今度こそ伊織くん、死罪になったでしょうし」
「それは……、困るな。だったら俺は、きみの真面目で常識的な部分を、見習うべきなんだろう」
「ふふっ、そうね」
沙奈は何か吹っ切れているような、すっきりとした表情だ。
「そのためには、一緒に居ないとね」
「当然だ。きみは初めての友だからな」
「貴方の友人へのこだわりは、何なのよ……」
苦笑した沙奈が、自然な動作で伊織の手を取る。
「夕飯にいきましょ。まだ食べてないわよね?」
「おう」
沙奈の手は小さく、柔らかく、温かい。
(この程度で羞恥を覚えるほど、
僅かに心臓が高鳴り、伊織は感情の揺らぎを疑問に思う。
手を繋いだ沙奈が歩き出し、重ねて疑問がもう一つ。
「沙奈、このままいくのか?」
「えぇ、人通りが多い場所まではね。ゆ、友人同士なら普通よ」
伊織は「そういうものか」と納得し、繋がれた手を握り返す。
沙奈の顔が赤いのは、指摘せずにおいた。
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